何やってるんですか! 先輩!

 


 朱波あかなみ 鏡花きょうかは、幼い頃からずっと願っていた。



 時が止まればいいのに、と。



 夏休みの時も、冬休みの時も、学校帰りの放課後でさえ、彼女は頭の片隅でそんなことを願っていた。



 ……でも最近はめっきり、そんなことを考え無くなった。



 それは彼女が大人になったから。……では無く、隣に彼が居なくなってしまったから。だから彼女の時間は、ずっと止まっている。楽しかったあの頃で、止まってくれと願い続けたあの眩さで、彼女はずっと立ち止まっている。



「…………」



 だから彼女は今日も、不機嫌そうに家を出た。



 ◇



 ささなと話をした翌日。俺は普段通り、オカルト研究会の部室に向かっていた。


 昨日ささなに言われて自分の目的を再確認した俺は、この夏こそ、彼女を作ってみせる!と、意気込んでいた。



「……でも彼女って、どうやったらできるんだ?」



 しかし、それが分からなかった。


 俺が童貞じゃ無いといっても、それはかなり特殊な相手と特殊な状況での話だ。だから普通の高校生がどうやって恋人を作っているかなんて、俺は知らない。


「そもそも、俺と関わりのある女の子って、点崎と玲と鏡花だけだしな」


 でも鏡花は、俺に良い感情は持ってないだろう。だから可能性があるとするなら、点崎と玲だけ。


「…………」


 ……というか、こういうことを言うとまた点崎に童貞っぽいと言われるかもしれないけが、実は点崎って俺のこと好きなんじゃね?


「でも何故か、告白しても振られるイメージしか湧かないんだよなぁ。『あれれ? もしかして先輩、あの程度のことで勘違いしちゃったんですかぁ?』とか言われそう」


 そして玲の方も、あいつはあいつで特殊だ。玲は一応、いつも俺のことを好きだって言ってくる。……が、彼女は昔から自分の心を隠すのが上手い。


 だからあいつは一見、昔と何も変わって無いように見えるけど、でも本当は本心を隠しているだけなのかもしれない。


 玲はああいう見た目をしているから誤解されがちだが、かなり狡猾で頭の回る奴だ。……だから玲だけには、ひた隠しにしていたささなとの関係を知られてしまっている。


「……まあ何にせよ、今はいつも通り部室に行くしかないんだけどな」


 いつも通り部室に行って、点崎や玲と話をする。結局今は、そうやって自分の居場所で彼女たちと仲を深めていくのが、1番の近道なのだろう。


「…………」


 そんなことを考えて、部室の扉を開く。……すると、部室の中央で仁王立ちしている1人の少女と目が合ってしまった。




「ちょっと、あんたに話があるんだけど……いいわよね?」



 さっきいの一番に候補から外した幼馴染の鏡花は、不機嫌そうに俺を睨む。


「……いや、お前。昨日も来てただろ? もしかしてまた、何か用事でも頼まれたのか?」


「違うわ。今日はその……言ったでしょ? あんたと話したいことがあるのよ」


「……まあ、お前がいいんなら、いいんだけどさ。でも……お前、部活はいいのかよ? つーか昨日も来てたけど、あれもサボってたのか?」


「あたしが部活をサボるわけ無いでしょ? ……というか、あんたホームルームとかちゃんと出てる? 昨日から期末テスト1週間前で、部活は休みって言ってたでしょ?」


「……あー」


 そういえば、そんなことを言ってた気もする。まあでも、テストなんてどうでもいいから、仕方ない。俺は焦って勉強しなくても、8割くらいは楽勝で取れるし。


 それに確か点崎の奴も頭が良かった筈だし、玲の奴は問題外で小学生の頃からテストでは100点以外とったことがない化け物だ。



 だから俺の周りでテストのことを気にしなければならないのは、1人だけ。


「…………」


「悪かったわね! 頭が悪くて!」


「いや、勝手に心を読むなよ。……つーか、そんなことより何か話があるんだろ?」


「ええ、そうよ」


 鏡花はそこで一度、大きく息を吐く。……なんか今日の鏡花は、昨日と違って心なしか顔が赤い。それに何故か、瞳も潤んでいるように見える。


 なんていうか……そう。告白前の、女の子みたいな……って、いやいや、鏡花が俺に告白なんてあるわけ無い。



「…………」



 そう分かっている筈なのに、なぜかドキドキしている俺に、鏡花はとても静かにその言葉を告げた。




「あんた昨日の帰り道……あれ、誰と話してたの?」



「────」



 その鏡花の言葉はあまりに想定外で、俺は思わず目を見開く。



「あの子。よく見えなかったけど、どことなく……ささなに似てたわ」


「…………」


 ……鏡花は、知らない。ささながまだ、生きていると。だから彼女にとってのささなは、あの夏に死んだままだ。



 だから俺は毎年、鏡花にだけはささなの姿を見せないようにしてきた。



 だって鏡花にはもう、余計なことは思い出して欲しくは無いから。



 ……きっとささなは、全て分かった上で昨日、姿を現したのだろう。あいつが当たり前のように、鏡花と会えるなんて言った時点で、俺は疑問を覚えるべきだった。



「ねえ? 黙ってないで、なんとか言ったらどうなの?」



「……鏡花。俺は昨日、1人で帰ってたよ。だからお前が何を言っているのか、俺には分からねーよ」



 今更鏡花に、ささなは生きているなんて言えない。鏡花にとってささなは大切な友人で、そしてそのささなを殺した俺は、絶対に……許せるような相手じゃない。



 その関係を今更崩しても、俺が犯した罪が無くなる訳じゃないんだ。なら鏡花は、余計なことに関わる必要は無い。



「……そう。また、とぼけるのね」


「何を言ってるのか、意味が分からないな」


「…………まあいいわ。でも、あたしが何も知らないと思ってるなら、それは大間違いよ? 中学の時、あんたと玲ちゃんがこそこそと何かしてたことだって、あたしはちゃんと知ってるんだから」


「お前が何を言っているのか、分からないな。けど心配しなくても……お前に迷惑をかけたりしないよ」


「……あたしは、そういうことを言ってるんじゃないの! ……あたしはただ、またあたしだけ仲間外れに……。ううん。何でもない。……もういいわ。もうあんたなんかと、話すことなんて無い」


 鏡花はそう言い捨てて、この場から……立ち去らず、ゆっくりと俺の方に近づいてくる。


「おい、鏡花? 何でこっちに、近づいてくるんだよ」


「…………」


 鏡花は答えを返さない。だから俺は、徐々に壁際に追い込まれる。……いやこれ、どういう状況?


「なあ? 鏡花。お前、何を怒って……」


 そこで、ドンっと逃げ場を無くすように壁ドンされる。……いやいや、何で俺が鏡花に壁ドンされてんだよ。意味が分からない。



「…………」



 そして気づけば、鏡花の顔がキスするくらい近くにある。ドキドキと心臓は跳ねるし、鏡花の胸が当たってるしで、なんかもう……怖い。



「なあ? 鏡花? お前──」



「うるさい。黙って」



「…………」



 いや、ほんとに黙ってどうすんだよ? 俺。でも何故か、口を開くことができない。



「あたし、ほんとはずっとこうしたかったの……」



 鏡花は俺の頬に熱い息を吹きかけながら、どこか甘い声でそう言って、そのまま自分の唇を俺の唇に近づける。





 そしてその距離のまま、ゆっくりと時間が流れて、当たり前のように部室の扉が開かれる。




「せ、先輩! 何やってるんですか! 昨日の今日で、またそんな女を連れ込んで……! というか、貴女は早く先輩から離れてください!」




 点崎は大声でそう叫んで、俺から鏡花を引き剥がす。……正直、助かった。唇は触れて無いが、なんか流されてしまいそうだった。


「先輩! ちゃんと説明してください! 今なら少しだけ、話は聞いてあげますから!」


 そんな風なことを言いながら、点崎が俺を問い詰める。……そして当の鏡花は、その後ろで昔みたいな笑みを浮かべて、



「バーカ。いい気味」



 そう言って、駆け足で部室から出て行ってしまう。……あいつまさか、俺に嫌がらせしにきただけなのか? いやそれとも……。


「黙ってないで、なんとか言ったらどうですか! 先輩!」


「そうだし。あーしのいないところで鏡花とイチャついてたとか、あーし絶対許さないし!」


 しかしそれ以上の思考は、詰め寄ってくる点崎と、いつのまにか現れた玲に止められてしまう。



 そうして今日は、ただ2人に事情を説明するだけで、終わってしまった。



 ◇



 朱波 鏡花は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、1人夕暮れの街を歩く。


「ふふっ、いい気味。……あいつ、いつもあたしのこと除け者にするんだから、あれくらいしてやらないとね」


 鏡花はそんなことを言いながらも、気がついていた。直哉が自分から距離を取るのは、自分のことを考えてくれているからなんだと。



「…………」



 でも、だからって直哉がしたことが無くなるわけではない。……あの真っ赤な血を、鏡花は今でも夢に見る。



 だから自分と直哉は、関わるべきでは無い。




 彼女もそれは、分かっている。




 でも……。







「好きなんだから、仕方ないじゃない」



 鏡花は昨日、直哉と誰かが話しているのを見た。けれど……それがささな本人だなんて、思ってなかった。その容姿が、ささなに似ているとは思った。けど、ささなの死を誰より近くで見た鏡花は、それがささな本人だなんて考える筈も無かった。



「────」



 だから正面から現れた彼女の姿を見て、鏡花は自分の心臓が止まったのかと思った。





「やあ、朱波 鏡花。久しぶりだね。……うん。君も変わっていないようで、安心したよ」



 そうして、ゆっくりと物語は進んでいく。


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