ずるいです。先輩。



「やあ。初めましてだね、風切 直哉。……うん。君は変わらないようで、私は嬉しいよ」


 そう言ってその少女は、蕩けるような笑みを浮かべる。



「────」



 言葉が、無かった。何の言葉も出てこないくらい、その少女は美しかった。まるで歩けば花が咲くくらい、彼女は異様な美しさを纏っていた。


「ふふっ。いきなり出て来たから、驚かせてしまったかな?」

 

「……いや、その……何で俺の名前を、知ってるんだ?」


 花のように笑う少女に、俺はなんとかそう言葉を返す。


「それは、私がそういう存在だからだよ。……ふふっ、意味が分からないって顔をしているね? なら今は、分からないままで構わないよ。それより、私だけ名前を知っているのはいささか卑怯だから、君には特別に私の名前を教えてあげよう」


 彼女はそこで言葉を止めて、口元だけでニヤリと笑う。……その笑顔を見るだけで、ドキドキと心臓が跳ねる。


「私は、青桜 ささな。青い桜と書いて、せいよう。ささなは平仮名でささなだ。……よろしくね? 風切 直哉」


 少女、ささなはそう言って、恭しく頭を下げる。


「…………」


 俺はそんな少女の可憐な仕草に、どんな言葉を返していいか分からず、ただ唖然と彼女の姿を眺めていた。


「それで、風切 直哉。君は、青い桜を探しているね?」


「……いや、何でそれを……」


「ふふっ。だからそれは、私がそういう存在だからだよ。……そんなことより、青い桜なんてものを探すのは……辞めた方がいい。今の君はまだ、奇跡なんてものに頼らなければならないほど、追い詰められてはいない筈だ」


 ささなはそれまでの軽い雰囲気とは一転して、どこか冷たい声でそう告げる。


「…………でもじゃあ、どうすればいいんだよ。父さんも母さんも、俺の言葉なんて聞いてくれない。それに……鏡花だって突然泣き出すし、あの……あの許婚だって俺のことなんか……!」


 そんなささなに、俺は苛立ちを打つけるように、声を荒げる。……けどささなは薄く笑って、ただ優しく俺の頭を撫でてくれた。


「たかだか両親と喧嘩して、女の子を怒らせてしまっただけだろう? 君はその程度のことで、奇跡に頼るのかい? 君はそれほど、弱い人間なのかな?」


「それは……」


「ふふっ。そんな困った顔をしなくても、大丈夫だよ? 奇跡とまでは言わないけれど、私が為になる助言をしてあげるから……」


 ささなの白い指が、優しく俺の髪を撫でる。俺はその感触が心地よくて、彼女の言葉を魔法のように聞き続ける。


「大人が見ているのはね、子供の表情だけなんだ。彼らは決して、心まで覗こうとはしてこない。だからとりあえず彼らの前では、笑うといい。……もし悪巧みをするのであれば、その裏でやるんだ」


 ささなはそこでまた、笑みを浮かべる。そしてそのまま、言葉を続ける。


「そして、女の子にはプレゼントかな。安物でもいい。ちゃんと君が君の意志で選んだものを、送ってあげるんだ。そうすれば彼女は……いや、彼女たちは、君のことを許してくれる筈だよ?」


 それは、本当にただの助言。年上のお姉さんの、ちょっとしたアドバイス。でもその言葉は本物の奇跡のように、ストンと俺の胸に落ちた。


「ふふっ、いい顔だね。うん。そういう顔ができるのなら、今の君に奇跡は必要ない」


「……そうかな? …………いやでも、もう少し頑張ってみるよ。今なら何となく、頑張れる気がする」


「うん。そうすると良いよ。……風切 直哉。君がもう私の所に来ないことを、祈っているよ。……バイバイ」



「────」



 そう言って、彼女は消えた。まるで本物の桜のように、彼女は風に吹かれて、夢のように消えてしまった。



「…………」




 最後の最後に、俺の頬に温かな感触を残して。



 それが、俺とささなの出会い。その出会いを経て、俺は少しずつ変わり始めた。





 ささなと別れてすぐ、俺は家に帰った。道に迷っていた筈なのに、気づくと俺はいつもの道にいて、だから俺はそのまま駆け足で家に戻った。


 そして俺は家に帰って、両親と話をした。


『自分が間違っていた。許婚のことは認める。だから、許して欲しい』


 そう言って頭を下げると、彼らは簡単に怒りを鎮めてくれた。



 その後は彼女の言う通り、彼らの前ではただ笑顔を浮かべ続けた。……それだけで、彼らは俺を信用してくれた。



 そして、次の日の放課後。俺は鏡花の家を訪ねた。


「…………」


 鏡花は一応、俺を家にあげてくれた。……けど彼女は不機嫌そうに俺を睨むだけで、何も言ってはくれない。


 だから俺は、気持ちを落ち着けるように小さく息を吐いて、そして買っておいたプレゼントを彼女に差し出す。


「……これ、プレゼント」


「…………なに、ご機嫌取りのつもり?」


「いや、違うよ。日頃の感謝と……その、俺の気持ちだよ」


 俺はそう言って鏡花の手をとり、小さな包み紙を彼女の手に乗せる。


「………………開けていい?」


「どうぞ」


 俺がそう言うと、鏡花は渋々と言ったように、包み紙を解いていく。……でも彼女が口の端で微かに笑っていたことに、俺はちゃんと気がついていた。


「これ、キーホルダー? ……青い桜って、あんたほんと好きね」


「ああ、だから実は俺の分も買ってあるんだよ。……お前と、お揃いで」


「……そっか」


 鏡花はしばらく青い桜のキーホルダーを掌で弄んで、そしてどこか納得したように大きく息を吐く。


「分かった。許したげる。でも、このキーホルダーはずっとつけてなきゃ、ダメだよ? これはあんたとあたしが、その……仲良しの証なんだから! だから、ずっと鞄につけとくこと! ……いい?」


「分かってるよ。……その、ごめんな。鏡花」


 俺はそう言って、頭を下げる。


「…………ううん。あたしの方こそ、急に帰ったりして……ごめんね。……あとプレゼント、嬉しかった。……ありがとう」


 そして鏡花も俺に謝ってくれて、最後にはいつものように笑ってくれた。






 そうして、そこからしばらく時が流れて、夏休み。俺はまた両親に連れられて、丘の上の屋敷を訪れていた。


「……あんた、また来たの? 言っとくけどあーしは、あんたが許婚なんて認めないから」


 玲は棘のある声で早口にそう言って、すぐに俺から視線を逸らしてしまう。


「…………」


 けど俺は玲から視線を逸らさず、真っ直ぐに彼女を見つめて、ゆっくりと口を開く。


「俺もさ、認めてないよ。お前が、許婚なんて」


「…………そ。……それで? それがなんだって言うのよ? 親に言われるがままに、こんな所にのこのこやって来るようなあんたに、一体なにができるって言うのよ。……口だけの男とか、ほんとキモい」


「じゃあお前は、どうだって言うんだよ? そんな風に派手な色に髪を染めて、ふざけたような言葉遣いをして、それで反抗してるつもりなのか?」



「────」



 俺のその言葉を聞いて、玲は顔を真っ赤にする。そしてそのまま、震える声で俺を怒鳴りつける。



「あんたに、何が分かるのよ! 産まれた時から全部決められてる私には、これくらいしかできることが無いのよ! 私のこと何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」



 そう叫ぶ彼女は、先程までとは打って変わってなんだか酷く脆く見えて、俺は少し唖然とする。



「なんなよ? その目は! ……もういい! 帰ってよ! あんたなんか、大っ嫌い! 私は……あーしは、絶対に許婚なんて認めない……!」


 彼女はそう言って、涙を流した。……けどだから俺は、そのまま帰ることなんてできなくて、一歩一歩、彼女の方に近づく。



 そしてずっと考えていたことを、どこか誇るように彼女に伝える。



「俺に1つ、作戦があるんだ。俺もお前も自由になれる、とっておきの作戦が。だから……俺に協力してくれないか?」


 俺のその言葉を聞いて、彼女は唖然と目を見開く。……けどすぐに俺から視線を逸らして、拗ねるように口を開く。


「……あんたみたいな子供に協力して、何ができるって言うのよ?」


「大人を騙せる」


「騙す?」


「そう。騙すんだよ。……お前さ、どうして俺がお前の許婚になったのか、その理由を知ってるか?」


「…………知らない」


「そうか、俺も知らない。……だからこれから、調べるんだよ。俺とお前は仲が良いフリをして、大人を騙す。そして裏で、調べるんだよ。俺とお前が許婚になった理由や、それ以外にも色々。そうすれば必ずどこかに、弱点が見つかる筈だ」


 そう胸を張って語る俺を見て、玲は呆れたように息を吐く。


「そんなの、上手くいくわけ無いし。あーしの母親が、どれだけ怖い奴だと思ってるのよ? それに……あーしらは、子供なんだよ? だから──」




「でも結婚するのは、大人になってからだろ? だから時間は、まだまだある。やれることは、幾らでもある筈なんだよ」



 今から思えば、それはただの子供の浅知恵で、けどそれでも……その時の俺の覚悟は、本物だった。



 だから、



「だからさ、俺とお前が大人になった時、言ってやろうぜ? 『バーカ、俺たちは結婚なんてしねーよ』って」



 そう言って俺は、玲に向かって手を伸ばす。……拒絶されても、それはそれで別に良かった。その時はまたここに来て、また話せばそれでいい。



 ……俺はそう思っていたのだけれど、玲はニヤリと笑って俺の手を握ってくれた。


「少しだけ、あんたを見直した。だから少しだけ、あんたに協力したげる」


「……ありがとう」


「礼なんて、要らないし。……それよりあーしは、葛鐘 玲。……あんたの名前は?」


「俺は、風切 直哉」



 そうして少しずつ、事態は良い方に進んでいく。




 ……少なくとも当時の俺は、そう信じて疑わなかった。




 あの事件が、起こるまでは……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る