本当にバカです! 先輩!



 必死になって、ただ走る。



「……はぁ……はぁ」


 いつもの山に向かえば、青い桜は咲く筈だ。そんな漠然とした予感を信じて、硬い地面を蹴って前に進む。



 今なら奇跡が起こると、俺は信じていた。



 ささなの話を聞いて、あのメモを見て、点崎のことを全て思い出した。……訳ではない。寧ろほとんど何も、思い出せていない。この夏、彼女とどんな時間を過ごして、どんな関係になったのか。俺は何も、思い出せていなかった。



 でも、彼女のあのからかうような笑顔。それはちゃんと、思い出せた。



 なら、今はそれで十分だ。



「はぁ……はぁ……」



 俺は、ただ走る。身体に纏わりつくような暗い闇を蹴飛ばして、空に咲く青を探して。


「どこだ……」


 いつもの山に、たどり着いた。一度、呼吸を整えて、また走り出す。


 青い桜を見つければ、点崎に会える。そんな保証は、どこにもない。そもそも会えたところで、何を話せばいいのかなんて分からないし、彼女を取り戻す方法だって分からない。



 ……そもそも、どうして彼女は消えたのか。その一番肝心な理由も、まだ分かっていない。



 しかしそれでも、俺は走る。



 だって、会いたいから。もう一度彼女に会って、ただ話をしたい。またいつものように、笑って欲しい。



 どうしてかは分からないけど、そうなれば全てが上手く。そんな予感が、俺の身体を突き動かす。



「……ささなは、もう居ない。なら今度は俺が、奇跡を起こせばいいんだ」



 俺はただ、笑う。身体中汗だくで、息ももう絶え絶えだ。でもどうしてか、笑ってしまう。だって俺は、確信していた。



 こうやって走れば、彼女が──。




 ──そこでふと、青い桜が舞った気がした。



「……!」



 だから俺はそれを追うように、背後に視線を向ける。




 ……するとそこには、見慣れた筈の彼女の姿があった。




「どうして来ちゃったんですか! 先輩……!」




 綺麗な茶髪が、風に揺れる。透き通るような透明な瞳が、俺を見る。俺の大切な後輩の点崎 美綾が、ただ真っ直ぐに俺を見る。


「どうしてって、お前が勝手に居なくなったからに決まってるだろ?」


 だから俺は、いつも通りの表情でそう言葉を返す。


「勝手じゃ、ないんです! 私は……私は自分勝手に願いを叶えてしまったから、消えなきゃいけないんです。じゃないと、先輩が……」


「俺が、どうなるんだよ?」


 そう尋ねるが、点崎は答えを返してくれない。彼女は逃げるように遠くに視線を向けて、小さく呟く。


「とにかく、帰ってください。先輩はここにいちゃ、ダメなんです」


「それは聞けないな。俺はお前に……点崎に会いたくて、ここまで来たんだから」


「点崎……。そっか。思い出したわけじゃ、ないんだ」


 点崎は小さく息を吐いて、俺を見る。


「先輩。私はね、大丈夫なんです。もう大丈夫だって思えるくらい、楽しくてドキドキする思い出をたくさん作れました。だから先輩が心配するようなことは、何もないんです」


「別に、心配してるわけじゃねーよ。……事情はまだほとんど分かってねーけど、お前が俺の為に何か願ってくれたのは知ってる。だから、ありがとうって、伝えておきたかったんだ」


「……なんですか、それ。お礼なんて、別にいりません。だって私は、自分の為に願ったんですから……」


「だとしても、そのお陰で俺は今……ここに居る。そうだろ? だからありがとう、点崎」


「…………どういたしまして」


 点崎は照れたように顔を赤くして、視線を下げる。


「…………」


 ……その仕草は、俺の知ってる点崎と少し違う。俺の知ってる点崎は、いつも俺をからかってきて、俺が何を言ってもニヤニヤと楽しそうに笑っていた。



 だからこんな風に照れたような顔で笑う点崎を、俺は知らない。



 ……それがどうしてか、凄く悔しかった。



「さ、もう用は済んだでしょ? なら早く、帰ってください。本当なら私はもう、ここにいちゃいけない存在なんです」


「……それは、願いの代償で消えなきゃいけないからか?」


「そうです。それが私の、責任なんです」


「でも、点崎。消えなきゃいけないのは、お前だけじゃないんだろ? お前以外にも、何人もの代償が必要だって聞いだぞ? ……なあ、点崎。お前は一体、何を願ったんだよ」


「……そんなの、先輩には関係ないです」


「なら教えてくれても、構わないだろ?」


「ダメです。わがまま言わないで、帰ってください」


「嫌だ」


 少し、言い合いになってしまう。……でもそれが凄く懐かしくて、俺は思わず笑ってしまう。


「……ふふっ」


 見ると、点崎も同じように笑っていた。


「懐かしいな」


「……はい。でも、それはもう過去のことです。今の先輩には、私なんて必要ないんです。私が居なくても先輩は、魅力的な女の子に囲まれてます。だから私の役目は、もう……終わったんです」


「それでも俺は、お前にそばにいて欲しい。……いや、誰よりお前のそばに居たいと思ったから、こうしてここまで来たんだ」


 その想いに、嘘はない。どんな手段を使ってでも、俺はこの後輩を連れて帰る。そう決めた。


「点崎、聞かせてくれ。お前は一体、何を願ったんだ?」


「だから、それは──」


「言えないって言うのか? なら俺も、ここを動かないぞ?」


 俺の言葉を聞いて、点崎は逡巡するように空を見上げる。そしてぽつりと、言葉をこぼす。


「……先輩は本当に、わがままですね。そういうところが、童貞ぽいんです」


 風が吹く。まるで俺と点崎を隔てるように強い風が吹き抜けて、俺も点崎も口を閉じる。


「…………」


「…………」


 それは本当に、一瞬の沈黙、なのにどうしてか、凄く長い時が過ぎ去ったような、そんな錯覚を覚えた。



「先輩は、死んだんです。約束を果たせず、私の目の前で……死んでしまったんです。だから私は、願いました。こんな結末は、認めないって」



 そうして点崎は、語り出す。長く苦しい、点崎 美綾の始まりの物語を……。


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