そんなのダメです! 先輩!
「……なあ、ささな。なんでこのタイミングで、帰ってくるんだよ? いやそもそも、どうしてお前は居なくなったんだ? お前は……お前は一体、何がしたいんだよ! ささな!」
俺はそう叫んで、正面で笑うささなを見つめる。するとそれだけで、何故か心臓がドキドキと跳ねる。
だから俺はどうしても平常心ではいられなくて、声を荒げて彼女を見る。
「ふふっ。そう怒らないでくれよ、風切 直哉。私だって別に、好きで姿を消した訳じゃないんだ。色々と想定外……いや、想定以上でね。私も休まざるを得なかったんだよ」
「……なら、どーしてこのタイミングで出てきたし。あーしからしてみれば、邪魔されたようにしか思えないんだけど」
玲はそう言って俺の背中から手を離し、ゆっくりとささなの方に踏み出す。そして彼女はささなから俺を守るように、正面からささなと対峙する。
「そうだね。どうやらとてもタイミングが悪かった……いや、良すぎたようだ。でも、その言葉は君らしくないよ? 葛鐘 玲」
「……どういう意味だし」
「少し私が姿を見せた程度で、揺れてしまうような想い。君はそんなものを、恋と呼ぶのかい? 君はその程度で、満足するつもりだったのかな? 葛鐘 玲」
「…………」
ささなの問いに、玲は言葉を返さない。……そして、俺の手を握る点崎と鏡花も、あまりの事態に呆然とするだけで、口を開く様子は無い。
だから今は、俺が口を開く。
「……なあ、ささな。もう一度、聞くぞ? お前はどうして急に居なくなって、そしてどうして急に姿を現したんだ? ……どんな理由でもちゃんと聞くから、だから……教えてくれ、ささな」
俺の言葉を聞いて、ささなは笑う。そして彼女は、ゆらゆらと桜色の髪を風になびかせながら、歌うように言葉を告げる。
「私が急に姿を消した理由はね、さっきも言った通り……想定以上だったからだよ。流石の私も、ここまでは想定していなくてね。だから少し、自分を保てなくなったんだ」
「……意味が分からねーよ、ささな。想定以上って、何の話だよ?」
「それは残念ながら、教えてあげられないんだ。それより──」
と。そこで、不意にささなの姿が霞む。7月になる前に急に姿を現した時と同じように、彼女の存在が薄らぐ。
「……ふふっ。どうやらあまり、無理はきかないらしい。君たちがあまりに楽しそうだから、私も少しはしゃいでしまったけど、でもそろそろ……本題を話さないとね」
そう言ってささなは、また笑う。……けど、彼女の姿は今もゆらゆらと揺らめいていて、風が吹けば消えてしまうくらい儚く見える。
「…………」
だから俺は、思わずそんな彼女の方に駆け寄りたくなる。
……でもそれは、俺の手を握り締める2人の少女によって引き止められる。
『行かないでください、先輩』
『言っちゃダメ、直哉』
彼女たちは、そう言葉にはしない。けど、掌の温かさから彼女たちの想いが伝わってきて、俺はギリギリ踏み出さずに済む。
そしてささなは、そんな俺たちの様子を楽しそうに眺めながら、ゆっくりと言葉を口にする。
「風切 直哉。私と君は約束しているよね? 来年の君の誕生日までに、君が私より大切だと思える相手を見つけられなければ、君は私と一緒に死んでしまう」
誰もそのささなの言葉に、返事を返さない。だからこの場には、ただささなの声が響き続ける。
「でもね、本当に申し訳ないのだけれど、どうやら私は……その約束を守れそうに無いんだ。だから……だからね、風切 直哉」
ささなはそこで、俺を見た。透き通るような赤い瞳で、彼女は真っ直ぐに俺だけを見る。
そしてささなはニヤリと口元を歪めて、その言葉を告げた。
「来年の君の誕生日までという期限を、今年の君の誕生日まで早めさせてもらうよ。……ごめんね? 風切 直哉」
「────」
何となく、予感はあった。ささながこの場に現れた時から、彼女はとんでもないことを口にする気なんだと、漠然とした予感があった。
けど……けれど、流石にその言葉は想定していなくて、俺は上手く言葉を返せない。だって、だって他ならぬ青桜 ささなが、一度結んだ約束を……一度叶えた願いを反故にするなんて、あり得るわけが無い。
……そう思うのに、彼女の瞳はどう見ても本気で、だから俺は何の言葉も返すことができない。
「ふ、ふざけないでください! 黙って聞いてれば、何ですかそれは! 貴女……今年の先輩の誕生日って、あともう1ヶ月くらいしかないじゃないですか!」
俺が唖然としていると、隣の点崎がそう叫んでささなを睨む。
「そうだね。だから私は、ここに来たんだ。もう時間が無いことを、君たちに知ってもらう為にね」
「そんなの知りません! 大体、何でそんな約束を先輩が守らなきゃいけないんですか! だって……死ぬなんて、どんな事情があったとしても絶対におかしいです!」
「ふふっ。確かにそれは君の言う通りだね、点崎 美綾。でも、それは仕方の無いことなんだよ。私だってね、できればずっと風切 直哉の側に居たいし、彼を他の誰にも渡したくはない」
「じゃあ、なんで……!」
「でもそれは、無理なんだよ。……点崎 美綾。私だってね、何でもできるわけじゃ無いんだ。だから……いや、君は分かってくれるだろ? 風切 直哉。他ならぬ君だけは、私の想いを理解してくれる筈だ」
試すような、ささなの視線。けれどそんな瞳で見つめなくても、俺には答えが分かってしまう。
俺とささなが結んだ約束。俺の願いを彼女が聞き届けてくれたという、証。
それは何度も言った通り、
俺が18歳の誕生日を迎えるまでに、ささなより大切な相手を見つけられなければ、俺は死ぬ。
というものだ。
でもじゃあどうしてその期限は、18歳の誕生日までなのか。
……それは、とても簡単なことだ。だから俺はすぐに、答えに行き着く。
「ささな。お前、もう保たないのか?」
「うん。色々と事情はあるのだけれど、でも結局のところはそれだけだ。私はもう、来年の夏まで保たない。……というより、今ももう限界が近くてね。どれだけ頑張っても、あと1ヶ月くらいしか生きられそうに無いんだよ」
「……そうか」
それもまた、完全に予想外な言葉では無かった。けど……ああでも、どうしても胸が痛む。今すぐ彼女を抱きしめてやりたいと思うくらい、胸が痛い。
「そうか、じゃないです! 先輩! なに納得してるんですか! どんな事情があったとしても、私は先輩が死んじゃうなんて……!」
点崎は泣きそうな顔で、俺の手をぎゅっと強く握りしめる。だから俺も、その手を強く強く握り返す。
「なあ、点崎。お前がそこまで俺を想ってくれるのは、嬉しい。……けどな、それは仕方ないことなんだよ。そもそも俺が願ったから、こんなことになってしまったんだ。だから……」
だから、何なのだろう? 上手く言葉が出てこなくて、俺はそこで言葉に詰まってしまう。
ささなが、唐突に姿を消した。けど俺はどこかで、信じていた。また彼女と笑って会えるんだと、俺はどこかで信じていたんだ。
……なのにささなに来年の夏は無くて、彼女はどうあっても今年で消えてしまう。
そう思うと胸が痛くて、言うべき言葉が消えてしまう。
「…………」
……ささなが消えるなんてことは、もうずっと前から分かっていたことだ。だから俺は何度も覚悟も決めて、前に進もうって思ってた筈なんだ。
なのに……。
なのにどうして、こんなに胸が痛むんだ。
「ねえ、ささな」
そこでふと、ずっと黙り込んでいた鏡花が口を開く。
「……なんだい? 朱波 鏡花」
「あたしはね、貴女がここに来てくれてよかったって思う。……直哉のことはそりゃ……許せないけど。でもそれは貴女と直哉の問題だから……口を挟む気は無いの」
「貴女も、何を言ってるんですか! 先輩が、あと1ヶ月で死んじゃうかもしれないんですよ! なのに何でそんな、簡単に……!」
「分かってるわ。……でもあたしは、元々この夏で直哉を手に入れるつもりだった。だから期限が狭まっても、やることは変わらない。そうでしょ?」
「それは……」
点崎はそんな鏡花の言葉を聞いて、黙り込んでしまう。けれど鏡花は言葉を止めず、視線を点崎からささなに移して、そのまま言葉を続ける。
「だからね、ささな。あたしが言いたいのは、1つだけ。この夏で、直哉の心はあたしがもらうわ」
「ふふっ。それは、宣戦布告かな? 朱波 鏡花。……でもこの前も同じようなことを、君は言っていたよね?」
「ええ。でも貴女は少し分かってなさそうだから、もう一度言っておきたかったの」
「分かってない? それは、どいいう意味かな?」
「だって貴女は、知らないでしょ? 失恋するのが、どれだけ辛いか。自分の好きな男が、他の女を抱いたって知らされるのが、どれだけ悲しいか……貴女は知らない。……ううん、貴女もそれと同じことを思ったから、今ここに姿を現したんじゃないの?」
「…………」
ささなは言葉を返さない。彼女は本当に楽しそうな笑みを浮かべながら、ただ黙って鏡花の言葉を待つ。
「……あたしはね、今も凄く嫌だった。あたしがどれだけ強く手を握っても、直哉の心は玲ちゃんの方を向いてた。……当然よね。自分の為に、あんな花火まで打ち上げてくれたんだもん。あんなの見せられたら、誰だって心が動いちゃう。だからあたしは今、すっごく嫉妬してた。……ささなも、本当はあたしと同じ想いだったんでしょ? だから今、姿を現した」
「ふふっ。君は面白いね、朱波 鏡花。ああそうだよ、私は確かに嫉妬した。だって私も、女の子だからね。さっきも言った通り、好きな男の子は誰にも渡したくは無いんだよ。……でもそれは、叶わない願いなんだ。だからね、朱波 鏡花」
ささなはそこで一度、言葉を止める。そして踊るような身軽さで、ゆっくりと俺の方に近づいてくる。
そしてささなは、そのまま真っ直ぐに俺だけ見つめて、胸を張って自分の想いを言葉に変える。
「私から奪ってみなよ。私は誰にも、風切 直哉を譲るつもりなんてない。だからこの1ヶ月、君たちは死ぬ気になって私の直哉を口説けばいい。それができなければ、風切 直哉は永遠に……私のものだ」
ささなはそう言って、俺にキスをした。この場に居る誰も、彼女を止めることはできなかった。だから俺の唇にはささなの感触だけが伝わって、俺の心臓はまたドキドキと跳ねる。
だから俺は彼女に何か伝えたくて、急いで口を開こうとする。
……けどそんな暇も無く、ささなの姿は消えてしまった。
「…………」
だからこの場にはただ、波の音だけが響く。ざーざーと、どこか無機質な波音だけが静かな世界を揺らし続ける。
そんな風にして、物語は音を立てて動き出した。
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