誰ですか? 先輩。



 点崎がうちにやって来る前日の土曜日。唐突に、玲から電話がかかってきた。


「ちゃお、なおなお。今、時間いいよね?」


「……どうしたんだよ、玲。お前が電話なんて、珍しいな」


 俺は読んでいた文庫本をベッドに置いて、そう答えを返す。


「いやー、ちょっと面白いことがあってね。それをどうしても、なおなおに話しておきたかったんよ」


「……それって、お前が金曜に部活に来なかったことと、なにか関係してるのか?」


 俺のその言葉を聞いて、電話の向こうからとても楽しそうな笑い声が響く。


「さっすがなおなお、鋭いねー。あーしが金曜に部活に顔を出さなかったのは、彼女と会ってたからなんだよね〜」


「ささな、お前の前にも現れたんだな」


「うん。それでちょっと、昔の話をしてね。少し、気になることがあったんよ。だからそれを、今のうちになおなおにも伝えておいてあげよー、と思って電話したんよ」


「……内容は?」


「ふふっ、それはねー」


 玲はそう言って、もったいぶるように少し間を空ける。そしてそれまでとは少し質の違う冷たい声で、その言葉を告げる。




「今年のささな、少し変だったよ。……もしかしてあーしたち以外の誰かが、青い桜に何か願ったのかも。……だってあの子を変えられるのは、人の願いだけだしね」



「…………」


 俺は、それに何の言葉も返さない。確かに青い桜は、俺たちだけの特権では無い。けれどあれはもう、枯れてしまった筈だ。どこにも無い筈の青い桜。それは俺がささなを……殺してしまったことで、この世から完全に消えてしまった筈だ。



 なのに玲は、そんな可能性を提示する。



 つまりそれが意味するのは……。



「一応言っておくけどさ、なおなお。根拠なんて、無いよ? ただなんとなーく、ささなの様子が変だったから、そう思っただけだし」


「……様子が変だったって、どこがだよ?」


 少なくとも俺の目には、ささなはいつも通りにしか見えなかった。


「さあ? それが分かってたら、なんとなくなんて言わんし。……でもまあ気になるから、あーしも日曜……なおなおの家に行ってもいい?」


「お前、分かってて言ってるだろ? 日曜は……点崎がうちに来るから、ダメだ」


「なら尚更、あーしも行きたくなるんだけど。……ふふっ、なんてうそうそ。今回は辞めとくよ。というか、せっかくなんだから点崎ちゃんにも、ささなのこと紹介してあげなよ。いつまでもあの子だけ仲間外れってのも、いい加減可哀想だしね」


「……分かってるよ」


「ふふっ、じゃあ切るね? また月曜に会えるのを、楽しみにしてるよ。ばいばい、なおなお」


 ちゅっ、とキスするような音を最後に響かせて、玲からの電話が切れる。


「玲の奴はほんと、何考えてるか分からねーな」


 しかしそれでも、玲の奴が言うのなら何かあるのだろう。彼女の杞憂が気のせいだったことなんて、今まで一度だって無いのだから。


「……まあそれも、日曜にささなに会えば分かることか」


 そう呟いて、視線をまた本に戻す。そうしてその日は何事もなく、ただ静かに終わり告げた。



 ……まるで嵐の前の、静けさのように。




 そして、日曜日。



 朝日が昇って、いつもならささなが姿を現わす時間。俺はいつも通りベッドに腰掛けて、ささなが現れるのを待っていた。



「…………」


 ……けれどいつまで経っても、ささなが俺の前に姿を現わすことは無かった。



 ◇



「お邪魔します。先輩」



 そして昼過ぎ。ささながうちにやって来ないまま、宣言通りとても短いスカートを履いた点崎が先にうちにやって来た。


「よお、点崎。まあ、上がれよ」


 とりあえず俺は、普段通りそう声をかけて点崎を出迎える。


「はい。……あ、その、先輩。これ、よかったら食べてください」


 点崎はどこか照れたようにそう言って、手土産のケーキを渡してくれる。


「お前、わざわざ買ってきてくれたのか」


 なんか意外で、少し笑ってしまう。


「わ、笑わないでください! 私は、だって……男の人の家に遊びに行くのなんて初めてだから、なにを持っていけばいいか……分からなかったんです!」


「いや、怒るなよ。別に、バカにしてるわけじゃないって。それよりいつまでも玄関に居ないで、上がれよ。コーヒーでも淹れるから、このケーキ一緒に食べようぜ?」


「…………」


 俺の言葉を聞いて、無言で靴を脱いで家に上がった点崎は、なぜかそのまま俺の脛を蹴ってくる。


「痛っ。……なんで蹴るんだよ? 点崎」


「なんか先輩、手慣れてる感じがしてムカつきます。先輩はもっと普段通り、童貞っぽくしてください」


「いや、無茶言うなよ。つーか俺って普段、そんな童貞っぽいか?」


「……知りません」


 そう言って点崎は、また俺を足蹴にする。……というか、そんな短いスカートで足を上げられると、中がチラチラ見えてすげー気になる。


「つーか、点崎。今日のスパッツは可愛いな。綺麗な水色で、なんかパンツみたい」


「……今日はスパッツ履いてきてません。それは私の……パンツです。……先輩のエッチ。そういうところが、童貞っぽいんです」


「え、それほんと? じゃあもう少し……俺を蹴ってもいいぜ?」


「変態ですか、先輩。……というかそんなことより、早く案内してください!」


 照れて顔を赤くした点崎に背中を押されて、とりあえずリビングにやって来る。


「んじゃ点崎は、そこの椅子に座っててくれ。俺はケーキを皿に移して、コーヒーでも淹れてくるから」


「……分かりました」


 点崎は少し不服そうにそう答えて、ゆっくりと椅子に腰掛ける。だから俺は、点崎の買ってきてくれたチョコレートケーキを皿に移して、元々冷やしておいたアイスコーヒーをグラスに注ぐ。そしてそれをお盆に乗せて、手早く点崎の所に戻ってくる。


「お待たせ。じゃあ、食べようぜ?」


 そう言って椅子に腰掛けて、目の前のチョコレートケーキに手を伸ばす。……が、点崎はまるでそれを遮るように、言葉を告げる。


「……先輩。食べる前に、少し話を聞かせてください」


「話って、なんのだ?」


 ある程度想像はつくが、一応そう尋ねる。


「先輩の過去についてです。……いや別に、全部話せなんて言いません。私はそこまで、面倒な女じゃないですから。でも……でも、なんていうか……私、気づいたんです。私って全然、先輩のこと知らないんだなって」


「…………」


 点崎はそこで一度、視線を下げてコーヒーの入ったグラスを見つめる。けれど点崎はコーヒーには口をつけず、すぐに視線を上げて言葉を続ける。


「だからせめて、ちょっとお話ししませんか? 私も自分の過去のことを話しますし、だから先輩も……話せることだけでいいから話してください。……それでその後は、一緒にケーキを食べて、先輩に勉強を教えてもらって、ゲームしたりして……。今日はそういう風に、過ごしたいんです。……ダメですか?」


 そして点崎はこちらの真意を伺うように、俺の顔を覗き込む。


「いや、それはいいけど。俺も今日は、そのことを話そうと思ってたしな。……でもなんていうか、今日の点崎は素直だな。いや、今日のつーか最近ちょっと、素直になったよな」


「……それは……最近、変な女がいっぱい現れて、ちょっと余裕が……。じゃなくて! いいでしょ! 別に!」


「痛い。痛い。足を蹴らないでくれ。今蹴られても、机のせいでパンツが見えない。……じゃなくて。……それじゃ少し、話をするか。俺の過去の話。信じてもらえないかもしれないけど、点崎にも知っておいて欲しいからな」


 今はまだ姿を見せないけど、どうせ点崎もささなと顔を合わせることになる。だから、ささなに余計なことを言われる前に、俺が先に話しておくべきなのだろう。



 ……あの赤い血溜まりと、俺がささなを抱いたあの時のこと。それだけは絶対に、点崎には知られたくないから。



 だから──





 ふとそこで、声が響いた。





「やあ、風切 直哉。ちょっと無理をしてしまったから、少し来るのが遅れてしまったよ。うん。でも今年も、君に会えてよかった」



 そして何の前触れもなく、彼女、青桜 ささなは俺の隣に姿を現した。



「うん。そして、点崎 美綾も……こんにちは。私は、青桜 ささな。今最も風切 直哉の愛を受けている、ただの女の子だよ」



「────」


 

 あまりの事態に驚いて目を見開く俺と点崎を見て、ささなはとてもとても楽しそうに、裂けるような笑みを浮かべた。


 

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