怖いです。先輩。



 ささなに願いを叶えてもらった翌日。俺たちはお礼を言う為に、もう一度ささなに会いに行った。



「ありがとう! ささな! 貴女のおかげで、お母さんにまた会えた! だから本当に……ありがとう……!」


 鏡花はそう言って、何度も何度も頭を下げた。


「気にする必要はないよ、朱波 鏡花。私は別に、大したことはしていない。ただ君が願ったから、君の願いは叶った。それだけだよ」


 そしてそんな鏡花に、ささなはただ軽い笑みを浮かべて、それだけの言葉を返した。



 だからそんなささなに、鏡花はよく懐いた。鏡花にとってささなは母親の命の恩人だし、それにささなには人を惹きつける魅力があった。



 彼女は言うなれば、夜空に浮かぶ月。暗い夜空に一際明るく輝くのに、どこか冷たい雰囲気を纏っている。鏡花は……いや、俺もささなのそんなところに魅せられていた。



 けど玲だけは、一歩引いた目でささなを見ていた。彼女はささなに魅せられもせず、かと言って嫌うこともせず、どこか一線を引いた距離感を保っていた。




 俺は素直に、そんな玲が凄いと思った。だって誰だって綺麗な景色を見れば、その美しさに圧倒されるものだ。なのに玲は、理性でその感情を抑え込んでいた。




 ……いや、きっとどこかで俺も同じように思っていたのだろう。




 鏡花の願いは、確かに叶った。なのに俺も玲も、何故かささなに何かを願おうとは思わなかった。




 彼女の力は本物だ。



 それはもう、疑う余地の無い事実だ。だから彼女に願えば、俺の家族の問題も玲との許婚のことも、簡単に解決できる筈だ。




 ……なのにどうしても、彼女に何かを願う気にはなれなかった。



「…………」



 ささなの笑顔を見ていると、胸がドキドキする。ささなの側に居ると、何故かこっちまで笑顔になる。……けど俺は根っこのところで、青桜ささなという少女を恐れていた。



 だから俺たちは他に何の願いも叶えてもらうこと無く、しばらくは平穏な日常を過ごした。そして気がつけば、俺の誕生日前日の9月21日になっていた。



 ◇



 その日は朝から、玲が住む屋敷を訪ねていた。


「…………はぁ」


 俺は案内された部屋の前で、そう小さくため息をこぼす。だって今日は、いつものように玲と話すのでは無く、他の用事でこの屋敷を訪れていた。


『あーしの母親が、直哉に会ってくれることになった』


 昨日、玲は不機嫌そうな顔でそう言った。そしてその言葉通り、今日は玲の母親と会うことになっていた。……けど玲の母親は、あの玲が怖がるほど人物だ。なので直接話すとなると、どうしても気が重い。


「……でも、逃げる訳にはいかないよな」


 ささなに願いを叶えてもらわないのなら、俺たちは自分の力で、許婚の問題に立ち向かわなければならない。そしてその為には、玲の母親とは話しておきたい。



 だから俺は覚悟を決めるようにもう一度息を吐いて、そして軽くノックをしてから部屋の扉を開ける。



 するとそこには、いつもより不機嫌そうな玲と、そして……氷のように冷たい瞳をした1人の女性が、椅子に腰掛けていた。



「来たのね。……はじめまして、風切 直哉くん。私は玲の母親の、葛鐘くずかね りんっていいます。……よろしくね? 直哉くん」


 そして彼女……葛鐘 凛さんは、冷たい雰囲気とは裏腹にどこか軽い感じで、そう言って笑った。



 そうしてその後、この子がいつも世話になってるね的な常套のやりとりをして、当たり障りのない世間話をした。



 そうやって会話を交わしてみると、凛さんは特別怖い人には見えなかった。寧ろ逆に、子供の俺にもちゃんと礼儀を持って接してくれる、良い人のように思えた。



 そして用意された一杯目の紅茶を飲み終える頃、俺は彼女にこう尋ねた。



「玲さんとの許婚のことについて、詳しい話が聞きたいんですけど……良いですか?」


 今日のこの時間は、それを聞く為だけにある。だから俺は折を見て、その疑問を投げかけた。


「ふふっ。いつまで遠回りするのかと思っていたけど、ようやく聞く気になったみたいね」



 そしてそんな俺の言葉を聞いて、凛さんはとても冷たい瞳で笑った。その姿はまるで今まで付けていた仮面が剥がれたようで、背筋にぞくりと悪寒が走る。




「ということは、話してくれると捉えて間違いないですか?」


 ……けど俺は、凛さんから視線を逸らさない。一瞬で表情を変えた凛さんは確かに怖いけど、でも今更その程度で怯えてなんかいられない。


「……へぇ。この程度では怖がってくれないのね。流石は私が選んだ、許婚ってところかしら。……あのアホな父親の息子とは、思えないわ」


「…………」


 俺はその言葉に、返事を返さない。だから凛さんは、そんな俺の様子を楽しそうに眺めながら言葉を続ける。



「ねえ? 直哉くん。貴方は知らないでしょうけど、私の家と貴方の家は親戚関係にあるのよ」



「────」



 それは、想像もしていなかった事実だ。そしてだからずっと沈黙を貫いていた玲も、驚いたように口を開く。


「は? どういうことだし、そんなのあーし聞いてないし」


「そりゃ、言ってないからね。……だいたい玲。あんたからしてみれば、どうでもいいことでしょ? この直哉くんと親戚だったからって、あんたは別に気にしないでしょ?」


「…………それは……」


 その言葉に、玲は上手く返事を返せない。だからそのまま、凛さんの声が響き続ける。


「直哉くん。貴方の父親はね、その薄い血の繋がりを頼りに、私にお金を貸して欲しいと頭を下げに来たのよ。……いい歳したおじさんが、家族の為とかなんとか言って土下座までして……私、笑っちゃったわ」


「……けどそれでも貴女は、うちの父にお金を貸した。……いや貸したどころが、貴女は父に代わって全ての借金を払ってくれた。その理由は何なんですか?」


「……あら、自分の父親がコケにされているのに、怒らないのね?」


「怒りたい時に怒るほど、子供じゃないんで」


「ふふっ。いい答えね、貴方の父親にも聞かせてやりたいわ。……貴方の父親はね、綺麗なスーツを着ていい腕時計をして、その上で私に頭を下げたのよ? 金が足りないと言うのなら、まずはそのスーツと腕時計を売ればいいと思わない? 本気で家族の為と言うのなら、内臓だって売ってみせる。それからでしょ? 人に頼っていいのは」


「…………」


 その問いに、俺は答えを返せない。けど構わず、凛さんは言葉を続ける。


「なのに貴方の父親は、私だって知らないような遠い親戚関係を調べて、この家までやってきた。……気持ち悪いと思わない? だから私、そんなことする暇があるなら働けって、そう言ってやったわ。それでその日は素直に、諦めて帰ってくれた。……けど私は一応、その男について調べてみたの。そしたらその中で、面白いものを見つけた」


「それが俺、ですか?」


「そう。……私はね、前から玲の結婚相手を探していたのよ。でも候補に上がるのはどれもこれも、一回りも二回りも年の離れたおっさんばかり。だから……ちょうどいいと思ったのよ。玲と同い年で、顔が良くて成績もいい男の子。この子なら、玲も文句は言わないかなってそう思ったのよ」


 そう言って凛さんは、喋り疲れたと言うように、目の前の紅茶を一気に飲み干す。けど流石にそれを黙って見ているほど、玲は穏やかな性格はしていなかった。


「は? 何それ? そんな適当な理由で、あーしの許婚を決めたの? ……あんたさ、ふざけてんの? あーし人生を、直哉の人生を何だと思ってるのさ!」


「私はね、私のやりたいようにする。いいと思ったものをあんたに与えて、悪いと思ったものを矯正させる。……そしてあんたもその中で、自分がいいと思ったものを拾い悪いと思ったものを捨てていく。それがね、私の教育方針なの」


「ふざけるな! そんなくだらない理由で、直哉の両親に変わって多額のお金を払ったの? そんな理由で、直哉の人生を弄んだの!」


「そうよ。……多額の借金って言っても、私からしてみれば大した額じゃないしね。だからパパのお小遣いをカットして、そっちにお金を回したの」


「────」


 玲はもう我慢ならないというように、手を振り上げる。……けどそれに反して、俺の頭は冷めていた。なんて言うか、酷く出来の悪い劇を見せられているような、そんな感じ。


 話が全く頭に入ってこなくて、劇がどんどん盛り上がっていくのに、こっちはどんどん冷めていく。



 だから俺は、そんな冷たい思考で口を開く。


「待て、玲」


「……なんでよ? ここまでコケにされて、直哉は悔しくないの?」


「ああ、悔しくないよ。というか……凛さん。貴女、嘘ついてますよね? いやどちらかというと……本当のことを隠す為に、わざと怒らせるようなことを言ってる」


「…………どうしてそう思うの?」




「だって、そんなの本気で言ってたら……あんた馬鹿みたいだぜ?」





「────」


 今度は凛さんが、本気で驚いたと言うように目を見開く。そして彼女は心底から楽しそうに、声を上げて笑う。


「あははははははははっ! いいね。やっぱり、君を玲の許婚にしてよかった! ……いや君は、玲にはもったいないくらいだよ! あははははははっ!」


 凛さんは俺たちのことなんか知ったことかと言うように、ただ大声で笑い続ける。そしてひとしきり笑った後、大きく息を吐いて真っ直ぐに俺を見た。



「ねえ、直哉くん。……貴方は、青い桜の伝承を知っているよね? それを見たら何でも願いが叶うと言われている、子供騙しの言い伝え」



「────」



 青い桜。



 今ここでその言葉が出てくるとは思ってもみなくて、俺は思わず言葉に詰まる。けど凛さんは構わず、淡々と言葉を続ける。



「私の家はね、遠い昔にその桜に願ったんだよ。未来永劫、自分たちの家を繁栄させてくれって。……そしてだからこそ私たちは、今でもその代償を払い続けている。……ねえ、直哉くん。私が君を玲の許婚にしたのはね、その代償から玲を……そして君を守る為なんだよ」


 そうしてここから、俺は知ることになる。俺と玲の許婚の秘密と、そして青い桜の代償について。



 まるで全ては一本の線で繋がっているかのように、また俺の視界に青い桜が舞い始めた。


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