今度は頑張ります。先輩。



「あんた、いつまで寝てるのよ! いい加減、起きなさい!」


 そんな声が唐突に響いて、頭をぐわんぐわんと揺すられる。


「…………おはよう、鏡花」


 だから俺はまだぼーっとする頭でそう答えて、ゆっくりと目を開ける。


「やっと起きたわね、直哉。もういい時間なんだから、そろそろ起きないと遅刻するわよ!」


「…………」


 そう言われて、時間を確認してみる。確かにいつもより大分、遅い時間だ。……でもまあ、昨日は遅くまで点崎と話していたから、この時間に起きられたのなら、まだマシな方だろう。


 そんなことを考えながら、あくびをかみ殺す。


「……あれ? つーか、点崎は?」


 何気なく隣に視線を向けてみると、隣で眠っていた筈の点崎の姿が消えている。だから俺は少し驚きながら、鏡花の顔を覗き込む。


「あの子なら、もうとっくに起きてるわよ? ……なんか『先輩に、美味しいお味噌汁を作るんです!』って、だいぶ早くから頑張ってたみたい。……愛されてるわね? あんた。それとも昨日の夜に、よほどいいことがあったのかしら?」


「……別に何も無かったよ。……それより点崎が頑張ってくれてるなら、俺もいつまでも惚けてはいられないな」


 そう呟いて身体を起こし、大きく伸びをする。それでもまだまだ眠気は取れないが、多少は頭がはっきりする。


「………………ねえ? あんた。昨日……どうだったの?」


「どうって、どういう意味だよ?」


「昨日……あの子と、寝たんでしょ? だからその…………したの?」


 鏡花は少し顔を赤くして、確かめるようにそんなことを呟く。


「いやお前、なに言ってんだよ。明日からテストなんだぜ? なのにそんなの、やるわけ無いだろ? つーか、さっき言ったろ? 何も無かったって」


「……じゃあ、テスト前じゃ無いなら、やるのね?」


「そういう意味じゃなくて。……いや、もしかしてお前、寝ぼけてる?」


「寝ぼけてなんか、いないわ! でも一応……確かめとかないとダメでしょ!」


 鏡花はそう叫んで、何かの痕跡を探すようにベッドの上に視線を向ける。


 ……だから俺は、そんな鏡花に抗議しようと口を開くが、言葉を発する前に口を閉じる。


「…………」


 鏡花は、点崎が俺に好意を寄せているのを知っている。そして俺の様子を見れば、俺が点崎を憎からず思っているのも分かる筈だ。


 そして、そんな2人が同じベッドで一晩過ごしたというのなら、誰だってそういうことを想像してしまう。



 だから俺は大きく息を吐いて、少し真剣な表情でその言葉を告げる。



「大丈夫。俺たちは本当に、何もしてないよ」


「ほんとに?」


「ああ、ほんとに。……点崎の奴、言ってたよ。先輩に、好きでもない女を抱いて欲しくはないって。……それに俺も、そうやすやすと女の子に手を出したりしない。だからお前が想像してるようなことには、なってねーよ」


「……そう。それなら……それならそれで、いいのよ」


 鏡花はどこか安堵したようにそう言って、肩から力を抜くように大きく息を吐く。


「それよりお前、わざわざ起こしに来てくれたのか? ……つーか、ささなや玲とかも、もう起きてるのか?」


「こんな時間まで寝てるのは、あんただけよ。他の子たちは、皆んなとっくに起きてるわ」


「じゃあ何で、お前が1人で起こしに来てくれたんだ?」


「……皆んなでじゃんけんして、誰があんたを起こしに行くか決めたのよ」


「そうなのか。……まあでも、起こしに来てくれたのがお前でよかったよ。玲やささなだと、変ないたずらしてくるかもしれないからな……」


 玲はともかく、ささなは普段はクールな感じだけど、時たま変なことをしてくるから油断ならない。


 ……まあ俺は、彼女のそういうところも嫌いじゃないんだが。


「それよりあんた、そろそろ着替えれば? もうあんまり、時間に余裕ないわよ?」


「そうだな。……あーでも、着替えは自分の部屋だし、いったん部屋に戻らないとな」


 そう呟いて、扉の方に足を向ける。……けど何故か鏡花は俺の腕を掴んで、それを止める。


「……ん? どうしたんだよ? 鏡花」


「いや、その……。あんた寝癖ついてるから、直してあげるわ」


「いいよ、それくらい。自分で直すから」


 俺はそう言って歩き出そうとするけど、鏡花はやはり手を離してくれない。


「いいの! いいからあんたは、ちょっと背中を向けなさい! あたしちょうど、ブラシ持ってるから!」


 鏡花はそう叫んで、強引に俺の背後に回り込む。



「……お前……いや、いいや。じゃあ頼んだよ」


 ……俺はなんとなく嫌な予感を覚えながらも、断ることができず鏡花が寝癖を直してくれるのを大人しく待つ。




 ……けどやっぱり寝癖は直してもらえず、背中に柔らかな感触が押し付けられる。




「……なあ、鏡花。なんで抱きついてくるんだ?」


 俺は朝からドキドキとうるさい心臓を努めて無視しながら、そう言葉をこぼす。


「あんたから、女の子の匂いがして気持ち悪いからよ」


「いやそれはまあ、点崎と一緒に寝たからな。……いやいやそうじゃなくて、なんで俺から女の子の匂いがすると、お前が抱きついてくるんだよ」


「あたしが……あたしがその匂いを、消してあげてるの!」


「……お前も女の子なんだから、意味なくねーか?」


「あたしのはいいの! ……その、あんただって、あたしの胸が当たってて嬉しいんでしょ? なら、黙ってなさいよ! もう少し、当ててあげるから!」


「…………」


 そう言われて、俺は黙り込んでしまう。……いやいや、ほんとに黙ってどうするんだよ? 俺。


 でも、背中に押し付けられる感触に抗えない。……じゃなくて、鏡花が何を考えているのか分からないから、俺も何を言えばいいのか分からなくなってしまう。



 だから2人とも黙ったまま、しばらくの時間が流れて、



「じゃああたし、先に行ってるから! …………今日の夜、ちゃんと勉強教えなさいよ!」



 鏡花は勝手にそれだけ言って、部屋から出て行ってしまう。



「…………なんだったんだ? つーか、鏡花ってやっぱり俺のこと好きなのか?」


 そう思ってしまいたくなるけど、簡単に答えは出せない。いやそもそも、鏡花の奴は好きでもない男に抱きついたりしないと思うんだけど、でも……あの事件のこともあるから、やっぱり答えは出せない。


「いや、いいや。深く考えても、仕方ない。今はただ、自分にできることを頑張ればそれでいい筈だ」


 明日から、テストが始まる。そしてそこから1週間、来週の火曜日までテスト期間は続く。


 きっとその間に、楽しいことがいっぱいあるのだろう。……けどトラウマを思い出して、辛くなることもある筈だ。そういう時こそ、俺が鏡花や玲の力になってやらないといけない。



 だって、点崎の真っ直ぐな想いに応える為には、俺がいつまでも過去に囚われているわけにはいかないから。



「だから、頑張らないとな」



 そう呟いて、部屋を出る。楽しい日常が、また動き出した。



 ◇



 そしてその後、点崎が作ってくれた味がしない味噌汁を飲んで、昼休みに玲が作ってくれた卵焼きオンリーの弁当を食べて、夕飯は俺が作ったカレーを食べた。



 そんな風にして1日が瞬く間に過ぎ去って、また皆んなで寝床を決めるくじを引く。



 そして、その結果は──。



「なんで私が、このギャルと同じベッドで寝なきゃいけないんですか!」


 点崎が不服そうに声を上げて、


「それはこっちの台詞だし。……つーか、くじの結果には文句は言わないって、初日に約束したっしょ?」


 それに玲が、呆れたように言葉を返す。


「…………そうでしたね。でもまあ、先輩と他の女が一緒に寝ないだけ、まだマシです」


「あーしは別に、なおなおが誰と寝ても気にしないけどねー」


 そう言って、2人は視線を逸らしてしまう。


 今日のくじの結果は、玲と点崎が父さんと母さんのベッド。鏡花が玲の持ってきた寝袋で、ささなが俺の部屋のベッド。そして俺は、そこにあるソファということになった。


 点崎はこの結果にかなり不服そうだけど、俺としてはテスト前にゆっくりと寝られそうだから、少し安心した。

 

「それじゃ今日の寝床も決まったし、勉強でもするか」


 俺はそう言って机の上に、教科書とノートを広げる。……けど、同じように勉強道具を取り出したのは、鏡花だけだった。


「……あれ? 玲とささなはともかく、点崎は勉強しないのか?」


「私はテストの前日は、早めに寝るようにしてるんです。そうじゃないとテストの時、眠くなっちゃいますから。……それに、明日は早起きして、今度こそ先輩に美味しい味噌汁を作らなくちゃいけません!」


「いや、そんなに気合い入れなくても、大丈夫だぞ? 今日の味噌汁も飲めないわけじゃ無かったし……」


「そんな中途半端な慰めは要りません! 明日こそは絶対に、先輩に美味しいって言わせてみせます! だから、楽しみにしててください!」


 点崎はそう叫んで、寝室の方に足を向ける。……ぶつぶつと、『ダシはちゃんととる。沸騰させちゃダメ』という声が聴こえてきたので、明日は多分、美味しい味噌汁が飲めるのだろう。


「じゃああーしは今日も、ささなとゲームしてくるから、2人は勉強頑張ってねー」


「ふふっ、そういうわけだ。だから今日は、2人で勉強をするといい。……頑張りなよ? 朱波 鏡花」


 そして玲とささなの2人も、そんな言葉を残して早足にこの場から立ち去ってしまう。


「…………」


「…………」


 そして残されたのは、俺と鏡花の2人だけ。……何となく作為的なものを感じるが、それはきっと気のせいなのだろう。


「んじゃ、勉強するか?」


「……うん」


 そうしてテスト前日に、鏡花と2人きりの楽しい楽しい勉強会が幕を開けた。


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