おやすみなさい。先輩。



 そして、夏休みも終盤に差し掛かった頃。俺は山の近くにある公園に、鏡花と玲を呼び出していた。


「こんな所にわざわざ来てもらって悪いな、2人とも」


 まだまだ続く夏の暑さに辟易とした表情の2人に、俺はそう言って頭を下げる。


「あたしは別にこれくらい、大丈夫よ。それより……この子が、あんたの許婚なの?」


 鏡花はそう言って、訝しむように玲を見る。


「……そうだけど、貴女……誰? 直哉の彼女?」


 そして玲も、そんな鏡花をつまらなそうな瞳で睨む。


「…………」


「…………」


 そうして2人は何故か黙り込んで、そのまま睨み合いを始めてしまう。


「……いや、何で2人とも睨み合うんだよ? 鏡花にも玲にも、ちゃんと説明しただろ? 玲との許婚は形だけで、俺たち2人にその気は無いって。それに玲の方にも、鏡花っていう幼馴染が居て、その子と……結婚の約束をしてるって、説明した筈だろ?」


 そう言って2人の顔を見つめると、玲がようやく口を開く。


「そいえば、そんなこと言ってたね。……で? その結婚の約束をしてる幼馴染をあーしに会わせて、直哉はどうしたいの? 自分たちはこんなにラブラブだーって、あーしに見せつけたいわけ?」


「そんなわけ無いだろ? 鏡花には玲とのことを口では説明したけど、それでも……本人と直接話した方が安心できるだろ? それに玲にはちょっと調べて分かったことがあるから、それを話しておきたかったんだよ。……だからちょうどいい機会だと思って、2人をここに呼んだの」


「……そういうことなら、分かったわ。……だって直哉の話だと、この子も被害者みたいなものなんだしね……」


 俺の言葉を聞いて、ようやく納得してくれたのか鏡花はそう言って、玲の方に一歩踏み出す。


「あたしは、朱波 鏡花。直哉の友達で、本物の……許婚です。よろしくね? えーっと、玲ちゃん」


「……はぁ、分かったし。あーしは、葛鐘 玲。直哉の偽物の許婚。……よろしくね? 鏡花」


 そして玲も、呆れたようにそう言って鏡花の手を握ってくれた。だから俺はとりあえず、安堵の息を吐く。


「これで鏡花は、俺の言うことを信用してくれるだろ? 俺がこの玲と、結婚する気は無いってことを」


「……それはまだ、早いよ。ねえ? 玲ちゃん、貴女……直哉のこと好きじゃないよね?」


 そんな確かめるような鏡花の問いに、玲は呆れるように息を吐いて言葉を返す。


「そうよ。あーしは別に、直哉なんて好きじゃ無いし。あーしと直哉は、ただお互いの目的の為に協力し合ってるだけで、恋愛感情とかは全く無いから」


「…………そっか。……ふふっ、そうだよね! よかったぁ。うん。ふふっ! そうだよね!」


 そんな玲の言葉を聞いて、鏡花は本当に嬉しそうな顔で笑って、甘えるように俺の手を握りしめる。


「何度も説明したのに、何でそんなに喜ぶんだよ? 鏡花」


「そんなの、あんたが嘘つきだからに決まってるでしょ? あんたはいつもあたしがうるさいからって、都合のいい嘘をついたりするし……。だからあたし、ずっと不安だったの。……でもほんと、よかったぁ」


 鏡花はそう言って、玲に見せつけるようにぎゅっと強く俺の腕を抱きしめる。


「…………はいはい。そんな風に見せつけなくても、そんな男取らないし。……それより直哉、分かったことって?」


 呆れるような表情の玲に、俺は調べて分かったことを伝えようと、口を開く。……けど、まるでそれを遮るように鏡花が口を開いた。


「今はそんなの、いいじゃない。それよりさ、3人で遊ばない?」


「……は? なんでだし。あーしはこんな暑い中で、遊び回るのとか嫌だし」


「玲の言う通りだぜ? 鏡花。今日これから、玲と話さなきゃいけないことが……」


「でもそれって、そんなに急ぐような話じゃないんでしょ? なら、偶にはいいじゃない。あんたは青い桜を探す以外は、ずっと部屋に引きこもってるんだし。それにあたしも、偶には外で遊びたいの!」


 普段よりだいぶ強引で、少し子供っぽい鏡花の態度。それは……それは多分、玲の口から直接許婚は形だけだと聞けたのが、よほど嬉しかったからなのだろう。


「…………」


 だからできれば俺は、鏡花の言う通りにしてやりたくて、窺うように玲の方に視線を向ける。


「…………貸しだからね? 直哉」


 すると玲は渋々といったようにそう言って、鏡花の方に向かって歩き出す。だから俺はそんな玲の背中に、


「ありがとな」


 そう声をかけて、2人に合流する。



 そして日が暮れるまで、3人で遊びまわった。普段はしないような遊びをして、泥だらけになりながら走り回って、それは本当に本当に楽しい時間だった。


 まるで未来の幸福を、ここで使い切ってしまったのかと錯覚してしまうくらいの幸福。だから俺は久し振りに、心の底から笑ったのを覚えている。



「あ! なんで貴女も、それつけてるの!」


 そして日の色が茜に変わる頃。鏡花が唐突にそう声を上げて、玲の鞄につけられた青い桜のキーホルダーを指差す。


「なに? そんな急に大声あげて、うるさいし」


「どうして貴女も、その青色の桜のキーホルダーをつけてるか聞いてるの! それは……直哉があたしにプレゼントしてくれたやつなのよ! ……あ! もしかして直哉、さっきはあんなこと言っておいて、この子にもお揃いとか言ってあたしと同じものを、プレゼントしたんじゃ……!」


 鏡花は瞳孔の開いた目でそう叫んで、俺の方に詰め寄ってくる。


「いや、待て鏡花。何のこと言ってるのか、分からん。俺は玲に、キーホルダーなんてプレゼントしてない」


「じゃあなんであの子も、同じものをつけてるのよ!」


「それは……」


 俺は助けを求めるように、玲の方に視線を向ける。


「あ、ごめん、直哉。これ鏡花には内緒でって、あーしにプレゼントしてくれたのに、バレちゃった」


 そして玲は、どこかふざけたようにそう言って笑う。


「なおや! あんたもしかして、あたしに──」


 そして鏡花は、本気で泣きそうな顔で俺の胸ぐらを掴む。


 玲もそんな鏡花の様子を見て、本気でシャレにならないと思ったのか、珍しく慌てて口を開く。


「ごめん、ごめん。冗談だし。これはあーしが自分で、買っただけだし。直哉が青い桜が好きって言ってたから、これ見せたら羨ましがるだろうなぁと思って、買っといたの」


「…………」


 ほんと? と言うように、鏡花が俺の顔を睨みつける。


「ほんとだよ、ほんと。つーか、玲。お前そんなの今までつけてなかったろ? なんで今日に限って、そんなのつけてくるんだよ?」


「…………そんなの知らんし。直哉とお揃いって分かってたら、つけて来るわけないし」


「お前……って、まあいいや。それより、分かってくれただろ? 鏡花。俺がこのキーホルダーをプレゼントしたのは、お前だけだよ」


 俺がそう言った後も、鏡花はどこか気に入らなさそうに、玲のつけたキーホルダーを睨みつける。


 ……けどそんな鏡花も、完全に日が暮れる頃にはどこか諦めたよう表情で、俺と玲に視線を向ける。



「分かった。じゃあこれは、この3人がずっと仲良しの証拠ね! だから、ずっとずっとつけてないとダメだよ! 約束だからね!」



 そしてとっておきの笑顔で、そんなことを言ってのけた。



「────」



「────」



 そんな鏡花の言葉を聞いて、俺と玲はどこか圧倒されたように大きく目を見開く。だって俺も玲も、そんな真っ直ぐな言葉は絶対に口にはしない。


 だからそんなことを平気で言える鏡花が羨ましくて、唖然と鏡花の顔を眺めたのを俺は今でもはっきりと覚えている。



 そしてその後、俺たち約束をした。鏡花の言葉の通り、ずっとずっと仲良くしようって、3人ともどこか照れるような笑顔で、そう約束を交わしたんだ。





 ……でもその後すぐ、事件が起こった。




 そして俺たちは──。




 ◇



 と。そこで、隣から寝息が聞こえてきたので、俺は言葉を止める。


「……点崎の奴、寝ちまったのか……」


 話はここからが本題だったのだけれど、もう日が昇るような時間だから、眠ってしまうのも仕方がないことだろう。


「ま、話ならまたいつでもできるしな。……それに、楽しい思い出と言えるのは、ここまでだからな……」


 3人で仲良くしようって約束したすぐ後に、鏡花の家に悲劇が起こる。そしてその事件と並行して、俺と玲は許嫁の真実を知ることになる。



 俺も鏡花も玲も、自分ではどうしようもない問題に直面して、そしてだから俺たち3人は青い桜を探すことになる。



 そこで俺たちはささなと出会って、俺は──。



「……俺も、寝るか」



 そう呟いて、目を瞑る。掌にはまだ、隣で眠る点崎の温かさが伝わってくる。だからきっと、悪夢にうなされることは無い筈だ。



 だから俺もゆっくりと、眠りに落ちる。



 点崎との夜は、そうしてそこで終わりを告げた。


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