そうだったんですね。先輩。



 殺せばいいと、ささなは言った。



 その言葉は、抜け殻のようだった俺の心を強く強く揺さぶって、だから俺は……目を覚ましたようにこう尋ねる。


「……どうしてお前は、自分を殺せなんて……言うんだ?」


「ふふっ、君がそれを言うのかい? 風切直哉。君だってさっき、同じことを言ったじゃないか。……他の誰かを捨てるくらいなら、自分の命を捨てる。君はその気持ちを、誰より理解している筈だろう?」


「それは……いやでも、俺は鏡花や玲が大切だ。それこそ彼女たちを生かす為なら、自分は死んでもいいって思うくらい。……でも、ささな。お前が俺たちの為に命を差し出す理由なんて、無いだろ?」


「どうしてだい? ここしばらく、私は君たちと同じ時間を過ごしてきた。確かにそれは、一月にも満たない短い期間だ。でも私は……楽しかったんだよ。君たちと過ごした、その時間が。それこそ、そんな風に人と関わるのなんて……数百年ぶりだったからね」


「…………」


 そのささなの言葉は、理解できないわけじゃない。そもそも俺だって、玲と知り合ってまだ1ヶ月近くしか経っていないんだ。なのに俺は、彼女が死ぬくらいなら自分が死ぬと、そう思った。



 けど……どうしても、ささなのその言葉に違和感を覚えてしまう。




「風切 直哉。私はね、私自身の願いを叶えることはできないんだ。……私は、人の想いを奇跡に変える。だから人ではない私の想いでは、青い桜は咲いてはくれない。だから君が、私に代わって願うんだ」


「お前に死ねってか? ……ふざけるなよ。そんなの俺は……嫌だ。だって俺は……俺はただ……!」


 俺はただ、誰にも死んで欲しくないだけで。でもそれはもう、叶わなくて。どれだけ願っても、誰かが死ぬしかなくて。けど誰が死んでも、他の誰かが願ってしまう。




 ……きっとその願いの連鎖を止めるには、根源たるささなが死ぬしかない。





 ……でも、





「……嫌だよ、ささな。俺はお前を殺すことなんて……できない」


 俺はどうしても、青桜ささなという少女に死んで欲しくないんだ。



 だって俺は、彼女が……。



「でも君は、私を恐れているのだろう? どうにもできない怪物だと、君は私を畏怖している筈だ。なら……いいじゃないか。私はもう、十分に生きた。君たちの人生の何百倍、何千倍もの時間を、たった1人で生き続けてきた。だから、君がそれを終わらせてくれるというのなら、私はそれで構わないんだよ」



 ささなが笑う。けど俺は、笑えない。


 ……俺はささなが、怖い。青桜ささなという存在は、俺たち人間では太刀打ちできない怪物だと確かに思った。でもだからって、死んで欲しいわけじゃない。




 だって彼女は、言ってくれたんだ。




「……ささな。お前は、人の願いを止められない。さっき確かに、そう言ったよな?」


「ああ。私はそういう、存在だからね」


「でも、それはおかしいだろ? だってお前は、俺と初めて会ったとき言ってくれた。青い桜なんてものに頼らず、自分の力で頑張れって。お前はそう、言ってくれたじゃないか……!」


 今から考えれば、あのとき抱えていた悩みは大したものじゃない。けど、それでも俺はあのとき、願いを抱えて青い桜を見つけた。



 なのにささなは、それを否定した。安易に奇跡なんかに頼らず、自分の力で頑張れって彼女は俺の願いを否定してくれたんだ。




 俺はあの時のささなの笑みを、今でも確かに覚えている。……だってあのとき彼女が優しく微笑んでくれたから、俺はここまで走ってこれたんだ。





 だから俺は、あの時からささなが……。




「君はね、特別なんだよ。君だけは……本当に特別なんだ」


 ささなはそう言って、ゆっくりと俺の方に近づいてくる。そして今まで見たことが無いくらい優しい笑みを浮かべて、溶け込むように俺を抱きしめる。


「…………」


 青桜ささなという少女は、俺たち人間では太刀打ちできない怪物だ。だから俺は、そんな彼女が心底から恐ろしい。




 ……けど、同時に彼女は花のように美しくて、何より人のように……温かい。





 だから彼女に触れると、こんなにも胸が高鳴る。




「……分からないよ、ささな。どうすればいいのか、本当に分からないんだ……。俺は……俺は誰にも、お前にも……死んで欲しくない。けどそれはもう、叶わない。……なら俺は、どうすればいい? 本当にもう、お前を殺すしかないのか?」


「ああ、残念ながらね。でも私は、それでいいんだよ。君たちの……他ならぬ君の為に死ねるのなら、それ以上のことは無いからね」


「分からない。お前が分からないよ、ささな。お前はどうしてそこまで、俺を想ってくれるんだ?」


「言っただろ? 君はね、特別なんだよ」


 そう言ってささなは、強く優しく俺を抱きしめる。……けど、何がどう特別なのか、彼女はそれを教えてくれない。



 ……ささなはただ、それが答えだと言うように黙って俺を抱きしめ続けて、もう一度同じ言葉を告げる。



「私を殺しなよ、風切 直哉。それで君たちは、青い桜の呪縛から解放される」



 その言葉を聞いて、なぜか自然と俺の瞳から涙がこぼれた。けど俺はそんな涙を無視して、もう一度ささなに問いかける。



「……なあ、ささな。お前は本当に、それでいいのか?」


 今度は何故とは問わない。だってもう、俺は彼女の心に触れている。ドキドキと高鳴るささなの心臓は確かに人と同じもので、だから俺は彼女に心を問う。



 お前は本当にもう、何も思い残すことは無いのか? って。



「ああ、構わないよ。……風切直哉。私はね、ずっと願っていたんだ。ずっとずっと、焦がれていたんだよ。けれど私がどれだけ願っても、私の想いは青にはならない。私の想いじゃ、桜は咲いてくれないんだ。だから私は何千年もの時間を、たった1人で待ち続けてきた」


 その気持ちは、俺には絶対に分からない。そもそもささなが何を願って、何に焦がれて、何を待ち続けてきたのか、俺には想像もつかない。


「だから、風切直哉。私は君に、剣を取れとは言わない。私にナイフを突き立てて、私の心臓を止めろとは言わない。……というより私は、ナイフで刺されたくらいじゃ死なないからね。だから……願ってくれ、私に死ねと。私は他ならぬ君に、願って欲しいんだ」


 ささなは笑う。蕩けるような笑みで、彼女は笑い続ける。……その笑みは本当にいつだって変わらなくて、でもだから俺は……



 そんな彼女が美しいと思った。



 いつも変わらず、全て分かったように笑い続ける少女。それは確かに、恐ろしい。……けど、雨が降っても、風が吹いても、雪が降っても、変わらず綺麗に咲き続ける花は……きっと何より美しい。



「……ささな。俺はお前に、何を差し出せばいい?」


「ふふっ。心配せずとも、私を殺すのに大した想いは必要ないよ。君たちからすれば、私はとても強大な存在に見えるのかもしれない。けど私自身は、大した存在じゃないんだ。ただ何より長く存在し続けているだけで、君たちの人間の想いがなければ……何もできないんだよ、私は。だから……」


「そうじゃねーよ、ささな。願いとか代償とかそういうことじゃなくて、お前は俺に何か望むことはないのか?」


 ささなが俺たちの……俺の為に死んでくれると言うのなら、せめて何か彼女の為にしてあげたい。


「ふふっ。やっぱり可愛いね、風切直哉は。……そうだな。なら、最後に強く抱きしめてくれ」


「……そんなことで、いいのか?」


「ああ。それだけで、十分なんだよ」


「分かった。なら……精一杯、抱きしめるぞ?」


 そう言って俺は、ささなを抱きしめた。……強く強く、俺の熱が彼女に焼きつくくらい強く、俺はささなを抱きしめる。



 するとそんな俺たちを見守るように、いつのまにか暗くなった空に、一際青い桜が舞う。



 白くて遠い欠けた月。それを彩る、まばらな星々。そして空を舞う青い桜と、何より美しい……1人の少女。




 だから願うとするなら、今なのだろう。




 今日は様子を見て、また明日。鏡花が生きていられるギリギリまで待ってから、ささなに消えてもらう。そういうのは何故か、ささなへの侮辱に思える。だから俺は今ここで、願うべきなのだろう。



 全てが揃っているような今だからこそ、俺は……願わないといけないんだ。








 だから俺は、他の全てを飲み込んで……その言葉を告げた。






 「──青桜ささな。君は何より美しい。だから今、死んでくれ」





「────」



 俺の願いを聞いて、最後にささなは人のように笑った。



 そして唐突に青い桜が消え去って、その代わりと言うように、赤い血が降り注ぐ。





 そうして1人の少女が、この世界から消え去った。


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