それでいいんです。先輩。



 リビングでぼーっとテレビを見ながら、考え事をしていた。



 今日から、鏡花と玲がうちに泊まることになった。2人と付き合おうと言った玲の真意は分からないが、家に泊まること自体に問題はない。勉強会の時とは違い部屋の掃除はしてあるし、色々と準備も整えてある。


 だからあの時のように、わざわざくじを引いて寝る場所を決める必要もない。



「あの時はほんと、揉めたよな。……どこで誰が寝るかって喧嘩して……そういや結局、最初は誰と一緒に寝たんだっけ?」




 ──先輩。手を握っても、いいですか?




「……痛っ」


 ふと誰かの照れたような顔が思い浮かんで、頭がずきり痛む。


「また頭が痛むの? 直哉」


 背後からそんな声が聞こえて、視線を声の方に向ける。するとそこには、風呂上がりで火照った顔をした鏡花の姿があった。


「まあちょっと痛むけど、別に問題ねーよ」


 俺は軽い笑みを浮かべて、そう言う。


「とか言ってまた、青い桜を探してくるとか変なメッセージを残して、どっかに行ったりしないわよね?」


「……大丈夫だよ。今はお前と玲が、側にいてくれる」


 山から走って家に帰ってきた俺は、鏡花と玲に死ぬほど怒られた。考えなしで、短絡的だ。心配させるなと。家に帰ってから夕飯を食べ終わるまでずっと、そうやって2人に怒られ続けた。


「隣、座るわよ?」


 鏡花はそう言って俺の返事を待たずに、隣に腰掛ける。


「風呂は今、玲が入ってるのか?」


「うん。だから今は2人きりよ」


 鏡花は甘えるような笑みを浮かべて、大きな胸を俺の腕に押しつける。ふわりと、甘い香りが漂ってくる。


「ねぇ、直哉。あんたさ、どうして山なんかに登ろうとしたの?」


「それはさっき何度も、説明したろ? あそこに、全ての答えがあると思ったんだよ。最近の酷い頭痛の原因や、日本中に咲いた桜の謎。そして……」


 そして、どうしても思い出せない、とても大切だった誰かのこと。その全てを、あそこに行けば思い出せると思った。


「直哉。あんた今、他の女のこと考えてるでしょ? ……あたしがこんなに近くに、居るのに」


「考えてねーよ。ただ、何か大切なことを忘れてるなって、そう思っただけだ」


「……バカ。それが、他の女のことを考えてるってことじゃない」


 鏡花は拗ねたように小さく息を吐いて、そのまま俺に抱きつく。すると、大きな胸の柔らかな感触と、シャンプーのいい香り。そしてドキドキとした心臓の鼓動が伝わってきて、俺の心臓もドキドキと高鳴る。


「玲ちゃんが言ってたこと、覚えてる? あたしたち2人と、付き合おうって。それで直哉に、人を好きになるってことを思い出して欲しいって」


「もちろん覚えてるけど、俺にはまだその言葉の意味が分からない」


「それは、あたしもよ。今更、関係性だけを変えても意味なんてないし、それに……エッチなことをしただけじゃ、きっと直哉の心は動かない。ささなからあんたを、取り返せない」


 そう言いながらも、鏡花は誘うように大きな胸を俺の身体に押しつける。そしてそのまま、俺の首筋に軽くキスをする。


「それでも、こうやってお前に触れられると……凄くドキドキする」


 それは俺の、本心だった。


「あたしも。あたしもこうやってあんたに触れてるだけで、心臓が壊れちゃうくらいドキドキする」


「……でも、あれだ。俺まだ風呂入ってないし、汗くさくないか?」


「そんなの気にしないわ。……そんなことより、まだ頭、痛む? あたしにここまで引っ付かれたら、流石に他の女のことなんて、考えられないでしょ?」


「それは……」


 それは確かに、そうだな。……そう答えようとしたのに、そこでまた頭が痛む。そして懐かしい誰かの姿が、一瞬だけ頭を過ぎる。



 オカルト研究会の部室。俺の家に泊まってやった勉強会。玲の別荘でやった合宿。……そして、空を埋め尽くすほどの青い桜の下。



 そこにはいつも、大切だった誰かが隣にいた。



「…………」


 俺にはもう時間がないのに、気づけば居もしない誰かのことばかり、考えてしまう。……鏡花が、こんなに側に居るのに。


「……そんなに、その女のことが気になるの?」


「気になるっていうか……引っかかるんだよ」


「それって、ささなのことより?」


「…………」


 俺は答えを、返せない。


「バカね」


「ごめん」


「……別に、いいわ。青い桜のことも、ささなのことも、玲ちゃんのことも、あんたが死ぬかもってことも、あの狂岡とかいう女のことも。全部全部、私が忘れさせてあげる」


 鏡花はそこで熱い吐息を耳に吹きかけて、そのまま俺にキスをする。深く激しく、頭が真っ白になるようなキスを。


「────」


 たった、一度のキス。しかしそれは、全てを忘れてしまうくらい熱い熱いキスだった。もう鏡花とは何度もキスをしたのに、その一度のキスだけで何も考えられなくなる。


「ふふっ。これであたしのことしか、考えられなくなった。……あんたが望むなら、もっともっと激しいのをしてあげてもいいのよ?」


「お前はほんと、強引だな。……でも、ありがとな。お陰で頭痛が治った」


「なら、もっとしましょ? ……ううん。あたしがね、あんたとキスしたいの。大好きたあんたに、あたしのことだけ見て欲しいの……」


 鏡花は蕩けるような目で、俺の瞳を見つめる。それだけで、鏡花がどれだけ俺のことを想ってくれているかが分かる。


 なのに居もしない誰かのことで頭を悩ませるのは、馬鹿のすることだろう。今は……いや、少なくともささなとの約束の期限までは、鏡花と玲のことだけ考えよう。そう、心に決める。


「なーおっなお! お風呂あがった……って、鏡花。あんたちょっと、甘え過ぎだし。なおなおの膝の上は、あーしの特等席なんですけど」


 そしてそこでタイミング良く……いや悪く、風呂から上がった玲が姿を現す。


「そんなの、知らないわ。……ふふっ。直哉の心臓、凄くドキドキしてる。そんなにあたしとのキスが、よかったんだ。……可愛い」


「……なんかちょっと甘い空気で、気に入らない。鏡花、そこどくし。絶対あーしとのキスの方が、なおなおドキドキしてくれるもん!」


「玲ちゃんみたいな薄い胸じゃ、直哉はドキドキしないわ」


「鏡花のデカイだけの胸と違って、あーしのはちゃんと調和がとれててエロいし。ね? なおなお?」


 そのまま玲も抱きついてきて、3人でわちゃわちゃと楽しい時間を過ごす。そして気づけば、頭痛のことなんてすっかり忘れてしまっていた。



 そんな風にして、鏡花と玲の2人との楽しい楽しい同棲生活が始まった。


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