覚えてますか? 先輩。
俺は、青い桜を探していた。
青い桜を見つけると、どんな願いでも叶うという伝承。
小学生だった当時でも、そんな言い伝えを本気で信じていたわけでは無い。でも俺は夏になると、暇を見つけては青い桜を探しに出かけた。
今となっては、その理由もはっきりとは思い出せない。……けど多分俺は、1人になりたかったんだと思う。きっと今の俺が本を読むのと同じ理由で、当時の俺は青い桜を探していたのだろう。
「直哉。あんたまた、青い桜を探しに行くの? ……あたしたちももう5年生なのに、あんたはいつまで経っても、子供ね」
そんな今思い返しても奇特だった俺に、唯一構ってくれたのが、朱波 鏡花という少女だった。
鏡花は俺の隣の家に住んでいて、しかも親が友達同士だったので、物心つく前から交流があった。
そして鏡花は、何だかんだ言いながらいつも俺の側に居てくれた。だから俺はそんな彼女に、少なからず好意を抱いていた。
「……別にいいよ、俺はまだ子供で。俺が大人になるのは、あと10年先かな」
「あんたはまた、そんな捻くれたこと言って。そんなんじゃいつまで経っても、友達できないわよ?」
「それも別に、構わないよ。……つーかお前も、いつまでも俺に構ってたら……友達減るんじゃねーの?」
「あたしは……あたしは、いいの! あんたのお父さんとお母さんに、直哉と仲良くしてやってって頼まれてるもん! それに……約束したでしょ?」
「…………そうだな」
その当時でも、いつのことかはっきりと思い出せないくらい昔。俺と鏡花は、結婚の約束をしていた。
大抵の奴らはこれくらいの歳になると、そんな約束なんてバカバカしいと思うようになるのだろう。けど俺と鏡花は、不思議とその約束を信じ続けていた。
……いや無論、鏡花が俺をどう思っていたかなんて、俺には分からない。けど俺は、将来はこの子と結婚するんだと、漠然とそう思っていた。
「じゃあ、行こ?」
「いや、どこに?」
「青い桜、探しに行くんでしょ? あんた1人だとどうせまた門限破っても探し続けるんだし、しょうがないからあたしが付き合ってあげる」
「……いいのか?」
「いいの! …………でもその代わり山に入ったら、手を握ってね? その……はぐれたら危ないから……」
「……分かった。じゃあ、行こうぜ?」
俺はそう言って、鏡花の手をとって歩き出す。
「…………手を繋ぐのは、山に入ってからでいいの! こんな所で繋ぐと、誰かに見られちゃうでしょ!」
「別にいいだろ? 見られても」
そう言って俺は、鏡花の手を引いて歩き出す。
青い桜探しは、孤独になる為の言い訳だった筈なのに、俺は鏡花が付いてきてくれるのがとても嬉しかったのを覚えている。
……きっと当時の俺も、1人になりたいと嘯きながら、心の底では誰かが迎えにきてくれるのを待っていたのだろう。
今から振り返ると、この頃はとても幸福だった。俺も鏡花も何も失うこと無く、ただ当たり前の日常を過ごすことができていた。
だから異常が起き出したのは、彼女と出会ってからなのだろう。
その日はいつも通り、鏡花と一緒に遊びに行く約束をしていた。だから俺は昼食をとってから、家を出ようと玄関に向かう。けど両親はそんな俺を呼び止めて、とんでもないことを言ってのけた。
「今日は、お前の許婚に会いに行かなきゃいけないから、遊びに行くのはまた今度にしなさい」
言葉の意味が、分からなかった。だから俺は困惑しながら、こう言葉を返す。
「どういうことだよ? それ。……許婚なんて、そんなのアニメや小説の中だけのものだろ?」
けど両親は、見たことも無いくらい優しい顔で笑うだけで、俺の反論を一切聞いてはくれない。そして俺は無理やり綺麗な服を着せられて、逃げる間も無く広い屋敷に連れていかれる。
「…………」
そうして俺が案内されたのは、広いけど何も無い簡素な部屋。そんなどこか寂しさを感じさせる部屋で、派手な金髪の少女が真っ直ぐな瞳で俺を睨んでいた。
「あんたが、あーしの許婚なの?」
少女はこちらを拒絶するような声でそう言って、値踏みするように俺を眺める。
「……いや、知らない」
俺はそんな少女の視線が気持ち悪くて、素っ気ない声でそう答えを返す。
「そ。でも初めに言っておくけど、あーしは許婚なんて認めてないから。だからあんたも、変な勘違いしないで欲しいし」
「…………」
「なんだし、その目。もしかして、あーしの態度が気に入らないって言うの? ……けど言っとくけど、あーしはあんたなんか……大っ嫌いだから! だからあーしがあんたに優しくするなんて思ってるなら、大間違いよ!」
少女は早口にそれだけ叫んで、俺から視線を逸らしてしまう。だから俺もそれから少女に声をかけることは無く、迎えの人が部屋にやって来るまで、俺たちは何の言葉も交わすことは無かった。
それが、俺と葛鐘 玲の出会いだった。
そして、その翌日。遊ぶ約束を破ってしまった謝罪をした後、その理由を知りたがる鏡花に俺は許婚の話を正直に伝えた。
「あんた、許婚ってなによ! あんたはだって……あたしと結婚するって、約束したじゃない!」
すると鏡花は顔を真っ赤にして怒って、鋭い瞳で俺を睨みつける。
「……いや、それは分かってるって。でも俺も父さんと母さんに無理やり連れて行かれただけだから、事情がよく分からねーんだよ。だから俺は──」
「そんなの知らない! あたしはただ……絶対に認めないって、言ってるだけ!」
「いや、俺だって認めて……って、いや鏡花。お前……泣いてるのか?」
鏡花が突然涙を流した理由が俺には分からなくて、思わず鏡花の方に手を伸ばす。
「触らないで! あたしは、泣いてなんかない! ……というか、あんたはこっち見ないで! 向こう向いててよ! 向こう!」
しかし鏡花は、耳が壊れるくらいの声でそう叫んで、俺の手を振り払う。だから俺は言われた通り、窓の方に視線を向ける。
すると不意に、背中に温かな感触を感じた。
「……鏡花?」
俺は背中に感じる温かな感触にドキドキと心臓を跳ねさせながら、確かめるように鏡花の名前を呼ぶ。
「あんたは、あたしのこと好き?」
「……どうしたんだよ? 急に」
「いいから答えて!」
そう言われて、考える。けど当時の俺はまだ、異性に向ける好きという感情を理解できていなかった。
「…………」
だから俺は、答えを返せない。
「……答えられないの? もしかしてあんたはもう、その許婚のことが……好きになっちゃったの?」
「違う。そうじゃなくて……」
「言い訳なんて、聞きたくない! あたしは……あたしは、ただ……」
鏡花はそこで黙り込んで、強く強く俺を抱きしめる。そして彼女はそんな風にしばらく無言で俺を抱きしめ続けて、
「……帰る」
唐突にそれだけ言って、家に帰ってしまった。
「…………」
凄く、ショックだった。唯一の友達だった鏡花に嫌われたのかと思うと、胸が張り裂けるくらい痛くて、だから俺はその後すぐに両親に向かって叫んだ。
「俺は許婚なんて、認めない」
しかし父さんも母さんも、俺の言葉を全く聞き入れてはくれない。それまでは優しい両親だと思っていたのに、なんだか両親が急に別人のように見えて、俺は凄く怖くなった。
だから俺もう嫌になって、生まれて初めて家出をした。ジュースとお菓子を鞄に詰め込んで、両親にバレないように家を出る。
そんなことをしても、何も変わらないのは分かっていた。でも……どうしても家に居るのが嫌で、だから俺はただ逃げるように家から飛び出した。
「……どこに行くかな」
しかし、行く当てなんてどこにも無い。唯一頼れる鏡花とは、あんな別れ方をしてしまったし、そもそも隣に住んでる鏡花の家に行っても、すぐにバレてしまうだろう。
だから俺は自然と、青い桜を探しに山の方へと歩き出す。
その時もまだ、青い桜を本気で探していたわけではない。
……でも、本気で願っていたのは確かだ。
永遠に続くと思っていた日常が、不意に壊れてしまった。だから俺は、助けて欲しいと本気で願った。
……無論、この後に起こる悲劇と比べれば、このくらいはまだ大したことではない。
けど当時の俺にとってはこれでも十分辛いことで、だから俺は1人で青い桜を探し続けた。
日が暮れるまで山の中を歩き回って、当然のように道に迷って、どうすることもできずただ頭上の月を見上げる。
「…………」
遠い遠い月は白く見える筈なのに、なぜかその時だけは空のように青く見えて、俺は思わず手を伸ばす。
「やあ。初めましてだね、風切 直哉。……うん。君は変わらないようで、私は嬉しいよ」
そしてそこで、1人の少女と出会った。
青桜 ささな。
彼女と出会ったことで、俺の運命は狂い始めた。
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