第6話 廃棄処分って?


 そこは真っ暗な世界だった。と、スバルは思った。

 何故ならば、彼はまぶたを開けたつもりだったからだ。いや、間違いなく彼の瞼は開かれていた。

 ところが、彼の目に映るものは何も無く、ただ暗闇だけが彼の視界を支配した。故に、彼はそれを真っ暗な世界だと感じたのだ。


 ――水と空だけの世界の次は真っ暗な世界か......ユメ、どこだ? まだまだ聞きたいことが沢山あるんだ。さっさと出てこい。


 状況が最悪な展開となりつつあるのにもかかわらず、それと知らない呑気なスバルは、この真っ暗な世界もユメの作り出した幻想だと考えていた。


 そんなスバルはユメを待ちつつも痛む身体に意識を向け、ゆっくりと手足を動かそうとしたのだが、そこで己の体が拘束こうそくされていることに気付く。


 ――なんだこれ、手足、胴、首、至る所がしばられているぞ。


 普通であれば、あれだけの苦痛を感じたが故に、己の身体がいうことを利かないと考えるのであろうが、締め付けているベルトの食い込む感触に、これが人為的な拘束であると直ぐに理解したのだ。


 縛られていることに気付いたスバルは必死に視線を巡らせるが、彼の瞳に映るのはやはり真っ暗な世界ばかり。しかし、流石にその暗さが奇妙きみょうだと思い始めたのだろう。


 ――この真っ暗な世界は......暗いというよりも何も見えてないんじゃないか?


 そう、スバルの瞳は、もはや何も映し出すことのない飾りとなってしまったのだ。

 恐らくは、新薬の副作用だと考えられるのだが、この時点でスバルの知ることのない事実だった。


 ――おいおいおい! シャレになんね~ぞ!


 ここでようやく焦り始めたスバルは、もしも目が見えなくなったらどんな影響があるのかを考え始めた。


 ――お、おい! せっかく美少女とエッチな約束を取り付けたのに、これじゃ目隠しプレーと同じじゃね~か!


 こんな時でも、スバルはやはり最低最悪だった。いや、男とはこんなものかもしれない。なんて訳はない。スバルが異常なだけだ。


 普通の神経を持つ人間であれば、もっと現実的な問題にたどり着くはずなのに――それこそ、きっと気が狂うほどに混乱したはずだ。

 そう考えると、スバルの最低最悪は良い方向に作用したと言えるだろう。しかし、このことをすばるが知れば、きっとなげき悲しむことになる筈だ。


 そんなスバルが、どうやってユメの裸を確かめようかと考えていると、突然、人の声が降っていた。


「目覚めの気分はどうじゃ?」


 そう、その声はまさに降って湧いたかのようだった。

 視界の利かないスバルにとって、スピーカーから放たれた声は、室内に反響して何処からともなく聞こえてくる声だと感じられたのだ。


『だ、誰だ? ここはどこだ』


 スバルはそう口にしたつもりだった。しかし、それが肉声になっていないことは耳が正常に働くスバルにも理解できた。いや、驚いたと言うべきだろう。


 ――おいおい、声すらでないじゃないか......使えるのは耳だけか? まさか、下半身も不能なんてオチはないよな? この年で不能者なんて勘弁してくれよ!


 やはり、スバルという人格は狂っていた。少しはエッチな方向から離れて欲しいものだ。もはや、ここまでくると、昴に同情する他ない状況だ。


「ふむ......聞こえておらんのか? 何とか言わんか!」


 どうやら、言葉を話せないスバルの態度は、スピーカーから放たれる声の持ち主を苛立いらだたせたらしい。

 ところが、耳は正常に稼働しているスバルは、その苛立ちを露にした声に対して罵声を吐き散らす。


 ――うっせ~馬鹿野郎! 話したくても声が出ないんだよ! この糞爺くそじじい


 当然ながら、それは音になる事無くスバルの心中に留まることになるのだ。


 目は見えない。声は出ない。頭の中が健全だとは、決して口が裂けても言えないが、スバルの耳は健全であり、その声が老人のものであることを察していた。


 苛立つ年寄りの声に対して腹立たしさを感じているスバルだったが、彼の横たわる部屋と強化ガラス一枚でへだてられた観察室では、今まさに彼の今後を左右する会話が行われていた。


「ダメじゃな。全く反応がない。恐らくBパターンの壊れ方じゃ」


 マッドドクター苦悶がそういうと、女性の研究員がそれを肯定するかのような報告を口にした。

 

 きっと、ここにスバルが居れば『Bパターンの壊れ方』について尋ねたことだろう。いや、彼の事だ『俺はC以上がいい』と言ったに違いない。しかし、残念ながらここにはスバルの耳はなく、話は彼の意思とは別に進んでいく。


「瞼は開かれてますが、その瞳孔は何も映していないようです。視界確認ツールを彼の前で使用しましたが、彼の瞳は全くそれを追うことはなかったです」


 そう、目の見えないスバルの視線の先では、被験体の眼の動きを確認するためのツールが上下左右に動かされていたのだ。

 無論、現在のスバルの視力ではそれを知ることはない。故に、目が見えていないと判定されたのだ。


「ちっ、口も利けず、目も見えないとなれば、全く使いもにならん」


 ――おいおい、初めから失敗確定の新薬を投与したんだ。そんなことは分かり切っているだろ。いや、あんな薬をぶち込まれて人間の身体でいるだけ脅威的だと思うがな。


 目の前で悪態を吐く初老の老人を見遣りながら、女性研究員の隣に立っていた御堂岡みどおかは心中でそうつぶやくのだが、勿論それを顔に出したりはしない。


 そんな御堂岡の苦言と感嘆を他所に、目の前に立つ九文くもん博士は決断の言葉を口にした。


「ちっ、失敗作じゃな。取り敢えず廃棄ブロックへ放り込んどけ」


 何を考えたのか、九文はその言葉をマイクのスイッチを入れて告げた。

 そんな行いをした九文の心情を推し量ることは出来ないが、その言葉はスピーカーを通してスバルの知るところとなった。


 ――はぁ? 失敗作? 今、廃棄ブロックって言ったか? 何を言ってるんだこの糞爺! 順番から考えたらお前が棺桶かんおけに入れよ! くそっ! ぬっころしてやる。


 マッドドクター苦悶へ向けて必死に罵声を浴びせようとするが、口が動く感覚すらないが故に、負け犬の遠吠えにすらなっていない。


 ――くっそ~! どうなってんだ俺の身体は......これだと、キスも真面にできないじゃないか......あっ、キスどころか......愛撫も......なんてこった......


 どうやら、彼の頭の中はエッチな想像でいっぱいなようだ。いや、きっと新薬の所為で性属性が付与されたに違いない。


 こうしてスーパーエロイストとして生まれ変わったスバルは、ものの見事に廃棄処分の太鼓判を押されることになった。

 いやいや、この性属性発現者を世に放つのは危険だ。例え正常に目が見えて言葉を話せたとしても、世のため女性のためを考えるならば、是非とも廃棄にすべきだと言えるだろう。







 スバルが目を覚ますと、そこは暗黒の世界だった。

 もはや言わずしても理解の事と思うが、スバルには何も見えていない。ただ、ここはスバルでなくても暗黒だと思ったことだろう。

 何故ならば、光の入る余地がないほどに密閉された空間だったからだ。

 そんな密閉された空間にも満たされたものがあった。


 ――真っ暗だな......やっぱり目が見えていないのか。それにしても臭い......なんだ、この臭いは......いや、まてよ......


 そう、目覚めたスバルが感じた通り、ここには腐臭ふしゅうが満ちていた。

 ところが、彼はその臭いに関してではなく、別の事に気が付いた。


 ――目は見えないし、話も出来ない。ましてやベロチュウも出来ない。だが、臭いは嗅げるんだな。よっしゃ~、これでユメの匂いは俺のものだ。


 いやいや、別にスバルのものではない。それにこの事をユメが知ったらガックリと項垂うなだれることだろう。


 さて、ここはご想像の通り廃棄処分場なのだが、あの後、身動きすらできないスバルは、よくわからない薬をぶち込まれて眠りに就いた。そして、気付いた時にはここにぶち込まれたという寸法だ。


 ――いてて......くそ、俺に何をしやがった? 体中が痛いぞ......


 その台詞は今更だと思うのだが、強いて述べるのなら、彼らは昴に性属性を付与してスバルを誕生させたのだ。


「てか、マジで臭いぞ! ここはどこなんだ? 目が見えないから何がなんやらさっぱりだ。って、あれ? 今、声が聞こえたぞ? それも俺の声だ。 あれ? 喋れるじゃん」


 そう、ここにきて己が喋れることに気付いた。いや、やっと喋れるようになったと言った方が良いかもしれない。

 そう、スバルの声帯は薬の副作用で一時期的に使用困難となっていたが、時間が経ったことにより回復したようだった。


「でも、眼は見えないままだ。いや、口が動く......よしよし、これでユメを舐めまわせるぞ。それにいずれ眼も見えるようになるかもしれないしな。クククッ」


 クククッではない。せっかく喋れるようになったというのに、スバルの願いは話すことではなく舐める事だった。本当に最低な人格と入れ替わったものだ。


 ――それはそうと、このままじゃユメを舐めまわすどころじゃないな。そういえば廃棄処分とか言ってたが、ここは一体どこなんだ? くそっ、やっぱり目が見えないと不便だな。てか、逃げださなきゃいけないのに、これじゃ如何しようもないぞ。


 未だ目は見えずとも、希望のきざしが見えたことで気分を良くしたスバルだったが、ここから脱出することについて頭を抱えていると、突然、話し掛ける声があった。


「新入りか......見た感じだと普通のようだが、どこに欠陥があるんだ?」


「誰だ? どこにいる!」


「ふむ。目が見えないんだな。それくらいで廃棄とは、奴らは本当にゴミだ。いや、悪魔と言った方がいいな」


 ――こいつは一体何を言ってるんだ? だが、襲ってくるような雰囲気じゃないぞ。


 その声の雰囲気からして、その者が己の脅威とならない印象を持ったスバルは、落ち着いて現状整理を行うことにした。

 

「なあ、俺は何がなんやらさっぱり分からないんだが、ここはどこなんだ?」


「ここか? ここは棺桶さ。いや、地獄といった方がいいかもな」


 その落ち着いた、いや、諦めを感じさせるような声は、スバルの精神を揺さぶった。


 ――おいおい、こんなところで死んだら、ユメとエッチできね~し、絶対に勘弁な。とにかく、この人に色々と情報を貰おう。


 願望は最悪だが、そのポジティブな精神だけは素晴らしいと言えるだろう。

 きっと、昴であれば泣き叫んだ挙句、誰かに助けを求めていたことであろう。しかし、このスバルという人格は、最低ではありつつも鉄の心臓を持っているようだった。

 その証拠に、透かさずその人物に根掘り葉掘りと尋ね始めた。


「なあ、何が失敗作で、なんで廃棄処分なんだ?」


 異世界へと連れてこられたのはユメから聞いた。その理由である彼女の願いも聞いた。故に、彼は現在における状況を確認することにしたのだ。


 すると、声からして男だと思われるその人物は、溜息を吐きつつ口を開いた。


「はぁ~、お前は何も知らないんだな。それはそれで哀れだな。まあいい、どうせ先の短い命だ。オレの知っていることを教えてやるさ」


 その人物はそう前置きすると、淡々と話し始めた。


 その話はスバルに驚きをもたらした。何故ならば、彼の話によれば、ここが日本だとのことだったからだ。

 更に、続けて聞かされた話は、スバルの想像を絶するものだった。


 ――これはちょっとヤバいんじゃないのか? ここから抜け出すのも大変だが、どうやってユメを助けて、どうやって彼女の望みを叶えるんだ?


 珍しく真面な思考を繰り広げるスバルは、これからの事について頭を悩ませる事となるのだった――筈だが......


 ――くそっ! これじゃ、ユメと一生エッチできないぞ!


 どうやら、とても残念なことに、真面な思考だと表現したのは大きな誤りだったようだ。

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