第14話 粗相は逆襲の狼煙?


 その部屋は静寂せいじゃくに包まれていた。

 日本では在り得ない事であろうが、上流階級の子息や息女が集まるこの帝国大学付属中学では、何時までも教室で騒ぐような者は居ないのだ。

 由華としては、それだけで息の詰まるような空間だと感じていたようだが、これも隠れみのの為だと思って我慢しているのだろう。


 他の学校であれば、今頃は入試シーズンであり、あたふたと受験勉強にはげむのであろうが、この教室に居る生徒にとっては、全く無用なものであると言えた。

 何故ならば、この学校へ通う者は、日常の試験成績により帝国大学付属高校へと進学が決まっているからだ。いや、成績は関係ないのかもしれない。その理由は、成績が悪くともしっかりと裏口が開いているからだ。


 そんな教室の中で、順番に名前が呼ばれている。


 ――名前なんて呼ばなくても、見れば分かるでしょうに......


 規則通りに点呼を行う教師へ冷やかな視線を向けながら、由華は心中で不平を述べるのだが、己の名前が呼ばれたところで、慌てて返事をする。


 ――はぁ~、うんざりだわ。といっても、これはどこでも同じでしょうし、愚痴っても仕方ないわね。


 愚痴ってみても無意味だと感じた由華は、今度は別の事を思い浮かべる。


 ――結局、アジトにナナとスバルだけを残してきたけど......大丈夫かしら?


 昨夜、スバルが安らかな――眠りに就いた後、ミケやナナと話し合った結果、出席に融通ゆうずうの利くナナが留守番することになったのだ。

 というもの、あの施設にスバルを独りで残すと何を仕出かすか分かったものではないと判断したからだ。

 因みに、見た目が幼女でも彼女は帝都大学の一回生なのだ。


 ――あの変態でも、流石に幼女に手を出したりしないわよね。まあ、もしそうなってもナナの能力を考えれば、奴が痛い目に遭うだけでしょうけど......


 登校時に、ミケに大丈夫だと言ってみたものの、少し心配になってきた由華は、己にそう言い聞かせる。


 そうこうしていると、朝のホームルームが終わり、ホッと一息ついた由華だったが、突如としてポケットが震えるのを感じた。


 ――ん? こんな時間から誰かしら?


 友達も少なく――いや、全くいない由華は、震える携帯端末をこっそりと眺めながら、誰からの着信かを確かめる。


 すると、そこには由華の父親の名前が表示されていた。


 ――あれ? こんな時間から......珍しいわね。お父さん、どうしたのかしら?


 周囲を見回しながら誰も見ていないのを確認して、こっそりとメールの内容を確認したのだが、それは一瞬で終わった。

 何故なら、そこには一言しか映し出されていなかったからだ。

 ただ、その一言の意図が分からず、由華は首を傾げてしまった。


 ――これってどういう意味よ。「動くな」って、ここからピクリともするなという意味じゃないわよね。


 幾らなんでも愛娘に微動だにするなとは言わないだろうと考えた由華は、その言葉の意味を深読みし始める。


 ――動くな......何か起こるの? 何か起こるけど何もするなってことかな? てか、キャプチャされるのを恐れて一言にしたんだけどけど、これじゃ意味が分からないわ......まあいいわ。兎に角、何かが起こるけど行動を起こすなってことにするか......


 ここに居ない父親に向けて心中で愚痴を零すが、その言葉の意味をそう解釈したところまでは良かった。ただ、その何かを考えようとしないところが由華の未熟なところだと言えるだろう。いや、由華が体力馬鹿と言われる所以ゆえんかもしれない。

 そう、由華に連絡があったという事は、彼女の近くで問題が発生するのだ。それも危険を冒してまで連絡する程の事が――


 しかしながら、由華は運が良かった。いや、悪いとも言えるかもしれない。

 それが何かというと、彼女の席が窓際だったことだ。


 ――なにあれ? もしかして......拙いわ!


 何気なく外を眺めた由華の瞳に、深緑のトラックが校門を走り抜ける状況が映ったのだ。

 彼女が焦った理由は、そのトラックがただのトラックではないと知っていたからだ。

 そう、そのいかつい造りの車両は軍用トラックなのだ。


 ――バレた? この場所がバレたのね。もう、ナナが装甲車をピンク色になんてするからよ!


 実は、装甲車のピンク色は全く関係なく、既にこの場所が察知されていたのだが、そんな事を知る由もない由華は、全てをナナの所為にしながら席を立ったのだった。







 体育館の地下に造られたアジトの中は、思いのほか広かったようで、スバルはナナに手を引かれて迷路のような地下の通路を走っていた。

 ただ、何が何だか理解不能だったスバルは、必死に走り回ることが不思議でならなないという表情をしていた。そして、その疑問を口にせずにはいられなかったようだ。


「何が起こったんだ?」


「反乱分子狩りですね」


 ナナは完結に答えると周囲を見回す。

 その行動にスバルが首を傾げる。何故なら、通路は狭く周囲は壁だからだ。


 この時、ナナは周囲に思考を持つものが居るかどうかを確かめていたのだが、その能力の真髄しんずいを知らないスバルは、彼女が慌てているようにしか見えていなかった。

 すると、スバルの考えを気に入らないと感じたのだろう。思考を読んだナナが苦言を漏らした。


「失礼ですよね。敵の気配を探っているのですね。それと索敵の邪魔ですね。何も考えないでください」


 ――うぐっ! 何も考えるなって......そんなの無理だろ......てか、敵が来ているのにこのペースで良いのか? あっちゅうまに捕まってしまいそうだが......


 そう、スバルが疑問に思うのも無理はない。幼女であるナナの脚は遅かった。それ故に、拙いと考えたようだ。


「うきゃ! 何をするんですか! 時と場所を選ぶのですね」


 突然の事で慌てた幼女――ナナが抗議の声を上げるが、スバルは気にすることく己の考えを告げる。というか、時と場所が良ければ問題ないのだろうか。


「お前の脚じゃ遅すぎだ。どこへ行けばいいか言ってくれ。俺が走るから」


 そう、ナナが抗議した理由は、スバルが彼女の身体を脇に抱え上げたからだ。


「む~ぅ、ちょ、ちょっとだけ見直しましたね。でも、ほんのちょっとだけなのですね」


「あ~分かった! 分かった! それで、どこへ行けばいいんだ?」


「その態度......可愛くないですね......そこを左に」


 少し顔を赤らめたナナが悪態を吐きつつも方向を指し示すと、スバルが思いっきり予想外の返事をしてしまう。


「おいおい、そっちには敵がいるぞ?」


「やはり、その目は見えていないのですね――いえ、心眼で見ているのですね」


 ――ぐおっ! 何でバレたんだ! てか、やっぱりって......気付いていたのか......


 ナナの発言におののくスバルだったが、視界にないものが見えれば、誰でも気付くというものだ。

 そう、スバルの心眼はある程度までの遮蔽物しゃへいぶつ透視とうしすることができるのだ。

 ただ、それは距離にして二メートルもないだろう。それに、透過できる壁の厚さも精々が五センチ程度なのだ。

 これは研究所を脱出する時に気付いたことであり、覗きにとても便利なので誰にも言わないつもりにしていたのだ。


 ――くそっ、ピンチだと思って反射的に口にしちまった......


 死ぬほどの後悔の念に襲われながらも、スバルは左に進むことを逡巡しゅんじゅんする。

 ところが、想像もしない言葉がナナから発せられた。


「そっちに居るのは一人ですね。他は複数の敵が居るので行きたくありませんね。あと、そっちにピンクシャークがあるのですね」


 ピンクシャークが何かは分からないが、彼女が分かっていてそちらに向かえと言っているのだと知って、スバルは即座に指示通りの方向へと向かう。

 すると、そこには彼女が言う通り、黒服黒マスクの男が銃を構えていた。

 それは、どう見ても戦闘服であり、その動きからして特殊な訓練を行ったであろう身のこなしだった。

 ところが、そこへ現れたのが幼女を抱えた若者だったことに驚いたのか、直ぐに銃を撃ち放つことはなく、次の瞬間にけたたましい音がしたかと思うと、その黒服男がその場に崩れ落ちた。


 ――くそっ~! 耳がいて~~~~! 何を遣りやがった。


 そう思ったスバルが、心眼を左腕に抱えているナナへと向けると、彼女は両手にその身体に見合わないゴツイ造りのハンドガンを握っており、その銃口は薄っすらと煙を吐き出していた。


「おいおい、お前が撃ったのか?」


「お前じゃないですね。菜々子と呼ぶのですね」


「今は、それどころじゃないだろ。てか、あの男は死んだのか?」


「いえ、防弾装備を身に着けているでしょうから、死ぬことはないでしょう」


「そうか......」


 目の前で人が死ぬことを恐れたスバルは、そこでホッと一息吐いたのだが、ナナは続けて話し掛けてきた。


「何を安堵しているのですか? 死んでも問題ないですよね。いえ、死ぬべきですね」


 ナナの放ったその言葉は、彼女が撃ち放った弾丸よりもスバルを驚かせる。

 それは、その見た目もそうだが、年若い少女が口にする言葉ではないと感じたからだ。


「いや、それはあんまりだろ」


 彼女の台詞が余りにも非情であると感じたスバルは、思わずそう口にしたのだが、ナナは顔色一つ変える事無く告げてきた。


「こいつらは、政府の犬ですね。新薬で人を苦しめ、更には国民に等級を付けてないがしろにする最悪な政府の手先なのですね。死んでも問題ないのですね」


 本来であれば、彼等はただ単に仕事に忠実なだけであり、罪がないとも言えなくもないのだが、ナナの考えからすると、国にくみする者は全て敵なのだろう。


 そんな彼女の辛辣しんらつな物言いに驚いたスバルだったが、その言葉で納得してしまった。


 ――そうか、こいつらはすばるをあんな目に遭わせた奴らの手先か......なら、死んでも構わんな。いや、死こそが相応しい。それも苦しみながらの死こそを与えるべきだ。


 そう、スバルは誓ったのだ。すばるに酷い仕打ちをした者を後悔させると、誰一人として許さないと。故に、彼はナナの発言がもっともだと感じたのだ。


 納得の表情を作ったスバルは、横たわる兵士からハンドガンと機関銃を奪うと、一つ頷いてから口を開いた。


「お前の発言が正しいな。こいつらに生きる価値はない。死して当然だ。例えこいつらの遣っていることが己の意思でなくても、被害に遭う者の結果は同じだ。だから......アディオス!」


 そう口にしたスバルは迷うことなく、横たわる兵士に向けて引き金を絞った。

 すると、乾いた音と共に鮮血が飛び散るのだが、スバルはそれを見て驚くことはなかった。

 それどころか、その表情は何の感情も映さず、氷のような眼差しを死した兵士へと向けている。

 ただ、それを見たナナは違ったようだ。


「ん? 手が冷たい......何事だ? てか、なんで濡れてるんだ?」


「あぅ......ごめんなさいなのですね......」


 スバルは己の手が濡れていることに首を傾げていたのだが、思いっきり顔を赤くしたナナが謝ってきた。

 その理由が分からず、不可解だと言わんばかりの表情を浮かべるスバルだったが、モジモジとしたナナが下ろして欲しいと伝えてきたので言われた通りにする。

 すると、彼女がスバルの脚に抱き着いてきた。


「スバル......かっこいいのですね。惚れたのですね。顔色一つ変えることなく国の犬を始末するその冷酷な表情が最高なのですね。感激したのですね。胸がキュンとしたのですね」


 どうやら、ナナは冷酷なスバルに惚れ込んでしまったようだった。

 ただ、それと手が濡れていることが結びつかなくて、スバルはいぶかし気な表情を作ったまま左手を嗅ぐ。


 ――うん? どこかで嗅いだことがあるような臭いだな。


 未だに、その臭いの原因に気付かないスバルだったが、そこでナナが恥ずかしそうに告げてきた。


「あ、あまり嗅いではだめなのですね。す、スバルが恰好良すぎて、ついつい粗相そそうを......」


 その言葉でスバルは気付く。


「粗相って......もしかして、あれか?」


 やっと気づいたスバルが確認すると、真っ赤な顔をしたナナが頷いてきた。


 ――くはっ~~~! 幼女のお漏らしだよ......いてっ!


「スバルのバカ! 幼女って言わないのですね。それに、原因はスバルにあるのだから、責任をとるのですね」


「いって~~! って、なんで俺が? てか、責任てなんだ?」


 ナナに蹴られたすねさするスバルは、彼女の言葉が気になって尋ねる。

 すると、再びモジモジし始めたナナが答えてきた。


「私をお嫁にするのですね」


 ――嫁キターーーーーー! って、幼女じゃんか......いてっ!


 異世界ハーレムの第一歩だと言わんばかりに、思わず心中で叫んだのだが、その台詞が拙かった。ナナから思いっきり脛を蹴られてしまう。

 

「だから蹴るなって!」


「蹴られなくなかったら、嫁にするのですね」


 ――ぐはっ! 嫁にしないとずっと蹴られるのか? てか、こんなことをしている場合か?


 スバルは即座に通路の反対へ向けて機関銃の引き金を絞りながら、嫁もりも先に遣ることがるだろうと考える。


「おい! 今はそれどころじゃね~、とにかく、逃げるのは止めだ! 侵入者を始末するぞ。襲ってきた奴等は全員に恐怖と死を食らわせてやるぜ!」


「おお~格好いいのですね。了解なのですね」


 侵入者が昴を苦しめた者の手先と聞かされ、スバルは逃げる事ではなく逆襲を唱えると、彼に惚れ込んだナナが笑顔を見せて同意してきた。


 こうしてスバルの逆襲劇の一歩が踏み出される事となるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る