第13話 朝の出来事?


 幸せそうな顔、悲痛な顔、楽しそうな顔、辛そうな顔、退屈そうな顔、様々な表情で校舎の中へと向かっている生徒を、いつのものように見遣りながら、由華ゆかは楽しくもないのににこやかな表情を作って脚を進める。


「東条さん、おはようございます」


「由華様、おはようございます。今日も良い天気ですね」


「東条様、おはようございます。ご機嫌は如何ですか?」


 遅刻しそうになった焦りを表に出さないようにしつつ、無理矢理に作った笑顔で歩いていると、何時ものお嬢様連中が挨拶をしてきた。


「おはようございます。昨日は夜更かしをしてしまって、少し疲れ気味かしら。フフフ」


 スバルが見れば、「お前、誰だよ!?」と言うに違いない様相を見せた由華が、その生徒たちへ答える。

 すると、大袈裟おおげさに驚く表情を作ったお嬢様連中が、あたかも心配しているという風に話し掛けてくる。


「由華様が夜更かしとは珍しいですわね。無理はお体に毒ですわ」


「あら、それはいけませんわね。少し保健室でお休みになってはどうですか?」


「そうですわ。東条様なら授業なんて受けなくても、全てご理解されているでしょうし、少し休まれては?」


 彼女達からすると、それが善意なのかもしれないが、周りからするとゴマを擦っているようにしか見えない。いや、由華からすると嫌味にしか聞こえていないようだ。


 ――本当にそうしたいわよ。眠くて眠くて仕方ないわ。というか、あなた達の相手も疲れるのよ。そんな嫌味のような気の使われ方をしても嬉しくないし......早く何処かへ行ってくれないかな......どうせ、関東地区の知事の娘である私に良い顔をしたいだけなのでしょ? 無理をしなくてもいいのに......


 心中ではそんな事を考えながらも、由華はそれを決して表には出さない。


「昨晩は少し本を読み過ぎてしまって......でも、大丈夫ですわ。抑々、自分が悪いのだから」


「クスクス」


 由華は必死に取りつくろうのだが、隣でミケこと美香子が顔を背けて笑っている。


 ――ちぇっ! なによ! ミケのバカ!


 由華はミケの様子に気付いて眉をひそめそうになるが、それでもそれを必死に堪え、早く居なくなれと言わんばかりに、お嬢様連中へと別れの挨拶をする。


「あ、もう、こんな時間ですわ。急がないと......それではみなさん、御機嫌よう」


 にこやかな表情でそう言うと、上品な歩き方を崩さずに、そそくさとその場を後にした。

 ところが、暫く進んだところで周囲を確認した由華は、こめかみをピクピクさせながらミケに苦言を叩きつけた。


「ちょっ、ちょっ、ちょっ~、何時まで笑ってるのよ!」


「いや、毎度の事とはいえ、いつ見ても笑えるナ~」


「し、仕方ないじゃない。立場というものがあるんだから」


「それは分かっているナ~。大変だな知事の娘もナ~」


 笑い声を押し殺しつつも、未だにクスクスとやっているミケが慰めにもならない言葉を口にした。

 すると、由華は即座にミケの言葉を否定する。


「ミケだって官僚の娘でしょ。私と大して変わらないわ」


「何を言ってるナ~。今の奴らを見なかったのかナ~。由華には挨拶をしてきたけど、ウチには冷たいさげすみの視線を向けてきたナ~。奴らにとってウチは人間じゃないんだナ~」


「マジ? 本当に最低な奴らね。自分より上のものにはヘコヘコする癖して、少しでも自分より階級が下だと思ったら嫌な顔をするのよね。蔑まれるのは彼女たちの方なのに......」


「こらこら、どこに人の眼や耳があるか分かったものじゃないナ~。さっさと仮面を付けるナ~」


 人目が無くなったところで、由華がいきどおりと露にすると、透かさずミケがたしなめてくる。しかし、どうやら由華の腹の虫は収まらなかったようだ。


「だって、被害者じゃない。なんでそんな目で見られなきゃいけないのよ」


「まあ、耳と尻尾があるだけで、奴らからすれば下等なんだろうナ~」


「それだって、望んでこうなった訳じゃないのに......」


「そうだナ~。でも、今は結構気に入ってるナ~。それにこの力は嬉しいナ~。まあ、例の時期は鬱陶うっとうしいけどナ~」


 いつまでも憤慨する由華に、ミケはにこやかな表情で告げてきた。


 そう、由華とミケは異能者の二世なのだ。

 彼女達の母親が国の政策で実験材料とされてしまったのだ。

 それでも、彼女達の母親は死に至る事無く戻って来ただけでもマシだといえるだろう。

 その多くは人ではなくなったり、死に至ったりしている。

 そんな国の遣りように憤慨した由華の父達が立ち上げた組織が『自由の翼』であり、この国を変えるために陰で活動しているレジスタンスなのだ。


「それはそうと、ナナは大丈夫かナ~。スバルに襲われたりしてないかナ~」


「いくら何でも、あんな幼女に手を出さないでしょ。どうやら巨乳好きぽいし」


 場の空気を変えるために、ミケはスバルの事を引っ張り出したのだが、思いのほか由華は平静を保っていた。

 その根拠は巨乳らしいのだが、ミケはそこであることを思い出した。


「あのナ~、スバルの視線は少しおかしいナ~! あの目、見えて無いんじゃないかナ~」


「えっ!? でも、普通に行動してたわよ?」


「そこは、由華の母ちゃんと同じなんじゃないかナ~」


「ええっ!? あのスケベに心眼が? まさか......」


「でも、あの暗い部屋から普通に外に出たナ~」


「そう言われると、怪しいわ......てか、あの変態男に心眼とか、気違いに刃物だわ。今日の授業が終わったら、さっそく確かめてみましょう」


「まあ、それが無くても行かないといけないけどナ~」


 スバルが聞けば嘆き悲しむような会話をしながら、由華とミケは教室へと向かうのだった。







 スバルが開いた扉は体育館の地下に繋がる入り口だった。

 その通用口から由華やミケが校舎へと向かったのだが、スバルは扉を開け放った場所で、生徒たちが校舎へと向かうのをいつまでも眺めていた。

 すると、突然、後ろから声が掛かる。


「いつまでそうしていても、何も生まれませんよね? そろそろ中に引き上げませんかね」


 その声に驚くスバルだったが、流石に二回も同じネタを口にするのがはばかれ、某スナイパーの台詞を吐くのを止めたようだ。

 そんなスバルが背後を仰ぎ見る。ところが、振り向いた先には誰も居ない。

 それに首を傾げていると、再び声が聞こえてきた。


「スバル、あなたは失礼ですね。どこを見ているのですかね」


 その言葉で視線を下に向けると、頬を膨らませたナナこと菜々子の姿があった。


 ――本当にこれで十八なのか? マジで小学一年生にすら見えないぞ?


「いてっ!」


 スバルの腰ほどしかない背丈のナナについて考えていると、その考えを悟られたのか、すねに蹴りを食らってしまった。


「痛いな~。なにするんだよ」


「今、不埒ふらちな事を考えましたね。失礼なことを考えましたね。少ない脳みそで私を蔑むようなことを考えましたね。死ねばいいのにと言いたくなるようなことを考えましたね」


 ――いやいや、そこまで酷いことを考えたつもりはないが......てか、言いたくなるじゃなくて、思いっきり『死ねばいいのに』って言ってるじゃんか......


「なんも考えてないぞ」


 少しだけ、失礼な事を考えていたのだが、その事を口にする訳にもいかず、取り敢えず言葉を濁す。しかし、再び脛に激痛が走った。


「今、嘘を言いましたよね。子供だから簡単にだませると思いましたよね」


 ――ちょっ、なんだよ。この娘、うざいぞ! いてっ!


「今、うざいと思いましたよね」


「わ~かった、わかったから、もうやめてくれ。悪かった。俺が悪かったから」


 ことあるごとに脛を蹴られて、さすがにウンザリとしたスバルは、とにかく謝ることにした。


「まあいいことにしますね。じゃ、朝食にしますね」


 ――くは~っ、なんだ、この面倒な娘は......


「スバル、また脛を蹴られたいですか?」


「わ、悪かった。すまん。俺が悪かった」


 冷たい眼差しを向けてきたナナに必死で謝りつつ、スバルは彼女の後についていく。

 スバルの居た部屋を通り過ぎて暫く進むと、突然立ち止まったナナがおもむろに壁をポチっと押した。

 すると、何もなかった筈の壁が動き始める。


「おお、すげ~」


 ついつい感嘆かんたんの声を漏らすスバルだが、ナナは冷やかな視線を向けてくると、何も言わずにスタスタと中に入っていく。


 ――おいおい、やたらと不愛想だな。てか、俺の居た場所とレベルが全然違うんだが......


 ナナの後に続いて入ったスバルは、彼女の態度に不満を抱くが、それよりも自分が居た部屋とあまりに違う装いに疑問を感じたようだ。

 そんなスバルに向かって、彼女が感情のこもらない声色で告げてきた。


「オオカミと同じ空間に若い女が居られるわけないですよね。妊娠させられたらどうするのですかね」


 ――いやいや、そんなことしな......くもないが、さすがに幼女を妊娠させる気はないぞ? いや、その身体じゃ妊娠しないだろ? 月経もまだ来てないんじゃないのか?


 ナナの言葉を聞いて、そんな事を考えたスバルだったが、そこで再び彼女の脛蹴すねけりを食らってしまう。


 ――いてっ! おい! こいつ俺の心を読んでるのか? ま、まさか、幾らなんでもそれはないよな?


「先に言っておきますが、私はあなたの考えが分かりますね。昨日は遠慮しましたが......だから、不埒なことは考えないようにすることですね」


 ――マジか! 俺の考えを読んでいるのか? てか、それ以前にまったく『先に』じゃね~じゃん! だったら、もっと早く言えっての!


 彼女の言動に疑念と不満を感じていたのだが、スバルはその疑念を解消することにしたようだ。


「てか、俺の心を読めるのか? それって新薬で得た力なのか?」


「違います。私に新薬は投与されてませんね。それと心を読んでいる訳ではありませんね」


「はあ? でも、考えが分かるっていったじゃないか」


「だから、読んでいるのではなく、あなたが何を考えているのかが分かるだけですね」


 心を読むのと考えが分かるの違いが理解できずに、スバルは頭を傾げるのだが、それを見たナナは溜息を吐くと、ダメな生徒を見るような視線を向けてきた。


「はぁ~、スバルの脳では理解できないようですね。あなたのレベルに合わせるのなら、心を読んでいると思って貰って構いませんね」


 ――ぬ~なんて小生意気な幼女なんだ。


 愚かなスバルは、読まれていると教えて貰っているのに、心中で悪態を吐く。


「幼女ではないと言いませんでしたか?」


 ――いてっ! くそっ、これはお手上げだぞ! だいたい、見た目と違って思ったよりも威力があるから糞いて~し......てか、新薬を投与されてないのに、なんで異能が使えるんだ?


 スバルは痛みを堪えつつも、彼女に異能が使えることを疑問に思う。


「わかった! わかった! 悪かった! 降参だ。それで新薬を投与されていないのに、なんでそんな力があるんだ? この世界だとみんな異能持ちなのか?」


「うむ。まあいいでしょうね。これに懲りたら、不敬なことは考えないように! それで異能ですが、私達は二世なのですね。私達の親が新薬を投与されたのですね」


 ――なるほどな。てか、今、私達っていったか? もしかして、あの凶暴女の怪力や猫耳もか?


「そうですね。でも、本人を前にしてその言葉はつつしんだ方がいいと思いますね。また蹴られたり殴られたりされたくはないですよね?」


 ――問い掛ける前に答えが返ってくるのは便利でいいんだが、なんか見透かされているようで気持ち悪いな。いてっ!


「だから、蹴るなって! 脱がすぞ!」


「うきゃ! こんな幼気いたいけな少女を脱がすとか、変態ですね」


「少女じゃね~だろ! 幼女だろ! 俺はロリコンじゃね~」


「あっ! 言いましたね! とうとう口にしましたね! そんなスバルは朝ごはん抜きなのですね」


「あっ......ご、ごめんなさい。すみませんでした。私が悪うございました」


 ナナの蹴りに堪忍袋の緒が切れたスバルだったが、朝飯を持ち出されて即座に土下座で謝るのだった。







 そんな訳で、ナナに平謝りすることで何とか朝食に在りつけたのだが、その食卓の風景を見て、スバルは唖然あぜんとした顔で口を開いた。


「なんで朝から親子丼なんだ?」


「その疑問は分かりますが、クレームなら由華に入れてくださいね」


「由華か......」


 この親子丼を作った者の名前を口にしたところで、クレームを入れたらどうなるかを想像したスバルは、そこで押し黙ってしまう。

 ところが、ナナは何を思ったのか、親子丼を前にして沈黙するスバルへその理由を教えてくれた。


「彼女は丼物しか作れないのですね」


「なにゆえ丼物オンリーなんだ?」


「知らないのですね。ただ、本人の好物なのですね」


 ――う~む、姉妹丼なら食べてもいいんだが......いてっ!


 丼ときて、透かさずエロネタに走ったスバルは、ものの見事に脛を蹴られる。


「お願いだから蹴らないで貰えますか?」


「嫌らしいことを考えるからなのですね」


 これ以上蹴られては堪らないと、スバルは不埒な考えを自制することにした。

 というか、もっと早くそうすべきだろう。


「ところで、ナナは料理をしないのか?」


 痛む脛を摩りながら食卓に着いたスバルは、スプーンを手に取りながらそう尋ねたのだが、ナナの表情が一気に不機嫌モードに突入する。


 ――やべ、これは禁句だったか......


 ナナの表情を見て、しくじったと考えるスバルだったが、彼女は直ぐにその答えを口にした。


「スバルは朝から消し炭を食べたいのですか?」


「いや、悪かった。分かったから......だから、蹴らないで!」


「だったら、この話題には二度と触れないことなのですね」


「分かった......」


 どうやら、ナナの料理の腕は壊滅的なようだった。


 その後、なんとかナナの機嫌が直ったところで、スバルは早速とばかりに親子丼を食べようとしたのだが、そこで何かを知らせるかのような警笛が聞こえてきた。


「えっ! なに? まさか......スバル、直ぐに逃げるのですね」


 ナナはそう言って席を立つ――飛び降りると、透かさずスバルの手を引いて走り始めた。


「お、おい! まだ、飯が――」


「ご飯なんていつでも食べられるのですね。早くするのですね!」


 未だ一口も食べていない親子丼を残して、なにがなんやら理解できていないスバルは、ナナと共に朝からとんでもない事態へとおちいるのだった。

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