第12話 そこは学校?


 そこはいかめしい装いが施された空間であり、品位を感じさせる調度が整えられた居室だと言えるだろう。

 それは、例えそこで過ごす者の品位に問題があったとしても、決して変えられない事実であろう。


「総理、午後の予定ですが......」


 黒いスーツを着た年若い色男が、凡そこの居室に似つかわしくない中年に話し掛けた。

 すると、格調を感じさせる椅子に踏ん反り帰った男が頷く。


「分かった。その予定で問題なかろう」


 総理と呼ばれた中年男が、まるで舐めるような嫌らしい視線を向けながらそう答えると、報告していた若い男はホッと安堵の表情を見せる。


 恐らく、それが拙かったのだろう。いや、普通の者であれば何の問題もなかった筈だ。しかし、この年若い色男には運がなかったのかもしれない。

 いやいや、色男なのが罪なのだ。犯罪なのだ。業なのだ。


 色男が罪な話は置いておくとして、予定の報告を終わらせた若者に向けて、総理と呼ばれた男が舌なめずりをしそうな表情で話し掛けてきた。


「そんなに緊張することはないぞ。北沢君きたざわくん。さあ、こっちへこい」


 その言葉に、北沢と呼ばれたその若者は凍り付く。その所為か、彼はその場から動けなくなってしまった。

 ところが、無情にもその態度が総理の意欲を更に沸き立たせたようだった。


「さあ、こっちへこい。悪いようにはせんからな。君も一等級国民になりたいのだろ?」


 踏ん反り返った総理はそう言ってニヤリとした笑みを浮かべつつ、その太い首に締められていたネクタイを緩める。


 ――なにネクタイを緩めてるんだよ~! この豚が! まさか......やる気か? 私か? 私をか? うっ、うっぷ......吐きそうだ......


 北沢は脂ぎった総理の言動に、心中で不快なものを感じていた。いや、嘔吐おうとしそうな程に不快感をつのらせていた。


 彼は帝国大学を卒業したエリートなのだが、実家は小さな店を営む四等級国民であり、彼だけが国家公務員となって二等級に昇進したのだ。

 決まりでは、家族は同じ等級となっているが、親は別なのだ。

 故に、彼が妻を娶ると、その妻が二等級国民となり、二人の間に子供が出来ると、その子供も二等級国民となるが、昇進した者の親が格上げされることはない。

 そんな彼の夢は政治家になってこの国を変える事だった。

 こんな不公平な世の中をなくすことが、幼い頃から彼が大切にしてきた想いだったのだ。


 ――この最低最悪なおっさんに私の身体を委ねなければならないのか?


 総理については、様々な噂が飛び交っていた。

 その中の一つが男色であり、若く見目の良い男を捕まえては、己が寝室に連れ込むというものだった。

 まさに、最低、最悪、下劣、愚劣、卑猥ひわい、外道、悪辣あくらつをひっくるめて具現化したような男だと言われていた。


 ――くそっ! 出世はしたい。政治家になってこの国を変えたい......だが......こんな脂ぎった臭い男に......


「何をしている。早くこんか!」


 これまで気色を浮かべていた総理の顔がイラつきに歪む。


 ――嫌だ。国は変えたいけど、こんな臭いオッサンに掘られるなんて、絶対に嫌だ。それで出世したとしても、私の心が壊れてしまう。だが、この場面をどうやって切り抜けるんだ?


 逡巡しゅんじゅんしていた北沢が、イライラし始めた総理から何とか逃げ出そうと思案していたところへ、まるで蜘蛛の糸が降りてきたかのように、部屋の扉がノックされた。


「ちっ、良いところだったのに......なんだ? 入れ!」


 邪魔が入ったことで、更に苛立ちを見せた総理は、ノックの音にそう返すと緩めていたネクタイを締め直した。


「失礼します」


 そう言って入って来たのは、北沢以上に上から下まで真っ黒なスーツに身を包んだ存在だった。


「何の用だ? ここへは出入りするなと言っておいたはずだが。ああ、お前はもういいぞ!」


 総理は苦虫を噛み潰したかのような表情を作ると、苦言を口にしながらも、北沢に向けて小さく手を振り、出て行けと伝えてきた。


「では、失礼します」


 悪夢の時を過ごしていた北沢は、この流れが神の思し召しにも思えただろう。

 そんな北沢は、総理の気が変わらぬ内にと、そそくさと退出していく。


 すると、黒服の男はそれを黙って見送り、扉が閉まるのを確認したのちに口を開いた。


「申し訳ありません。少し緊急事態でして――」


「もういい。早く話せ」


 黒服の前置きをさらりと流すと、総理は話を急かした。


「例の召喚者ですが、失敗したらしいです」


「ん? 召喚者で失敗だと? これまでそんなことはなかった筈だ」


「どうやら、実験用の新薬を投与したようです」


「くそっ! あの気違いが! 実験用は止めろと言わなかったのか?」


「いえ、伝えたのですが、取り付く島もなかったようです。部下もしつこく念を押したそうですが、終いには実験材料にしてやると脅されたそうです」


「ちっ、忌々しい。新薬の開発がなければ、いの一番に首を飛ばしてやるのに......それで、召喚者はどうなった?」


「廃棄処分になったと聞いてますが......」


 総理の問いに答えていた黒服が、話の途中で押し黙ってしまった。

 それをイラついた様子で総理が急かしてくる。


「どうしたんだ? さっさと話せ」


「は、はい。どうやら破棄処分場から脱走したようです」


 申し訳なさそうな表情を作った黒服がそういうと、総理は何か思うところがあったのか、黙考し始めた。


「もしかしたら、帝都での騒ぎはその所為か......もしそうなら拙い事になったな」


 黒服はその沈黙が自分に対する罰を考えているかと思ったのか、ビクビクした様子で立っていたのだが、暫くして総理が別の話を口にすると安堵の表情を見せた。


 その話については黒服も聞き及んでおり、自由の翼と呼ばれる反乱分子が絡んでいたことを思い起こしていたのだが、思考している最中に総理が話し掛けてきた。


「う~む。よし、例の作戦を実行させろ。手筈は整っているな?」


「はい。勿論です。では、実行に移します」


 某作戦の決行を聞いた黒服は了解の返事をすると、総理の部屋から退出しようとしたのだが、そこで引き止められてしまった。


「ああ、さっきの男が居ただろ?」


「は、はい」


「あれは北沢という奴だが、私のいう事をきかなんだ。研究所に回しておけ」


「り、了解しました」


 蜘蛛の糸を掴んで悪夢から抜け出した北沢だったが、無情にも彼の運命の糸は音もなく断ち切れたようだった。







 最後にとんでもない事実を知らされたあと、凶悪な打撃を食らったスバルは深い眠りに就いていた。


『旦那様! 起きてください旦那様!』


 どこからか、聞き覚えのある声がスバルを呼ぶ。いや、スバルを旦那様と呼ぶ者は、三千世界広しと言えども一人しかいない。

 勿論、ネットにもいない。


「ゆ、ユメか?」


 朦朧もうろうとした意識の中で、その声を聞いたスバルが、すぐさま返事の声を上げた。

 すると、スバルの視界がすぐさま例の空と水の世界に変わり、この前と全く同じように、黒髪の綺麗な少女が立っていた。


「はい。由夢です。なんとか逃げ出せましたか?」


 由夢は相変わらずの可憐な顔で優しそうな表情を作り、スバルの無事について尋ねてきた。


「ああ、酷い目に遭ったがな。てか、お前の姉ちゃんは最悪だぞ? どうやったらあんな凶暴に育つんだ?」


「あぅ......ごめんなさい。私が連れていかれた所為だと思うのです。だから、あまり悪く思わないであげてください。ちょっと、おっちょこちょいですが、本当はやさしい姉なんです」


 スバルが憤慨ふんがいしつつ由華について言及すると、由夢は必死にフォローしてくる。ところが、スバルの苦言は止まるところを知らなかった。

 そう、思いの全てをぶちまけるように、つらつらと文句を並べたのだ。


「まあ、暴力を振るう以外は、割と面倒を見てくれたけど......直ぐに足が出るあの行動は頂けないぞ?」


「た、多分、初対面の男性だから恥ずかしがっているだけなんです。直ぐに馴れてくれるはずです」


「それならいいんだが、あんまり酷いと犯すからな!」


「そんなにちょん切られたいのですか?」


「じょ、冗談だ、冗談!」


 苦言を吐き出すのは良かったが、どうやらスバルは調子に乗り過ぎたようだった。

 終いには、まなじりを吊り上げた由夢が、両手の人差し指と中指でバルタン星人の真似をしていた。

 その態度に焦りを感じたスバルは、すぐさま話を変えることにした。


「ところで、今日はどうしたんだ?」


「それはご挨拶ですね。妻が旦那様の健康を気にして出てきてはダメなのですか?」


「い、いや、そういうつもりじゃないんだ。ただ、夢に出てくるのもかなりの力を使うと由華から聞いたんで、余程の事だろうと思っただけだ」


「旦那様の健康状態を知るのは余程の事だと思いますが......まあ、いいです」


 何がまあいいのかは分からないが、少し膨れっ面を作った由夢は、出てきた理由を告げてきた。


「私は帝都の中心にある神威かむいの塔に居ますから、なるべく早く救出してくださいね」


 そう、彼女は自分を救出しろと催促に来ただけだった。


 ――おいおい、そんな事に大切な力を使うのか? まあ、我が身可愛さは人間の本能だからな。仕方あるまい。それに、俺も早くユメとエッチしたいしな。


「ああ、早急に何とかするように由華達と相談してみる」


「ありがとうございます。流石は私の旦那様です」


 彼女は礼を述べてくると、少しずつその姿を薄くしていく。


 そんな彼女を眺めていて、スバルは少しだけ愛おしく思ってしまう。


 ――まだ、夢で二回会っただけなんだが、俺も惚れやすい性格なのかな?


 スバルは胸に込み上げる熱を感じて、そんな事を考えていたのだが、そこへ消えてなくなる寸前の由夢からの声が聞こえてきた。


「ミケとナナは私の大切な幼馴染でもありますから、くれぐれも手を出さないように! もしもの事があったらちょん切りますからね」


 ――ぐはっ! せっかくの気持ちが台無しだ!


 薄れゆく意識の中で、スバルは由夢に対して苦言を漏らすのだった。







 賑やかな小鳥の声が響き渡り、爽やかな朝日が差し込む。

 そんな幸せな朝を迎えることはなかった。


 そう、スバルが目を覚ました場所は四畳半くらいの暗い部屋だった。


「おいおい、この仕打ちはなんだ? これじゃ、監獄と変わらんだろ」


 思わず、そんな独り言を零しつつ体を起こす。


 真っ暗であるとはいえ、今のスバルにとっては、それが暗闇という訳ではない。


「やっぱり、この暗視機能は凄いな。暗闇でも隅々まで見えるぞ。おっと、どこに耳があるか分かったものではないからな......」


 スバルは自分の心眼に感嘆かんたんの声を上げたが、それを聞かれるのを恐れて押し黙った。


「それはそうと、あの凶暴女たちはどこだ?」


 立ち上がりながら、由華達の事を考えたスバルは、特に意識する事無く出入り口へと向かう。


「ん? 鍵が掛かってない......まあ、鍵を閉めても意味はないけどな」


 扉の取っ手を握るスバルはそんな事を言いつつ、鉄の扉を押し開ける。


 すると、そこでは三人の少女が着替えをしている。なんてオチはなく、そこは非常灯の明かりだけが小さく灯る通路だった。


「そういえば、ここが何処だか聞いてなかったな」


 スバルは通路を当てもなく歩きつつ、あの三人の少女を探すのだが、残念ながら全く何の反応もない。


 そうして行き着いた窓もついていない鉄の扉を開く。


「ぐはっ! まぶしい......目が......目が......目が見えない......うんな訳ないか......だって、抑々眼は見えてないし......」


 アホな冗談をかましたスバルだったが、その光景を見て不思議に思う。


「ここってどこだ?」


 そう、スバルの目の前には大きな建物がドンと構えており、視線の先には制服を着た学生が沢山歩いていたからだ。


「ここって、学校なのか?」


 どうやら、スバルの立つ場所からは生徒が登校している様子が見えるのだが、向こうからは見えにくい場所だったようで、誰一人としてスバルに気付くものはいなかった。


「起きたのかナ~」


 外に気を取られていたスバルに、突然、後ろから声が掛かった。


「うおっ! びっくりした~! 俺の後ろに立つなよな」


 心眼の使い方に未だ馴れていないスバルは、『お前はどこの殺し屋だよ?』と、ツッコミたくなるようなセリフを吐きつつも、素早く振り返ると、そこには制服姿のミケが立っていた。


「あ~、悪いナ~! 悪気はなかったナ~!」


 ミケは即座に謝ってくるが、スバルは別の事を口にした。


「お、お前、ここの生徒なのか?」


「ふあ~~! そうナ~。これから学校だから大人しく待ってるナ~。ナナがお留守番だから、彼女に相手をしてもらうナ~」


 スバルの質問にミケが大きな欠伸をしながら答えてきたのだが、それと同じタイミングで校舎の方からチャイムが聞こえてきた。

 すると、今度はそれに負けじとばかりに、悲鳴のような声が聞こえてきた。


「うひゃ~! 遅刻する! 遅刻する! 遅刻する~~~~!」


 そう騒ぎながらやって来たのは、やはり制服に身を包んだ由華だった。


 何の変哲もない制服姿の由華を見て、スバルの心臓がビクりとするとする。

 その理由は分からない。しかし、スバルに感じるものがあったようだ。


「トーストをくわえていないところは減点対象だ......でも、可愛いな~」


 だから早く寝ようと言ったのにと苦言を漏らすミケを他所に、脱兎だっとのごとく校舎へ向かう由華の後姿をながめながら、スバルはそんな言葉を呟くのだった。

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