第79話 思わわぬ展開?


 波立つ水面に小さな波紋が生まれる。

 それは、波に消されてしまうかのような柔らかな水の模様であり、まるで木の葉が湖に落ちたかのように優しく震える。

 それは小雨を受け止める水面のように、何度も生まれては広がっていたが、先にできた波紋が広がり切るのを待つことなく、新しい波紋が無数に生まれていた。


 そんな波紋を作り出している者が、獲物を前に舌なめずりするかのような笑みを浮かべている。


「やるじゃね~か! じゃ、これならどうだ?」


 既に、どちらが獣か分からない状況なのだが、鋭い犬歯を剥き出しにしたスバルは、軽やかに水面を蹴って巨大なトラに斬り掛かる。

 右手にしているのは素材も定かでない剣だ。

 その大きさはスバル本人ほどもあろうかという代物だった。

 恐らくは、切れ味よりも、力で押し切るつもりなのだろう。

 勿論、その大剣はスバルの錬成で造り出した物だ。


「グルルルア!」


 トラは唸り声を漏らしながら、水しぶきを上げて、強引にその攻撃を避けようとするが、水に足を取られたのか、その巨体をよろめかせる。


「喰らえよな!」


「グルガァーーーォ!」


 しかし、トラはよろめきながらも、その攻撃に向かって長く伸びた爪を振りかざした。

 その鋭い爪は、スバルが振り下ろす高速の斬撃と交差し、耳障りな音を立てる。


「ちっ! 腐ってもトラだな! てか、その爪、何で出来てるんだ? まあいい、喰らえ! バレット!」


 振り下ろした大剣を物の見事に切り裂かれ、呆れた顔で愚痴を零しつつも、即座に距離を取る。

 しかし、ただ距離を取るだけではなく、半分ほどに切り裂かれた大剣をトラに向かって投げつけると、即座に錬金を発動させた。


 高速で投げつけらた大剣は、その形を無数の弾丸に姿を変えてトラに襲い掛かる。


「グアオ~!」


 トラは必死にそれを避けようとするが、圧倒的な数に屈したようだ。身体のあちこちから鮮血を上げる。

 ただ、その攻撃は傷こそ与えど、致命傷に程遠かったようだ。

 トラは怯むことなく、すぐさま水飛沫をあげてスバルに襲い掛かった。


 スバルは水面の上で華麗なステップを踏み、その攻撃を避けながら、攻撃力の乏しさを心中で愚痴る。


 ――ちっ、やっぱり急造の剣じゃダメだな。弾丸バレットも大して効果がないみたいだし、ほんとに、この水は厄介だ......


 現在の状況に舌打ちしながらも、スバルは水面を蹴って更に距離を取る。


 その華麗な戦い振りは、とてもスバルのものと思えない。

 しかし、この最強戦士のような戦い振りが、現在のスバルが持つ実力なのだ。

 恐らくは、ネズミから授かった能力の派生なのだろう。動いている間は水に沈むことなく、まるで白鳥が踊るかのように水面の上を移動しているのだ。いや、白鳥に例えるのは、些か褒めすぎかもしれない。そう、この場合はアメンボと言い換えよう。


 さて、由華達を脱出させ、ロケットに独り残ったスバルは、巨大なトラと熾烈な戦いを繰り広げていた。

 その間に幾何学模様のフロアは水嵩が増し、『水渡みなわたり』の能力を使わなければ、既にスバルの腰まで海水に浸かってしまう水位になっていた。


「ダメだな......一旦、上に移動するべきか......」


 武器が無くなったことで、スバルは次の行動について思考を巡らせ、その結論に達したのか、すぐさまジャンプすると、天井を溶かして上のフロアへと移動した。

 更には、ご丁寧に開けた穴を閉じてしまう。


「よし、これでトラは上がってこれんだろう」


 一安心したスバルが部屋の中を見渡す。

 そこは、由夢が寝かされていた部屋であり、何もない部屋にカプセルだけが置かれていた。


 その光景に、スバルは方眉を吊り上げる。

 恐らくは、あの時の由夢の事を思い出したのだろう。

 それでも、直ぐに気持ちを入れ替えて、これからについて考え始めたようだ。


「このままトラを放置して逃げるか......それもありだな。いや、それの方が得策だな」


 抑々、ここに残った理由は、トラの足止めのためであり、危険を冒してまでトラを退治する必要はないのだ。


 トラを無視して逃げることを考えたスバルは、即座に天井を溶かしに掛かった。

 しかし、そこで唖然としてしまう。

 なぜなら......


 ――くそっ、上からも水が......


 天井を溶かした途端、そこからは海水が物凄い勢いで噴き出してきたからだ。


 スバルは知らないことなのだが、幾何学模様の部屋と由夢の眠っていた部屋は、ロケットの第一液体酸素タンクを改造した場所であり、本来であればその上には第二エンジンや第二液体酸素タンク、第二水素タンク、衛星を入れるフェアリングがあるのだ。

 しかしながら、既にロケットとしての機能を全て撤去された剣の塔では、その上が全て空洞になっているのだ。


「くそっ、上からも水を流し込んでるのか?」


 水の勢いが凄いとはいえ、剣の塔の収まる空間が、既に海水で満たされたとは思えなかったのだろう。

 故に、スバルは敵がロケットの上部に海水を流し込んでいると考えたようだ。


「ちっ、しゃ~ね~、それならこうだ! メルト!」


 スバルは透かさず壁に手を当てると、遠慮なく壁を溶かし始めた。

 すると、いつものように壁がドロドロと溶け出し、天井から噴き出す水が、そこから外に流れ出る。


「まあ、天井からの水はこれでいいだろう」


 溶けてなくなった壁から、ロケットの外を眺めながら満足げに呟く。


 当然ながら、そこは真っ暗な世界に変わっている。しかし、暗視の利くスバルには現在のフロアに届かぬ水位が確認できた。


 その状況に一安心したスバルは、次の行動について思案する。


 ――どうすっかな~、あの壁を溶かすか......それともロケットの天辺まで登って、天井を溶かすか......てか、あの壁のむこうはただの土というオチもあるよな......やっぱり天井の方が良さそうだな。


 ここが地下であることから、スバルは水面の向こうに見える壁を溶かしても意味がないと考えたようだ。


「さて、上りますか~」


 ぽっかりと開いた壁から頭を覗かせて、ロケットの天辺を見上げたスバルは、外からロケットを上ることを考えたようだ。

 ところが、その時だった。下方に背を向けていたスバルに、勢いよく水飛沫が上がる。


「うおっ!? なんだ!? ぐあっ! くそっ!」


 その水飛沫に驚いて直ぐに身を引いたスバルだったが、一瞬にして腕と胸を切り裂かれ、その痛みに呻き声を漏らす。


「ちっ、油断した......下のフロアも壁に穴を開けたんだった......」


 己の油断を後悔しつつも、鮮血を撒き散らしながらロケットの中から飛び出し、『水渡り』を使って水面に出ることで、トラとの距離を取った。

 なぜそこまでの距離を取ったかというと、致命傷ではないものの、かなりの傷を負ってしまったという自覚があったからだ。


「くそっ! 右手が上がらね~。のままだと出血多量もあるのかな......」


 焦りを感じつつも、自分の傷に視線を向けようとして、そこで驚愕してしまう。


「マジかよ! なんて学習能力なんだ。チーとだろ! それ!」


 そう、トラが水渡りを使ってこちらに向かってきたのだ。

 その速さはスバルに劣らぬものであり、傷を負った現在のスバルでは対応できるかどうかも怪しい。


「グガォーーーー!」


 このチャンスを逃さぬとばかりに、トラはスバルに襲い掛かる。

 スバルは歯を食いしばって痛みを堪えながら、必死にそれを避ける。


「くそっ! 武器が要る。この状況で素手じゃ、絶対にやられる......」


 威勢の良かったスバルはすっかり息をひそめ、今や狩られる側となって水面に荒い波紋を作りながら逃げ回る。


 ――水しかないんじゃ、どうにもならん。ここは一か八かだ。


 何を考えたのか、スバルはロケットに向かって走り出した。

 ところが、トラも透かさずそれを追いながら、強烈な爪を振るってきた。


「ぐはっ! くそっ~~!」


 背後から強烈な一撃を喰らい、背中を切り裂かれたスバルは、一気に速さを削がれてしまう。


 背中の痛みに呻き声を漏らしながらも、スバルは連続攻撃を回避するために、気合を入れて横に飛ぶ。

 しかし、その動きは、トラからすれば児戯にも等しかったのだろう。

 すぐさまスバルの目の前に回り込み、鋭い爪を伸ばした両前足を振り上げた。


「やばい! やられる......」


 振り上げられた前足に戦慄しながらも、心眼ゆえに目を背けることもできず、スバルは両手で頭を庇おうとする。


「あ、アースクエイク......」


 絶体絶命のピンチに本能が働いたのか、ここが水面であることも忘れて、反射的に棘の能力を発動させてしまう。


 ――あっ! 水の上だった......くそっ、終わった......由華......由夢......


 直ぐに自分のミスに気付いたスバルは、よもや最後の瞬間とばかりに自分の女の顔を思い浮かべる。

 ところが、猛烈な勢いで両手を振り下ろそうとしていたトラが、突然、悲鳴とも思える呻き声を上げた。


「ガルルゥ~~~~」


 そう、呻き声を漏らすトラは、両手を上げた状態で、物の見事に串刺しとなっていたのだ。


「えっ!? 水でもイケるのか!?」


 アースクエイクならぬ、アイスクエイクを喰らって串刺しとなっているトラを見て、スバルは驚きながらも今更ながらに水でも錬金できることを知る。


「な~んだ! そうだったのか! だったら、こんなに苦労する必要なかったじゃん。凍れよ!」


 呆気に取られつつも、スバルは水面を蹴る。

 すると、メキメキという氷結の音を轟かせながら、立ちどころに水面が凍っていく。

 その様は、まるで氷が張り詰めた真冬の湖のようだった。

 それを満足げに眺めながら、串刺しとなっているトラに視線を向けたスバルは、先程までの悲痛な表情を消し去り、ニヒルな笑顔を浮かべる。


「悪いなトラちゃん。形勢逆転だ!」


「ガルルルゥ」


 一転して絶体絶命のピンチとなったことを悟ったのか、トラが悲痛な呻き声を上げる。

 しかし、深手の傷を負わされたスバルは、可哀想だとは思わなかったようだ。


「ああ、動物愛護協会に怒られるだろうな~! だが、逝ってくれ! アイスクエイク!」


 犬歯を剥き出しにし、眦を吊り上げたスバルは容赦なく氷面を蹴る。


「ガルゥーーーーーーーーー!」


 その途端、人間の三倍はあろうかというトラの巨体が、悲鳴を残し、一瞬にして氷の棘で見えなくなってしまう。


「さて、次はこの建物だな......」


 傷を追った腹いせか、トラを始末したスバルは、この建物の破壊を考え始めたのだった。

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