第58話 小腹が空いた?


 その光景は、スバルにとって桃源郷、もとい理想郷に限りなく近かっただろう。

 下着さえ身に付けていれば、きっと百点満点、いや、二百点倍点を付けたに違いない。

 白いブラジャーがズタズタにされ、零れんばかりの大きな果実が露になり、下半身も片足に僅かな布切れが残っているだけだ。


 ――すっげ~! 由華、お前はやられていても最高なんだな。


 助けに向かった筈のスバルなのだが、思わずその光景を見入っている。


 ところが、それをとても面白くないと感じている者も居た。

 吊るされている由華は勿論のことだが、彼女とは打って変わってメリハリの無いナナこと菜々子だ。


 ――なにダーリンの目を独り占めしているのですかね。このデカプリン!


 嫉妬に狂う十八歳の乳なし娘が、怨念とも言えそうなドス黒い感情を心中で蠢かしていた。


「由華! 硬化なのですね」


 今まさに、蠢くつたに凌辱されそうな由華へ向けて、ナナが助言する。


「あっ、そうか!」


 その途端だった。吊るされていた由華の身体がゆっくりと降ろされた。

 きっと、降ろされたのではなく、硬化を発動させた由華の重さに耐えきれなくなって垂れ下がったのだろう。


 ――ふんっ! 本人より、その二つの乳が早く垂れ下がればいいのにですね。


 スバルが聞けば、嘆き悲しむような台詞を心中で吐き捨てながら、ナナは次の手を告げる。


「由華、踏み潰すのですね」


「ナナ、冴えてるわね」


 ナナの心情も知らず、名案とばかりに由華はドスドスと蔦を踏み潰す。

 その途端、蔦は力なく潰れ、スバルは力なく項垂れた。


 ――美しくないぞ! 由華! いてっ!


 ほぼ全裸に近い恰好で蔦を踏み潰す由華に、心中で苦言を漏らすスバルの尻へ、ナナの回し蹴りが炸裂する。


「いい加減にするのですね」


「わ、分かった! 分かったから。蹴るなって!」


「これでも恐ろしく手加減してるのですね。それとも尾てい骨を骨折したいのですかね」


「わ、悪かった! 俺が悪かったから!」


 怒りマックスであるナナの表情を見て、スバルは震えあがるのだが、視線を由華に向けると、既に形勢は逆転していた。


「私の大切な下着を......許さないわ」


 ここ最近、下着が定着しない由華は、怒りの声を吐き出しながら、蔦を踏みつけ、引き千切り、振り回し、叩きつけていた。

 その有様を例えるなら、戦闘というよりも怪獣映画に近いと言えるだろう。


 ――由華、かなり残念だぞ......


 口から火を吐き出さんばかりの勢いで戦う由華を見て、スバルの心と下半身は萎えていく。しかし、それと反比例してナナの心は満たされていく。


 ――由華、その調子なのですね。もっとダーリンの眼に酷い有様を焼き付けるのですね。


 悪魔と言わんばかりの形相で、必死に人の悪い笑みを押し殺すナナは、まさに小悪魔というに相応しいだろう。


 ただ、未だ彼女の策略に気付かないスバルと由華は、必死に蔦を駆逐していくのだった。







 深夜の繁華街は賑やかであるものの、そこから少し離れてしまえば、明かりの消えた建物が並ぶばかりの風景だった。

 寒空の下、ホテルで盛り上がっている処を襲撃されたスバル達三人は、最終的に怪獣由華が蔦を絶滅させた挙句、金すら払わずにホテルを飛び出して、暗い街はずれを歩いていた。


「さすがに、この辺りだと民家も少ないし、繁華街を抜けると静かよね」


 新しい下着を身に付けた由華が周囲を見渡す。


「というか、寒いのですね。早く休める場所を探すのですね」


 ナナは冷たくなった手を擦り合わせながらスバルに身を寄せる。


「どこで休むかな~。追手はきてるのか?」


「分からないのですね。恐らく閉心術の訓練を積んでいるのですね」


 ――なに! 閉心術だと!? それを習得すれば、俺も思考を読まれなくて済むのか?


 ナナからの返事を聞き、スバルは思わず閃いたのだが、直ぐにダメ出しを食らう。


「ダーリン、その顔は良からぬことを考えているみたいですが、もう、普段は読むのを止めたのですね」


 ――そうだった......だったら、閉心術なんていらね~。


 ナナが戦闘時以外の思考を読まないことにしたのを思い出し、無駄な努力だと考える。


「それよりも、どうする? このままだと敵に遣られる前に凍え死そうよ」


「なんか、お腹も空いてきたのですね」


 いかにも寒そうにする由華がスバルに身を寄せると、ナナは物理的に割り込みながら空腹を訴える。


「ナナ、反対側が空いてるじゃない! 私とスバルの間に入らないでよ」


「ダーリン、あそこにラーメン屋さんがあるのですね。きっと、温まるのですね」


「そうだな。俺も腹が減ってきたし、飯でも食うか」


 まなじりを吊り上げた由華が両手を握りしめて抗議するが、ナナはそれを無視してラーメンを所望する。

 すると、スバルも空腹を感じていたのか、ナナの要望に賛成するが、それを見ていた由華が頬を膨らませた。


「もう! スバルってナナに甘いわよね」


「由華は食べないのですか? それならずっとそこで見張りをしているのですね」


「な、なによ! た、食べるわよ!」


「ほら、喧嘩なんてすんなよ! みんなでラーメン食うぞ」


 不平を述べる由華に、ナナが半眼で意地悪をする。しかし、結局は、スバルが今にも暴れ出しそうな由華を宥め、彼女の手を取ってラーメン屋に入ることになった。


 店の中に入ると、それはスバルが知るありきたりのラーメン屋と呼べる風景であり、なぜか彼等に落ち着く雰囲気を与えた。


「へぃ、いらっしゃい!」


「いらっしゃいませ。三人ですか、空いてる席にどうぞ」


 店主と思われる男がスバル達三人に声を掛けてくると、直ぐに現れた感じの良い女性店員が、席は何処でも良いと告げてきた。

 スバル達はそれを聞き、一番奥にあった四人掛けの席に座る。


「美味しそうな匂い。ん~、やっぱりモヤシラーメンかな」


「チャーシューメンが良いのですね」


「おお、餃子も美味そうだ。よし、俺はラーメンセットかな。ああ、ラーメンは大盛りね」


 腰を下ろすや否や、由華が己の好みを主張し、ナナとスバルも自分の注文を済ませた。

 気分が落ち着いたのか、スバルはチラリと周囲を見ましたあと、由華とナナに向き直して囁く。


「ところで、あの敵は何だったんだ? 直ぐに引いて行ったんだが......」


 どうやら、敵の存在が気になっていたようだ。そんなスバルに、ナナも小声で告げてきた。


「あれは、恐らく飼育係と呼ばれている黒影なのですね」


「ああ、噂は聞いたことがあるわ。植物を操る異能の持ち主でしょ?」


 ナナの言葉に頷く由華を他所に、スバルは顔を顰めた。


「そうすると、あの敵も召喚者なのか?」


「恐らく、そうだと思うのですね。ただ、噂ではかなり厄介な敵だと聞いているのですね」


「まさか......」


 スバルとナナのやり取りを聞いていた由華は、にこやかにしていた表情を強張らせて声を漏らした。


「どうしたんだ?」


「ん? なにがまさかなのですか?」


 渋面を作る由華を見て、スバルとナナが首を傾げるが、彼女は直ぐに自分の考えを口にした。いや、スバルに問い質した。


「まさか、あれも助けるって言わないわよね?」


「ああ、なるほどなのですね。召喚者だから、ダーリンが助けると思ったのですね」


 由華とナナは何かを勘違いしてるようだった。というのも、スバルとはそんなに心優しい男ではないのだ。


「何言ってるんだ。若菜はクラスメイトだったし特別だ。それ以外は向かってくるなら、誰でも倒すぞ?」


 それを聞いた由華とナナはホッとした表情となり、そこにラーメンが登場した。


「お待ちどうさま。モヤシラーメンとチャーシューメン。ラーメンセット、ラーメン大盛ですね」


「おお、きたきた!」


「うはっ! おいしそう~~~」


「うきゃ! チャーシューがたっぷりなのですね」


 女性店員がラーメンをテーブルに並べると、スバルは涎を垂らし、由華は瞳を輝かせ、ナナは手を叩いて喜んだ。

 ところが、そこで禁句が発動してしまう。


「お父さんとお母さんに似て、可愛い娘さんですね。お子様用の取り皿とホークを用意しましょうか?」


 どうやら、店員はスバルと由華が夫婦であり、ナナがその娘だと勘違いしたようだ。


「お父さんは無いよな? この場合、お兄ちゃんだろ?」


「お、お母さん......えへっ。ふへへへへへ」


 女性店員の言葉に、スバルは頬を掻きながら勘違いも度が過ぎていると口にし。由華は、なぜかポ~ッとした表情でトリップしていた。

 ただ、由華の隣に座るナナに関しては、その程度で済むはずがない。彼女はこの女許すまじという表情で唸り始めた。


「ぐぬぬぬぬぬ! お子様用......由華が嫁? 最低なのですね。この女は東京湾に沈めるのですね」


 次の瞬間、ナナがラーメンの乗ったテーブルの端を掴む。

 スバルはそれを見て直ぐに気付いた。そう、自分のラーメンがピンチだと。そして、瞬時にテーブルを抑え込む。


「止めろ! ナナ! 星一徹スペシャルは、食い終わってからにしてくれ」


 今まさにテーブルをひっくり返さんとするナナに、スバルは悲痛な叫び声を上げるのだった。

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