第60話 芋虫は動き出す?
味気ないテーブルと質素な椅子が並べらた広間。
それは最近では珍しくなりつつある社員食堂だった。
時間は十三時を回り、既に人影は殆どなく、だだっ広い室内には、整然と机と椅子が並んでいるのだが、どこか乱雑に見えなくもない。
恐らくは、空腹が満たされるに連れて、精神や肉体が気怠さに征服されてしまった結末だろう。
そんな閑散とした社員食堂に、一風変わった一人の少女が座っていた。室内だというのにローブを纏い、顔が隠れるほど深くフードを被ってる。他の者からすれば、どこか近寄りがたいオーラを発しているようにも感じられるだろう。
実際、その少女に近づく者は居なかった。いや、誰もが見て見ぬ振りをする中で、チマチマとカレーライスを食べるローブ姿の少女に近づく者達が居た。
「凶悪犯罪者を取り逃がしたらしいな」
「黒影ナンバーズツーともあろう者が恥ずかしくないのかニャ」
――いい歳こいて『ニャ』なんて言っている人に比べれば、全然恥ずかしくないニャ~よ!
唐突に声を掛けられたはずなのだが、ローブの少女は驚くことなく心中で黒影ナンバーズシックスの
それでも、ローブの少女はカレーライスと食べる手を止めることは無かった。ただ、それが黒影ナンバーズファイブの
「ちっ! シカトかよ!」
「使い手まで植物になったんじゃないかニャ? まさに植物人間ニャ! ニャハハハハ」
眉間に深い皺を刻んだ緑が舌打ちすると、隣で両手を腰に当てた椿が辛辣な言葉を吐き捨てる。
――何が面白いのかしら? 全く以てセンスがないわよね......というか、面倒な奴等に見つかっちゃったわ~。この二人はウザいのよね......
飼育係と呼ばれ、周囲から恐れられている
その時だった。カレー皿の近くに置いてあったコップの水が小さな音を立てた。
次の瞬間、楓のローブから目にも留まらぬ速さで這い出た
「ちょ! 何するニャ! この葉っぱ女!」
コップの水を頭からぶっかけられた椿は、罵声を吐き散らしながら透かさず距離を取ると、緑も慌てて戦いの構えを執った。
しかし、楓は何食わぬ顔でカレーを頬張りながら告げる。
「死にたいならそう言えばいいのに。いつでも殺してあげるわよ?」
表情を変えずにカレーを咀嚼する楓だったが、その眼光は間違いなく臨戦態勢だと告げていた。
「この! やるのか? オレは構わないぜ――ぐあっ!」
楓の眼つきに気付いた緑が虚勢を張る。しかし、手を振り上げた次の瞬間、何かに足を取られたように、仰向け状態でぶっこけた。
「ちっ! この葉っぱ! 死ねニャーーぎゃふ!」
緑が倒されたのを見て、椿は慌てて自分の水筒の蓋を開けようとするが、そんな時間を与えてくれるはずもなく、緑と同様に引き吊り倒された。
「ああ、ネタは割れてるわよ。あなたが操作できる液体は限られてるのよね? コップに入れた薬で何をするつもりだったの? まさか私を攻撃するつもりだったとか? ああ、飲んだ後に破裂させるつもりだったのかしら?」
後頭部を強かに打ち付け、呻き声を漏らしている緑と椿に、楓はニヤニヤとしながら椿の使う『水龍』について暴露していく。
「つ~、ううう......な、なんで......」
楓の謎解きを聞いて、両手で頭を抱えた椿が顔を青くさせた。
恐らく椿の能力は、楓が暴露した通りなのだろう。
ただ、楓にとって椿の驚愕は興味の対象外だったのか、空となったカレー皿にスプーンを音を立てて放り込むと、椅子から立ち上がって
「報告したければ、そうしても構わないわよ。先に仕掛けたのはあなた達だし......まあ、監視カメラで覗いていると思うけどね。ああ、後ろから狙おうなんて思わない方がいいわよ。まだ、頭と身体を分かちたくないわよね?」
その言葉と同時に、シュルルという音が鳴り響き、緑と椿の首に蔦が巻き付いた。
「ん? ああ、どうも、先に首の骨が折れて死にそうだって!」
まるで蔦からの言葉が届いたかのように、楓が振り返って告げると、緑は怒りの形相を浮かべて拳を握り、椿は口ほどにもなく床を濡らしていた。
それを見て満足したのか、楓は再び踵を返すと、何食わぬ顔で食堂を後にした。
「私は、あなた達とは違うのよ。精々、派手に踊って欲しいものだわ」
誰一人として姿の無い殺風景な廊下を歩きつつ、楓はその薄い唇を吊り上げると、独り呟きながらほくそ笑んだのだった。
暑苦しい。異様に暑苦しい。絶対に近くによるな。とにかく近寄るな。死んでも近くに寄るな。それがスバルの感想だった。
「凄い工場ね」
「フフフッ、ここが装甲車の本来の置き場所なのですね」
「いやいや、凄い工場つ~か、凄くヤバイ連中の間違いだろ?」
由華の驚きに、ナナはゴロゴロさせていた身体を起こすと、薄っぺらい胸を張って自慢げにするが、スバルは絨毯の上でゴロゴロしたままツッコミを入れた。
「まあ~、ロリコンマッスルだし、スバルがドン引きするのも解かるわ」
「だ~れが、ロリなのですかね? ねえ、マンホールさん」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ~~~、誰がマンホールよ! 誰が!」
由華が、転がったまま身震いしているスバルに同意すると、禁句に反応したナナが、こめかみをピクピクさせながら罵声を吐き出した。
ナナが例えに出したマンホールとは、勿論、使い過ぎてガバガバになっているという意味だ。しかし、それを容認できない由華が、スバル同様にゴロゴロさせていた身体を起こして反論し始める。
「おいおい、喧嘩すんなよ! それよりも、由華、腹が減った~!」
由華とナナが唸り声を上げて睨み合っているのだが、スバルはゴロゴロしたまま身体を起こすことなく、空腹を訴えた。
「あう......キッチンと料理具はあるんだけど、材料がないわ。ああ、丼鍋もないわ......あれが無いと......」
――くっ、やっぱり
由華の嘆きを聞いて、スバルは鍋の話題から由夢救出まで辿り着いた。その発想と
さて、いつもの如く、女と餌を食べることしか考えていないスバルはというと、現在は新木場町にある巨大な工場の居住空間で、真昼間だというのにゴロゴロしていた。
その経緯は、説明すると長くなるが、至ってシンプルな内容だ。
掻い摘んで説明すると、帝都に装甲車で向かうことにしたスバル達は、由華達が通っていた帝都大学付属中学の体育館地下に戻ったのだ。そして、点検のためにナナが呼んだロリコンマッスル達と遭遇し、ドン引きした。
それでも、彼等が点検することで事が済むのならと、なるべく近寄らないようにしていた。
ところが、ロリコンマッスル達はスバル達の目的を聞くと、改造の必要があると言い出したのだ。
そんな訳で、彼等の専用工場へと装甲車もろともやってきたが、スバル達には何もできることが無く、工場内に造られた居住施設でゴロゴロとしているのだった。
「まあ、改造にはかなり時間が掛かるみたいだから、買い物に行けばいいのですね」
「おいおい、外に出たら、また見つかるんじゃないのか?」
簡単に言うナナに、スバルは慌ててツッコミを入れる。勿論、転がったままだ。
しかし、そんな芋虫みたいなスバルに、ナナはニヤリとした表情を向けると、どこからか怪しい袋を出してきた。そして、徐に中から何やら取り出す。
「ジャ~~~~ン! 変身眼鏡~~~!」
――ダメだこりゃ......
スバルはナナが取り出したアイテムを目にして、まるで屍のように転がった。
なぜなら、それは、誰もが欲しくなる? 個性派グッズで有名な鼻眼鏡だったからだ。
勿論、個性があれば目立つのは当然だと言えよう。
「ちょ、だ、ダーリン、その態度は何なのですかね」
「......」
スバルの態度を見て、ナナは腹立たし気に鼻息を荒くする。
それでも、スバルが唯の屍を演じていると、溜息を吐いた由華が、自慢げにアイテムを掲げているナナにツッコミを入れた。
「そんなの見つけてくださいって言ってるようなものじゃない! それなら、変装なんてせずに出歩いた方がまだマシよ」
「そんなことは無いのですね。新橋町ではミケとこれで偽装したのですね」
絶対の自信を持っているのか、由華に突っ込まれても、揺るぎなくアイテムを掲げるナナだったが、そこで屍が蘇ったかの如く口を動かした。
「確か~、お前とミケ、追いかけられてたよな? なんでだ?」
「キャイン! そ、それは......ですね......」
屍から復活したスバルに突っ込まれて、ナナは鳴きを入れた。
しかし、スバルは容赦なく攻め立てる。
「ミケの話では、俺達が崩壊させた帝国デパートの現場で職質されたんだろ? それって、そのアイテムの所為じゃないのか?」
「ギャフ」
揺るぎない自信は何処に行ったのか、ナナは一気に項垂れたかと思うと、絨毯のシミと化したのだった。
結局、床にこびり付いたガムの如く、ぐっちゃりと絨毯に同化したナナを、スバルと由華は宥め
勿論、鼻眼鏡なんて装着していない。しかし、そのままだと拙いということになり、スバルはサングラス、由華はウイッグ、ナナは唯の眼鏡で素顔を隠すことにした。
「やっぱり外の方がいいわね。あそこにいると身も心も腐りそうだわ。まあ、地下街よりはマシだけど......」
「何を言ってるのですかね。由華は腐った部屋を見たことがないから、そんなことを言えるのですね」
「昨日も思ったんだけど、腐った部屋って何なんだ?」
清々しい青空を見上げた由華が己の心境を口にすると、ナナが透かさず首を横に振った。
そんなナナの台詞が、昨日から気になっていたスバルは、それについて尋ねることにしたようだ。
「そ、それは......い、言えないのですね......」
思わず口にしそうになったナナだったが、レインボーブリッジから東京湾に放り込まれる自分を想像したのだろう。彼女はすぐさま口を噤んだ。
――ん? どうしたんだ? なんか言えない訳でもあるのか?
ブルブルと震えながら押し黙ったナナを見て、スバルは訝しく感じたのだが、そこでけたたましい音が鳴り響いた。
「な、なに!? 敵!?」
「今の音は、あっちの工事現場なのですね」
突然の爆音に、由華が驚きを露にすると、ナナが数百メートル先にある建設中のビルに視線を向けた。
直ぐにその方向を見遣ったスバルは、その距離からして自分達が狙われた訳ではないと考えたようだ。
「どうやら、俺達に関係なさそうだな。ここは知らんぷりしようぜ」
「そうね。今は波風立てたくないものね」
スバルと由華の二人が、見て見ぬ振りを決め込むと、ナナもそれに続く。だが、そこで口にした言葉が不味かったようだ。
「それもそうなのですね。やられているのはハンターメフィストだし、どうなっても構わないのですね」
――ハンターメフィスト? ああ、東京駅に向かう時に出てきたあの五人組か......
ナナの言葉を聞いて、ピンとこなかったスバルだが、直ぐに彼女達のことを思い出した。
「てか、遣られてるのか? あいつら、強そうだったぞ?」
ナナの言葉を思い出し、首を傾げるスバルだったが、なぜか由華は複雑な表情を作っていた。
ただ、ナナはそれに気付くことなく、やられている理由を口にした。
「相手が悪かったのですね。どうやら、黒影が相手みたいなのですね。ちょ、ちょ、ダーリン!」
「あっ! スバルーーー! ダメよ!」
興味がなさそうに告げたナナを他所に、スバルは黒影と聞いた途端、由華の制止も聞かずに走りだしたのだった。
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