第31話 未知との遭遇?


 そこは暗黒の世界だった。

 真っ暗で何も見えない世界。

 ヒンヤリとした空気が肌を撫で、時折、振動が伝わってくる。

 それでもスバルにとってその暗黒の世界は、暗くも無ければ視界を妨げられる世界でもなく、唯の廃墟でしかなかった。


「物の見事に何もないな。てか、それよりも奴等は諦めたのか? 確かに暗視装置か照明でもでもないと、普通は入ってこれないよな」


 暗闇であっても心眼の力でそれなりに周囲を眺めることのできるスバルは、奴等が追ってこないことにホッと息を吐き出した。


 ――それにしても、ほんとに何もないな......


 恐らく、退去するのに十分な時間があったのだろう。

 そこには、全く商品のない店舗が並んでいた。

 その様子からして、電気、水道、ガスといったライフラインは止められているだろう。

 そんな無人の商店街を由華を抱きかかえるスバルは周囲に視線を巡らせながら闊歩していた。


 ――くせ~......


 地上の排水が染み出ているのか、地下街には悪臭が漂う。

 更には人が管理しないことで、その臭いは最悪の状態になっていると言えた。


 ――あ、あそこがいいかな。


 それでもその臭いを堪えながら、スバルはある店に視線を向けた。


「よしよし、予想通りだ」


 鍵の掛かっていない店舗に入ると、あまりクッションの効いてなさそうな長椅子に由華を横たえる。


 どうみてもファミレスぽいよな。でも、こうなると悲惨だな。これじゃ蜘蛛のために用意された世界だ。


 スバルは頭や体に纏わりつく蜘蛛の糸に顔をしかめながら呟く。


 ――てか、そうだった。由華は生きてるのか?


 面倒そうに蜘蛛の糸を払っていたスバルだが、思い出したように由華の容態を気にし始める。


 ――こういう時は心臓の動きを確かめるんだよな?


 違います。脈を取るのです。


 やや鼻の下を伸ばしたスバルが、横たわっても張りのある由華の胸の上に手を乗せる。


「ん~よくわからん」


 いやいや、分らないのは君の頭だ。と言うべきなのであろうが、それを口にしても届く訳も無い。それ故に、スバルは耳を彼女の胸に当てる。


「ふむ。動いてはいるよだな。てか、なんて張りのある乳だ。この弾力が堪らんぜ」


 由華の容態を確かめているのか、それとも胸の状態を確かめているのか、かなり怪しい状況だが、少なからず心臓の鼓動を確認したスバルは、自分の上着を脱いで彼女に掛けると周囲を見渡した。


「うっ、さむっ! 水が欲しいけど......ある訳ないよな」


 身を震わせながらも調理場へと脚を進めたスバルは、そこに残されていた調理具の中から包丁を見つけた。


「おお! これは武器になるな」


 いや、それは調理具であって、間違っても武器ではないし、人を刺すものではないはずだ。しかし、スバルは嬉々としてそれを手に取ると、水道の蛇口をひねる。

 勿論、勢いよく水が噴き出す訳もなく、カラカラと蛇口が回るだけだった。


「やっぱり駄目だな。こっちには何かあるかな?」


 スバルは目に留まった業務用冷蔵庫らしき扉を開ける。

 すると、そこには拳銃と弾丸があった。

 なんて、アドベンチャゲームのような出来事が起るはずもなく、そこにあるのは冷蔵庫にこびりついた悪臭だけだった。


「くせっ!」


 その臭いに顔を顰めたスバルは勢いよく扉を閉める。

 すると、そこで人の声が聞こえてきた。


「ここは何処? 真っ暗なんだけど......」


 ――どうやら、由華が目を覚ましたようだな。


 その声で敵襲ではないと察したスバルは、包丁という収穫を手に由華の下へと戻る。しかし、調理場を出た瞬間、煌々こうこうとした光を浴びせ掛けられる。


「な、なんだ!?」


「スバル? スバルなの? というか、あんた、私をこんな真っ暗なところへ連れ込んで何をするつもりだったの!?」


 光を当てられて驚くスバルに、由華は命の恩人に失礼な言葉を浴びせ掛けてきた。


 さすがのスバルもその発言に憤りを感じたのか、キツイ口調で罵り声を吐き捨てた。


「なんだと! 簡単にやられやがって、俺が助けなかったら今頃は死んでたんだぞ!? それが命の恩人に対する言葉か!」


「えっ!? 助けて、って......命の恩人......ほんとに?」


 由華は慌てた様子で状況を思い出しながら尋ねてくるのだが、スバルは容赦なく罵声を浴びせ掛ける。


「ああ、お前は襲撃者のエア弾で今まで気絶してたんだぞ。そんなお前を連れて逃げ回ったてのに......言うに事欠いて連れ込んで何をするつもりだっただと!?」


 確かに心臓の動きを確かめる序に乳を三回ほど揉んだスバルだったが、この謂われようはあんまりだと言えるだろう。


「あ、あぅ......ご、ごめん......ごめんなさい」


 ――おっ、素直に謝ってきたぞ? こうやってしおらしくしていると、何気に可愛いな......それと、乳を揉んだことは言わないでおこう。いや、もう少し揉んでおけば良かったかな......


 自分の非を認めた由華が素直に謝ってくると、スバルはなぜかムラムラとするものを感じていた。

 これでは由華に痴漢まがいの言葉を投げかけられても仕方ないだろう。


「もういいよ。それよりも、この地下街ってなんで閉鎖されてるんだ?」


「えっ!? ここって、地下街なの?」


 素直に謝ってきた由華を簡単に許したスバルは、抑々の疑問を口にしたのだが、その言葉を聞いた由華が驚く。


「何を驚いてるんだ?」


 驚く由華を不可解に思ったスバルは、直ぐにその事を尋ねる。


「だ、だって、地下街って入れなくなってたはずだけど......それに、ミケとナナは?」


 由華の言葉は、全く以て問いの答えになっていなかったのだが、スバルは気にすることなく現状について説明した。


「――という訳で、あの二人とははぐれてしまったし、襲撃者を撒くためにここに逃げ込んだという訳さ」


「なるほど、確かにここなら追手も来ないわよね」


「だから、なんでここは廃墟なんだ?」


 説明に答えてきた由華の言葉で、スバルは疑問を振り出しに戻した。

 すると、由華がその理由を口にする。


「私も良く知らないんだけど、地下街に悪性のガスが発生したとかなんとか」


 その言葉にスバルは、周囲を見渡しながら鼻を利かせようとする。

 しかし、心眼はあっても嗅覚が向上した訳ではなく、悪性ガスの有無を判断できず、結果的には悪臭をふんだんに吸い込むだけだった。


「ぐあっ! ケホケホッ!」


「どうやら、悪臭はあっても悪性は無さそうね......」


 スバルの様子を見た由華が安堵の声を漏らす。


 ――いや、この臭いこそ悪性だろ!?


 心中で悪態を吐きながら、スバルは思い出したように彼女自身の状態を尋ねる。


「それで、怪我とか後遺症とかは無いのか? 思いっきり気絶してたが。真面に食らったんだろ?」


「あ、あぅ......そ、そうなんだけど、一応、身体は丈夫なのよね......それに、油断せずに『鉄壁』を使っていれば......」


 彼女の言葉を聞いたスバルは、大丈夫そうだと一息つくと耳慣れない言葉について尋ねた。


「『鉄壁』ってなんだ?」


「ああ、私の発展型の能力で、身体を硬化することができるの」


 ――うはっ、それは美味しくない力だな......無理矢理に襲っても鉄壁であの柔らかな乳が銅像のようになるのか......最悪の能力だ!


 よこしまな発想しか持たないスバルは、由華の説明を聞いて嫌そうな表情を作る。しかし、由華はそれに気付くことなく話を続けてきた。


「これからどうするの?」


「さて、どうしたもんかな。実際、悪性のガスは出ていなさそうだし、奴等がいつ踏み込ん来るとも限らない。それに、ナナやミケとも合流したいし......由華、お前の携帯でミケかナナと連絡を取れないのか?」


 スバルの言葉で携帯端末を確認する由華だったが、直ぐに首を横に振った。


「駄目ね。圏外だわ。恐らく閉鎖した時にアンテナを外したんでしょ。というか、ここまで面が割れたら、携帯は使えないと思うわ」


 確かに彼女の言う通りだろう。

 この状態で携帯が使えたとしても、逆に盗聴されてると考えた方が良いだろう。


「そうか......そうすると、選べる案は減るな」


「何かの案があるの?」


 由華の言葉を聞いたスバルが溜息混じりに告げると、彼女は透かさず問い掛けてくる。

 それに対して、スバルは自分の考えを口にした。


「一つ目は、入ってきた場所へ戻って街に出る。これは敵と遭遇する可能性がある。二つ目は、別の出口を探す。これは敵と遭遇する可能性は低くなるが、もし悪性ガスの話が本当なら拙い事になる。三つめはここで待ち続ける。これはナナ達と合流できる可能性が一番低く、更に敵が装備を整えて襲ってくる可能性がある。それに、食べ物も無ければ水も無いし、トイレも風呂も水なしだ。だから三つ目はないな」


「そうね。三番目の案は無いわね......てか、トイレなんて言うから行きたくなってきたじゃない!」


 スバルがこれからの方針について述べたのだが、その話を聞いていた由華は、どうやら尿意を催したようだ。


「トイレならあるぞ! 勿論、水は流れないが。因みにあそこだ!」


 モジモジとし始めた由華に、調理場の近くにトイレがあったことを思い出したスバルが、その所在を指さす。

 ところが、なぜか由華はその場から動かなかった。


 それを訝しく思ったスバルが彼女に視線を向ける。

 すると、彼女はいつの間にかしっかりとスバルのシャツを握っていた。


「どうしたんだ?」


「す、スバルは真っ暗でも見えるのよね?」


「ああ、今もお前がモジモジしている様がありありと見えるぞ?」


「ば、馬鹿! それは見ても見ぬ振りをするものよ! それぐらいの気遣いはしてよね!」


 ――そうなんだ......確かに、何でもかんでもあからさまに言われるのも辛いよな......ああ、空気を読めってことか......


「す、すまん。今度からは気を付ける」


 確かにその通りだと感じたスバルが素直に謝ると、彼女はおずおずと口を開いた。


「い、いつ敵がくるか分からないから、近くで見張っていて欲しいんだけど......あっ、別に暗くて怖いって訳じゃないのよ」


 ――ああ、暗くて怖いのか......さすがにそのツンデレ風の台詞だと直ぐに分かるぞ。だって、殆どテンプレだよな?


 ナナが居ないのを良い事に、スバルは由華の様子をツンデレに当て嵌める。ただ、彼女はそれどころでは無さそうであり、かなりモジモジの頻度が増してきた。


「わかった。わかった。じゃ~、いくぞ」


「う、うん」


 スバルが頷きながら返事をすると、由華は素直についてきた。

 勿論、スバルの服を固く握った手はそのままだ。



 そうしてトイレに遣ってきたのだが――


「スバル! 居るわよね......」


「ああ、居るぞ!」


「ナナが居ないからって覗かないでよ」


「ああ、分ってる」


 ――てか、扉は開けっ放しだし、俺はそのすぐ目の前に居るし......覗く覗かない以前の話だよな? というか、恥ずかしくないのか? いや、それよりも恐ろしさが勝ってるのか......


 扉の開かれたトイレの真ん前で仁王立ちするスバルは、由華のビビりように呆れていた。


「スバル!?」


「......」


「スバル、居るの?」


「......」


「ちょっ、ちょっ、スバル~~~!」


「あ~居る居る。居るって!」


「だったら返事くらいしなさいよ! 馬鹿! あ、あと、耳も塞ぐのよ!」


 ――ちぇっ、めんどくせ~! それに、またバカ呼ばわりだよ......というか、洋式トイレなんて覗いても楽しくないからさっさと済ませろよ。


 チロチロと音が聞こえてくる中、スバルは現在の状況を詰まらなく思い、視線を入り口方向へと向けた。


「お、おい。マジか! あれってネズミか?」


 何気なしに向けた視線の先に在り得ない存在を目の当たりにして、スバルは己の目を疑う。

 なぜなら、そこには大型犬サイズのネズミが居たからだ。


「ど、どうしたの? 何があったの?」


 スバルの声に気付いた由華が驚きを隠せない声で尋ねてくるが、彼は包丁を右手に硬く握りしめつつ彼女に告げた。


「か、可愛い来客だ。由華、直ぐにパンツを穿け!」


「えっ、えっ、えっ!? なに、何があったの? と、というか、ま、まだ終わってないのよ......」


 慌てる由華は、恥ずかしそうに最中だと告げてくるが、スバルは容赦なく声を荒げる。


「ちっ、さっさと終わらせろ! そうしないと、パンツを下ろしたまま死ぬことになるかもしれんぞ」


「そ、それは嫌! 絶対に嫌!」


 パンツを下ろしたまま屍になる姿を思い浮かべたかどうかは分からないが、スバルの言葉を聞いた由華は、最中であるのにもかかわらず、慌てて立ち上がるとパンツを引き上げた。


 その大惨事はご想像にお任せするが、それはもう撒き散らし放題だとだけ伝えておこう。


「な、なに、あれ! あ、なんな大きなネズミなんて、聞いたことが無いわ。てか、襲ってくるのかな?」


 下半身をぐっしょりと濡らしながらもトイレから出てきた由華は、腕時計に仕込んであるライトでネズミを見つけると、直ぐにそれの行動についてスバルに尋ねた。


「あれが襲ってこなかったら、お前の大惨事が無意味になるからな。てか、あの様子からして間違いなく襲ってくるだろうな」


 スバルが由華の様子を揶揄やゆすると、彼女は下半身だけでなく口からも漏らすのだった。


「馬鹿スバル! それは見て見ぬ振りをするよの! てか、責任を取りなさいよ!」


 その言葉に、スバルは「パンツくらい何枚でも盗んできてやるさ」と思うのだった。

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