第32話 ペットにはデカい?


 スバルが肥満と言うには余りにも巨大化しているネズミと遭遇している頃、ナナは腐臭漂う光景を目の当たりにしていた。

 勿論、腐臭が目に見える訳ではないのだが、ナナは目の前の存在に恐怖と戦慄を抱いていた。


 ――あれは何なのですか......この世の物とは思えないのですね......


 ミケからくれぐれも他言無用だと言われて連れてこられた場所には、壁一面のBL本が存在していたのだ。


「ナナ、絶対にこの事は漏らすなよナ~」


 ミケはしつこく口止めしてくるのだが、それを受け止めるナナは心中で悪態を吐いていた。


 ――他言無用と言われなくても、こんなこと誰にも言えないのですね。まさか、自分の仲間が腐っていたなんて、絶対に口にできないのですね。


 ナナの胸中で解かるように、スバルにビキニパンツを強要するミケは、実の処、腐っていた。もう一度言おう。ミケは思いっきり腐っていた。

 そう、ミケは隠れ腐女子だったのだ。


 ――それにしても、良くこれだけ集めたものなのですね......ある意味、世の中が腐敗してる証なのですね。この世も、もう終わりかもなのですね......


 ナナはぎっしりと壁一面の本棚に詰まったBL本を見て、世紀末という言葉を思い浮かべていた。しかし、そこで重要なことを思い出したようだ。


「ところで、ここは敵に見つからないのですか?」


「ここはウチの発情期用に用意した部屋で、他人名義にしてあるからバレない筈だナ~」


 ――発情期用......間違ってもダーリンは連れてこれないのですね......というか、発情期にBL本......


 ミケの恐ろしさを改めて認識したナナは、絶対にスバルをここへ連れてこないと心に誓う。


「それはそうと、これからどうするかナ~」


「そういえば、ここに食べ物はあるのですか?」


「ああ、冷凍食品ばかりだが、暫くは食い繋げることはできるナ~」


「じゃ、取り敢えず、飲み物が欲しいのですね。ダーリンが由華をはらませてしまう可能性は否めませんが......まあ、それも回避できない現実でしょうから、焦っても仕方がないのですね。だから、まずは落ち着いてから考えるのですね」


 ナナは由華の存在を警戒している素振りをしていながらも、実は時間の問題だと考えていたようだ。


「あいつらが黒影こくえいだとしたら、スバル達が無事に逃げ延びる可能性は低くないかナ~?」


 ミケは冷蔵庫から新品のミネラルウォーターを取り出すと、ソファを検分するナナへと放った。


 それを受け取ったナナはと言えば、ソファに変なシミが付着していないことを確認していたのだが、怪しいものが検出できなかったことから、安堵してそこへ座ると首を横に振った。


「ダーリンの能力を考えると、何とでも逃げ果せる気がするのですね。仮にやられているとしたら、それはお荷物になっている由華の所為なのですね」


「クククッ、お荷物か......確かにな。それにしても、奴と由華の立場が完全に逆転してるな」


「確かにそうなのですね。由華は散々ダーリンの事をお荷物だと言っていたのですね。本当にお馬鹿なのですね」


 ナナの言葉を聞いたミケが笑い声をあげる。

 ただ、彼女は笑い声を発しつつも、今後の事が気になったようだ。


「それはそうと、如何したものかナ~」


 ミケはそう口にしつつ、テレビの電源を入れた。


 すると、陳腐な商品を過剰に褒め称えるテレビショッピングが映し出され、大袈裟に驚く出演者が、今ならもう一つ付いてくるという訳の分からない販売手法に喜びの声をあげていた。


 ミケはその映像を見て眉を吊り上げながらチャンネルを変えるのだが、ロクな番組が無いようだ。いや、彼女は何か目的があってテレビをつけたのだろうか。


 ――まさか、テレビでBLアニメなんて遣ってないのですよね?


 その様子を見たナナが、身震いする想いで思考するが、どうやらミケの目的はニュースだったようだ。


 ミケはニュース番組でチャンネルを止めると、リモコンをテーブルの上に置いて口を開いた。


「さすがに情報規制されているようだナ~。普通、あれだけの騒ぎが起こったら、何らかのニュースになりそうなものだが......」


「あれから大して時間が経ってないし、報道されるにしてもまだなのでは?」


 ミケの言葉にナナが自分の考えを告げたのだが、彼女は驚いたような顔をしていた。


「ナナはテレビを見ないのかナ~」


「ええ。全く見ませんね。だって、詰まらないですから、見ていても時間の無駄ですね」


「そうか......なら知らなくても当然か。関東圏の出来事なら三十分もあればニュースになるナ~」


「そうなのですか......」


 自分を無知だと言われたようで、年上であるナナは返事の途中で言葉を止めてしまう。

 しかし、ミケはそれを気にすることなく立ち上がると、ナナに告げた。


「取り敢えず、シャワーと着替えだナ~」


 彼女はそう言って、すだれのような衣服を揺らすのだった。







 それはとても可愛らしいとは思えなかった。

 それが手のひらサイズなら、愛らしいと思え、更には飼いたいと思うのであろうが、どう考えても手の上に乗る大きさではない。いや、抱きかかえるにしても一苦労だろう。


「わ、私、昔はハムスターを飼いたかったんだけど......さすがにこれは......」


「俺も犬猫ネズミは嫌いじゃないぞ? 勿論、害を及ぼさなければの話だがな。まあ、このサイズだと猫型ロボットでなくてもネズミが苦手になるわな」


「なに!? その猫型ロボットって」


「ああ、この世界にはないのか? ド〇えもん」


「なに!? その水死体みたいな名前......」


 猛犬注意ならぬ、猛鼠もうそ注意と言いたくなる状況を前にして、スバルと由華は漫才を繰り広げていた。

 ある意味で落ち着いて居ると言えるのかもしれないが、時と場所を選ぶべきだろう。いや、こういう時だからこそ現実逃避したくなるのかもしれない。


 そんな二人だがったが、いつまでも睨み合っている訳にもいかないので、行動を起こすことにしたスバルが由華に尋ねる。


「もう終わったか? 動けるか?」


「う、うん。終わったわよ! 下着も脚もずぶ濡れで、もう最高の気分よ!」


 ここまでくるとさすがに開き直ったのだろう。由華はスバルの言葉に皮肉で返してきた。


 ――そうかそうか。なかなかいい感じだ。


 スバルは由華のその態度に、快いものを感じて頷いていた。


 それは、決して変態的な考えではなく、彼女の開き直りを良い傾向だと考えたのだ。


「さて、黙って通り過ぎるなんて虫がいい話かな?」


「そうね。あの目からすると、久しぶりの食事にありそうだ。なんて思いながらとても喜んでいるって風よ?」


「クククッ! 由華、いいな。そのノリは好きだぞ」


「す、すき、好きって......の、ノリよね? あは、あはは」


 好きという言葉に反応した由華が錯乱するが、それに構うことなくスバルは問い掛けた。


「この暗闇だと、お前は戦えないよな?」


「そうね。この小型ライトで照らしながら戦うのは現実的じゃないわね」


「うむ。だったら、お前は『鉄壁』で身を守ってろ」


「す、スバルが戦うの?」


「俺が戦わなかったら、誰が戦うんだ?」


「そ、そうだけど......鉄壁は、ちょっと......」


 戦えない由華に身を守ることを告げるが、彼女はその言葉に快い返事をしてこなかった。

 それをいぶかしく思うスバルだったが、それを確かめる時間はなさそうだった。

 というのも、まるで舌なめずりしするような仕草をする巨大ネズミが、その巨体からはとても想像できない俊敏な動きで床を蹴ったからだ。


「ちっ! はえ~じゃね~か!」


 スバルは由華を突き飛ばしながら、襲い掛かってくるネズミに慌てて調理場で収穫した包丁を突き付けた。しかし、無情にもその攻撃は空を切る。


「おいおい、今、空中で移動したぞ? どんな業だ?」


 巨大ネズミの動きにおののくスバルだったが、奴はそれを隙と見たのだろう。躊躇ちゅうちょすることなく再び襲い掛かってくる。


「喰らえや!」


 今度こそとばかりに、スバルが包丁を振るう。ところが、今度はその手を蹴られてしまった。


「いって~~~! こいつ、本当にネズミか? 着ぐるみじゃね~のか?」


 床に転がる包丁が暗闇にその音を響かせる中、スバルは直ぐに後退しつつ悪態を吐く。

 それを好機と見たのか、それとも飢えで我慢ができないのか、奴は透かさず襲ってくる。


「ちっ、しゃ~ね~。生き物は溶かしたくなかったんだが......」


 スバルは気が進まないながらも、自分の命を守るべく腕を突き出すと、襲ってきたネズミの頭に手を突いて叫ぶ。


「溶けろ! ぐはっ! な、なんだと!?」


 容赦なく巨大ネズミを溶かすつもりだったスバルは、完全に意表を突かれていた。

 なぜなら、現実はスバルの考えと全く異なっていたからだ。

 というのも、巨大ネズミを溶かす筈だった能力は発動せず、物の見事に突き出した手を噛みつかれてしまったのだ。


「くっ、くそっ! この糞ネズミが!」


 振り払うが全くビクともしない巨大ネズミは、スバルの腕にしがみ付いて歯を立てる。


「ぐおっ!」


「す、スバル!」


 どうやら、スバルの呻き声で異変に気付いたのだろう。由華が焦った様子で声を上げる。


 ――そうか......それなら......


 その声で、スバルはこのネズミを始末する方法を思いついたようだ。


「由華! 奴は俺の腕に噛みついてるからぶっ飛ばせ!」


 スバルは自分の腕に噛みついているネズミの首根っこを左手で押さえると、透かさず由華へと声を上げる。


「わ、分ったわ」


 その声を聞いた由華が慌ててスバルの側にやって来ると、渾身の力では無いにしろ、かなりの力で奴をぶん殴った。

 その威力は桁外れで、ネズミは物凄い勢いで吹っ飛ぶと、物凄い勢いで壁にぶつかって潰れてしまった。


「さすがだぜ。助かったよ、由華。サンクス」


 潰れて動かなくなった巨大ネズミを見ながら、スバルは噛まれて血だらけの右腕を左手で押さえつつも礼を述べる。


「ま、まっかせなさい! って、スバル! 大丈夫なの酷い怪我よ」


「あんまり大丈夫じゃないけど、腕が取れて落ちることはなさそうだな。てか、上着を脱いでいたのが失敗だったな」


「もう! 冗談を言ってる場合じゃないわ。上着は如何したのよ......って、私に掛かってたのか......」


 革のハーフコートを脱いでいた所為で、スバルの腕は酷い有様になっていた。

 それ故に、由華がコートについて言及しようとしたのだが、横渡っていた自分に掛けられていたことを思い出だして口籠る。

 抑々、由華が起きた時点で着ていれば良かったのだが、彼女のトイレ騒動で忘れていたのだ。

 ある意味、この寒さの中で上着を忘れられるスバルの神経が疑われるのだが、それに言及することなく、由華は慌ててハンカチを取り出すと彼の腕に巻き始めた。


 それを見たスバルは気恥ずかしくなってしまい、思わず冗談を口にする。


「それ、ついてないよな?」


「ついてって......バカ! ついてないわよ! それに、ついてたっていいじゃない。逆に消毒になるかもよ? ああ、ハンカチは止めてパンツにする?」


「い、いや、それは止めておこう。そっちは別の機会に脱がすことにするさ」


「もう、バカ! 冗談を言ってる場合じゃないわよ」


「いてっ! もっと、優しくやってくれ」


「贅沢言わないの!」


 まるで恋人のような会話を続ける二人だったが、もう少し知能を働かせた方が良いと言えるだろう。

 というのも、ネズミ子という言葉があるように、一匹のネズミが居るということは、家族親戚を含め膨大な構成となっている可能性が高いのだ。

 その証拠に、由華との遣り取りに照れて視線を外したスバルが凍り付いた。


「ん? どうしたの?」


 急に固まったスバルに気付いて由華が問い掛ける。しかし、スバルはそれに答えることなく、腕の痛みを堪えて由華を抱えた。


「きゃっ! な、な、なに欲情してるのよ! か、勘違いしないでね。私は別にそういうつもりで......」


 突然の事にツンデレを繰り広げる由華だったが、スバルはそれを無視して立ち位置を変える。

 次の瞬間、ガサガサという音に続き、グチャグチャという音が響き渡った。


「な、なに、何の音?」


 その音に視界の利かない由華が声を上げるが、スバルが黙らせる。


「しっ! 大きな声を出すな!」


「う、うん、どうしたの?」


「奴の仲間が来たんだ......いや、仲間と言えるのかな?」


 そう、スバルの視線の先では、潰れたネズミを咀嚼そしゃくする巨大ネズミで、満員電車よろしくごった返していたのだった。

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