第3話 新薬は口に苦し?


 そこは広さ以外になんの取柄もない部屋だった。

 三十畳はあろうかというその部屋には、無機質なグレーの寝台だけがポツンと置かれているだけであり、壁も床もすべてが黒で統一されていた。

 ただ、その黒い壁の一面だけにマジックミラーとなっている黒い強化ガラスがめ込められ、その向こうに観察室が設けられいる。


 そんな部屋の中で、淡々と働く者達の姿があった。

 しかし、その者達は淡々と働けど、黙々と働くつもりはないようだった。


「相変わらず掃除の遣り甲斐がね~な」


 床を適当に拭きつつ一人の男がそう言うと、寝台を拭っていたもう一人の男が口を開いた。


「まあいいんじゃね? この部屋が白かったら掃除が大変だぞ?」


「違いね~。なんせ、血まみれ、反吐まみれ、糞まみれ、三拍子揃った部屋だからな」


 二人目の男がそれに答えると、初めの男がその返答に同意した。


 そう、彼等は長年ここで掃除を担当してる者達であり、この部屋が何に使われ、どんな風になるのかを誰よりもよく知っているのだ。


「なあ、今日の獲物は男かな? それとも女かな? 流石に、女だと少し可哀そうだよな。特に若い女の子が見るも無残な姿になるのは心が痛むぜ」


 床にモップを掛けている男がそう口にすると、寝台を拭いていた手を止めたもう一人がそれに答えた。


「そうだな。若い女はいけね~。痛々し過ぎる。てか、今日は女の子だぞ? それも可愛い筈だ」


 その言葉を不思議に思った男は、モップを動かしていた手を止め、寝台の横に立つもう一人の男に視線を向けて問いかける。


「どうしてそんな事を知ってるんだ?」


 すると、寝台の横に立つ男がサラリと答えた。


「今日は半年に一回の日だ。また異世界から美少女を攫ってくる日なんだよ」


「あっ、もう半年か......まあ、召喚者は成功率が高いから、次回の掃除は楽そうだな」


「言えてるな。あの新薬は召喚者の方が成功率が高いからな。今のところ失敗なんて無いんじゃないか?」


「確か、そうだったと思う。でも、なんで召喚者だと成功率が上がるんだろうな。この世界の者にぶち込んだら、大抵は発狂しちまうか、異形の者になるか......成功率って三割も行ってないだろ?」


「それは......マッド......いけね......の仕業だろ。未だに新薬に手を加えているって噂だ。成功した新薬をそのまま使う気なんてないみたいだしな。ある意味、召喚者に投与する時のための実験みたいなものかもな」


「悪魔の所業だな......」


「ちげ~ね~。って、迂闊うかつな事を言っていると、俺達も実験材料にされちまうぞ」


「うひゃ~。それだけは勘弁だ」



 掃除係の男達は、誰にも聞こえていないと思ってそんな話をしていたのだが、この部屋には耳があるのだ。いや、この部屋自体が耳だといった方が良いかもしれない。




 そんなこの部屋の壁に仕込まれた黒いマジックミラーの向こうで、その掃除係の様子を眺めていた研究員が、彼等に聞こえぬと知りつつ突っ込みを入れる。


「お前らみたいなロートルなんて実験材料にもなんね~んだよ!」


「まあまあ、気持ちは分かりますが、掃除夫に当たっても仕方ないでしょ」


 実験観察室の簡素な椅子に座った研究員が突っ込みを入れると、壁際にずらりと並べられたコンピュータをチェックしていたもう一人の研究員がそれをいさめる。

 しかし、座っている方の気分は収まりがつかないようだった。


「だってよ~、成功したって政府の犬だぜ。失敗して死んだ方がマシかもしれんぞ」


「そこは価値観の相違でしょう。とは言え、私も心が痛みますね......一体、いつまでこんなことを続けるつもりなんでしょうか」


「さあな。マッドドクター苦悶くもんが生きている限り止めね~んじゃね?」


「苦悶ですか......九文博士くもんはかせに聞こえたら拙いですよ」


「構うことた~ね~よ。そんなことで怒る人じゃね~。あの人が怒るのは実験を邪魔された時だけだ」


「確かに......」


 コンピュータのチェックをしていた男がうなずきつつ、座って作業をしている男の隣に腰を下ろすと、己の疑問を口にした。


「ところで、どうして召喚者って若い女の子ばかりなんですかね」


 すると、カタカタとキーボードを打ちながら設備のチェックをしていた男がそれに答えた。


「知らね~よ。巫女に聞いてみな」


 そう、誰を召喚するかは全て巫女にゆだねねられているのだ。

 ただ決まっている事がある。それは、誰が召喚されようと、必ずここへ連れてこられて新薬の餌食えじきになるということだ。


 そのことを思い起こしたのだろうか、設備チェックをしていた男が続けて口を開いた。


「てか、巫女も巫女だぜ。召喚なんて止めちまえばいいんだ。おっと、来たぞ」


 どうやら、話している途中に誰かが来たようだ。


 それをモニタで確認した彼等は、即座に立ち上がってドアが開かれるのを待つ。

 しかし、いつまで経っても誰も入って来ないことに首を傾げていると、会話と共にそのドアが開かれた。


「お願いしますよ。実験用の新薬とか勘弁ですからね」


 黒いスーツを着た男が必死に何かを頼み込んでいるようだ。

 ところが、白衣に身を包んだせ型の男は、その男を軽くあしらう。


「分かっとる。分かっとる。うるさい奴じゃのう。邪魔だ。早く戻れ」


「ですが、失敗したら、総理になんて言われるか......」


 黒服の男は必死に食い下がるが、白衣の男は怒りの表情を作って言い放った。


「分かったと言っておるじゃろうに。しつこい! さっさと持ち場に戻るのじゃ、さもなくば総理へお前を実験材料にと進言するのじゃ!」


「あ、あう。分かりました......」


 結局、白衣の男の剣幕に恐れをなした黒服は、己が命のしさを噛みしめながらスゴスゴと部屋を出て行った。


 それを見ていた研究員の一人が口を開く。


「お疲れ様です。九文博士。今のは?」


「ああ、ご苦労。あ奴は実験用の新薬じゃなく、実績ありの薬を使えと言ってきたのじゃ。何にも分かっておらん奴なんじゃ。折角の召喚者じゃ、最新の薬を使わずしてなんとする」


 先程の言葉とは相反する台詞だったが、研究員たちは顔色を変えないように取りつくろう。

 何故なら、ここで顔色を変えることは、九文の意思に反する行為となり、それが明るみになれば、己の身が実験材料となる事を理解しているからだ。

 故に、研究員は当たり前だと言わんばかりに、その言葉に乗り掛かる。


「分かりました。では、最新版を用意します。ただ、帳面上は実績のある新薬で記録しておきます」


 九文の顔色を気にして、研究員がそう口にすると、九文はその顔色を一気に楽しそうなものに変えた。


「おお、分かっておるではないか。流石は吾輩の研究所に所属しているだけはある。あ~、君の名前は何だったかな」


「御堂岡、御堂岡みどおかです」


 機嫌の良くなった九文に尋ねられ、もう何度目かになるか分からない己の名を口にする。

 それでも、決して嫌な顔は出来ない。もし、そんな表情をしようものなら、次の瞬間にはそれが死相へと変わることを知っているからだ。


「うむ。御堂岡君、じゃ、準備を頼む」


 九文はマジックミラーの向こう側、黒い部屋に一人の若者が連れ込まれて、その部屋にポツンと置かれた寝台に固定されているのを見遣りながら、御堂岡研究員に投与する薬の準備を頼んだのだった。







 そこには新鮮な空気が満たされていた。

 いや、そんな筈はない。昴が寝かされている黒い部屋以外はどこも同じ空気のはずだ。

 それくらいの換気はされているのだから、もしそう思うのならそれは目の前に九文が居ないお陰だろう。


 そんなことを考えつつ、御堂岡は実験観察室から研究室に繋がる廊下を歩いていた。


「ちっ、名前を答えたのは、これで十回目だぞ。いい加減に憶えやがれ!」


 九文の前では言えない愚痴を零すが、名前が憶えられたからといって給料が上がる訳でもない事を考えて、それ以上の悪態を控えた。


 ――でも、やっぱりむかつくぜ。いつか目に物を見せてやりたい......


 愚痴を零すのを止めた御堂岡は、行き場のない不満に悶々もんもんとしながら研究室に入ると、黙々と働いていた数人の研究員が視線を向けてきた。


「お疲れ! お疲れ!」


 そんな研究員仲間に御堂岡が軽く声を掛けると、一人の女性研究員がそれに答えてきた。


「あら、どうしたの? って、聞く方も変か......来ちゃったんだね。新しい召喚者......どんな子だった? 可愛かった?」


「いや、チラッとしか見てなかったが、男だったぞ?」


 その女性研究員に有りのままを答えると、彼女は少し驚いた表情で問いを続けてきた。


「珍しいわね。てか、初めてか......で、どれをぶち込むって言ってた?」


「最新版だとよ」


 彼女の問いに、御堂岡は嫌そうな表情で答えると、その場に居た研究員すべての手が止まった。


 まあ、そうなるわな。


 研究員の態度を目の当たりにして、御堂岡は納得の表情となるが、周囲の者達は違ったらしい。


「まじか? あれって見るからに失敗作だぞ?」


「正気の沙汰じゃないね」


「これはもう実験じゃないな。ただの殺人だ」


「流石に居たたまれない気分になってきた......」


 各々が己の感想を口にするが、それはここで口にすべき言葉ではないのだ。

 故に、御堂岡は肩を上下させて嘆息たんそくしつつ、研究員仲間に告げた。


「口をつつしめよ。聞こえると事だぞ。流石に研究員仲間が実験材料になるのは遣る瀬無やるせないからな」


 その言葉を聞いた研究員たちがギクリとしたかと思うと黙り込む。

 

 そう、誰もが己の命こそ一番大事なのだ。

 それを責める気もなければ、当たり前だと思っている御堂岡は、続けて研究員仲間に尋ねる。


「それで、最新版はどこだ?」


 すると、誰もその場所を口にしない代わりに、全員の視線が同じ場所へと向いた。


 御堂岡がその視線を辿ると、そこにはガラス張りのケースがあり、中には幾つかの新薬が収められていた。

 それを確認した御堂岡は、返事がないことに文句ひとつ言わず、それどころか礼を述べてその保管装置へと足を向ける。


「ありがとよ!」


 ――あの少年......この失敗作をぶち込まれるんだな......まあ、政府の犬になってこき使われるよりはマシかもな......てか、オレも逆らうとオマンマが食えなくなるんだ。悪く思うなよ。


 御堂岡は、ここには居ない名前も知らない少年へ向けて、そんな気持ちを心中で語りつつ、研究員仲間が殺人行為だという失敗作の新薬を取り出すと、そそくさと研究室を後にして実験室へと足を向けた。



 御堂岡が実験観察室へと戻ると、まるで餌を待つ猫のようにそわそわとした九文が口を開いた。


「おお、遅いのじゃ! さあ、始めるのじゃ」


 無機質なグレー色の寝台に両腕、両足、胴、首とあらゆる箇所を黒いベルトで拘束されているすばるを眺めて、まるで好物の食事を前にしたような様子のマッドドクター苦悶がそう告げてきた。


 起きないと拙いぞ! 昴! 夢の中で可愛い巫女少女とムフフな展開を繰り広げている場合ではないぞ。いや、きっと起きていても何もできない、か......そう考えると知らないところで事が起きるのは、ある意味で彼にとって幸せなことかもしれない。


 こうして未だ夢の中で可愛い巫女の少女とちょっとエッチな展開となっている昴は、何も知らないまま、無情にも失敗率千パーセントとも言えそうな新薬をぶち込まれることになるのだった。

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