第1話 ここはどこ?


 その光景は彼にとって圧巻だと言えたであろう。

 周囲は高いビルにおおわれ、空がとても狭く見えた筈だ。いや、今の彼にそれを肉眼で見ることは叶わない。

 しかしながら、それを知ることはできるのだ。


 そんな彼の脳裏に映ったものは、個性の欠片すらない同じような直方形の世界であり、周囲をガラスで覆われただけの箱だと言えそうな光景だった。

 更には、見上げていた視線を降ろすと、人影はまばらであり、華やかなネオンや看板なども無く、おおよそ人が暮らす街には見えないと感じさせられていた。


 先にも話した通り、視線は向けているが、その二つのまなこで光景を捉えている訳ではない。

 それでも、彼は心眼でその光景を映し見ている。

 ただ、その心眼に慣れていない所為で、未だに肉眼で見るかのような仕草をとってしまうのだ。


 さて、先進的では在れど、個性が欠落した人の居住空間とは思えない世界を、スバルはトボトボと歩いていた。


「ここは何処なんだ。俺は何処に連れてこられたんだよ。ここが日本だって言われてもよ~! てか、腹減った~! ユメ~!」


 独り言の声よりも大きな腹の音を鳴らしながらスバルは周囲を見回す。

 そして、その光景が己の知らない世界であることを今更ながらに痛感する。


 ――どう考えても日本じゃないよな? でも、あの爆弾マンは日本だって言ってたし......てか、あれって日本語だよな?


 己の知る日本と似て非なる光景を目の当たりにしているスバルは、所々に刻まれている文字を確かめて、そこに日本語が刻まれていることに首をかしげる。

 それでも、彼の意識は自分の置かれた環境よりもお腹の具体に向いていた。


 ――どうでもいいけど、なんか食わんと死ぬぞ! どこかに店とかないのか? ああ、お金も無いけど......


 あまりの空腹に苦言を述べているお腹を左手で抑えながら、右手でズボンのポケットをまさぐる。


「ちっ、俺の財布まで没収しやがって......」


 スバルは何も入っていないポケットから手を出しながら、怒りのにじむ声色で独り言をつぶやく。


 それでも、彼はあまりのひもじさに耐えかね、脚を進めながら周囲に視線を巡らせた。

 すると、あるお店が彼の心眼に留まる。


「あれって、コンビニじゃね?」


 派手な看板こそないが、ガラス張りの店内に見える商品ケースに気付き、スバルはそれがコンビニであると決めつけると、そそくさと脚を進める。


 どうやら、あまりの飢餓きがにお金が無い事を失念しているようだ。


 そんなスバルが店内に入ると、そこが普通のお店と違うことに気付く。


「なにこれ、新手の自動販売機か?」


 そう、彼が言うように、従業員もいなければ客もいない店内には、見たことも無い自動販売機がズラリと並んでいるのだ。

 それが自動販売機だと判断したスバルは、そそくさとその機械の前に行く。すると、販売機の前にはタブレットのようなモニタがあり、そこに使用方法が日本語で映し出されていた。


 ――やっぱり、日本語だ......いや、今はそれよりも食料の入手が先だな。何といっても、武士は食わねど高楊枝たかようじというしな......ん? あ、違った......腹が減っては戦はできぬだった......まあいいや。で、なんて書いてるんだ?


 何がまあいいのかはさて置き、取り敢えず使用方法を読むことにしたようだ。


 ――なになに、指紋認証により照合して口座引き落としだと......マジか! 流石は日本だな。ここまで技術が進んでたのか......


 パンのような食べ物が並べられた自動販売機を前にして、初めて見る技術に感嘆かんたんしているスバルだが、問題はそんなことではないと気付くべきだろう。


「あ、どの道、金も無ければ、支払う方法もないんだった......」


 どうやら、やっと金が無いことを思い出したらしい。


 そんな愚かなスバルは、取り敢えず目の前の手形に、ダメ元で己の手を置いてみることにしたようだが、それが何の意味も無いことすら理解できないようだ。いや、悪影響すらあるのだから止めた方が得策だといえるのだが、残念ながら彼にはそこまで考察する頭脳が無かった。


「ここに手を置けばいいんだよな。もしかしたらということもあるし、試してみるべきだよな」


 どういう理屈でそうなるのかは解らないが、もしもなんて無いから止めるべきだ。


 ところが、チャレンジャであるスバルは、気にする事無く認証装置に手を置く。

 すると、手形の周りが紫色に輝き認証システムが起動した。


「おっ、イケるんじゃね?」


 イケる訳がない......それはスバルの知能と同じだ......全く以てイケてないのだ。


 それを証明するかのように、次の瞬間には認証装置の手首の位置にスチールの輪が円を描くように出現し、物の見事に彼の腕をとらえる。

 そう、それは不正使用者を拘束すための手錠なのだ。


「ぐお~~! なんて卑怯ひきょうな! まだ、なにも盗んでねじゃんか~! 冤罪えんざいだぞ! くそっ! 訴えてやる」


 何が卑怯なのかは解らないが、冤罪なのは確かである。ただ、どこへ訴えるつもりなのだろうか......


 まるでゴ〇ブリホイホイに捕まる黒い悪魔のように、物の見事に拘束こうそくされたスバルは慌てて手を抜こうと暴れるが、がっちりとめられた拘束具はビクリともしない。


「ちぇ、こうなったら奥の手だ!」


 いやいや、初めからそうすべき事に気付いて欲しいものだ。


 今更ながらに正攻法では無理だと判断したスバルは、右腕を拘束した手錠の上に左手を置き、目をつむって力を発動させる。

 実際は、眼が見えている訳ではないので、これも正常だった頃の名残だろう。


「溶けろ!」


 まあ、眼を瞑る必要も無ければ、その言葉を発する必要もないのだが、まるで音声発動のように、スバルは能力の発動を口にした。


 すると、右腕を拘束していた素材も解らない手錠が飴のように解けて床に落ちる。そして、スバルは解放された右手首を軽く振りながら、ガラス張りのショーケースに当てて同じように呟く。すると、今度はガラスが解けて床に落ちた。

 

 その様は、まるで飴細工のようだったが、既に能力の発動に慣れたスバルは、その状況に驚く事無く感想だけを口にした。


「よしよし、初めからこうすれば良かったな」


 備え付けのコンビニ袋に袋入りのパンを詰め込みながら、スバルは次々にショーケースのガラスを溶かしていく。


「ごでぐらいあでば、じばらぐはもづだど~」


 パンをくわえた状態で喋るものだから日本語になっていない。


 そんなスバルは、慌てる事無くパンパンにふくれた大きめのコンビニ袋を四つ持って出口へとのんびり歩いて行く。


 その行動の根底にあるのは、従業員もいなければ客も居ないので、急ぐ必要はないというものだ。

 しかしながら、従業員が居ないというのは、それだけ防犯設備が整っているという事なのだが、腹を満たすことに意識を集中させているスバルには、そこまで考える余裕が無かった。いや、きっとスバルの事だ、腹が満たされていても同じ行動をったであろう。


「それにしても不用心だな。自動販売機だからって盗まれないと思うのは世の中を甘く見過ぎてるんじゃないのか?」


 そんな甘い世の中であろう筈もないのに......世の中を甘く見ているスバルが、己にこそ告げなければならない台詞を吐きながら出入り口の前までやってくると、それまでガラス張りで自由に出入りできていた自動ドアが開かない。


「ん? 壊れたのか?」


 そこで防犯機能が働いたと思わない処が、世の中を舐めすぎている証拠だ。


「まあいいか。溶けなさい!」


 異能に目覚めて少し調子に乗っているスバルは、右手に持った盗難品を床に置き、開かない自動ドアのガラスへ右手をかざして溶かしてしまう。


「これでよしっと! あれ?」


 ガラスを溶かしたことで外に出られると判断したスバルは、床に置いたコンビニ袋を持ち直したのだが、そこには見事にシャッターが下りていた。


「あれ? おかしいな? シャッターなんて降りてなかった筈だが......まあいいか」


 いやいや、ここでガラスがあったときにシャッターが閉まっていなかったように見えた事実をもっと深く考えるべきだった。


 そんなことすら思い至らないスバルだが、一応は防犯設備に関しては気付いたようだ。


「ふむ。防犯設備は整っているということか......まあ、俺の前では、こんなシャッターなんて紙と変わらんけどな」


 まるで人類最強にでもなったかのように、偉そうに能書きを垂れつつ、のんびりと荷物を降ろして再びシャッターへ手を向ける。


「俺TUEE~~~~~~~E! 溶けろ~~!」


 そう、この後、スバルはやっと気づいた。己が如何いかに調子に乗っていたかという事を。そして、早く逃げれば良かったと後悔する事になる。


「えっ!? マジ?」


 自慢げにコンビニのシャッターを溶かしたのは良いものの、その向こうには二十人からなる制服の男達が銃と思わしき武器をこちらに向けていたのだ。


「さ、さっきまで、いなかったじゃんか。いつの間に来たんだ? 卑怯ひきょうだぞ」


 えて言っておくが、全く卑怯ではない。


 スバルからすると、彼等が瞬時に現れたと思っただろう。

 何故なら、自動ドアのガラスを溶かしてから、まだ数分と経っていないのだから。

 故に、シャッターを溶かした向こうに武装した者達がいるなんて思ってもみなかったのだ。


 スバルは知らない事だが、これには簡単なカラクリがある。

 この店の防犯設備では、異常を検知した途端にその事を警察や警備会社へ通報すると共に、窓ガラスへ偽の風景を投射して犯罪者を油断させるシステムが組み込まれていたのだ。

 ところが、そんなことなど知らないスバルは、防犯ベルが鳴らないこと、外の様子が全く変わらないこと、誰も居ないこと、自分が強くなったと己惚れていたこと、そんな様々な理由で悠長ゆうちょうに事を運んだのだ。

 そして、その事実を知らないまま、いつの間にか警察や警備会社の者達に包囲されてしまったのだ。


「やっべ~! どうしよう......」


 今更以て外の状況を知ったことで焦り始めたスバルだが、まさに袋のネズミとはこの事だろう。

 そう、最強の気分で呑気にしていたスバルなんて、所詮しょせんはネズミレベルだったのだ。


 無情にも今頃その事に気付いたスバルは冷や汗を流すことになったが、必死にこの状況を打破するための策に思考をフル回転させていた。いや、その思考の半分は後悔の念に費やされていた。


 ――くそっ、こんな事ならもっと急ぐんだった......いや、それは後だ。どうやって逃げるかだな。折角助かった命だ。ここで死んだら唯のアフォだ。それに......


 これまでの事を思い起こしながら、絶対に死にたくないと念じつつ、脱出方法を考える。


 ――どうする......地面を溶かして地下から逃げるか?


 何処に地下通路があるのか教えて欲しい......


 ――店の反対側から壁を溶かして逃げるか。


 どれだけ溶かして進むつもりなのだろうか......


 ――奴等とその攻撃を溶かせばいいのか?


 いや、そんな事は不可能だろう。己の脳みそを一度溶かすべきだ。


 必死に愚考するスバルだが、所詮は中学生の脳みそだ。いや、所詮は変態の脳みそだ。そう画期的な案が浮かぶ筈もない。

 それでも、必死に意識を思考にフル回転させていると、表から拡声器を使ったであろう声が聞えてきた。


「犯罪者に告ぐ。直ぐに出てきなさい。さもなくば、射殺する」


 ――はぁ? パンと飲み物を盗んだだけで射殺かよ! 本当にここは日本か?


 警告の言葉を耳にしたスバルは、唖然あぜんとなりつつもそんな事を考えていたのだが、己の知る日本でないといい加減に気付くべきだろう。


 ――くそう! どうしよう、窃盗せっとうで射殺されたら近所の笑いものになるぞ!


 いや、窃盗以外にも器物破損という罪を負っている。ただ、しつこいようだが、そんな事よりもいい加減にここがスバルの暮らしていた日本でない事を気付くべきだ......


「笑われるのは良いとして、流石に死にたくないぞ。どうしよう。よし、逃げよう」


 この世界にスバルを知る者など居る筈もなく、故に彼を笑う者すら居ないのだが......それよりも肝心なことは、その逃げる方法が見つからなくて困っていたのではないのだろうか。


「あ、逃げる方法を考えるんだった......さて、どうしよう。てか、何でこんなことになったんだ? お~い! ユメ! 何とか言ったらどうなんだ! あとで見てろよ! ヒーヒー言わせてやるからな!」


 スバルは彼をこの世界へと誘った張本人へと最低な言葉を叩きつけつつ、どうしてこんなことになったかと、これまでの流れを振り返るのだった。

 

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