第8話 信じる

 アキラは都市まで無事に戻ると、すぐにハンターオフィスの買取所に向かった。そして前回と同じように買取窓口の列に並ぶ。担当の職員は前と同じノジマという男だった。

 ノジマはアキラのことを覚えていた。だがすぐには気付かずに、別の誰かとして対応しようとする。

「ハンター証があるなら出せ……ってお前か」

 ノジマはアキラの変わりように少し驚いた。前に見た時はただのスラム街の子供だった。今は違う。カヒモ達から奪った所持品でハンターとしての最低限の装備を調えたことによる外見の違いも確かに大きい。だがそれだけではない。荒野の洗礼を受けた者が放つ独特の雰囲気を僅かではあるがまとっている。そこが一番の違いだ。

 ハンター登録を済ませただけの自称ハンターではない。まだまだ駆け出しではあるが、そこには確かにハンターが立っていた。

 この様子ならしばらくは死なずにここへ通えるだろう。ノジマはそう考えて軽く笑うと、気を取り直して買取品を確認する。

「今回の品は……、微妙だな。前回はただのラッキーか?」

 曲がりなりにも命懸けで持ち帰った品にケチを付けられて、アキラが不服そうに顔を歪める。

「微妙で悪かったな。これでも一応遺跡から持ち帰った旧世界の遺物なんだ。前回分の代金をもらえる品のはずだぞ。……ラッキーって、どういう意味だ?」

 アキラが怪訝けげんな顔をノジマに向ける。するとノジマは楽しげに笑った。

「すぐに分かる」

 ノジマは前回と同じように買取品をトレーごと後ろの棚に置くと、手元の端末を操作した。するとそばの機材から紙幣が排出される。それを封筒に詰めて、笑ってアキラの前に置く。

「前回の買取品の査定済みの分と、今回の前払分、計20万オーラムだ」

 アキラはその支払額を聞いて意識を一瞬飛ばしかけた。その後、ゆっくりと封筒を手に取る。そして中身の紙幣を摘まんで取り出し、視覚と感触で実在を実感すると、半ば唖然あぜんとしながら動揺を深めた。ほんの数日前、300オーラムを巡って殺し合った者にとって、その額の重さはまさに桁違いだ。

 ノジマがアキラの反応に満足して楽しげに笑う。

「ここでこんな額をもらうガキなんて滅多めったにいないぞ? まあ、大切に使うんだな。ほら、さっさと行かないと目立つぞ。とっとと行け」

 我に返ったアキラが慌てながら封筒を懐に仕舞しまい、どこかぎこちない動きで買取所から出て行く。駆け出しハンターからスラム街の子供に若干戻ったアキラの後ろ姿を見て、ノジマは苦笑を浮かべていた。


 アキラは買取所を出てからも動揺が抜けていなかった。一向に落ち着く気配が無い。その様子を見て、アルファが落ち着いた口調で声を掛ける。

『アキラ。落ち着きなさい。その程度のはした金で狼狽うろたえているようでは、この先大変よ?』

 身に染みついた金銭感覚からはとても考えられないその言葉に、アキラが思わず声を出してしまう。

「は、はした金!? 何を言ってるんだ!? 20万オーラムだぞ!? 大金だ!」

 アルファがアキラをじっと見詰めながら少し強い口調で断言する。

『いいえ、はした金よ。私のサポートを受けた上で、命懸けで手に入れた金額と考えれば、間違いなくはした金よ。アキラもそう認識しなさい』

「そ、そう言われても……」

『それと、今のアキラは虚空に話し掛ける不審者になっているわ。気を付けなさい』

 アキラは慌てて口を閉じた。今の自分は大金を手に入れた所為せいで挙動不審になっているカモそのものだ。そう自覚して何とか落ち着こうとするが、大して効果は無かった。

『取りえず、今日はもう休みましょう。遺跡で疲労もまっているわ。それに、落ち着くまでここで突っ立っていても、目立って仕方無いからね』

「そ、そうだな。分かった」

 アキラは小声で答える程度の冷静さは取り戻したものの、まだ大分落ち着かない様子でいつもの寝床に向かおうとした。だがアルファに真面目な顔で止められる。

『駄目よ。そっちではないわ』

「えっ? 寝床はこっちだぞ?」

『違うわ。ちゃんと宿に泊まるの。お金ならあるでしょう?』

「そ、そうだけど……」

 アキラは染みついた金銭感覚の所為せいで、折角せっかく稼いだ金を宿代に使うのを躊躇ためらっていた。するとアルファが子供をたしなめるように優しく微笑ほほえむ。

はした金を惜しんだらそれだけ死にやすくなるわ。無駄遣いをする訳ではないの。しっかり稼いだのだから、正しく有効に使いなさい。お金の使い方も私がちゃんとサポートするわ。……良いわよね? 私のサポートを信じてくれるのでしょう?』

 そう言われてしまうとアキラも断れない。行動とその結果で信頼を積み重ねる。そう互いに約束したのだ。金銭感覚による軽い動悸どうきを抑えながら、少し覚悟を決めた真面目な顔でうなずく。

「……。分かった」

『ありがとう。それでは、宿に行きましょうか。私が選ぶけれど、良いかしら?』

「ああ、任せる」

『こっちよ』

 アルファが笑ってアキラを先導する。宿代は幾らになるのだろうかと、アキラは消すに消せない不安を覚えながら後に付いていった。


 ハンター向けの宿は当然ながら銃器等の持ち込みを許可している。対モンスター用の武装は強力なものばかりであり、それらを使用して騒ぎを起こせば宿にも宿泊客にも甚大な被害が出るので、客は行儀の良い行動を求められる。それを守る限りは来る者拒まずが基本だ。

 なお、死者が出た騒ぎを起こしたとしても、その賠償を宿側にきっちり支払うのであれば、十分行儀の良い客の範疇はんちゅうだ。スラム街の近場にあるハンター向けの安宿なので、その辺りの基準も緩い。スラム街の子供が武装した状態で部屋を求めても、金さえあれば宿泊を拒否されることはない。アキラも問題なく宿泊できた。

 アキラはこの宿では並の価格帯の部屋に泊まることになった。部屋はそれなりに広い。ハンター向けの宿として、装備の整備や持ち帰った遺物を置く場所用に、広めの空間を確保しているためだ。風呂も付いている。ベッドも付いている。冷蔵庫には食料品も入っている。何よりも外よりはるかに安全だ。路地裏の寝床とは雲泥の差が存在している。

 アキラもその価値は十分に理解している。それでも普段の寝床とは比較にならない豪華さに舞い上がる様子などはなく、むしろ少し重苦しいようにも見える複雑な表情を浮かべていた。

「1泊2万オーラムか……。信じられねぇ……」

 その価値を理解できることと、その対価を躊躇ちゅうちょ無く支払えることは別だ。宿代を支払うアキラの手は少し震えていた。部屋を選んだのはアルファだ。アキラが自分で選んでいれば、もっと安い部屋になっていた。

 軽くめ息をくアキラの姿は、不本意な無駄遣いに少し項垂うなだれているようにも見える。その様子に、アルファが苦笑気味に笑う。

『いろいろ思うところはあるのでしょうけれど、まずはお風呂にでも入ってゆっくり休んだらどう?』

「……風呂? 風呂か! 入る!」

 風呂という言葉を聞いた途端、アキラは急に態度を変えて喜びをあらわにした。

 スラム街にも風呂付きの住居ぐらいはある。だがその設備を利用できる者は限られている。その建物を占拠している者達や、彼らに金を払える者などでなければ、基本的に入浴の機会など無い。アキラのような路地裏を住みにする子供に出来るのは、飲み水には適さない水で布切れを浸して体を拭くぐらいだ。

 もうおぼろげにしか覚えていない前回の入浴を思い出しながら、アキラは上機嫌で風呂場に向かった。

 浴槽に湯をめる。その間に念入りに体を洗う。大量の湯を贅沢ぜいたくに使い、備え付けの石鹸せっけんで全身をくま無く洗う。路地裏では不可能な贅沢ぜいたくを満喫する。流した湯が濁らなくなり、石鹸せっけんの泡立ちが良くなるまで結構時間が掛かった。

 全身をしっかり洗い終えて、浴槽に湯がまったのを確認すると、すぐに湯船に身を浸した。湯に肩までかり、妙な声を出しながら脱力する。そして全身の疲労が溶け出していくような心地良い感覚に身を任せる。すぐに表情が入浴の快楽に屈して緩み始め、意識が湯に溶け出して、口から少しだらしない小さな声を漏らした。

『湯加減はどう?』

 アキラが大分緩んでいる意識で声の方に顔を向ける。そこではアルファが一緒に湯船にかっていた。一糸まとわぬ姿でアキラのそばに座り、湯のぬくもりでほんのり肌を朱に染めている。滴がその肌の上を流れて、胸の谷間に吸い込まれていく。そのなまめかしくも美しい体を隠すものは、湯の屈折と漂う湯気だけだ。

 無論、実体の無いアルファが湯にかれる訳がない。アキラの視界内に自身の姿をそう表示しているだけだ。しかし高度な演算能力によるその描画は見事なもので、違和感など全く無い。湯の揺らめきと透過と反射まで計算して描画している。手を伸ばして触ろうとでもしない限り、そこに実在しているとしか思えない。魅惑の肉体を通り抜ける湯の波だけが、その美貌の主がそこには実在していないことを示していた。

 アキラがぼんやりしながら答える。

「……最高だ。……何で裸なんだ?」

 アルファが僅かに上気した顔で微笑ほほえむ。

『服を着てお風呂には入らないでしょう?』

「……確かに」

 アキラは納得したように僅かにうなずいて、それでアルファに対する反応を終えた。視線を前に戻して、そのままぼんやりと湯船に身を任せている。

 アルファは表向きは変わらずに微笑ほほえみながら、アキラの反応に不満を覚えていた。

『アキラ。今の私の姿を見て、何か言うことはない?』

 アキラは不思議そうに少し首をかしげると、既に意識が大分湯に溶け出している頭で考えた。そして途切れ途切れに答える。

「……? ……確か、……コンピュータグラフィックスとかいうやつで、……作りもの……何だっけ?」

『あっているわ。確かにそれであっているけれど、そういう話ではないわ。今の私の姿に対する思いとか、造形に対する感想とか、率直に思ったこととか、何かこう、あるでしょう?』

 アキラが再度首をかしげてアルファを見る。そしてまとまりのない意識の中で思案して、その結果を口に出す。

「……胸が、……大きい?」

 アルファが苦笑いを浮かべる。

『確かにそういう話を、私の体に対する評価とか、好みとか、興味とか、そういうことを聞きたかったのだけれど……、今はどうでも良さそうね』

 年頃の少年が視覚だけとはいえ全裸の美女と一緒に入浴しているにもかかわらず、アキラの反応はひどく鈍い。アルファの豊満な胸にも、しっとりとれて上気した肌にも、湯の波で揺らいでいるお尻にも、まるで興味を示していない。湯船に身を任せ、湯の感触とぬくもりの快楽を享受している今は、アルファの裸体など全く重要では無い。アキラの目はそう雄弁に語っていた。

 アキラの意識が湯船に溶けきって深い眠りに誘われる前に、アルファが苦笑しながら注意する。

『そのまま寝ると溺れ死ぬわよ?』

「……こんなところで、……死んでたまるか。……どうすれば?」

『お風呂から上がって、ちゃんと体を拭いて、服を着て、ベッドで寝なさい』

「……分かった」

 アキラがふらつきながら立ち上がり、ゆっくりと浴槽から出る。そのまま風呂場を出て、体を拭き、備え付けの部屋着を着て、ベッドに倒れこんだ。するとすぐに耐えきれない睡魔に襲われる。

『おやすみなさい』

「おや……すみ……」

 いつものように優しく微笑ほほえむアルファに、アキラは睡魔に飲まれて消えかけている意識で辛うじて返事をした。そしてそのまま深い眠りに就いた。


 翌日、アキラは日出ひので後、しばらってから目を覚ました。普段の生活を基準にすれば盛大に寝過ごしている。まっていた疲労と路地裏の地面に比べて格段に柔らかなベッドの寝心地が、アキラをいつもの時間には目覚めさせなかった。

 目を覚ました後も、いつもとは何かが違う感覚に困惑しながらも、その心地良さに流されて少しぼんやりしていた。するとアルファに笑顔で声を掛けられる。

『おはよう。アキラ。よく眠れたようね』

「……おはよう。アルファ。……? 待て! ここどこだ!?」

 声を掛けられて意識がもう少し目覚めた途端、アキラは見知らぬ場所にいる驚きに飛び起きた。そして慌てて周囲を見渡した。路地裏ならば致命的な挙動の遅れだ。既に死んでいても不思議は無く、その分だけ慌てようもひどい。

 アルファがアキラを落ち着かせようと優しい口調で答える。

『ここは昨日泊まった宿の部屋よ。忘れたの?』

 アキラはそれでようやく昨日のことを思い出すと、警戒を解いて安堵あんどの息を吐いた。

「……そうだった。宿に泊まったんだった」

 アルファが冷蔵庫を指差す。

『取りえず、朝食にしたら? 今日は配給所に行く必要はないわよ。ゆっくり出来るわね』

 中身の食料品は宿代に含まれている。残しても返金など無い。並ばずとも手に入る食事に、アキラは少し上機嫌で朝食の準備を始めた。

 冷凍食品を調理器具で温める。飲用水は冷えている。それだけで配給の食事とは別物だ。それを個室という自分だけの空間で、他者に奪われる危険など無い環境で食べる。その昨日までとはまるで違う食事を堪能すると自然に顔も緩んでくる。

(2万オーラムも払った甲斐かいはあったな)

 そのアキラの内心を読んだかのように、アルファが得意げに笑いかけてくる。

『ちゃんと宿に泊まって良かったでしょう?』

「……。ああ。良かった」

 アキラの中のひねくれた部分が素直に答えるのを僅かに躊躇ためらわせたが、これといった反論など思い浮かばず、感謝しているのも確かなので、アキラは逆に開き直ったような態度でしっかりと答えた。アルファが満足げに笑って話を続ける。

『食事の間に今後の予定を話すわね。基本的に週1で遺跡探索、残りは全て訓練と勉強に割り当てるわ。もっと遺物収集の機会を増やして稼ぎたいとか思ったとしても、そこは文句を言わないでね』

「分かった」

『あら、随分素直ね』

 先ほどのひねくれた様子とは大分異なるアキラの反応に、アルファが少し意外そうな様子を見せた。するとアキラが真面目な表情で答える。

「その辺のことはアルファを信じるって決めたからな」

 信じる。アキラは深く考えずにその言葉を口にした。だがそれはアルファには重要な意味を持つ言葉だった。

『そう。食べ終わったら、早速始めるわ。ゆっくり食べなさい』

 アキラが軽くうなずいて食事を続ける。アルファはアキラをじっと見続けていた。


 食事後、アルファがアキラの前で真剣な表情を浮かべた。

『アキラ。今からとても大事なことを話すから、真剣に聞いてね』

 アキラも真剣な表情でうなずく。過去にアルファがこの表情を浮かべた時は、自分に死の危険が迫っている場合ばかりだった。そう思うと軽い緊張を覚えて、態度も自然に真面目なものになる。

 アルファもしっかりとうなずき返した。その直後、その表情が急にひどく事務的なものに変わった。

 アキラが少し怪訝けげんな様子を見せる。

「アルファ?」

 アルファはその呼び掛けに反応を示さず、浮かべている表情に見合った事務的な口調で話し始める。

『アキラに対するより高度なサポートの実施を円滑に行うために、事前の説明、承諾無しに多種多様な操作をアキラに対して実施してもよろしいですか? これにはレベル5個人情報の承諾無しでの取得及び活用が含まれます。説明内容に対する補足情報の取得は任意です』

 アキラはアルファの様子と話の内容の両方に戸惑っていた。

「つまり……どういうこと?」

『口頭説明による規則内容、及び個別概要の把握に要する推定時間は約120年になります。詳細内容認識までに要する時間は現状算出不可能です。優先提示項目の優先順位決定方法は条例認識算出手法A887による偏向回避法により規定されています。該当項目の口頭説明による規則内容、及び個別概要の把握に要する推定時間は……』

「……えっと、意味がよく分からないんだけど、はい、って言っておけば良いのか?」

『概要に反しない詳細項目に対し、全て同意したものと見做みなされます。これには狭義の思考誘導、広義の自由意志干渉が含まれます。対象者の生命及び思想の保護は、自足自縛行動法213873条により生命及び思想の拘束と同義です。これには非該当地域での特殊協力者に対する規定の全てを含みます。同時に……』

 アキラは説明の内容を全く理解できなかった。それでも何とか理解しようと、軽く混乱しながら途中で口を挟んで質問を繰り返す。だがアルファは事務的な態度を変えずに、より長く難解な説明を返してくる。その結果、アキラは説明の理解を諦めてしまった。

 内容は分からないが、アルファは自分に何らかの許可を求めている。アルファの指示に逆らうと、死ぬ危険性が飛躍的に増す。アルファを信じて信頼を積み重ねると決めている。それらの判断、経験、決意から、アキラは悩んだ末に結論を出すと、真面目な表情を浮かべた。

「最初の質問に対する答えは、はい、だ」

『再確認します。アキラに対するより高度なサポートの実施を円滑に行うために、事前の説明、承諾無しに多種多様な操作をアキラに対して実施してもよろしいですか?』

「はい」

 アキラがそう言い切ると、アルファの態度から事務的な雰囲気が消える。そしてうれしそうな笑顔を向けてくる。

『ありがとう。大丈夫。悪いようにはしないから安心して』

 アキラはアルファの様子が戻ったことに安堵あんどした。その後に少しだけ不満そうな様子を見せる。

「初めからそう言えば良かったんじゃないか?」

『いろいろ面倒なことがあって、そう話すためにさっきの話が必要だったのよ。面倒なことを避けるために面倒な手順がいる。世の中そんなものよ。ところでアキラ、昨日お風呂に入っていた時の話だけれど、私の胸についてどう思う?』

 意味深に微笑ほほえみながらの唐突な質問に、アキラが若干慌て出す。

「な、何で急にそんなことを聞くんだ?」

『昨日アキラに私の裸の感想を尋ねたら、胸が大きいって答えたからよ』

「……そんなこと、言ったっけ?」

『言ったわ。聞かれたことを答えただけ。そんな感じだったけれどね。でもあれだけ朦朧もうろうとした状態でそう答えたということは、アキラもやっぱり私の胸に興味があるってことよね。触ってみたい?』

 アルファは楽しげに少し挑発的に微笑ほほえんでいた。そのどこか揶揄からかっているような態度に、アキラは少しへそを曲げた。素直に答える気にはなれない。だがアルファとの信頼を積み重ねる意味でもうそきたくない。そこで肯定とも否定とも取れる返事をする。

「……いや、無理なんだろ?」

『今はね。ただアキラが望むなら、私の指定する遺跡の攻略後なら可能よ。どう? 興味が湧いた? 触ってみたい?』

「遺跡を攻略すると何で触れるようになるんだ?」

『その辺の説明はややこしいのよ。それでどう? 触ってみたい?』

 アルファの少ししつこい態度に、アキラも怪訝けげんな様子を見せる。

「……さっきから一体何が言いたいんだ?」

 アルファが楽しげに微笑ほほえむ。

『分かりやすい成果報酬を提示して、アキラのやる気を長期的に向上させようとしているの』

「つまり、色仕掛けか」

『そういうことよ。どうもアキラに視覚に訴えるのは効果が薄いようだから、触覚に訴えてみようかと思って。私の裸を間近で見たのにちょっと照れるだけって、相当な鈍さよ?』

 湧いた疑問に対する少し馬鹿馬鹿しい答えに、アキラは盛大にめ息を吐いた。

「そういうのは、俺がもっと大きくなってからやってくれ。大きくなったら、たっぷり見るしたっぷり触るよ。それで良いか?」

『そうね。アキラとは長い付き合いになる予定だから、その時はたっぷり楽しんでちょうだいね』

 アルファは自信満々な態度で答えた。それで場に区切りが付き、アキラもそれ以上深くは気にしなかったので、先ほどの事務的なり取りの件も含めて、疑問の余地はそのまま流された。


 チェックアウトは午前10時までに行う必要がある。何だかんだと時間が過ぎた所為せいで既に残り僅かだ。だがアルファの提案で連泊となった。アキラは訓練をここでやると聞いて少し驚いたが、従業員に伝えて手続きを済ませた。

「これで今日も風呂にはいれるな」

 その言葉は、アキラが20万オーラムの内、既に4万オーラムも消費してしまった葛藤をごまかすために吐いたものだ。だが微妙にごまかしきれておらず、無理矢理やり浮かべた笑顔を少し固くしていた。

 アルファはその様子を見て軽く笑っていたが、気を取り直したように表情を引き締めた。

『それでは、訓練を始めましょう。準備は良い?』

 アキラもすぐに気を切り替えると、真面目な態度でうなずく。

「大丈夫だ」

 アルファも満足そうにうなずく。

『まず、アキラには念話を覚えてもらうわ』

「念話?」

『取りえずは、声を出さずに会話する、とでも考えて。そこから順に進めていきましょう。高速で正確な情報伝達は戦闘でも重要よ。それに、アキラがこれ以上虚空と会話する不審者になることもなくなるしね。早めに覚えてしまいましょう』

 アキラはどんな訓練でも文句を言わずにしっかり受けるつもりだった。だが予想外の内容に流石さすがに困惑していた。

「そう言われてもな。具体的に、どうすれば良いんだ?」

『具体的な方法を口頭で説明するのは難しいのよ。個人差も大きいしね。耳で聞き、口で話すのではなく、脳で聞き、脳で話す。その感覚を自分でつかむしかないわ。まずは、私に心の中で話し掛けるように念じてみたらどう? 適当な話題を振っても良いわ。右を向けとか、簡単な指示を出しても良いわ。私もそれに応えるから、それで伝わっているか確認しましょう。始めて』

 アキラは戸惑いながらも言われた通りに訓練を開始した。

 しばらくの間は、成果無しの状態が続いた。無意識に小声を出してしまい、それでは意味が無いと注意されながら、頭の中で試行錯誤を続ける。意識を集中して強く念じる。凝視しながら頭の中で訴えかける。目をつむって無言で呼び掛ける。それらを真面目にひたすらに続けていく。しかしアルファは何の反応も返さない。それでもアキラはおぼろげな指針しか無い訓練を真剣に続けた。

 そして1時間ほど経過した頃、契機が生まれた。右を向けと必死に呼び掛け続けていたアキラの前で、アルファが右を向いたのだ。アキラが驚き、アルファが笑う。

『そうそう。そういう感じよ。続けましょう』

『あ、ああ』

 アキラは無意識に念話で返事をしたことにも気付かずに、そのまま訓練を続けた。一度成功した後は再現も比較的容易になっていた。念話を繰り返してその精度を上げていく。

『なかなか良くなってきているわね。アキラも私の声を念話としてしっかり聞き取れるようになっているわ。これでどんな轟音ごうおんの中でも、もう私の声を聞き逃すことはなくなったわよ。聴覚経由だと外の音とどうしても混ざるから、戦闘中で銃声とかがひどいと聞き取れない場合があるのだけれど、もうその心配はなくなったわ』

『ああ、なるほど。それは確かに便利だな』

『そうでしょう? これも戦闘訓練の一環なのよ』

『でもこれ、宿に泊まらずに外でやっても良かったんじゃないか?』

『虚空に必死に呼び掛けている不審者そのものの姿を、態々わざわざ人目にさらす必要はないでしょう?』

『……確かに』

 笑ってそう答えたアルファに、アキラは苦笑いを返した。

 しばらくすると、会話程度なら念話で問題なく出来るようになった。そこでアルファが念話の訓練を次の段階に進める。

『口頭レベルの言語的な通信は十分ね。次は意図や意思、イメージのようなあやふやなものであっても正しく送信できるようになってもらうわ。百聞は一見にかず。念話を使用して、口頭では伝達困難な一見を素早く的確に伝えることが出来れば、戦闘中の咄嗟とっさの意思疎通も容易になるわ。その訓練として、手始めに、私の格好を送信してみて。私はアキラから伝えられた内容の通りに着替えるわ。その格好がアキラの想像通りなら成功よ。やってみて』

 アキラは言われた通りにアルファの服装を思い浮かべると、それを念話で送信した。するとアルファの服が変化する。だがその服は様々な布切れを適当に縫い合わせたようなひどいものだった。それを見てアキラが顔をしかめた途端、その服は更にゆがみ始め、そのまま消えてしまった。

 慌てるアキラの前で、アルファがその裸体をさらしながら揶揄からかうように笑う。

『失敗ね。服のイメージがちゃんと伝わってきていないわ。それとも、私の裸を見たかったの?』

「ち、違う! 早く何か着てくれ!」

『駄目。これも訓練よ。私に服を着てほしいのなら、ちゃんとしたイメージを送れるように頑張りなさい』

 アキラが慌ててイメージの再送を試みる。アルファの裸体が再びあやふやな服らしきものに覆われる。だが慌てた分だけ精度が落ちており、すぐに全裸に戻った。

 アキラの試行錯誤は続く。アルファは得体の知れない何かを身にまとう姿と、一糸まとわぬ姿を繰り返していた。まずは簡素な下着だけでもイメージすれば全裸は防げるのだが、慌てているアキラはそれに気付かず、アルファは分かった上で黙っていた。

 その後もアキラは失敗を続けた。ようやくアルファに真っ白で一切飾り気のない単調な服を着せるのに成功したのは、遅めの夕食を取った後だった。

『今日はこんなところね。初日にしては良い成績だと思うわ』

「何か、部屋から一歩も出ていないのに、すごく疲れた……」

『それなら、お風呂に入ってゆっくり休みなさい』

「そうする……」

 精神的に疲れているとはいえ、昨日のような疲労はない。アキラはゆっくり風呂に入って十分に休息を取った。そして風呂から出るとそのままベッドに入り、睡魔に身を任せてそのまま眠りに就いた。アルファは昨日と同じように、だが昨日は無かった許可を手に入れて、アキラをそばで見続けていた。

 今日、アルファは許可を求め、アキラはその内容も分からずに、アルファを信じてその許可を出した。

 アルファはうそいていない。訓練はアキラの実力を、許可はアキラの生存確率を大幅に向上させる。自身が指定する遺跡を攻略してもらうために、より高度なサポートを実現する手段となる。だが、それだけではない。

 自分は何を許可したのか。疲れて眠ってしまったアキラに、その疑問が浮かぶことはなかった。

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