第59話 贅沢な殺し合い

 いつの間にかアルファの服装が変わっていた。そのことに気付いたアキラがアルファに尋ねる。

『アルファ。どうして服を変えたんだ?』

 アルファの服はアキラと同じ種類の強化服に変わっている。2人の背丈や男女の体型の違いが反映されているが、基本的には同じ服を着ているように見える。

 アルファが微笑ほほえんで答える。

たまにはアキラとおそろいの格好でもしようかと思って。どう?』

『どうって言われてもな。普通?』

 アキラに近接格闘の訓練を付けている時のアルファは強化服を着ていることが多い。旧世界風という、大胆を通り越して文化の差を感じてしまうデザインの強化服だ。

 その格好と比較すれば、今のアルファの格好は余りにも普通だ。アルファの豊満な胸の大きさに合わせて設計したような強化服の凹凸部も、そこに用途不明の開口部が存在する旧世界の強化服と比べれば、気にするほどのものではない。

 アルファが少しあきれたような表情で話す。

『実に率直でつまらない返事ね。やっぱりアキラはもう少しその辺のことを学んだ方が良いと思うわ』

 アキラが少し不満そうに答える。

『そんなことを言われてもな。それに、今話すことじゃないだろう』

『それもそうね。それなら適切なことを話しましょう。アキラ。敵の1人がビルの中に入ってきたわ。比較的小型な重装強化服の方よ。大型の方はビルの周囲を警戒しているわ』

 アキラの緊張が高まる。服の話がアキラの頭から消える。

『やっぱり帰ってはくれなかったか。小型の方って言っても、結構大きかっただろう? あの図体ずうたいで入ってきたのか?』

 アキラ達がいるビルの通路の幅や高さは通常の人間用に設計されている。ネリアが装備していた重装強化服で動き回るのは困難だ。

 まさか強引に壁を壊しながら無理矢理やり入ってきたのではないか。アキラはそう思ったが、すぐにアルファが否定する。

『強化服を脱いで入ってきたのよ。狭い場所に誘い込んで、相手の強化服を無効化する作戦は上手うまく行ったわ。ただ、これで相手がどの程度弱体化したかは未知数ね。強化服無しでも殺せると判断したからこそ、中に入ってきたのかもしれないわ』

『あんな着る戦車みたいな強化服をはぎ取れただけでも助かるよ。強化服無しならCWH対物突撃銃の専用弾が当たれば殺せるだろう?』

 効果があるのかないのか分からない相手に、精神をり減らしながら銃撃し続けるよりははるかにましだ。アキラはそう考えて勝ち目が出てきたことに希望を持った。

 アキラの希望が楽観的推測を経て願望に変わる前に、アルファがくぎを刺す。

『勝ち目が出てきただけであって、アキラが優位に立ったわけではないわ。気を抜かないで』

『分かってる。格上が相手なんだ。油断なんかしない』

 アキラは気を引き締めるように強く答えた。

 アルファがアキラの返事に満足したように微笑ほほえんで話す。

『できれば相手を長い廊下に誘い込んで、廊下の端から狙撃できるようにしたいわ。適した場所まで移動し続けるからね』

『今、相手はどこにいるんだ?』

『あっちよ』

 アルファが指差す方向をアキラが見る。その方向には壁しかないが、アキラの拡張された視界には数枚の壁の向こうにいるネリアの姿が分かりやすく表示されていた。

 アキラは格上の相手に対する警戒心を働かせていたが、ネリアとの間にある壁と距離、そしてネリアからはアキラは見えないだろうという緩みが、アキラの警戒度を若干低下させていた。

 アキラがネリアを注視する。ネリアはアキラの方に顔を向けていた。アキラは壁の向こうにいるはずのネリアからの視線を確かに感じた。

 そして、アキラとネリアの目が合った。緩んでいたアキラの警戒心が一気に跳ね上がる。

『伏せて!』

 アルファの叫び声と同時に、アキラが床に伏せようとする。アキラの動作はアルファが行った強化服の操作とほぼ一致していた。そのためアキラは驚異的な速度で床に身を伏せることができた。

 床に伏せようとする直前、アキラはネリアの挙動を注視していた。ネリアがアキラを両断しようとしている。アキラにはそう見えた。

 アキラとネリアの間はかなり離れている上に、2人の間には数枚の壁がある。ネリアは右手にナイフを握っているが、その刀身がアキラに届く距離ではない。仮にアキラまで届いたとしても、ビルの材質はケインの重火器の銃弾を防ぐほど頑丈で、ナイフでその壁を切り裂くのは困難だろう。

 通常ならば、アキラが回避行動を取る必要などないと判断するだろう。それにもかかわらず、アキラは反射的に回避行動を取っていた。アキラにその理由を尋ねれば、何となく、あるいは、勘だ、と答えるだろう。自覚できない領域での判断だったからだ。

 アキラをその判断に導いた要素は様々だ。ネリアの迷いのない動きが、見る者にそれを無意味な行動と判断させなかったこともある。だが最も大きな要素は、アキラに過去に似たようなことをした経験があったことだ。

 ネリアが右手に持つナイフで前方の空間を切り払う。ナイフの刀身自体は壁にかすりすらしていない。しかしネリアの攻撃は、ネリアの前の壁、そしてアキラとの間にある全ての壁を両断した。ネリアが使用したナイフは旧世界の遺物だった。ナイフの刀身から放たれた青白い光が光の刃となり、ネリアの前方の空間をそこに存在する物質ごと両断した。

 アキラは辛うじてその刃から逃れた。背負っていたリュックサックが切り裂かれ中身が散乱した。弾倉が弾薬ごと切断されていた。弾丸の鋭利な切断面は鏡のような光沢を見せるほどなめらかだ。

 アキラの背を通り過ぎた光刃に熱量はなく、弾薬の火薬が爆発することはない。刃は通過した物体を純粋に切断、又は消滅させていた。

 ネリアが半径十数メートルの存在を切り払った後、ネリアの持つナイフ、旧世界の遺物の刀身が音もなく崩れ落ちていく。その刀身は床に落ちる前にちりとなって消えてしまった。

 ネリアは倒れるように身を低くするアキラを見て笑みを浮かべたが、すぐにアキラを殺せていないことに気付いた。

った! ……違う。荷物を切っただけ? ……まあ良いわ。お仲間の方は殺せたようね。それにしても今のを避けるなんて、やっぱり向こうもこっちの動きをつかんでいるようね」

 ネリアはアキラの動きを見て、アキラが自分と同じように相手の動きを把握していると判断した。そう判断しなければ、先ほどの一撃をかわせた理由がないからだ。

 ネリアが柄だけになったナイフを投げ捨てる。

「全く、貴方あなたを殺すために旧世界の遺物を一つ駄目にしたっていうのに生き残るなんて、贅沢ぜいたく者ね。まあ良いわ。私の旧世界の遺物はまだあるのよ。待っていて。すぐに刻んであげるわ」

 ネリアはベルトから別のナイフを抜いて両手に装備した。そのナイフには柄しかなく、刀身がついていなかった。ネリアがその柄を強く握る。するとナイフの柄から液体金属が重力を無視して流れ出し、銀色の液体がナイフの刀身を形作る。刀身はそのまま伸び続けて刃渡り2メートルほどの薄いブレードに変化した。

 ネリアが両手のブレードを目の前の壁に振るう。ブレードは強固な壁をゼリーでも切るかのように容易たやすく切り裂いた。

 切り込みを入れた壁にネリアが義体の出力を生かした痛烈な蹴りを入れる。切断済みの壁がネリアに蹴り飛ばされて飛んでいく。ネリアはその穴を通って部屋の内部に侵入する。そしてアキラとの間を隔てている壁を次々に切り裂きながら、旧世界の遺物の切れ味に喜び笑いながら、アキラへ一直線に向かっていった。


 床に身を伏せてネリアの斬撃を回避したアキラがすぐに状況を把握しようとする。ネリアに具体的に何をされたのかまでは分からなかったが、自分の位置まで届く攻撃をされたこと、九死に一生を得たことだけは理解していた。

 リュックサックを切り裂かれたため中身が辺りに飛び散っていた。運の悪いことにアキラの情報端末も両断されて床に転がっていた。アルファがいれば一々操作する必要もないため、情報端末をリュックサックの中にしまっていたのだ。

 アキラが破壊された情報端末を見て舌打ちする。アルファはアキラの強化服を操作するためにいろいろしていたが、その初期設定はこの情報端末を介して行われていた。もし情報端末を破壊されたことでアルファがアキラの強化服を操作できなくなったとしたら、アキラの戦闘能力は致命的に低下してしまう。

 アキラが起き上がりながらアルファの方を見る。

『アルファ。情報端末が壊れたけど大丈夫か?』

 アルファの姿を見た瞬間、アキラの表情が悲痛な驚愕きょうがくに染まる。胴体を両断されたアルファが、血まみれで床に転がっていた。

 あり得ないはずの光景を見て、信じたくない光景を目の当たりにして、アキラが敵のことなど忘れて絶叫する。

「アルファ!!」

 アキラが必死になってアルファに駆け寄り、両断されたアルファの上半身を抱え起こそうとする。アキラの手がアルファの体を突き抜けて床に当たった。

『落ち着きなさい。私の姿は仮想的なもの。忘れたの?』

 ひどく混乱していたアキラがいつも通りのアルファの声を聞いて我に返った。アルファは両断された姿のままで、首だけアキラの方に向けて微笑ほほえんでいる。

『私がここに生身の肉体を持って実在していて、さっきの攻撃を真面まともに受けたらどうなっていたか。その結果を描画しているだけよ』

 アルファは凄惨に両断された姿をしているが、それはアルファにとって単に服を着替えたことと本質的には同じなのだ。アキラはアルファが無事であることを理解して安心したが、すぐに怪訝けげんな表情でアルファに尋ねる。

「な、なんでそんなことを……」

 アルファもアキラを驚かせるためにこのような姿になったわけではないだろう。アキラは尋ねながらその理由を考え始めていたが、それをアルファが止める。

『質問は後。私は無事。今は戦闘中。敵が接近中。それだけ把握して、敵に備えなさい。ああ、私の姿はしばらくこのままよ。でも会話は普通にできるし、アキラへのサポートへの影響もないわ。その点は安心して』

 敵、その言葉を聞いてアキラの意識が切り替わる。アキラは頭の中にある全ての疑問を棚上げして、自身に迫る敵、ネリアに意識を集中する。

 素早く立ち上がったアキラがネリアの方へCWH対物突撃銃を向けようとする。しかしその方向にあるのはビルの壁だ。アキラは少し躊躇ちゅうちょしたが、壁の向こうに表示されているネリアに狙いを付けて引き金を引いた。

 CWH対物突撃銃の専用弾が壁に直撃する。壁に着弾点から放射状に亀裂が走りへこみができる。しかしそれだけで壁に穴すら開かなかった。CWH対物突撃銃の専用弾を至近距離で直撃させたのにもかかわらず、専用弾は壁を貫通できずに壁にめり込んだだけだった。

 アキラが壁の頑丈さに驚く。

『硬いな!? あいつどうやってこの壁を斬ったんだ!?』

『旧世界の遺物を使用したのよ。アキラも前にやったでしょう?』

 アキラは以前に自分を襲った盗賊を、旧世界の遺物のナイフでビルの壁ごと両断したことを思い出した。あの時のアキラは壁一枚隔てた相手を斬っただけだった。ネリアが使用した遺物がそれ以上の性能であることは間違いない。

『あれか! 敵に使われると厄介なことこの上ないな。どうすれば良い?』

『何とかして相手を射線上に捉えるしかないわ。来るわよ。アキラの強化服でどこまで相手の動きに追いつけるか分からないけど、かなり無茶むちゃな操作をすることになるから、歯を食いしばって耐えなさい』

『分かったよ! せめて俺の手足が千切れる前に終わらせてくれよ!』

 アキラが自棄やけ気味に答えた。もう回復薬は残っていない。その上、体内に残存している回復薬の効果もじきに切れる。強化服がアキラに強いる次の無茶むちゃは、その無茶むちゃがアキラの体に与える次の過負荷は、本当にアキラの四肢を引き千切り兼ねない。

 アルファが両断されて床に転がったままの体勢で答える。

『努力はするわ』

 アキラがアルファの位置を声だけで判断するなら、いつも通り自分のすぐそばに立っているようだ。それはアキラを少し落ち着かせたが、それでも少し焦りながら答える。

『そこはいつものように自信たっぷりに答えてくれ!』

『大丈夫よ。……ちょっとぐらい千切れても、強化服を着ていれば歩いて帰れるわ』

 ネリアを警戒してその方向を見ているアキラには、床に倒れているように描画されているアルファの表情を見ることはできない。でもきっと少し揶揄からかうように微笑ほほえんでいるのだろう。アキラは何となくそう思って苦笑気味に顔をゆがめた。


 ネリアはアキラとの間にある壁を切り裂いてビル内を進み、ついにアキラがいる部屋の手前まで到着した。ネリアには部屋の中のアキラの様子が見えている。アキラは壁から距離を取って銃を構えてネリアを待ち構えている。ネリアが壁を破壊して部屋の中に入ってくる瞬間を狙っているのだ。それぐらいはネリアにも理解できた。

 ネリアが壁の前で止まって楽しげに笑う。

「そんな場所で突っ立っているってことは、私にもう一度同じことは、貴方あなたのお仲間を切った時のようなことはできないって考えているのよね。正解よ。あの手の遺物はもうないの。あれで貴方あなたが死んでいれば簡単だったのに。全く、手間を掛けさせるんだから」

 ネリアが両手のブレードを構える。

貴方あなたの銃じゃ壁越しに私を攻撃できない。私のブレードはその壁を切断できるけど、距離的に貴方あなたを両断できない。だからこれ以上はお互い手詰まり。あとはこのまま膠着こうちゃく状態が続いて時間経過で色無しの霧が晴れさえすれば、通信状態が回復して味方が助けに来てくれる。それまでこのまま粘るだけだ。もしかしてそう考えているのかしら? ごめんなさいね。私達、ちょっと急いでいるの」

 ネリアがその場で踊るように一回転しながらブレードを振るう。

「だからすぐに、そっちに行くわ」

 ネリアは片足を頭より高く上げると、そのまま勢いよく足を下ろして床を踏みつけた。円形に斬られていた床がその衝撃で階下に落ちていく。ネリアも微笑ほほえみながら床と一緒にそのまま下に降りていった。


 アキラはアルファのサポートのおかげで壁の向こうにいるネリアの姿を見ることができる。同じ階にいたネリアが下へ落ちていく姿を見て、アキラは一瞬だけ怪訝けげんそうな表情を浮かべた。しかしネリアの行動の意図に気付いた途端、アキラの表情が一気に険しくなる。

 アキラがその場から飛び退く。一瞬遅れて床から銀色の刃が伸びてくる。刃が触れたものを全て切断して階下に消えていく。刃に触れたものは、部屋の空気とアキラの前髪が少し。そして、部屋の外にいるネリアにはアキラを斬ることができないという幻想だ。

 ネリアが両手のブレードで階下からアキラを狙う。義体の身体能力で天井近くまで飛び上がり、空中で天井の向こうにいる標的へ斬撃を放つ。ネリアの両手に握られている銀色のブレードは、旧世界のCWH対物突撃銃の専用弾すら防いだビルの壁をいとも容易たやすく切り裂く切れ味だ。当然アキラの強化服で防ぐことはできない。

 アキラは床から飛び出てくる銀の刀身を必死に回避し続けていた。アキラ自身は当然として、装備している武器も斬られる訳にはいかない。アキラが銃でブレードを防ぐのも無理だ。恐らくビルの壁と同様に両断されるか、最低でも使用不可能な状態まで破壊されるからだ。

 攻撃手段を失えば、アキラの勝率は絶望的になる。アキラが渾身こんしんの力でヤジマの頭部を殴りつけても、ヤジマを戦闘不能にすることはできなかった。恐らくネリアも同じだろう。素手で勝てる相手ではない。アキラはそう考えていた。

 ネリアのブレードが縦横無尽に床を切り裂きながらアキラを執拗しつように切り裂こうとする。アキラはその刃から身をかわし続ける。

 通常の刃ならCWH対物突撃銃の専用弾すら防ぐ材質の床を斬ることで摩耗し、次第に切れ味が落ちてやがて切れなくなるだろう。しかしこの刃は旧世界の遺物だ。旧世界の技術の結晶だ。ネリアが何度床を切り裂こうと、その切れ味が低下することはない。特殊な液体金属を力場で固定することで形作られているブレードは、振るうたびに融解、固定を繰り返しており、常に最高の切れ味を維持し続けていた。

 アキラは部屋の中を必死で逃げ続けている。アキラが部屋を脱出しようとすると、ネリアがアキラの両断よりも脱出の阻止を目的とした斬撃を放つからだ。結果的にアキラは部屋から逃げられなくなっていた。

 アキラがネリアを攻撃することはできない。床も壁と同じ素材だ。更にCWH対物突撃銃では真下にいるネリアを狙おうとすると、銃口が床に当たって狙えないのだ。

『アルファ! このままだと俺の足が持たないんだけど!?』

 アキラはネリアの斬撃を回避するために急加速と急停止を繰り返している。その動きの要となっている両脚には大きな負荷が掛かっている。痛覚以外の感覚など既に麻痺まひしている。アキラの両脚の限界は近い。生身の方も、強化服の方もだ。

 アルファが慌てるアキラとは対照的な落ち着いた声で答える。

『我慢しなさい。大丈夫。まだ千切れていないわ。もう少しよ』

『それはもう少しで反撃の機会が来るって意味で良いんだよな!? もう少しで千切れるって意味じゃないよな!?』

勿論もちろんよ。……反撃後の状態は保証できないけれど』

『保証してくれ!』

『ちょっと難しいわね』

 反撃の糸口はあるが、その代償は大きいかもしれない。アキラは非常に嫌そうな表情を浮かべながら、ネリアの斬撃から必死に逃げ続けていた。


 ネリアは何度もアキラに斬撃を放ったが、アキラはその全てをかわしていた。ネリアはそのことに驚愕きょうがくしながらも優位者の笑みを絶やしていなかった。

 ネリアは一見ひたすらアキラを狙い続けているように見せていたが、その斬撃にはアキラを攻撃する以外の目的で放たれたものが含まれていた。ネリアにとっての天井を、つまりアキラにとっての床を切り裂く際に、微妙な角度で斬りつけることで、周囲の床から切り取られているが、引っかかって落ちてこない部分を作り出していたのだ。

 ネリアはその場所にアキラを誘い込み、その場所を蹴り飛ばしてアキラの動きを封じるつもりだった。床ごとアキラを蹴り飛ばし、空中で体勢を崩して身動きが取れないアキラを両断するのだ。

 ネリアはアキラへ放つ斬撃の方向を僅かに調整して、アキラの回避方向を仕込みの場所へ誘導する。かわさなければアキラは死ぬ。アキラは誘導された方向へ避けるしかないのだ。

 そしてアキラが仕込みの場所に来た瞬間、ネリアは笑みを深めて跳ね上がる。そのままネリアは空中で義体の出力を生かした痛烈な蹴りを放つ。真上にいるアキラの足下、他の床とは切断済みの部分の床が、鋼すら曲げる威力の蹴りを受けてひび割れる。

 非常に勢いよく蹴られた天井が、ネリアの予想通りにアキラごと吹き飛ばされる、ことはなかった。他の部分とつながっている部分がないにもかかわらず、ネリアが並の強化服を超える義体の身体能力で蹴り上げたのにもかかわらず、切り抜いたはずの部分はその場にとどまっていた。

「なっ!?」

 予想外の事態にネリアが驚愕きょうがくの表情を浮かべ、驚きの声を上げた。蹴りの反動でネリアが体勢を崩す。吹き飛ぶはずの部分がその場から動かなかったため、蹴りの反動も大きくなったのだ。

 その部分はネリアの斬撃で既にかなりもろくなっていた。強い衝撃を加えられた天井のその部分が砕けた瓦礫がれきとなって崩れ落ちた。

 ネリアは落下する瓦礫がれきの隙間から、自分と同じように空中で大きく体勢を崩しているアキラの姿を見た。そのアキラの目は、しっかりとネリアを見ていた。


 ネリアが下から切断済みの天井を蹴り飛ばそうとした時、アキラは上から床を蹴り飛ばそうとしていた。アルファがネリアの策を読み、その裏をかいて反撃を試みたのだ。

 アキラは床を蹴る直前にCWH対物突撃銃を真上に向けて発砲する。発砲の反動を強化服で受け止め、限界まで上げた強化服の身体能力で放つ蹴りの威力に上乗せする。その蹴りの威力は戦闘用の義体が放つ蹴りの威力を相殺した。

 ネリアが切り離し蹴り飛ばそうとした床部分が動かなかったのは、アキラの蹴りによって上下から等しい衝撃を受けたためだった。

 アキラは蹴りの反動で空中に浮かびながら、矛盾した時間感覚の中でゆっくりと落ちていく瓦礫がれきを見ていた。先ほどまでアキラの足場だった瓦礫がれきだ。瓦礫がれきは大きな塊に割れながら落ちていく。CWH対物突撃銃の次弾装填までの時間がもどかしいほどに遅い。

 アキラには瓦礫がれきの向こう側にいるネリアの姿が透過して見えている。つまり射線は塞がれている。

(どうすれば良い? 撃ってもあいつには当たらない。このままだと下に落ちる。落ちている途中で斬られる? どうやって避ける? そもそも空中で身動きが取れない。どうすれば……)

 一瞬の思考をひどく長く感じている間に、アキラの体が勝手に動いた。アルファによる強化服の操作だ。

 アキラは再びCWH対物突撃銃を真上に向けて、次弾装填が終わった瞬間に引き金を引いた。発砲の反動でアキラが真下に吹き飛ばされる。そしてネリアとの間にある瓦礫がれきを巻き込んで階下に落下した。

 ネリアは空中でアキラへ反撃しようと両手に持つブレードを投げつけようとしていた。しかし銃撃の反動で勢いよく飛んできたアキラと、2人の間にあった瓦礫がれきに強くたたき付けられて失敗した。

 アキラとネリアが床にたたき付けられた反動で宙を舞う。2人とも衝撃で武器を手放していた。空中に2人の武器が飛ぶ。2人は宙を舞いながら武器をつかみ、体勢を立て直して着地した。

 アキラとネリアが武器を持って対峙たいじする。ネリアの右手には柄だけになったブレードが握られている。そして、アキラの右手にも同じものが握られていた。

 ネリアがアキラを見て笑う。笑いながら右手の柄を操作する。柄から再び液体金属が流れだし銀色の刀身を形作る。

「残念だったわね。柄だけでどうするつもり? 握れば勝手に刀身が生えてくるとでも思っていたの? 旧世界の遺物にだって安全装置ぐらいは付いているのよ。つまり、その解除方法を知らないと使えないの。ちょっと調べれば分かるようなものじゃ……」

 アキラにこのブレードは使用できない。ネリアはそう思って笑っていたのだが、アキラの右手の柄からも刀身が生えてきたのを見て、意外そうな表情を浮かべる。

「……ああ、そういうこと。貴方あなたも知ってたのね。そこらのハンターが知っているような情報ではないはずなんだけど。それなりに秘匿されている情報で、たとえ都市のエージェントだとしても普通は知らないはずなんだけど。……貴方あなた、何者?」

 アキラは知らない。知っているのはアルファだ。アルファが何故なぜそれを知っているのかなどアキラは知らないし、知る気もない。アキラが何者かと問われれば、アキラは有象無象のハンターだ。そのアキラを、何か、にしているのはアルファだ。そしてそのアルファのことを話すわけにはいかない。

 だからアキラは何も話せない。ネリアはアキラの沈黙を回答の拒否と判断した。

「そう。それなら、折角せっかくだから名前ぐらいは教えてもらっても良いかしら? これも何かの縁。覚えておいてあげるわ」

 アキラが少し迷ってから答える。

「……アキラだ」

「そう。私はネリアよ。貴方あなたが死ぬまでは覚えておいて。そうね、具体的には、後、30秒ぐらいかしら」

 次の瞬間、ネリアは滑るようにアキラとの距離を詰めると、床に付くほど下げていた剣先を跳ね上げた。

 アキラはそれを横に飛んでかわした。刀身の長さを見切って後方へ飛び退いていれば斬られていた。跳ね上がった刀身が一瞬だけ元の刀身より伸びていたからだ。

 ネリアのブレードの軌道が鋭角を描き、横に飛んだアキラを追いかける。アキラは右手のブレードでそれを防ごうとする。刀身がぶつかり合い、ネリアの刀身が衝突したところから折れる。折れた刀身が液体となって散っていく。

 ネリアが踏み込みながら折れた刀身で突きを出す。アキラはそれをかがんでかわす。折れていたはずの刀身は、ネリアが突き終わった時には元の長さに戻っていた。後方へ下がって避けようとしていれば、アキラは死んでいただろう。

 アキラが崩れた体勢で鋭くぎ払う。ネリアはそれを飛び退いてかわした。アキラのブレードは伸びたりしなかった。

 アキラとネリアが再び対峙たいじする。アキラはひどく険しい表情を浮かべている。ネリアは余裕の笑みを崩していない。

 ネリアがアキラとの間合いを調整しながら話す。

「普通なら今ので死んでるんだけどね。貴方あなた、本当に何者? 今のは避け方を知っている動きだったわ。そして剣の扱いを理解している動きだったわ。普通のハンターはそんな技術を学んだりしないはずだけど」

 アキラは答えない。知らないものは答えられないのだ。

『アルファ。反撃の機会の方はどうなってるんだ?』

『取りあえず一方的に攻撃される状況からは脱したわ。本当なら落下しながら相手にCWH対物突撃銃の専用弾をたたき込む予定だったのだけど、瓦礫がれきの割れ方が今一で実行できなかったわ。残念ながら少し運が足りていなかったわ。もう少し運が良ければ、あの時に射線が通ってさえいれば、それで勝っていたのだけどね』

『俺の運の残量は本当にカツカツだな。道理でこんな不運に見舞われるわけだ。ところで、何で俺の方の剣は伸びないんだ?』

『刀身を構成する液体金属の残量が少ないからよ。恐らく階下からアキラを攻撃してきた時に、使用する武器を意図的に偏らせていたのね』

『俺が残量の少ない方を握ったのは、相手が多く残っていた方を知っていて先にそっちを選んだからか? それともただの2択?』

『多分2択の方よ』

『そうか。……一体俺の運はどうなってしまっているんだ』

『私も頑張って対応してみるわ』

『それはどうも』

 アキラの不運にアルファが対処できなくなった時、アキラはあっさり死ぬだろう。

 余裕の笑みを崩していないネリアを見て、アキラは流れを変えるために、足掻あがくために、状況を少しでも優位に傾けるために、相手の平静を欠く目的で少し馬鹿にするように軽口をたたいてみる。

「もう30秒は過ぎたぞ?」

 格下の軽口を聞いていらつき、その余裕の笑みが少しは崩れないだろうか。それでネリアの動きが少しは雑になったりしないだろうか。アキラはそれを結構期待して、嘲るような表情を頑張って浮かべてネリアを見ていた。

 しかしネリアは楽しげに笑っている。

「私のことを覚えている時間が延びたことを喜んでくれるのね。うれしいわ」

 アキラの表情が引きる。

(……どういう思考をすればそんな内容の返事になるんだよ)

 予想外の返事を聞いたアキラが僅かに気圧けおされる。ネリアがどことなくうれしそうな表情で続けて話す。

「それにしても、私の攻撃をあそこまでかわすとは驚いたわ。ブレードでの攻防も私と真面まともに戦えるほどの腕前。貴方あなた、そのとしすごいのね。それともやっぱり少年型の義体で、中身は結構なとしなの? まあ、どっちでも良いけどね。ところで貴方あなた、恋人はいるの?」

 ネリアの意味の分からない質問を聞いたアキラが怪訝けげんな表情で答える。

「何の話だ?」

「いないのなら、私と付き合わない? ちょうど恋人と死に別れて今はフリーなの。私は強い人が好みなの。貴方あなたの実力なら申し分ないわ」

「そんな冗談を言えるなんて随分余裕だな」

 アキラはネリアの言葉を冗談と判断して苦笑した。しかしネリアが笑って答える。

「あら、冗談なんかじゃないわ。本気よ。真面目に口説いてるわ。それで、どう?」

 ネリアの言葉がアキラの動揺を誘うためのうそや演技だとしても、それに乗ることで状況が改善するかもしれない。そう考えたアキラがいぶかしみなら尋ねる。

「……それは、付き合うって答えたら、俺は助かるってことか?」

 ネリアがあっさりと当たり前のことのように答える。

「いいえ。殺すわ。それはそれ、これはこれ。私が貴方あなたを殺すことと、貴方あなたが私と付き合うことは別のことでしょう?」

 ネリアは楽しげに笑いながら少しずつアキラとの距離を詰めている。アキラはかなり引きつった表情で僅かに後退している。

 アキラの中にある常識を揺らがせる言葉を吐く相手に、アキラが何とか苦笑気味の表情を浮かべて話す。

「どちらにしろ殺す相手を口説くのか? 頭がおかしいんじゃないか?」

「そうかしら? 人は長年付き添った最愛の人だって殺せるわ。付き合ったばかりの恋人を殺せても不思議はないと思うけど。それに悲劇にしろ喜劇にしろ恋人と殺し合うなんて滅多めったにない経験だと思わない? それは退屈な人生を遠ざけるに足る経験だわ。一度切りの人生だもの。彩りを添えておかないとね」

 アキラは何となくだが相手がうそを吐いていないと思ってしまった。アルファに聞いてみようかとも考えたが、それは取りやめた。うそを吐いていないと断言されたくなかったからだ。

 理解に苦しむ思考を口にするネリアに、アキラが更に気圧けおされていく。相手の平静を欠こうとして始めた会話は逆効果になってしまった。

 ネリアがどことなく押しの強い笑顔でアキラとの距離を詰めていく。

「それで、どうかしら?」

 僅かに湧いた得体の知れない恐怖をき消すために、アキラが強めの口調で答える。

「……断る!」

「そう。残念ね」

 ネリアは演技ではない残念そうな笑みを浮かべた。そしてアキラとの距離を一気に詰めて斬撃を放つ。アキラがそれをかわして反撃する。

 2人が使用している遺物は、CWH対物突撃銃の専用弾にすら耐える物体を容易たやすく切り裂く代物だ。一度も使用せずに売却すれば相当な値が付くだろう。

 旧世界の遺物は高価だ。しかしそれでも使用すれば、使用に必要な成分やエネルギーなどを消費すれば、その売値は下がっていく。壊せば更に値が下がる。

 アキラとネリアは相手の命を奪うために遺物の価値を下げ続けている。その価値を目減りした分だけ、相手の死に、命にそそぎ込み続けている。それはある意味極めて贅沢ぜいたくな殺し合いだった。

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