第13話 真面なハンター

 アキラは訓練と遺跡探索の日々を送っていた。

 子供でも行ける遺跡に遺物の詰まった未調査部分が存在するといううわさは既に沈静化している。アルファが遺物の相場をある程度把握して、買取所に持ち込む遺物の質と量を調整したからだ。

 アキラが一応装備を調えたこともあって、武装もしていない素人同然の子供が買取所に遺物を持ち込むこともなくなった。実際に未調査部分を見付けたという者も現れなかった。それによりうわさの沈静化も早く進み、うわさを理由にクズスハラ街遺跡に向かうハンターはすぐにいなくなった。

 そのおかげでアキラの遺物収集は順調だった。だがその順調さに反して資金繰りは悪化していた。うわさを再燃させないように、見付けた遺物の大半を買取所には持ち込まずに別の場所に隠していたからだ。

 資金繰りの悪化に対応するために、アキラは宿代を1泊2万オーラムから1泊4000オーラムにまで下げていた。最近では4畳ほどの狭さで簡素なシャワーが付いているだけの簡素な部屋で寝泊まりしていた。

 それでもスラム街の路上に比べれば随分豪勢なのだが、風呂付きの生活を覚えてしまったアキラには不満の多い生活であるのも事実だ。一度生活水準を上げてしまうとそれを下げるのはなかなか大変で、アキラは早く風呂付きの生活に戻りたいとぼやいていた。

 アルファはそのアキラを変わらぬ笑顔でなだめていた。高価な遺物を持ち込んでも不自然に思われない実力を身に付ければ、すぐに風呂付きの生活に戻れる。そう発破を掛けていた。

 変わらぬ笑顔の裏で、アキラの全てを観察しながら、いつものように笑っていた。


 訓練と遺跡探索の日々に変化が起きたのは、アキラが買取所で累計10回目の買取手続きを済ませた時だった。いつものように代金を受け取って帰ろうとすると、ノジマに呼び止められる。

「ちょっと待て。今日はこれを持っていけ」

 ノジマが紙の地図とプラスチック製のカードをアキラに渡す。地図は都市の防壁周辺のもので、目的地の印が付いていた。

「そこでちょっとした手続きがある。そのカードを職員に見せれば良い。じゃあ頑張りな。アジラ」

「……俺の名前はアキラだ」

 アジラは誤って登録されたアキラの名前だ。ノジマが少し不機嫌そうなアキラを見て軽く吹き出す。

「データベースにはそう登録されているんだがな。間違って登録されたのか。誰が登録処理をしたのか知らんが適当な仕事をしやがって。手続きで直せるからとっとと行ってこい」

 ノジマはそれだけ言って、どことなく上機嫌でアキラを見送った。


 クガマヤマ都市の中位区画を囲む防壁は、モンスターの大襲撃などで壁の外側が灰燼かいじんに帰したとしても、内側を無傷で済ませる強固な防衛力を誇っている。その壁の内外に住む人々を物理的、経済的、社会的に隔てる高く分厚い防壁は、近くで見る者を圧倒させる迫力に満ちていた。

 クガマビルはその防壁と一体化している巨大な高層ビルだ。壁内外の都市経済をつなぐ中継地点であり、都市機能の要所でもある。

 ビル内にはハンターオフィス支部も入っている。アキラがハンター登録を済ませた寂れた支店とは根本的に違う営業所であり、クガマヤマ都市付近で活動するハンター達を一括管理する重要な施設だ。

 アキラがそのクガマビルを見上げてたじろいでいる。そこに存在する権力、財力、武力を容易に想像させるビルの外観は、スラム街育ちの子供には畏怖が強すぎた。

 地図の印はそのビル内のハンターオフィス受付を指している。

『ここ、だよな?』

『そうよ。入りましょう』

『あ、ああ』

 平然と進むアルファの後に続いて、アキラも落ち着かない様子でクガマビルに入っていく。アキラ一人なら無駄にひるんでビル内に入るのに結構な時間が掛かっていた。その時間を短縮できたのも、地味にアルファのサポートの成果だ。

 ハンターオフィスの受付はビルの1階に設置されている。その大規模な受付に、内装の雰囲気に、そしてその場にいるハンター達の姿に、アキラが気圧けおされて立ち止まる。身の丈を超える銃を背負っている者。高性能な強化服を着用している者。一目でサイボーグだと分かる鋼の肌をした者。全員、アキラのような単にハンター登録を済ませただけの者とは異なる隔絶した実力者達だ。

『アキラ。彼らは別に敵ではないし、襲われる訳でもないのだから落ち着きなさい』

『わ、分かってる』

『黙って立っていても仕方無いし、早く手続きを済ませてしまいましょう。手続きの進め方とか、分かる?』

『わ、分からない』

『こっちよ』

 スラム街育ちで基本的な受付手続きの方法も知らないアキラだったが、アルファのサポートのおかげで事無きを得た。発券機を兼ねた無人の受付端末に向かい、ノジマから受け取ったカードを使用して順番待ちの登録を済ませ、邪魔にならない場所で静かに順番を待ち、その後に対応窓口に向かう。そして窓口の女性職員に整理券とカードを見せた。

「これを見せろって言われたんですけど……」

 事務的な愛想笑いを浮かべていた女性職員は、そのカードを見ると驚きで表情を軽く崩した。だがすぐに己の職務を思い出して愛想の良い表情に戻す。そして受け取ったカードを手元の端末に読み取らせた。

「確認いたしました。アジラ様御本人で間違い御座いませんか?」

 アキラが緊張しながら答える。

「あ、はい。いや、違います。俺はアキラで、その、登録した時に間違って登録されたんです」

 職員が恭しく頭を下げて非礼をびる。

「大変失礼いたしました。では改めまして、アキラ様、ハンターランク10への御昇格、おめでとうございます。ハンター証の再発行及び登録情報の確認を致します。ハンター証再発行手続、及び関連事項についての説明は必要でしょうか?」

「え、あ、はい。お願いします」

かしこまりました」

 恐らく相手は事情を全くつかめていない。職員はアキラの態度からそう判断すると、己の職務に従って丁寧に愛想良く微笑ほほえみながら、今回の登録手続について詳しく説明し始めた。

 ハンターオフィスはハンターにハンターランクと呼ばれる評価基準を設定している。最低値はランク1であり、基本的に高ランクのハンターほど優秀なハンターとして扱われる。

 ハンターランクを上げるには、遺物をハンターオフィスの買取所やその提携店に売却する、ハンターオフィス及びその提携企業等からの依頼を受ける、などの様々な方法が存在する。基本的には東部統治企業連盟、通称統企連への貢献度が高いほど評価され、その評価に応じてランクが上昇する。

 高ランクのハンターは統企連からの信用も高く、ハンターオフィスからも優遇される。例えば都市の上位区画への立ち入り許可も、高ランクのハンターであるほど許可が下りやすい。

 また、大企業等が実質的に専有している立ち入り制限遺跡の調査、遺物収集なども、高ランクハンターであれば特別に許可が下りる。順番待ち等の優先順位などもハンターランクが高いほど優先される。

 高性能な装備の入手にも影響する。値段や数量、そして威力などから、低ランクハンターには販売を自粛、もしくは禁止している銃なども存在する。

 ハンターオフィス及びその提携企業などが出す依頼には、ハンターランクによる制限を設けているものもある。機密性の高い依頼などは高ランクのハンターしか受けられず、そもそも低ランクのハンターでは依頼の存在を知ることすら出来ない。

 それら数多くの優遇処置に加えて、ハンターとしての格や名誉を求めて、ハンターランクの上昇に血道を上げる者は多かった。

 アキラの現在のハンターランクは10だ。これは社員証や市民証など有効な身分証を持つ者が、それなりの装備でハンター登録を行った場合の初期値でもある。つまり、一般的なハンターとしては素人のランクだ。

 スラム街の住人など身分証を持たない者がハンター登録を行うと、ランク1のハンターとして登録される。この時点では紙切れに名前が記載されているだけの存在だ。

 その後、規定回数、規定金額以上の遺物等を買取所に持ち込むなどの実績を積むと、真面目にハンターをやる意思と能力があると認定され、比較的見込みがある存在として扱われる。内部処理でハンターランクも上昇する。

 そしてハンターランクが10に到達すると、ハンターオフィスからようや真面まともなハンターとして扱われるようになるのだ。

 ノジマに買取所で渡されたカードは、アキラがランク1からい上がってきた人物であることを示すものだった。そのような者は基本的に少ない。大抵は途中で諦めてめるか、あるいは死ぬかのどちらかだからだ。

 そしてそこからい上がってきた少数の者は、比較的有望なハンターとしてそれなりの優遇を受ける。例えばハンター証の再発行の手数料が初回のみ無料になるなどだ。

 職員は一通りの説明を済ませてからアキラに小冊子を渡した。上質な紙の小冊子で表紙には統企連とハンターオフィスのロゴマークが記載されている。先ほどの説明のより詳細な内容やハンター関連の情報などをまとめたものだ。

 職員がアキラの登録処理を進める。

「アキラ様。登録内容の名前の修正を御希望とのことですので、修正登録するお名前を再度お聞かせください」

「アキラです」

 アキラが少し不思議そうにそう答えると、職員の女性が真面目な表情で確認を求める。

「アキラ様。今回の登録処理は仮登録から本登録への更新の意味合いが強く、登録情報は基本的に不足情報の追記となります。その上で、今回は私どもの不手際によりお名前を誤って登録されているという状態を考慮しまして、変更登録を受け付けております。以降、登録内容の変更には審査を必須とする変更理由が不可欠となり、理由の如何いかんによっては変更を拒否する場合が御座います。あらかじめ御了承ください。名前は、ハンターオフィスが貴方あなた様を識別する要素であり、貴方あなた様個人を説明、認識、確認する固有要素でもあります。対象が属する血族、土地、国、文化、階級などを含める場合も御座います。それを踏まえて、登録名は、アキラ、のみで本当によろしいでしょうか?」

 アキラはその問いに即答できなかった。

 アキラはどこにも属していない。家族はいない。その記憶も無い。気が付いたらクガマヤマ都市のスラム街にいただけであり、スラム街に愛着など持っていない。そこから抜け出す力が無かったからそこにいただけで、そこに所属しているなどと欠片かけらも思っていない。またスラム街に無数に存在する何らかの徒党の構成員でもない。

 ずっと独りで行動してきた。自身の呼称を自身で定義した時、アキラ、以外の構成要素は存在しなかった。だからこそ、この機会に自身の呼び名を変えようと思えば幾らでも変えられた。呼び名が急に変わっても不都合など無い。その名を呼ぶ者など、どこにもいないからだ。

 最近できた、アルファという例外を除いて。

 僅かな沈黙の後、アキラが真面目な表情を浮かべる。

「アキラ。俺の名前はアキラです。それで登録してください。もし変えたくなったらその時に変えます。その時に変えられないのなら、むしろ変えてはいけない気がします」

かしこまりました」

 職員は手元の端末を操作した後、アキラに新しいハンター証を手渡した。

 アキラが受け取ったハンター証をじっと見る。今までの安っぽい紙切れとは違う硬質プラスチック製のカードだ。そこには紙切れから硬質プラスチックに変わった以上の大きな意味が存在していた。

「紛失にはくれぐれも御注意ください。再発行には費用と審査が必要になります。最悪、これまでの実績を全て失い新規登録と同様の扱いになる場合が御座います」

 職員が愛想良く微笑ほほえんで軽く頭を下げる。

「登録処理は以上になります。アキラ様の御活躍を心からお祈り申し上げます」

 悪く言えば事務的に、良く言えば1人のハンターとして応対する価値がある人物だと認められて、アキラは職員に微笑ほほえんで見送られた。


 アキラがクガマビルの外で真新しいハンター証をしげしげと見ている。そのアキラをアルファがうれしそうに笑って祝福する。

『アキラ。ようやくハンターになれたわね。おめでとう』

『ありがとう。……今まで俺はハンターじゃなかったのか?』

『今までは自称ハンターってところだったわね。他のハンターに今までの紙切れを提示して俺はハンターだと名乗ったら、残念だけど失笑されるわ』

 アキラが新しいハンター証をしみじみと見ながら感慨深い様子を見せる。

『確かにそうだな』

 ハンター証にはアキラの名前が正しく記載されている。アキラはそれを読み、少しだけうれしそうに笑った。

「俺もようやくハンターを名乗れる身分になった訳か……」

 このハンター証はアキラの身分証でもある。もっともこれをそこらの店で提示したところで、素人同然のハンターだと認識されるだけであり、身分証としての効力など高が知れている。だがそれでもアキラにとっては大きな前進だ。少なくとも現時点をもって、身分証すら無いスラム街の住人から明確に脱したのだ。

 ハンター稼業の実績を積み重ね、このハンター証を提示することが重要で有意義な意味を持つようになった時、アキラはハンターとして成り上がったと自他共に言えるようになる。その第一歩が、今日、ようやく始まった。

 放っておくといつまでもハンター証を見続けていそうなアキラに、アルファが苦笑を浮かべながら注意する。

『いつまでも見ていないで、そろそろ仕舞しまいなさい。そのままだと不審者になるわよ?』

 クガマビル周辺は下位区画でも特に念入りな治安維持が敷かれている。警備員から不審者として扱われた際に降りかかる面倒事は、下位区画の他の場所の比ではない。アキラは少しあたふたとしながらハンター証を仕舞しまった。

『さて、これでアキラもようやく登録上は一端いっぱしのハンターに成ったわ。それに合わせて装備等の面でも一端のハンターになるために、早速ハンターの必需品を買いに行きましょうか』

『必需品? 何を買うんだ?』

『情報端末よ』

 ハンター達は遺跡の位置や内部構造、生息するモンスターの詳細など、多種多様な有益な情報をネットを介して交換、共有、売買している。それらはハンター稼業の効率化を推し進め、遺跡から多くの遺物を企業にもたらし、東部全体の活性化につながった。

 その情報網の構築を促したのが、東部に広く出回っている情報端末だ。多津森重工たつもりじゅうこうがハンター稼業に耐えうる安価で高性能な製品の製造に成功したことで、情報端末はハンター達の間に一気に広まった。現在でもハンター向けの市場は多津森重工の寡占状態が続いており、多津森重工はこれを足掛かりにして東部での影響力を強めて統治企業へ躍進した。

 加えて情報端末は多津森重工の影響力により統企連の東部攻略の戦略製品に位置付けられた。その結果、東部全体の利益のために量産化と低価格化が推し進められ、今ではアキラのような者でも買えるほどに入手しやすくなっていた。

 情報端末がハンター達の生活に溶け込むのに従って、企業やハンターオフィスからの依頼を情報端末経由で受ける者も増えた。そして今ではハンターの必需品と呼ばれるまでになったのだ。

 アキラはハンターオフィスの近くにある情報端末の専門店で、アルファに勧められるままに情報端末を購入した。情報端末の代金はアキラの有り金ほぼ全てだ。ついでに店で情報端末のハンター向けの簡単な初期設定を済ませた。アキラにはその設定内容も設定手順も全く分からなかったが、店員が手慣れた操作で設定を済ませた。

 その設定作業の途中で、店員からハンター向けの設定にはハンター証が必要だと説明された。アキラは早速ハンター証を使う機会が出来たことに少し喜んでいた。


 狭い宿に戻ってきたアキラが少々険しい顔を浮かべている。ハンター証と情報端末を手に入れた高揚はもう落ち着いている。そして一端いっぱしのハンターとしてこれからも頑張ろうとこれからのことを考えた途端、現実的な懸念が浮かんできたのだ。

「アルファ。情報端末の代金に有り金をぎ込んだ所為せいで、明日の宿代すら無い状況なんだけど……、大丈夫なのか?」

 アルファにも何か考えがあるのだろうと、浮かんだ懸念を解消する言葉を期待していたアキラに、アルファが笑って言い切る。

『大丈夫ではないから明日も遺跡に行くわ』

 アキラがじと目をアルファに向ける。アルファは黙って笑顔を返す。そのまましばらく黙って見詰め合う。その見詰め合いは、アキラの軽いめ息を契機に終了した。

 アルファと口論しても勝てないのは分かっている。情報端末に有り金をぎ込んだが、それだけの意味と価値があるのだろうとも思っている。理由を詳しく聞き続ければ最終的には納得しているであろう自分も思い描ける。

 何より遺跡探索で疲れている。明日も遺跡に行くのなら、無駄な口論で体力を消耗するより早めに休んだ方が良い。そう考えたアキラは、いろいろ思うところはあったものの、いろいろ聞くのはめておいた。

『弾薬は買い置きがあるから、そっちの方は大丈夫ね』

「……そうだな」

『明日からは遺跡探索に情報端末を活用するわ。今から情報端末の設定をするから手伝って』

「ん? それはもう店で済ませただろう?」

『あれは一般的なハンター用の設定よ。今からやるのはアキラ用の設定。私のサポートを受けやすいように、思いっきり中身を書き換えるわ。でも情報端末の操作は今の私には出来ないから、代わりにアキラにやってもらうのよ』

「つまり情報端末を使いやすくするのか。分かった」

『最短でも夜中まで掛かるから、頑張ってね』

「えっ!?」

 アキラが驚いてアルファを見る。そしていつも通りの微笑ほほえみを浮かべているアルファの様子から冗談の類いではないと理解すると、急に増した疲労感に引きられて、少しだけ表情を引きらせた。


 アキラはアルファの指示に従って情報端末の設定を続けていた。具体的な作業内容は、情報端末の操作部と表示面を兼ねた硬質パネルに触れて、設定情報の入力や選択を続けることだ。もっともアキラには内容など全く分からなかった。

 意味不明の図形や記号、文字らしいものの入力や選択を行うと、意味不明の図形や記号、文字らしいものが表示される。それに対し、アルファの指示通りに入力や選択を機械的に繰り返す。それは操作意図の不明な単純作業の連続だ。人の思考力を奪う目的で続けられる何らかの拷問ではないかと疑いたくなるほどだった。

 自分は何をやっているのか。本当にこれは情報端末の設定作業なのか。実はうわさに聞く西部の魔術や儀式などの一種なのではないか。知らぬ間に何か得体の知れないものを呼び出す儀式でも行ってはいないだろうか。意味も分からずに繰り返させられる単調な操作は、アキラの思考を妙な方向へ誘導し始めていた。

 事前の宣言通り、設定作業は夜になっても終わらなかった。アキラは無心で端末を操作し続けていた。そしてついにアキラの作業が終わる。

『アキラ。もう良いわよ』

「……やっと終わったのか」

『正確にはまだ設定処理自体は終わっていないのだけれど、もうアキラの手を煩わせる作業はないわ。後は私がやっておくから、アキラはゆっくり休んで』

 既に日付が変わっていた。それに気付いたアキラがより一層の疲労感を覚える。倒れ込むように床に横になると、情報端末を近くの床に適当に置く。そして眠気に抵抗せずにそのまま眠りに就いた。

 アキラが寝ている間も情報端末は独りでに一晩中動き続けていた。


 翌朝、アキラはいつものようにアルファの声で目を覚ました。だが視線を声の方に向けてもアルファの姿は見当たらなかった。

「……アルファ?」

「こっちこっち」

 怪訝けげんな顔を浮かべながら、いつもとはどこか違って聞こえる声の方に視線を向ける。床に転がっている情報端末に、笑って手を振っているアルファの姿が映っていた。声がいつもと違って聞こえていたのは、念話ではなく実際に情報端末から出ていた声を耳で聞いていたからだ。情報端末では音質の再現に限界があり、そこも違和感の元になっていた。

 情報端末を手に取って表示画面の中のアルファと視線を合わせると、アルファが得意げに笑いかけてくる。

「どう? すごいでしょう。この情報端末は私が乗っ取ったわ!」

「……え、あ、うん」

 アキラの寝起きを考慮しても随分と薄い反応に、アルファが不満げな顔を見せる。

「反応が薄いわね。もっと驚かないの?」

「見えるけど触れない女性がそばにいるとか、視界の一部が拡大されたりすることに比べたら大したことはない気がする。それよりも、これからはこの情報端末でアルファとり取りするのか?」

「その方が良いならそうするわ。どうする?」

 アキラが少し考えた後に、素っ気ない様子を装って答える。

「今まで通りにしてくれ。いちいち情報端末を見る方が面倒だ」

「分かったわ」

 アルファが情報端末の中から姿を消して、いつものようにアキラのそばに現れる。そして情報端末の中とは比較にならない存在感の姿と声で、うれしそうに少し悪戯いたずらっぽく笑いながらアキラに顔を近付けると、誘うような声を出す。

『やっぱり情報端末の小さな画面越しより、こうやってアキラのそばにいた方が良い?』

「あー、そうそう。そうだよ」

 アキラは視線を逸らしながら若干投げやりに答えた。アルファは少し顔の赤いアキラを見て満足そうに笑っていた。


 再びクズスハラ街遺跡に遺物収集に向かったアキラが、遺跡手前の荒野で気合いを入れている。熱が入っているのは、真面まともなハンター証を得て一端いっぱしのハンターとなってからの初めての遺跡探査だから、ではない。情報端末の購入で手持ちの金をほぼ使い切り、今日の宿代すら残っていないからだ。

 収穫無しでの帰還となれば、再びスラム街の路上生活に逆戻りだ。路地裏よりはるかにましな狭い宿でも不満を覚えてしまうほどに贅沢ぜいたくに慣れてしまった感覚で、再びかつての路地裏で寝泊まりする羽目になる。それは避けたかった。一度深呼吸をして気を引き締めると、真面目な顔で遺跡へ進もうとする。

「よし。行こう」

『ちょっと待って』

「何だよ」

 気勢をがれたアキラが不満げな顔をアルファに向ける。ある意味で余裕の表れとも取れる表情だ。だがそれも次の話を聞くまでだった。

『銃の腕はそこそこ上達してきたから、今日から訓練内容の比重を変えるわね。具体的に言うと、私の索敵が無い状態でもある程度は動けるようになってもらうわ。これから遺跡に入るけれど、私の索敵は無いと思って行動して』

 アキラの表情が大きく揺らいだ。アルファの索敵はアキラの生命線だ。それが無くなればどうなるかなど、考えるまでもない。

「……だ、大丈夫なのか?」

 戸惑いと不安をあらわにするアキラに向けて、アルファが平然と微笑ほほえむ。

『大丈夫ではないから訓練が必要なのよ』

「そ、それはそうだけどさ……」

 食い下がろうとしたアキラが驚いて言葉を止める。アルファが急に真面目な顔になったのだ。

『アキラがハンターとして成長すれば、他の遺跡にハンター稼業に行く機会も増えるわ。クズスハラ街遺跡だけで稼ぐのでは限界があるからね。でも残念だけれど、私の索敵はクズスハラ街遺跡以外だと精度が格段に下がるのよ』

「……具体的には、どれぐらい下がるんだ?」

『最悪の場合、私の索敵そのものが不可能になるわ』

 アキラは思わず顔をしかめた。今のアキラにとって、それは余りに致命的だ。

勿論もちろんその状況でも出来る限りのサポートはするわ。でも限度はある。だから今の内に遺跡での動き方を身に付けてほしいのよ。分かった?』

「……分かった。……今は訓練なんだから、本当に危なかったら教えてくれるんだよな?」

 アルファが表情を笑顔に戻してうなずく。

勿論もちろんよ。ただしアキラはそれを忘れて緊張感を持って行動してね。訓練にならないから』

「あ、ああ」

『基本的にはアキラの好きなように動いて。それで危険な行動をしたり、しておいた方が良い行動をしなかったりしたら、私がそのたびに指摘するわ。それでは、始めて』

 アキラが緊張を抑えようと深呼吸をする。訓練であり実際にはアルファの索敵は生きているとはいえ、それが無い状態を意識し想像して遺跡を見ると、遺跡が急に非常に危険な場所に見え始める。

 そして実際に遺跡はその想像以上に危険な場所だ。アルファという存在が遺跡の危険への感覚を鈍らせていただけだ。アキラは自分が抱いていた感覚は慣れではなく甘えだったことを自覚して、それでも遺跡へ覚悟を決めて歩き出す。

『止まって』

 そしてその1歩目で、早速指摘を受けた。

「いきなりか」

『まずはここから双眼鏡で遺跡の様子を確認すること。モンスターがいるかどうか。いた場合はそれがアキラでも勝てそうな相手かどうか。より安全な他のルートは存在するか。引き返すべきか。よく考えて決めなさい』

 もっともだと納得し、その程度のこともせずに進もうとした自分の未熟さに苦笑する。そして双眼鏡を取り出して遺跡の様子を確認する。モンスターの姿は見えない。隠れているかもしれないが、その確認すらしなかった時よりは大分安全になった。

「大丈夫そうだな」

『進む前に情報端末を見て』

 アキラが腕に装着している情報端末を見る。ハンター向け製品の付属品である頑丈なベルトを使用して、見やすい位置にしっかりと固定している。その情報端末の画面にデフォルメされた小さなアルファが映っており、画面の中を指差して操作を促していた。その指示に沿って操作を進めると地図が表示された。

『それはクズスハラ街遺跡の地図よ。単純に遺物収集に励むにしても、当てもなく適当に探すのではなく、事前に探索場所やその移動ルートを決めておきなさい。遺物が有りそうな場所を探すのも重要。でもそれ以上に、モンスターと遭遇や交戦した時の退路も考えて移動ルートを決める方が重要よ。それらをよく考えて、状況に応じて適宜修正を加えながら進みなさい』

「よく考えろって言われても、どういうふうに考えれば良いんだ?」

『それを考えるのも訓練の内よ』

 アキラが険しい表情で地図を凝視する。地図には様々な情報が記載されている。だがそれらの情報を分析して適切な移動ルートを決定するなどアキラでなくとも難しい。それでも自分なりに必死に考えた上で遺跡に向かっていった。


 クズスハラ街遺跡の外周部は廃ビルと瓦礫がれきの世界だ。既に過去に何度も平然と通った記憶がある。その場所を、アキラは記憶の時とは著しく異なるはるかに真剣な表情で進んでいた。

 周囲を可能な限り警戒しながら慎重にゆっくりと歩を進める。その過度に精神をり減らす警戒も、アキラの生存率向上には大して影響を与えていない。索敵を含めたアキラの動きが素人同然であることに加えて、廃ビルの窓や瓦礫がれきの物陰など、敵の潜んでいる危険性のある場所が多すぎるのだ。

 敵の存在を疑い出せば切りが無い。しかし全ての場所を確認する余裕など無い。だが実戦で確認をおろそかにした場所に敵が潜んでいれば、それでアキラの人生は終わる。遺跡とは、本来そこまで危険な場所なのだ。

 それでも日々多くのハンター達が命賭けで遺跡に向かい続けている。その命に見合う勝利を得るか、負けて全てを失う日まで。

 訓練が続く。数歩、あるいは1歩進むたびにアルファの指摘が入る。足音を立てない歩き方。奇襲される確率が低い移動ルートの見分け方。速やかに反撃可能な体勢の選択と、不安定な足場でその体勢を維持する方法。周囲を見渡した時に確認するべきものの優先順位。その全てがアキラに足りていない。

 それらの結果として、アキラは普通に歩けば数分の距離を進むのに1時間掛かった。モンスターとの遭遇は無かったが、それでも過度の緊張の連続はアキラを相応に疲弊させていた。

 アキラの疲労状態を本人以上に正確に把握しているアルファが、これ以上は危険だと判断して訓練を切り上げる。

『今日はこれぐらいにしましょう。近くに敵はいないから気を抜いても大丈夫よ』

 緊張から解き放たれたアキラが疲れから大きく息を吐く。そして振り返り、自分が進んだ距離を確認する。少し先に遺跡と荒野の境目が見えた。自身への落胆でめ息が出る。

「……これだけしか進んでないのか。先は遠そうだな」

『経験を積めばもっと早く進めるようになるわ。それに情報収集機器とかの高性能な装備をそろえれば索敵も格段に楽になる。訓練して、装備を調えて、地道に強くなっていきましょう。私に任せておきなさい』

 アキラを気遣うように優しく明るく自信たっぷりに笑うアルファを見て、アキラも落ちかけていた意気を取り戻した。

「……。そうだな。焦っても仕方無いか」

『そうよ。それではここからは遺物収集に切り替えて、いつものように私の索敵で進みましょうか。行きましょう』

 アキラは索敵を完全にアルファに任せて遺跡の奥へ進んでいく。先ほど進むのに1時間掛かった距離など数分で追い抜いた。


 再度遺跡の中を進んでいく。元々は機能的に設計されていた街の通りもビルの倒壊などで道を塞がれてしまった所為せいで、今では半分迷路のようになっている。

 アキラは歩きながら周りを情報端末の地図と見比べていた。そして怪訝けげんそうに軽く首をかしげる。

「アルファ。この地図なんだけど、結構間違ってないか?」

『当然、間違っているわ』

 アルファが至極あっさりとそれを認めたことに、アキラが少し驚きながら聞き返す。

「間違ってるのか。しかも当然なのか」

『その地図はネットで無料で手に入るものだからね。かなり低い精度のものよ。もっと高精度の地図が必要なら、信頼できる筋から相応の金額を出して購入しないと駄目よ。その地図でさえ、結局は作製時の情報であって、現地の内容と完全に一致する保証は無いわ。強力なモンスターが遺跡内でその地形を変えてしまうほど暴れることもあるし、ハンターとかが遺物収集の都合で施設の壁とかを爆破しようとして、加減を誤って施設ごと倒壊させることもあるわ。他にも地図と実際の地形の差を大きく変える事態は幾らでもあるの。それを踏まえて地図をどこまで信用するか。そこを考えて行動するのも訓練の内よ』

 ハンターの中には地図屋と呼ばれる者がいる。多種多様な手段で遺跡の詳細な地図を作製し、その売買で生計を立てる者達だ。危険な遺跡の内部構造、内部に生息するモンスターの種類や数、過去に発掘された遺物の内容など、有益な情報が多数記載されている地図は、時にその遺跡で見付かる遺物より高値で売買される。

 アキラはその話を興味深く聞いていた。ハンターとは遺跡から遺物を探し出したりモンスターを倒したりして、何だかんだと金を稼ぐもの。その程度の狭く薄く浅い認識しか持っていなかったアキラにとって、その地図屋という稼ぎ方は結構な衝撃だった。

「そういう稼ぎ方もあるのか。商売に成るほど売れるのか」

『遺跡に事前情報も無く考え無しに突入するのと、十分な情報をそろえて綿密な作戦を立ててから突入するのでは、生還率に大きな差が出るわ。金で安全が買えるのなら、有料でも買うハンターは多いでしょうね』

あらかじめ遺跡の情報をつかんでおくのもハンターの実力の内ってことか」

『そういうこと。何の情報も無しにクズスハラ街遺跡に行ったアキラがどれほど無謀だったかは、アキラも身に染みているでしょう?』

 アキラがアルファと出会った時のことを思い出して苦笑する。

「まあな。確かにあの時にアルファと会えなかったら俺は間違いなく死んでいたと思う。あの時は本当に危なかった。感謝してる」

 アルファが不敵に微笑ほほえむ。

『その感謝はちゃんと行動で示してちょうだいね。具体的には、私からの依頼を達成できるように頑張るとか。かすつもりはないけれどね』

「まあ、気長に待っていてくれ」

『期待しているわ』

 アキラは軽い口調で返したが、その言葉と意思に偽りはない。そのアキラに微笑ほほえみを返したアルファも、その言葉と意思に偽りはない。ただし、内心とどこまで一致しているかは別の話だった。


 本日の遺物収集を終えたアキラが持ち帰る遺物の量を確認している。

「アルファ。今日の分だけど、いつもより少し多くないか?」

『アキラもようや一端いっぱしのハンターに成った訳だから、少し多めにしたわ。これからも少しずつ増やしていきましょう。勿論もちろん、アキラの実力に応じて増やしていくわ。良質の装備や弾薬や訓練や勉強や休息のためにも、これからも頑張って稼ぎましょう。アキラだって風呂付きの部屋に泊まりたいでしょう?』

 アキラが力強くうなずく。

「泊まりたい。それならもう少し増やしても……」

 期待を視線に乗せるアキラに向けて、アルファが力強く微笑ほほえむ。

『駄目』

「……はい」

 アキラが残念そうに少し項垂うなだれる。アルファは楽しそうに笑っていた。

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