第189話 金額の妥当性

 アキラが病室で目を覚ました。ベッドの上で身を起こし、室内を軽く見渡して状況を理解すると、軽くめ息を吐く。

「またか」

『またよ』

 アルファがベッドに腰掛けて微笑ほほえんでいる。

『おはようアキラ。良く眠れたかしら?』

『ああ。……しかし何だな。これで病院送りは2度目か。死なずに済んで良かったと喜ぶべきか、またこんな目に遭ったことを嘆くべきか、判断に迷うな』

『あら、そこは迷う必要なんか全くないわ。喜ぶべきよ』

『一応聞くけど、理由は?』

『アキラが助かったことを喜ばない理由はないわ。私にもアキラにもね。アキラが死なずに済んで本当に良かったわ』

 アルファはとてもうれしそうに優しく微笑ほほえんでいた。それを見たアキラにほんの僅かな照れが浮かぶ。だがそれも続く言葉を聞くまでだった。アルファが冗談交じりの態度で続ける。

『それに、程度の差はあってもアキラがあんな目に遭うのはしょっちゅうでしょう? 今更一々嘆く必要はないと思うわよ?』

『……まあ、な。……それで納得する自分にちょっと腹が立つ』

 アキラが不貞ふて寝するように再びベッドに身を委ねる。その様子をアルファが笑って見ていた。

 しばらくするとキバヤシが部屋に入ってきた。

「アキラ。やっと起きたか。体調はどうだ」

「大丈夫だ」

「本当か? 手足に違和感とかないか? ちゃんと起きて指まで動かして確認しておけ」

 アキラは少し不思議に思いながらも一応確認してみた。特に問題があるようには思えなかった。

「大丈夫だ。何で念押しするんだ? 支払能力が不明だったから、最低限の安い治療しかしていないとか、そんな理由か?」

「逆だ。お前は生存最優先の応急処置を施された状態で仮設基地に運ばれてきたんだが、凄くひどい状態だったらしいぞ。特に手足はミンチ手前ってぐらいにぐちゃぐちゃだったらしい。それを馬鹿高い再生治療で治したんだが、千切れ飛んだ手足を治してから付け直したようなもので、手足の動きに支障が出ている可能性が僅かにあったんだそうだ。その様子なら大丈夫そうだな。馬鹿高い治療費に見合った治療内容だったわけだ」

 脚の負傷は跳躍時の反動の所為だ。腕の負傷はSSB複合銃が壊れるほどの反動を抑えた結果だ。アキラにもそのひどい状態には十分な心当たりがあり、それを全く問題なく完治させたほどの治療内容の代金を思い浮かべて少し焦り始める。

「……治療費って、幾らなんだ?」

「その辺も含めてお前にいろいろ話がある。あの後の経緯とか、依頼の報酬の交渉とか、いろいろ盛り沢山で長くなるから飯でも食いながら話そう。……安心しろ。あれだけ成果を稼いだんだ。治療費で赤字なんてことにはならねえよ」

 キバヤシは慌てるアキラの様子を見ながらとても楽しそうに笑っていた。


 アキラは部屋に用意されていた服に着替えると、キバヤシと一緒に病院を出て、用意されていた送迎車に乗ってクガマビルまで案内された。

 キバヤシが1階のレストランに向かおうとするアキラを呼び止める。

「アキラ。そっちじゃねえぞ」

「違うのか? じゃあ何でここに案内したんだ? 先に何か手続きでもするのか?」

「違う。上だ」

 キバヤシが何かを期待するように上機嫌で上を指差す。アキラは少し不思議そうにしていたが、ようやく察するとキバヤシの期待通りに表情を驚きで大きく変えた。

 クガマビル上階の高級レストランはアキラの食に対する価値観を書き換えた店だ。アキラはそこに3度目の来店を果たした。

 案内された席に座り、喜びながらも戸惑い落ち着かない様子を見せているアキラに、キバヤシが上機嫌に少し芝居がかった様子で軽い拍手を送る。

「まずはおめでとう。お前は都市の交渉相手として、この店の食事代が俺達の経費で落ちるほどのハンターに成ったわけだ。初めて会った時はうだつが上がらない連中に交じって巡回依頼のトラックの荷台に座っていたってのに、この短期間でとんでもない成り上がりっぷりだな。大したものだ。その成り上がりを実現させたお前の無理無茶むちゃ無謀振りを見抜いた俺も、その目利きを思わず自画自賛したくなるね」

「えっ? あ、ああ」

 アキラの様子は高級店に気後れしている小物そのものだ。だが間違いなくこの店に通されるだけの実力者だ。キバヤシはその食い違いを面白く思って機嫌良く笑っていた。

「お前もそろそろこの手の店に慣れておいた方が良いぞ? 俺はお前を気に入っているからいろいろ考慮してやるが、そうではない連中はその不慣れや戸惑いや畏縮に付け込んでくるからな。荒事は得意だが交渉事は不得意。そういうハンターを慣れない高級店におびき寄せて、場に飲まれている間に遅効性の猛毒たっぷりの交渉内容を飲ませるんだ。お前も気を付けろよ?」

「そう言われてもな。こんな高い店に慣れるほど通えるほどの金はねえよ」

「それなら俺がまた依頼を斡旋あっせんしてやろう。この手の店を交渉の場にするほどの依頼だ。それだけ難易度も高くなるが、お前の無理無茶むちゃ無謀振りなら大丈夫だろう」

 アキラが嫌そうな顔を浮かべる。

「止めてくれ。どうせ病院送り前提の依頼を持ちかけるんだろう?」

「いやいや、それだけに報酬も高額で、成功すればすごいことに……」

「病院送り前提の方を取り消してくれ!」

 それだけの依頼を斡旋あっせんできるという自身の実力を自慢げに笑って続けようとするキバヤシに、アキラは心底嫌そうな顔を返した。そしてそれで大分調子を取り戻すと、話を打ち切るようにメニューを開いた。それを見てキバヤシも楽しげに笑ってメニューを開いた。

 注文を済ませて料理が運ばれてくるまでの間に、アキラはキバヤシから自分が気絶した後の話を聞いていた。

 瀕死ひんしの状態で仮設基地の診療所に運ばれたアキラは、他の重傷者達と同様に生命維持の処置を受けて寝かされていた。

 見捨てるつもりはないが、死んだらまあ仕方ない。その程度の扱いを受ける者が多い中、アキラは少々贔屓ひいきされてよほどの事態がなければ命は保証される治療と維持を受けていた。ネリアがアキラをヤナギサワの配下の人員に近い扱いを受けられるように少し手を回したのだ。

 クガマヤマ都市の周辺では都市の防衛隊やハンター達が大型モンスターの群れとの激戦を続けていた。群れの規模は前回の大襲撃よりかなり小規模だが、群れの個体の全てが大型モンスターだったのに加えて飛行型まで混じっており、個体ごとの戦力の質は前回を大幅に上回っていた。そこらのハンターでは太刀打ちできず、いるだけ邪魔な状況であり、高ランクのハンターが高額の報酬を前提に半ば強制的に駆り出されていた。

 都市側が都市防衛の切り札の使用すら検討に入れ始めた頃、突然群れの統率が崩れ始めた。愚直に都市を目指していたモンスター達が行動を一変させたのだ。とにかく近くの敵を襲い始める個体もいれば、進路を変えて荒野へ消えていく個体もいた。そして大半は撤退するようにクズスハラ街遺跡へ戻っていった。

 このモンスター達の行動はティオルの強烈な意思によって無理矢理やり書き換えていたシステムの制限が一部元に戻ったためだ。システムの制約を超えて成長、巨大化した体までは戻らなかったが、活動区域が戻った個体はその場所に戻っていった。活動区域情報が破損した個体は破損した内容に従って荒野を闇雲に徘徊はいかいするなど、個体独自の新たな基準に従って活動区域を変えていった。

 防衛隊はそのまま前線を押し上げて仮設基地の部隊と合流。その時点で今回の襲撃は対処済みの扱いとなった。都市と仮設基地の間が安全になったところで、寝かされていた重傷者達は都市の病院に順次輸送されていった。そしてアキラは病院側から治療費の支払いが滞る心配のない者と判断されて、前に病院送りになった時と同じように、高額な治療費を請求される高度な治療を本人の意思を無視して受けた。怪我けがは完治し、体内の残存ナノマシンも完全に除去されて、すっかり健康体になったのだ。

 アキラはそれらを全て知ったわけではないが、キバヤシから説明された内容は大凡おおよそ把握した。キバヤシも知らないことは分からないままだ。

「その大型モンスター達って、その後どうなったんだ? 全部倒されたのか?」

「いや、まだ大分残ってる。防衛隊も群れを退けた後は都市に帰還したからな。遺跡の中や周辺の荒野をうろうろしているよ。個体名が付く賞金首とは違うが準賞金首のような扱いで、特別報酬付きの優先討伐目標になっている。大型と言っても群れていなければ各個撃破は人を集めれば比較的簡単だ。名を上げたい連中にちょうど良い格好の獲物になってるよ。遺跡の奥まで戻ったやつ以外は、その内に狩り尽くされるだろうな」

 キバヤシが機嫌良く笑いながら、くぎを刺すように続ける。

「無理強いはできないが、お前までその狩りに参加するのは遠慮してやれよ? お前は今回の襲撃でたっぷり成果を稼いできたんだ。その手の獲物は格下連中に譲ってやれ。それが実力者のたしなみってやつだ」

「……たしなみね。まあ、覚えておくよ」

「そうそう。覚えておけ」

 注文した料理が運ばれてくる。アキラはまた無難な選択を、お勧めコースを勧められるままに注文していた。それらの料理が目の前に置かれると、少し仏頂面だったアキラの表情が途端に笑顔に変わる。その料理を口に運ぶと、舌から伝わる耐えがたい至福に表情をますますほころばせた。

 アキラは目の前の美食に全面降伏したように、次々と運ばれてくる料理を嬉々ききとして食べ続けている。キバヤシはその様子を見て、やはりアキラにはこの手の店に対する慣れが必要だと再認識した。

 胃に詰め込まれた料理が美食への欲求を和らげて、アキラに交渉事へ意識を割く余裕がようやく生まれた辺りで、キバヤシが本題に入る。

「そろそろ報酬の話を始めるか。まずはハンターランクの上昇だ。報酬交渉の基準になるからよく考えて決めてくれ。その上昇幅だが、最低でも42、最大で50だ。当然だが上げた分だけ他の報酬、金やら何やらは減っていく。それで、どこまで上げたい?」

 アキラが42と答えようとする前に、キバヤシが少し顔をしかめて続ける。

「と、聞くとお前は何にも考えずに42と即答するんだろう。お前はそういうやつだ。だから、ここで今一度ハンターランクの価値やら何やらを、具体例を交えて説明してやる。聞き流さずにちゃんと聞け。……そうだな、実感しやすいのは……、例えばアンチ力場装甲フォースフィールドアーマー弾だ。お前、初めてそれを買った時、幾らで買った?」

「1発500万オーラムだ」

「ランク50になれば、1発500オーラムで買える」

 アキラは口の中に残っていた料理を吹き出して台無しにするのを根性で耐えた。そしてその余りの驚愕きょうがくの衝撃を堪えて受け流すように、妙な姿勢を取りながら何とか飲み込んだ。その後、何とか平静を保つように一呼吸おいてから、ようやく視線をキバヤシに戻す。

「ど、どういうことなんだ?」

「それを今から説明してやる。その手の弾薬類の価格決定にはいろいろ複雑な事情があって、都市の治安維持や東部全体の戦力分布なども関わってくるんだが、納得できなかったとしても、世の中そういうものだという知識は持っておけ。まあ、俺の主観も混ざるがな。ちゃんと聞けよ?」

 衝撃から立ち直っていないアキラをなだめて落ち着かせるように、キバヤシはゆっくりと説明を始めた。

 東部において銃弾の価格は統治側の都合、つまり統治企業側の経済的利点を基に決められている。都市のスラム街などに大量の銃弾が出回っているのも、それだけ安価な価格設定で流れているのも、企業側の利益を期待した管理の一環だ。

 スラム街に銃弾を安価で流す理由にはいろいろある。スラム街の住人に時折荒野から襲ってくるモンスターを排除してもらう。都市を守る肉壁となってもらう。そしてモンスターとの戦闘に慣れてもらい、いずれはハンターとして遺跡に向かうように仕向ける。ある程度実戦を積んだ戦闘要員を安価で提供してもらう。そういう理由も含まれている。

 そして安価で流される弾薬には基本的な共通点がある。それは都市の防衛隊など、統治側、治安維持側の部隊にはまるで効果がないことだ。クガマヤマ都市の防衛隊の装備も、力場装甲フォースフィールドアーマー機能搭載が基本だ。安い通常弾など嵐のように浴びてもかすり傷すら付かない。都市側がスラム街などいつでも灰燼かいじんに変えられるのも、絶対的な装備差の所為でスラム側は抵抗などできないからだ。

 そして治安維持側の装備に有効な銃弾は、その効果が高いほど高額になる。アンチ力場装甲フォースフィールドアーマー弾などは特に高額になる。

 だがスラム街の住人では1発も絶対に手に入らないほどの価格設定にすると、その手の銃弾を必要とするハンター達も十分な量をそろえられなくなる。しかしハンター側の経済力に合わせると、その手の銃弾が出回ってほしくない者達にも少量とはいえ供給されてしまう。

 その問題を解決するために、統企連はハンターランクに応じて銃弾の価格を割り引くようにしている。高ランクなハンターほど強力なモンスターと戦う機会が多いからだ。勿論もちろん価格に下限もあり、弾丸の種類によって割引率も異なるが、高ランクのハンターならばアンチ力場装甲フォースフィールドアーマー弾でもただ同然の値段で手に入るのだ。

 これはハンターランクの価値を上げるための処置でもあり、弾薬類を不当に高く売っているのではなく、統企連が有能なハンターの更なる活躍を促すために負担を肩代わりしているという形式を取っている。

 当然だが統企連の方針に刃向かうようなハンターは低ランクのままだ。ハンターオフィスがハンターを管理する手段でもある。ハンターランクを上げてほしければ、強力な銃弾を安価で提供してほしければ、統企連に逆らうな。東部のハンター達に暗にそう告げているのだ。

 なおハンターランク調整依頼中にシズカの店で購入した弾薬類の購入時にも、この割引が前倒しで適用されていた。アキラがそれに気付かなかったのは、支払いは自分ではないと開き直って早い段階で購入代金の確認を止めてしまったからだ。

 倫理的に問題のある人物に渡ってしまった場合、都市の防衛隊員を殺せる可能性がある程度存在する手段。その管理方法と、都市の職員が殺害された場合に発生する損害と、統治側がハンター側からの価格設定に対する文句を黙殺できる程度のハンターランクを考慮した結果、あの時の自分にはアンチ力場装甲フォースフィールドアーマー弾は1発500万だった。アキラはそれを理解して、複雑な顔をしていた。ある程度納得はしたが、それなら仕方ないとすんなり受け入れるのも難しい。その内心を分かりやすく顔に出していた。

「不満そうだな。まあ先に言った通り、世の中そういうものだ。そういうことにしておけ。割り切りも大切だぞ? 嫌なら自分で統治企業でも興して管理側になった上で、その統治圏内に限って安価で流すしかないな。まあ、低いハンターランクのやつが高い弾丸を買うと、ハンターオフィスからこいつは実力や向上心があるって思われて紹介される依頼やらなんやらで少し優遇される、といううわさもある」

うわさなんだ」

「ああ。うわさだ。具体的な規約や対価、効率を示せないもの。結果を保証できないもの。それらは全部それっぽいうわさだ。隠れた有能なハンターを、あるいはお前みたいなランク詐欺を見つけ出す手段になっているっていうのも含めて、全部うわさだ」

 いろいろ期待をあおって結果は保証しない。だがハンターの不満を抑える理由にはなっている。アキラもそれは分かったが、それでも怪訝けげんそうにしている。

「でもそうするとさ、500オーラムで買った物を500万オーラムで売って、差額で大もうけとか考えるやつが出るんじゃないか?」

「そこはハンターの倫理次第だ。仲間にちょっと流すぐらいなら高ランクハンターの特権みたいなもので黙認の範疇はんちゅうだが、露骨に転売でもうけようとすると大抵露見して警告が入る。お前も気を付けろよ? もし売る相手が建国主義者だと分かった上で転売なんかやったら、東部の治安維持への反逆と見做みなされて賞金首の仲間入りだ。程度にもるが、基本的に統企連に喧嘩けんかを売る行為なんだ。最終的な収支は大損になると思え。統企連を敵に回した人間の末路に加わりたくなかったら、止めておけとしか言えないな」

 キバヤシは機嫌良く笑ってはいるが、本気の忠告だという雰囲気をしっかり出していた。アキラもそれで馬鹿な真似まねはしないと心に決めた。

「ハンターランクの話はこれぐらいにしておこう。お前のハンターランクを具体的にどこまで上げるかは、他の報酬の内容と一緒に調整して決めるからな。で、それを具体的に決める前に、依頼の報酬とは別の案件がある。お前にまた戦歴の買取り……、のようなものが来ている」

「戦歴の買取りって、また今回の依頼がなかったことになったりするのか?」

「いや、そこまで大げさなものじゃない。お前は依頼の最終日に黒い人型兵器と組んでいただろう? その間の戦歴の修正、いやその戦闘に対する補足とか偏りとか、評価基準の指針とか、そういうのを調整したいって内容だ」

 キバヤシが情報端末を取り出してアキラに見えるように詳細を表示する。そこには契約内容を記した細かい文字が、中身を読み飛ばせと言わんばかりの長文で続いていた。

「じっくり読んでも良いが、大まかに説明すると、その契約に同意した場合、お前は人型兵器と組んでいた間、相手の援護はしたが実際にはほとんど活躍しなかったことになる。戦歴の詳細がそう解釈しやすいような恣意的な内容になる。代金は10億オーラム。契約そのものの守秘義務を含めた額だ。どうする?」

 アキラは情報端末を受け取ると表示内容を操作する。文面が高速で流れていく。傍目はためには読み飛ばしているようにしか見えないが、実際にはアルファが中身をしっかり読んで、説明通りの内容であることを確認してアキラに伝えていた。

 アキラが難しい顔でうなっている。キバヤシがそれを見て少し意外そうな様子を見せる。

「お前なら戦歴なんか気にせずに売り払うと思っていたが、10億オーラムでも嫌なのか? まあ俺も詳しくは知らないが、すごい大物を死にかけて倒したんだってな。お前も流石さすがにその戦歴を台無しにされるのは嫌か」

「いや、別に売るのは構わないんだけど、この10億オーラムってのがちょっと……」

「なんだ、足りないのか?」

「違う。大金過ぎて妥当な金額なのか全く分からない。それがちょっと……」

 この額が不自然に高いのならば、裏に山ほど厄介ごとが隠れていそうで躊躇ちゅうちょする。不当に安いのであれば腹が立つだけで済むが、できれば妥当な額を手に入れたい。しかしアキラにはその妥当性の根拠がなく、高いのか安いのか妥当なのか迷うことすらできないでいた。

「……キバヤシはどう思う? これ、妥当な額なのか?」

 するとキバヤシもうなり始める。

「額の妥当性か。その辺は両者の納得が基本で、相場なんかあってないようなものだからな。正直な話、俺にもよく分からん。ただまあ、疑って掛かるような金額ではないと思う。俺にも守秘義務があるし、交渉用の限定的な情報ぐらいしか渡されていないから、依頼元の事情を全部知っている訳でもない。だからほとんど俺の推測になるが、お前が交渉を前向きに考えるって条件付きで、俺がそう思った理由を聞いておくか?」

「ああ。頼む」

 その推測をするための前提知識すらアキラには大幅に欠けている。アキラはその手の話への興味も含めて、返答を迷わなかった。

 飽くまでも個人的な推測であり、この話を何らかの根拠にされても困る。キバヤシがそう前置きした上で詳細を話していく。

「恐らく、あの人型兵器はどっかのメーカーの新型機で、この戦歴買取も含めてプロモーションの一環なんだろうな」

 ある人型兵器の製造企業が新型機の実戦データ収集とプロモーションを兼ねて、管理の不手際を装って機体を都市の下位区画に流した。その機体はスラム街の抗争に使用され、無数の人型兵器が投入された戦場で他の機体を相手に無双と呼ぶに相応ふさわしい活躍を見せて、新型機の性能を都市に見せ付けた。

 後は鎮圧に来た防衛隊の機体と交戦して、相手を苦戦させながらも負ければ良い。そして管理の不手際を表向きはびながら、それすら取引材料に含めて都市に新型機を防衛隊へ配備するように促すのだ。近場で発生した分かりやすい戦歴は、防壁の内側に住む者達に対して効果的な実例、判断材料となる。

 だがそこで計画に狂いが生じた。新型機がその場に居合わせたハンターに倒されてしまったのだ。慌てて新型機を回収し、その無様な結果の原因を流れた先で行われた整備不良の所為にして、機体をいろいろ換装した上で別の場所で改めてその性能を示すように手配した。

 新型機は新たな戦場で無数の大型モンスター達を撃破して、目論見もくろみ通りその性能を知らしめた。加えて遺跡の一帯を吹き飛ばすほどの強力なモンスターと遭遇した上で、それを撃破した。この戦果は機体の販売を大いに促進する宣伝材料になる。

 だが再び計画に狂いが生じた。新型機の操縦者が前回のハンターと共闘していたのだ。しかも目玉となりそうな大型モンスター撃破の手柄をそのハンターに奪われてしまった。戦果をそのまま公表すれば、むしろ新型機の方がそのハンターの引き立て役になってしまう可能性がある。しかしあれ程に脅威だったモンスターを撃破した記録を、新型機の戦歴から外すのは惜しい。

 では新型機と共闘したとはいえ、そのハンターは実は大して活躍していなかったとすれば、実際は逃げ回っていただけ、足手まといになっていただけ、その程度の働きだったとすればどうか。新型機の戦歴に大きなはくが付く。活躍したという評価には判断した人間の主観が混ざる。その基準を新型機寄りにしてしまえば、新型機の売り込みに大いに役立つのは間違いない。

「新型機の都市への配備が決定して、その実績で他の都市でも配備が決まれば、それはもう莫大ばくだいな金が動く。その巨額の利益から考えれば目立たない微々たる額で、ハンター側の納得が得られそうな額。依頼元はそれを10億オーラムだと算出した。そんなところだろうな」

 アキラはキバヤシの話を非常に興味深そうな様子で聞いていた。そしてある疑念を抱いて表情を変える。

「なあ、俺のハンターランク調整依頼が長々と続いた理由って……」

「自慢の新型機がそこらのハンターに、ハンターランクも大して高くないやつに倒されてしまった。整備不良を考慮しても新型機の評価はがた落ちだ。だが、もしそのハンターが甚だ著しいランク詐欺野郎だったのなら誤魔化ごまかしようもある。だから、そのハンターには自分達がいろいろと言い訳できる数字までハンターランクを早急に上げてほしかった。そのためにいろいろ働きかけた……可能性はあるが、全ては推測にすぎない。そう。推測だ。推測だからな?」

 キバヤシは意味ありげに楽しそうに笑っている。アキラは疲れたようにめ息を吐いた。どこかの誰かの都合で、どこかの誰かが面倒事を被った。ただそれだけの話だ。

 キバヤシは約束通り戦歴の売却に同意したアキラから、合意の処理を少し遅らせて、役得と言わんばかりにその戦歴の話を聞いていた。合意後はお互いにそれを話題に出せないからだ。

 アキラは同意はしたものの、10億オーラムはやはり少し高いと思っていた。しかし戦闘の様子を聞いて爆笑しているキバヤシの様子に、半分はそれだけの価値はあったのだろうと考え直し、残り半分はどうでも良くなって、それ以上気にするのを止めた。

 キバヤシが湧いた疑問を尋ねるために一度笑いを何とか堪える。

「ところで、何でその機体の援護に残ったんだ? いや、おとりがすぐに倒されたら自分も逃げ切れないって理由も分からんでもないけどさ、理由としてはちょっと弱い気がするな」

「じゃあ、何となくそんな気分だったとでもしてくれ」

「何となくって、そんな程度の理由で残ったのかよ。いや、良いぞ! そうだよな! みみっちい損得計算に動かされるようなやつなら、そんな無理無茶むちゃ無謀はしねえよな!」

 キバヤシはアキラの素っ気ない態度から、別の明確な理由があってそれを隠そうとしている訳ではないと察した。つまり何となく、恐らく本人にもよく分かっていない自覚の薄い朧気な理由で、死地へより深く踏み込んだことを意味する。それはキバヤシの笑いの程度を引き上げるのに十分なものであり、耐えきれなくなったキバヤシは再び笑い始めた。

 アキラ自身にもよく分かっていないその理由を、ある程度の語弊を許容して言語化すれば、共感、矜持きょうじ、嫌悪となる。今現在味方であれば良しとする価値観、敵と味方という区分、その根底への理解と共感。仕事に忠実であろうとする矜持きょうじへの感情。そして遺物襲撃犯よりも仕事に対して等閑なおざりな存在に成り下がるような自身への嫌悪だ。

 それらの混ざった曖昧なものが、分別の悪さが、気性が、アキラを殺しかけも、生き残らせもした。そして本人にも自覚できないその狂った行動基準が、アルファの誘導からアキラを微妙にずらし続けていた。

 キバヤシが爆笑から回復して、報酬内容の本格的な交渉、り合わせを始めるまで、もうしばらくの時間を必要とした。

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