第24話 心の再構築

 シジマとの交渉を終えたアキラがシェリルを拠点まで送っている。だがその足取りはひどく遅いものになっていた。死体を引きって進んでいた行きの時よりも更に遅い。

 その原因はシェリルにあった。アキラの後ろを歩くシェリルの歩みが非常に遅いのだ。余りに遅い所為せいで、アキラが普通に歩くとシェリルを置き去りにしかねない状態だった。

 距離が開くたびにアキラに軽く声を掛けられると、シェリルも初めの内は慌てた様子で駆け寄ってきた。だが少し歩くとまたすぐに距離が開いてしまう。そしてそれを繰り返すたびに駆け寄る早さも遅くなり、歩くだけになり、ついには立ち止まり、もう前に進まなくなってしまった。

 いろいろと鈍いアキラも流石さすがにシェリルの様子が大分おかしいと思い、そばまで行って様子をよく確認しようとする。そして困惑を強めた。シェリルはうつむいて声も出さずに泣いていた。

 戸惑うアキラの前で、シェリルがようやそばのアキラに気付いた。そして静かにゆっくりと顔を上げた。普段ならアキラの機嫌を取ろうと何か答えるぐらいはしていたが、それもない。ただ顔を上げること。それが今のシェリルに出来る限界だった。

 かなり困惑しているアキラと、静かに泣いているシェリルの目が合う。僅かに間を開けた後、アキラが自身の対人能力を超えている状況に非常に戸惑いながら、何とか声を掛ける。

「ど、どうしたんだ?」

 するとシェリルは表情を大きく崩し、声を上げて泣き始めた。

 前にもこんなことがあったなと、アキラはシェリルと初めて会った時のことを思い出しながら、アルファに助けを求めるような視線を向ける。

『今回は、俺は悪くないよな?』

 アルファが意味深に微笑ほほえむ。

『さあ、どうかしらね? 取りえず、このままだと周りからいろいろと邪推されてしまいそうな状況だということは、前と同じね』

 アキラは表情を少し嫌そうにゆがめた。


 アキラが宿の狭い部屋で途方に暮れている。周囲の視線から逃れるという、その場しのぎには成功したが、アキラの対人能力を超えている状況は継続中だ。目の前で嗚咽おえつを漏らし続けている少女への対応を考えなければならない。

 泣き続けるシェリルを強引に拠点まで連れていくと不要な誤解を招き兼ねない。しかし放置も出来ない。そう考えたアキラは、少し迷った後に前回と同じようにシェリルを宿まで連れ帰っていた。

 前回はシェリルに入浴を勧めると、随分と落ち着いてくれた。しかし今の安部屋に浴室は付いていないので、その方法は使えない。簡易なシャワーなどで代用できるとは思わなかった。

 何とかしようと混乱した頭で考え続けたアキラは、その混乱から考え付いた方法を試してみた。恐る恐るシェリルのそばに寄り、黙って抱き締める。以前シズカに抱き締められた時、初めは少し慌てたが、最後にはとても落ち着いた経験を思い出して、浅い考えでそれを真似まねたのだ。嫌がられたらすぐに止めれば良い。その程度の考えだった。

 シェリルは全く抵抗せずに黙って抱き締められていた。そして少しつと、シェリルの方からもアキラを抱き締め返した。同時に嗚咽おえつひどくなった。

 驚いたアキラが慌ててシェリルから離れようとする。だがシェリルは必死なほどに強く抱き締め続けていて離そうとしない。

 アキラは根負けしたように軽くめ息を吐いて力を抜き、シェリルを引き剥がすのを諦めた。そしてそのままシェリルを軽く抱き締めていた。しばらくするとシェリルの嗚咽おえつの声が消える。様子を確認すると泣き疲れたように眠っていた。

「……何なんだよ」

 アキラは少し疲れたような表情で、自分でもよく分かっていないことをつぶやいた。


 シェリルは限界だった。

 所属していた徒党が崩壊して、他の徒党への移籍にも失敗して、一定の生活が保障されていた生活基盤も後ろ盾も失ってスラム街の路地裏に放り出された。その精神的な負荷はかなりものだった。

 過酷で先の見えない状況に疲弊した心が判断を狂わせたのか、シェリルはアキラを襲撃した者達の一人だったのにもかかわらず、もしかしたら自分のことなど覚えていないかもしれないという淡い希望にすがり、苦境からの脱却を狙ってアキラとの交渉に挑んだ。

 だがその楽観的希望はあっさりついえた。ろくに話もしていないうちに見抜かれて、脅されて、殺される恐怖に震えきった。それは疲弊していた心を更にえぐり、穿うがち、傷付けた。

 その後、予想外の展開を経て、シェリルはアキラという後ろ盾を得た引き換えに、シベアの縄張りを引き継いだ新たな徒党のボスにならざるを得なくなった。だがそれがすぐに身の安全を保証する訳ではない。その後に拠点まで押し寄せてきた者達を、はったりに近い言動で惑わせて何とか切り抜けた。その死地を辛うじて駆け抜けた実感も、シェリルの心を疲弊させ続けていた。

 その後の徒党の運営も問題だらけだった。アキラが徒党になかなか顔を出さない。ようやく顔を出したと思えば、徒党の者がアキラに喧嘩けんかを売り始める。アキラから紹介された商人にはひどく脅されて、アキラからも馬鹿な真似まねをすれば殺すと脅された。アキラは協力者ではあるが味方ではない。シェリルはそれを何度も思い知らされた。

 その上で今回の騒ぎだ。銃撃戦手前の状態での交渉は、辛うじて残っていたシェリルの精神を限界まで削っていた。シェリルは本当に限界だった。

 砕け散る手前まで削り取られた心が、その心で考えるこれからの問題が、拠点に戻るシェリルの歩みを遅く重くしていた。そして気付いてしまった。この後もこんな精神をり減らす日々が続いていくことに。その気付きで、限界を迎えていたシェリルの心はあっさりと決壊した。

 シェリルはほとんど無意識の状態で泣き続けた。自分が泣いていることにも気付かずに泣き続けていた。誰でも良いからすがりたかった。すがる相手を求めるように泣き続けた。

 それからどれだけ時間がったか分からないが、シェリルは誰かに抱き締められていることに気付いた。それが誰かも分からないが、シェリルにはその抱擁が、その誰かから、頼っても良い、と言われたように感じられた。

 シェリルは絶対に離すまいと力を込めて相手を抱き締めた。そしてそのまま力を使い果たすと、けられなかったことに少しだけ安心して眠りに就いた。


 アキラが床に座って情報端末を操作している。シェリルには抱き付かれたままだ。どうしても離そうとしないので、起きるまで好きにさせることにした。

 その間の暇潰しにネットの情報を閲覧していた。これも一応は情報端末を使用した情報収集訓練の一環だ。

 東部のネットには膨大な情報が存在している。余りに多すぎる所為せいで、検索技術無しでは求める情報を得るのがほぼ不可能なほどだ。検索用のサイトなども多数存在しているが、それらを利用しても、最近までスラム街の路地裏で過ごしていたアキラには十分難しい。

 重要な情報や価値の高い情報は基本的に有料だ。情報売買を生業とする個人や組織を仲介して手に入れる必要がある。ネットにはハンター用の有料サイトも無数にあり、有益な遺跡の所在地や、強力なモンスターの撃破方法など、様々な情報が売買されている。

 また、様々な理由で各種の情報を無料で公開しているサイトもある。そのようなサイトから信頼性の高い有益な情報を選別するのも、ハンターが東部で生き残り、し上がるための大切な能力だ。

 もっともアキラの検索能力など、今はまだ明日の天気や近場の飲食店すら真面まともに見付けられないぐらいだ。アルファに頼めば一瞬で見付かるが、訓練として自力で頑張っていた。検索の過程で目に入った別の情報が気になって、ついそちらの情報を追ってしまい時間を費やしてしまうなど、ありがちな経験も積んでいた。

 アキラが時間の浪費とも一般常識の学習とも呼べる時間を過ごしていると、ようやくシェリルが目を覚ました。

 シェリルはぼんやりしたまま、ほとんど抱き付いたまま、非常に近い位置でアキラをじっと見ている。

「起きたのなら離してくれ」

 もう落ち着いただろう。そう思ったアキラがそれだけ言ってシェリルを離そうとする。その途端、シェリルが必死になってしがみつくように力を込める。表情も決壊寸前の泣き顔に変わった。

 シェリルが困惑しているアキラにすがる。

「……助けてください」

 弱々しい表情で、泣き出しそうな目で、他にすがる者がどこにもいないように助けを求める。

「……助けてくださいよう」

 アキラが困惑で返事を返せないでいると、シェリルはその沈黙を拒否と捉えて再び泣き出した。睡眠で取った休息は、情緒不安定な状態のシェリルに再び泣きわめくだけの気力と体力を与えてしまっていた。

 アキラは自分に敵意や侮蔑、嘲りなどの視線を向ける者には結構慣れていたが、泣きながらすがるような視線を向けてくる者には全く慣れていなかった。その所為せいでシェリルに若干気圧けおされてしまい、思わず場当たり的な返答を口にしてしまう。

「わ、分かった。助ける」

 シェリルが僅かに動きを止めた。そして安心したように微笑ほほえむと、少しうれしそうな表情で目を閉じた。落ちたら死ぬ崖の縁をつかむように必死で握っていた手の力が緩んでいく。シェリルはそのまま軽く寄りかかるようにアキラを抱き締めたまま、穏やかな表情で再び眠りに就いた。

「何だったんだよ……」

 アキラは軽く頭を抱えながらめ息をいた。


 アキラはシェリルを備え付けのベッドに寝かせた後、最近の日課であり訓練でもある銃の整備をしていた。

 いつも通りにAAH突撃銃の整備を進めていく。この銃が生命線だと自覚した上で、自身にそう言い聞かせながら、念入りに丁寧に作業を続けていく。

 AAH突撃銃は頑丈で長持ちする上に、劣悪な環境で少々手荒に扱っても故障も少なく、整備も比較的容易な名銃だ。東部の多くのハンターから100年も愛用され続けているのは伊達だてではないのだ。

 アキラもいろいろな点でその恩恵を受けている。ついこの間まで素人同然だったにもかかわらず、今はAAH突撃銃の整備ならば既に十分な域に達していることも、今までこの銃だけで生き延びていることも、その十分な証拠だった。

『下手に別の銃を買う前に、予備にもう1ちょうこれを買った方が良いかもな』

『そうね。両手に持つという手もあるわ』

 アキラの脳裏に、AAH突撃銃を両方の手にそれぞれ握って構えている自分の姿が浮かぶ。

『……良いね!』

 アルファはアキラが無意識に飛ばしていたそのイメージを、多少格好良く脚色された姿を読み取っていた。

『そんな持ち方で撃っても命中する可能性は低いし、下手をすると発砲の反動で腕が折れるわよ?』

 アキラもイメージを読まれたことに気付いて、少し気恥ずかしそうな様子を見せる。

『そ、そんなに駄目だったか?』

『銃を支える身体能力が絶対的に足りていないからね。今のアキラではAAH突撃銃を片手で撃っても、威嚇射撃以外の効果は望めないわ。強化服を着用すれば多少無理な体勢でも銃の反動を押さえ込めるようになるから、2ちょう同時持ちはそれまで待ちなさい』

『ますます強化服の到着が待ち遠しくなるな。……強化服が届く前に、もう、何もないよな?』

『余計なフラグを立てるのはめましょう』

『……はい』

 アキラは気を取り直して整備を続ける。その途中で何となくシェリルを見た。

『アルファ。あれは結局何だったんだと思う?』

 アルファが軽く首を横に振る。

『私にもよく分からないわ。シェリルも疲れていたとは思うけれど、それ以上のことはね。起きても、深くは聞かない方が良いと思うわ』

 アルファはシェリルの精神状態の推移に関する推測をアキラに説明しなかった。教えない方が都合が良いと判断したからだ。

『アキラも今日はもう休んだら? もう面倒事は済んだと思うけれど、明日また何かが起こった時のために、十分休息を取っておいた方が良いわ』

『そうだな。終わったらすぐに寝るよ』

 アキラは銃の整備を終えると、いつものように軽くシャワーを浴びて風呂の欲求をごまかしてから寝床に向かった。ベッドには先客がいたが、それを脇に移動させていた隙間に横になる。結果的にシェリルに添い寝をするような形になったが気にしないことにした。床は固いし、宿代を払っているのは自分なのだ。それによく分からないがあれだけ抱き付いてきたのだ。別に文句は言わないだろう。そう考えて気にせずに眠りに就いた。


 翌日、シェリルはアキラよりも早く目を覚ました。寝ぼけた意識で状況を確認しようとする。そしてそばで寝ているアキラに気付くと、寝ぼけた顔のままアキラに抱き付いて再び寝ようとする。

 だが急に抱き締められたことでアキラが目を覚ました。そして自分に抱き付いて二度寝に移ろうとするシェリルを起こしにかかる。

「寝るな。起きろ。離れろ」

 アキラはそう言った後で、また昨日の繰り返しになるのではないかと少し不安になった。

 だがシェリルは大人しくアキラから離れた。寝ぼけた顔で身を起こし、大きな欠伸あくびをしながら軽く目をこすると、アキラをしっかり見て機嫌良く微笑ほほえむ。

「おはよう御座います」

「……お、おはよう」

 アキラはシェリルの昨日とはまるで違う様子に少し戸惑っていた。その表情には自信と余裕があふれており、昨日の影など全く見られない。輝く笑顔が少女の生まれ付きの美貌を格段に引き上げていた。その変わり様を、少し怖いと思ってしまうほどだった。

 その後、一緒に朝食を取る。食事の内容はいつも通りの冷凍食品だ。つまりいつも通りの大して美味うまくもない品なのだが、それを口にしている者の様子はいつもと異なっていた。

 アキラは随分と雰囲気を変えてしまったシェリルに少し気圧けおされながら食事を続けている。シェリルは穏やかながらも非常に上機嫌な様子で食事を続けている。味がその表情に反映されるのならば、同じものを食べているとはとても思えない光景だ。

 シェリルが一度食事の手を止めてアキラに丁寧に頭を下げる。

「アキラ。昨日は申し訳ありませんでした。御迷惑をお掛けしました」

「え? ああ。もう大丈夫なようだし、気にしてない」

 アキラはよく考えずにそう答えた後で、昨日の出来事を思い返した。発端はシェリル達のめ事だが、騒ぎをあそこまで大きくしたのはむしろ自分の方であると、余り悪いとは思っていないものの、その自覚ぐらいはあった。

 遠回りに嫌みでも言われているのだろうかと勝手に邪推しながらも、普通に礼を言われているだけだとも思いながら、下手に自分を関わらせた結果発生した厄介ごとへの反応も僅かに気になり、いろいろ混ざった差し障りのない返事を返す。

「まあ、昨日はいろいろあったが、次からも何かあったら言ってくれ」

 呼ばない方がましだった。そう思っているのなら多少反応に出るだろう。アキラはそう思っていた。だがシェリルは予想外の反応を見せた。

「それなら今から抱き付いても良いですか?」

 うれしそうに微笑ほほえみながら予想外のことを言いだしたシェリルに、アキラが困惑しながら聞き返す。

「……何でだ?」

「アキラに抱き付くと安心するんです。何かこう、とても落ち着く感じです」

「駄目だ」

「良いじゃないですか。減るものでもありません」

「いや、減る。そう、俺の機動性とか、動きやすさとかが減る。第一、今は飯を食ってる最中だ。抱き付かれたら食べにくいだろう」

「それなら私がちゃんと食べさせますよ?」

「……飯ぐらい自分で食わせてくれ」

 シェリルは微笑ほほえみを絶やさずに食い下がっている。その押し具合に僅かにたじろいで引いているアキラへ、軽く身を乗り出している。

「それなら食べ終わった後なら良いですよね? 徒党の運営は本当に大変なんです。それで私も精神的に疲れていたんだと思います。昨日迷惑を掛けてしまったのもその所為せいです。その防止ですよ。たったそれだけでアキラの手を煩わせる機会が減るんです。良いじゃないですか」

 アキラが何となく思う。適当に受け答えをしていると、様々な理由を付けて受け入れられるまで延々と続ける気がする。そして強く拒絶してしまえば、また昨日のような状態に戻ってしまう気がする。それなら抱き付かれていた方がまだ良いか。別に不快でもないのだ。そう判断した。

「分かった。食べ終わってからにしてくれ」

 シェリルがとてもうれしそうに微笑ほほえむ。

「ありがとう御座います」

 シェリルはほんの僅かだがアキラの思考誘導に成功した。アルファはそれに気付き、シェリルに対する警戒を僅かに高めた。

 食事の後、シェリルは約束通りアキラに抱き付いていた。座っているアキラに正面から相手の足に軽くまたがるような体勢で、相手の首や背中に手を回しながら安らぎに溺れるような表情を浮かべて、追加の要望を口にする。

「背中に手を回したり、頭をでたりしてもらっても良いですか?」

「……まあ、良いけど」

 アキラが言われた通りにすると、シェリルは口からくぐもった声を漏らして表情を幸せそうに緩めた。

(俺は何をやってるんだ……)

 微妙な表情で自身の行動に疑問を覚えていたアキラが、意味深長な微笑ほほえみを浮かべているアルファの姿を見て、少し不機嫌そうに顔をゆがめる。

『何だよ』

『何でもないわ。そんなことより、随分なつかれたようね』

『俺が何をしたって言うんだ……』

『さあ? 私にも分からないわ。ただこのままだとずっと離れそうにないわね。今日の勉強はそのまま始める?』

 このままだと本当にシェリルに抱き付かれたまま勉強する羽目になり兼ねない。アキラはそう思ってシェリルから手を離した。

「シェリル。そろそろ離れてくれ。俺にもいろいろ用事があるんだ」

「……分かりました」

 シェリルは寂しそうな声でそう答えると、名残惜しそうにアキラから離れた。アキラは心のどこかでひどく抵抗されるかもしれないと僅かに思っており、軽く安堵あんどした。

 シェリルが気を切り替えたように微笑ほほえむ。

「私は拠点に戻ります。皆に昨日の経緯を説明しないといけません。よろしければ拠点まで送ってもらえないでしょうか?」

「ああ。分かった」

「ありがとう御座います」

 シェリルはうれしそうに微笑ほほえみながら丁寧に頭を下げた。

 その後、アキラはシェリルを拠点まで送り届けた。その間もシェリルはずっと上機嫌だった。途中でアキラからいぶかしむような視線を向けられても、気にせずに楽しげに微笑ほほえみ返していた。

 シェリルが拠点の入り口で丁寧に頭を下げる。

「送っていただいて、ありがとう御座いました。何かあればまた連絡します。それと、特に用がなくても顔を出してくれるとすごうれしいです。私もアキラに迷惑を掛けないように頑張るつもりですが、徒党の管理は本当に大変なので、今日のような良い気分転換の機会があるととても助かります」

「……まあ、暇を見付けて顔を出すよ」

「ありがとう御座います。お待ちしています」

 シェリルは帰っていくアキラを、その姿が完全に見えなくなるまでずっと見送っていた。

 アキラが帰り道で僅かにうなっている。シェリルに調子をいろいろと崩されていたことを自覚しながら、昨日から今日の出来事を思い返していた。

『アルファ。やっぱりシェリルは変だったよな? 随分変わったって言うのか、上手うまく説明できないけどさ』

『別に塞ぎ込んでいる訳でもないし、気にすることはないと思うわ』

『まあ、そうだけどさ』

 アルファは不満そうな表情を浮かべている。

『そんなことを気にするよりも、強化服が届く前にこれ以上面倒事を引き起こさないように気を配ってほしいわ。今回、結構危なかったのよ?』

 アキラが苦笑気味に言い訳をする。

『悪かったって。俺もあんなことになるとは思わなかったんだ』

 アキラの言い訳は、不測の事態の発生を予想できなかった不手際への弁明であり、事態を悪化させた自身の行動への弁明ではない。そしてアキラにその自覚はない。アルファはそれを理解して、アキラの制御の困難さを再確認していた。少し真面目な表情でくぎを刺す。

『強化服が届くまでは、今度こそ本当に外に出さないからね』

『分かったって。今度こそ大人しくしてるよ』

 アキラはアルファの機嫌を取るようにしっかりと答えた。


 シェリルの徒党の子供達は眠れない一夜を過ごしていた。あれほどの騒ぎの後、拠点から出て行ったアキラとシェリルが一晩っても帰ってこなかったこともあり、悲観的な考えの者が大半だ。

 アキラとシェリルは既に殺されている。シジマの徒党との全面戦争にも発展している。そう考えた者も多く、既にそれなりの人数が徒党から逃げ出していた。今残っている者も、交渉に出たシェリル達を信じているというよりは、他に行き場がないという理由の者が多かった。

 そこにシェリルが戻ってくる。拠点にざわめきが広がった。

 シェリルは不安そうな皆の様子を見ても、余裕の微笑ほほえみを崩さなかった。

「今戻ったわ。私がいない間に何かあった?」

 子供達が慌てた様子でシェリルに詰め寄る。

「何かあった、じゃないだろう!? あれからどうなったんだよ!?」

 ある意味で取り囲まれているのにもかかわらず、シェリルは非常に落ち着いている。

「大丈夫。シジマの徒党とはちゃんと話を付けてきたわ。問題なしよ」

 子供達が更にざわめき始める。切望していた答えだったが、同時に余りにも予想外な内容だったからだ。一斉に詳細を求め始める。

「だ、大丈夫って、本当か!? アキラは!? あいつは一緒じゃないのか!? 殺されたのか!?」

「シジマと話を付けたって本当に!? でもあいつらの仲間を殺したんだぞ!? どうやって!?」

「拠点とか縄張りとかを引き渡さないといけないのか!? その辺はどうなってるんだ!?」

 シェリルは皆を落ち着かせて安心させるように微笑ほほえむ。

「アキラは怪我けが一つしていない。今回の件でシジマ達にこの拠点や縄張りを明け渡すようなこともない。シジマ達とも今後は良い付き合いを出来るようになった。大丈夫。安心しなさい」

 シェリルは自信と余裕を皆に見せ付けていた。口調などからもうそやごまかしを感じられない。子供達はそのシェリルの様子を見て、半信半疑ながらも落ち着き始める。

 そこでシェリルが表情と口調を少し強める。

「それで、ここに残っている人は何をやっているの? 縄張りの掃除や巡回とか屑鉄くずてつ集めとか仕事を割り振っているはずでしょう? 頼んだ仕事は終わったの?」

「い、いや、こんな状況でそんなことをやっている場合じゃないと思って……」

「ならここにいない人は? 予定を代わってもらったの?」

 子供達が一度顔を見合わせた後、言いにくそうに答える。

「……ここにいないやつは、多分逃げた」

 シェリルがあっさりと答える。

「そう。それなら予定を組み直さないといけないわね」

 シェリルもその程度のことは十分想定していた。この場の人数から抜けた者の数を算出しても、全く焦らなかった。この程度のことで抜け出すような者が早めに分かって良かったとすら思いながら、落ち着いた声で指示を出す。

「エリオ。何人か連れて、徒党を抜けたやつを探しなさい。銃や食料を持って抜けていた場合は全部取り返しなさい。連れ戻す必要はないわ。アリシア。皆に聞いて抜けた人間と残った人間を把握して、終わったら私に報告しなさい。残りの人は予定の作業をやること」

 他の者と顔を見合わせる者。まだいろいろ事情を聞きたい者。事態について行けない者。ただ呆然ぼうぜんとしている者。様々な者がいたが、動こうとする者はいなかった。

 シェリルが表情を引き締めて大きな声を出す。

「すぐにやる!」

 途端に皆が慌てて動き出した。シェリルはそれを見届けると自室に戻っていった。

 残った者の代表格であるエリオとアリシアが顔を見合わせている。エリオは表情を怪訝けげんそうに、そして少し不安そうにゆがめていた。

「なあ、シェリルなんだけど、何か少し怖くなってないか?」

 昨日の騒動にもかかわらずに自信と余裕の笑みを浮かべるシェリルを見て、アリシアも似た印象を覚えていた。だがエリオの不安を和らげるために、そして自身の平静も保つために、軽く笑ってみせる。

「気のせいじゃない? 余裕とか、自信があるようには見えたけどね」

「そうか? そうか。まあ、大丈夫だって言ってるし、あんな後なんだ。不安な姿よりは良いか」

「そうよ。ほら、私達も始めましょう。ボスに怒られるわ」

「そうだな」

 エリオ達も気を取り直して仕事に移った。


 シェリルは自室で上機嫌でこれからの徒党運営の思案を続けていた。

 元々シェリルは賢い子供だ。シベアの徒党にいた時もその賢さで上手うまく立ち回り、それなりに良い生活を送っていた。その反面、荒事を苦手としていた。スラム街で生活している以上、ある程度の荒事に巻き込まれる機会は多いのだが、それは誰かの背に隠れることでやり過ごしてきた。

 だが所属していた徒党が崩壊した後は、死が身近に存在する世界に突然放り出された。本来なら少しずつ慣れていくはずの世界に何の準備もなく放り出されたのだ。そこはシェリルにとって過酷すぎる世界だった。

 絶え間なく続く緊張と重圧と死の恐怖の日々がシェリルの精神を締め付け続けていた。精神はその圧力に耐え兼ねていた。無数のひび割れが全体を覆い尽くしていた。そしてついに、とどめの一撃を受けて砕け散った。

 砕け散った欠片かけらは飛び散りながらすがるものを求めた。そしてそれを見付けると、それを新たな支えにして再び寄り集まり、精神の軸にして新たな形を形成した。

 寄り集まっただけの不安定な欠片かけら達の隙間を、支えにした軸から湧いて出たものが埋め尽くしていく。救い、安堵あんど、盲信、依存と呼ばれるものが欠片かけら同士を強力につなぎ止めていく。それは欠片かけらそのものも変質させていった。

 シェリルと呼ばれた精神は、アキラとの出会いから始まった工程を経て、その呼び名を変えずに似て非なるものに再構築された。

 今までのシェリルは世界に対する恐怖の所為せいでその聡明そうめいさをほとんど発揮できていなかった。だが安堵あんどを得て、自信と余裕を取り戻してからは、空回りしていた歯車が急にみ合ったようなえ渡りを感じていた。

 シェリルは考える。最近の迂闊うかつで穴だらけで愚考が多い自身の行動を振り返る。改善点は幾らでも見付かった。大いに反省して今後にかすと決意する。脳裏には試してみたいことが山ほど浮かんでいる。その思案のそれぞれに対して、検証と再考、改善案の提示を繰り返す。

 自身が率いる徒党のこれからを考える。もっと成長しなければならない。もっと成功しなければならない。自身のために。アキラのために。自身の構築に不可欠となった、その両方の幸せを満たす世界の構築のために。

 シェリルは希望の未来を夢見て、一人妖艶に笑った。

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