第53話 逆転
『アルファ。あれはお互い相手の位置が分からないようにして逃げようとしているのか?』
お互いの情報収集機器の性能を落としているのはそのためではないか。アキラはそう考えていた。しかしアルファがより悪い答えを返す。
『
『つまり、相手だけこっちの姿が丸見えか。何て便利なんだ』
極端な話、アキラだけ真っ暗闇の中にいるようなものである。アキラが現状の厳しさに皮肉を言っていると、アルファが意味ありげに笑う。
『そう思って油断している相手を潰せば良いだけよ』
『……なんだか知らんが、任せた』
『任せなさい』
アキラはアルファに任せてアルファの指示通りに動き始めた。
周囲に漂う煙は完全に視界を遮るものではない。薄い霧のようなもので、ある程度なら先を見ることができる。それでも周囲の索敵はかなり低下する。情報収集機器の高度な画像解析の恩恵は受けられないのだ。
アキラはCWH対物突撃銃でヤジマが隠れていそうな
アキラが
ヤジマは
ヤジマは自分の早撃ちに絶対の自信を持っていた。その絶対の自信を乗せた攻撃をアキラに
ヤジマは慎重に機会を
(あいつは俺が潜んでいそうな
ヤジマが逃げないのはアキラを殺す必要があるからだ。ヤジマ達の存在が本部に知られた場合、ヤジマ達の計画に致命的な支障が出る。それを防ぐためにもヤジマはアキラをこの場で逃がさずに殺さなければならない。
ヤジマは自分の情報収集機器でアキラの動きをかなり正確に
ヤジマが位置取りを完了させる。後はアキラが次に見当違いの場所にある
アキラが射撃体勢を取り始める。アキラはヤジマとは反対方向の
ヤジマは身を潜めていた
ヤジマの銃から弾は発射されなかった。その銃はCWH対物突撃銃の専用弾によって彼の腕ごと粉砕されていたからだ。
ヤジマが銃を構え終える直前、アキラが強化服の身体能力を限界まで引き上げて、前方へ向けていたCWH対物突撃銃を一瞬で後方へ向けていた。そして右手だけでCWH対物突撃銃を構えて、ヤジマの方を見もせずに照準を合わせ、ヤジマよりも早く引き金を引いていた。
着弾の衝撃でヤジマが床に
「……馬鹿、な」
ヤジマの右腕だった機械部品が、粉砕された銃の残骸とともに床に散らばった。ヤジマは義体者だった。
アキラは
事前に飲み込んでいた回復薬がアキラの治療を開始する。すぐには治らない。アキラは崩れ落ちそうになるのを何とか堪えていた。
アキラが倒れているヤジマを見ながらアルファに尋ねる。
『……お見事、で良いのか?』
アルファが笑って答える。
『
実際にヤジマを狙撃したのはアルファだ。アルファがアキラの強化服を操作して精密射撃を実施したのだ。
アルファはアキラの五感を把握している。つまりアルファはアキラの生来の感覚器が得た情報を取得できる。アルファにはアキラの肉眼から得た情報から空中の煙の微妙な動きの変化を探知して、ヤジマが隠れている
更にアルファは情報収集機器の設定を素早く変更して、
つまり、ヤジマがアキラの位置を把握していたように、アルファもヤジマの位置を把握していたのだ。それを知らなかったのはアキラだけだ。ヤジマはそのアキラを見て、攻撃の直前も自分の存在に気付かれていないと判断していた。ヤジマはその誘いに乗ってしまったのだ。
アキラが横たわるヤジマを見ながら尋ねる。
『頭を狙わなかった理由は?』
『理由は2つあるわ。1つは頭を狙って殺せたとしても相手の攻撃を防げない可能性があるからね。衝撃で引き金が引かれて、あるいは着弾までに引き金を引かれて、アキラに当たるかもしれないわ。これは念のためね。もう1つは頭を吹っ飛ばしても死なないかもしれないからよ』
『いや、
『あいつは義体者、若しくは遠隔操作の機械人形よ。完全義体者なら脳が頭部にない可能性があるわ。機械人形なら、制御ユニットが頭部にあってそれを破壊したとしても、補助ユニットが別に存在する可能性があるわ。多分義体者ね。どちらにしても、相手が頭部を失っても反撃可能な場合のことを考慮して、反撃されないように先ずは敵の攻撃手段を奪うことを優先したのよ』
アキラが少し驚いてヤジマを見る。よく見ると腕を吹き飛ばしたのにヤジマからは血が流れていない。右腕の付け根からは機械部品が見える。
アルファの言う通りヤジマは義体者だ。体の大部分を生体部品や機械部品に交換しており、生来の部分は中枢神経系とごく僅かな部分だけだ。ヤジマは右腕を失ったが大して痛みを感じてはいない。少し痛い程度の感覚で済むように調整済みだ。それでも着弾の衝撃はヤジマの体に伝わっており、そのままでは戦闘継続に支障を来す程度の痛手を受けていた。
アキラにはヤジマが義体者だったことなど全く分からなかった。アキラが少し驚きながら尋ねる。
『どうやってそれに気付いたんだ?』
『いろいろ理由はあるのだけれど、一番の理由は無言での
『その節は大変ありがとう御座いました』
『どう致しまして』
アキラがアルファに礼を言い、アルファが
『……で、それとどういう関係があるんだ?』
『私は相手の表情とかから、ある程度相手の
『それならあの時教えてくれれば良かったじゃないか』
『私も
『……さっきの
『彼の表情に
『そういうことか。じゃあ改めて、お見事』
『当然よ』
アキラの賞賛に、アルファは得意げに
アキラが警戒を怠らずにヤジマに近付いていく。アルファが一応アキラに念を押す。
『直撃していないとは言え、CWH対物突撃銃の専用弾を食らったから相手のダメージは大きいと思うわ。それでも警戒は怠らないこと』
『分かってる』
『後、今のうちにCWH対物突撃銃の弾倉を交換して。空ではないけれど大分減っているわ』
『了解』
アキラがアルファの助言に従って専用弾の弾倉を交換する。負傷させたとはいえヤジマが格上の相手であることに間違いはない。アキラは油断せずにヤジマに近付いていく。
ヤジマは死んでおらず、気絶もしていない。床に倒れたまま状況を正確に認識して、それを好転させるために思考し続けていた。
ヤジマが負った痛手はこの場から動けないほど致命的なものではない。アキラと交戦するのは困難だが、この場から逃走する程度のことは可能だ。無論、逃げるヤジマをアキラが後ろから撃たないという前提が必要になるが。
ヤジマは既に仲間に援軍を頼んでいるが、到着までの時間は不明だ。援軍の到着時間を試算するが、どう計算してもアキラがヤジマの頭部を吹き飛ばす時間よりは後になる。つまり現状において、ヤジマは完全に詰んでいる。
アキラは床に倒れているヤジマにある程度近付いてから、CWH対物突撃銃をヤジマに向けて構えた。相手は格上だ。この程度で警戒を解く気にはなれない。ヤジマが飛び起きて襲いかかってきても、問題なく迎撃できる距離を保ち、不審な動きを見せたら
ヤジマは床に倒れたまま残った左手を弱々しく向けてアキラを制止する。
「止めろ……。俺の負けだ……。撃たないでくれ……」
「なぜ俺を攻撃した?」
「だからそれは誤解なんだ……。頼むから話を聞いてくれ……。ちゃんと聞いてくれさえすれば、誤解は解ける……」
ヤジマは
アキラは優位に立っている。ヤジマの生殺与奪を握っているのはアキラだ。それはアキラに余裕を生み出し、余裕はアキラに現状把握の思考と行動選択の熟考の余地を与えた。
『……どうする?』
『命乞いは本当。弱気な態度は
アルファの推察を聞いて、アキラがヤジマに尋ねる。
「時間稼ぎか。どの程度の時間を稼げばお前は助かるんだ?」
「時間稼ぎ!? 誤解だ! そんなつもりはない! 本当だ!
『
慌てて叫ぶヤジマの様子を見て、アルファがあっさり答えた。アキラはそれを信じた。
『取りあえず、残りの両手足吹っ飛ばして本部まで連れて行こう。多分その程度じゃ死なないだろうし、戦闘力も奪える。可能なら本部まで連れてこいって指示されているしな』
『そうね。大人しく捕まってくれるとは思えないし、安全に運ぶならそれぐらいはしないと危険だわ』
アキラはCWH対物突撃銃の照準をヤジマの左腕に合わせようとする。だが右腕の痛みでその動きを止めて顔を
『い、痛い。痛みが引かないんだけど、どういうことだ? 回復薬が効いていないのか?』
『強化服が有るとはいえ、アキラの強化服だと片手でCWH対物突撃銃を使用するのは無理があったわね。負荷で筋肉も骨も限界だから回復薬が足りていないのかもね』
『じゃあどうして片手で撃ったんだよ』
『素早く動いて可能な限り短時間で反撃する都合よ。相手の油断を誘う
長くなりそうな話をアキラが止める。
『分かった。そうする理由はあった。そうだな?』
『そうよ。我慢できないなら今のうちに回復薬を追加で使っておきなさい』
アキラが回復薬を取り出して飲み込む。安い回復薬では治療にいつまで掛かるか分からない
クズスハラ街遺跡で手に入れた回復薬はこれでなくなってしまった。アキラが
『……
『仕方ないわ。アキラ。前にも話したけれど、これでアキラが無理をした場合の危険度はかなり上がったわ。十分に注意して』
『了解だ』
アキラは再びヤジマの左腕にCWH対物突撃銃の照準を合わせた。
ヤジマはアキラの態度から理解する。
(話を聞く気は無し。時間稼ぎもバレバレか。この場で俺を殺す気がないのは有り難いが、本部まで連行されれば終わりだ。御丁寧に四肢を破壊してから運ぶ気か。念入りだな。どうする? この念の入れようだと、ネリア達が助けに来たら、まずは俺を殺してからネリア達の対処に移るぞ?
表向きは悲痛な表情で
現在の状況ではヤジマはもう詰んでいる。アキラの優位はヤジマの努力では揺るがない。ヤジマが自力で状況を逆転させる手段はなく、アキラは自身の優位を崩すような悪手を選んだりはしない。この2人が現在の状況を変化させることはない。
ただし、この2人以外の他者は別だ。
「何をやってるの!?」
レイナが大声で叫んだ。レイナとシオリが走ってここに向かってきていた。
ドランカム所属の若手ハンター達も地下街の照明設置の作業に加わっていた。カツヤ達もその中に含まれていた。
カツヤが率いているグループに本部から2名の人員を他のグループに向かわせるように指示が出る。カツヤは難色を示して指示の撤回を求めたのだが、それは通らず仕方なくレイナとシオリをその2名に選んだ。他のグループで不測の事態が発生しても問題なく対処できそうな人物がシオリぐらいしかいなかったからだ。
レイナとシオリは派遣された先にアキラがいることなど知らなかった。指示された場所には照明の積まれた台車しかなかった。レイナ達がここにいるはずのハンターを探していると、少し離れた場所に他のハンターに銃を突きつけるアキラの姿があったのだ。
アキラとヤジマの視線がレイナ達に集中する。アキラがレイナ達の姿を見て少し表情を険しくさせる。この状況をレイナ達に説明するのが面倒だと思ったのだ。
『追加要員って、あの2人だったのか』
『もう少し早く、できれば戦闘中に来てもらいたかったわね』
普段のアルファなら
『……そういえば、アルファもあの2人に気が付かなかったのか?』
『言ったでしょう?
『そうだったな』
アキラもそれで納得した。
アルファは
アルファはアキラの強化服を強引に操作してヤジマを殺すことができる。しかしそのためには、アルファがアキラの意思を無視して強化服を操作するためには、そうするべきだとアルファが判断して実行に移すためには、アルファを裏で縛る様々な条件を満たさなければならないのだ。
それ以外の場合はアキラの意思が優先される。アルファがアキラの意思を無視して様々なことを強制することができないのはそのためだ。
アキラはそのままレイナ達を見ていたが、ヤジマは視線をアキラに戻した。
ヤジマがレイナ達を見るアキラの表情を観察する。ヤジマはそこに現状からの突破口を見た。
(面識はあるが、友人ではないな。少なくとも言い分を全面的に受け入れてもらえるような関係ではない。この状況を説明するのが面倒だと判断したな? 状況を説明したとしても、それを信じてもらえない可能性があると判断したな?)
内心でほくそ笑みながら、ヤジマが悲痛な表情でレイナ達へ叫ぶ。
「助けてくれ! 殺される!」
アキラが思わずヤジマを見る。ヤジマが恐怖で
「こいつが突然俺を撃ったんだ! 俺を殺そうとしたんだ! 俺は照明の交換作業をしてただけなのに!」
アキラが慌てて否定する。
「違う! いや、確かに撃ったのは俺だが、それはこいつが俺を殺そうとしたからだ!」
「違う! お前が俺を殺そうとしたから反撃しようとしただけだ!」
「ふざけるな! あれだけ明確に殺そうとしただろうが! 先に撃ったのはお前だろうが!」
「それはお前が銃を向けたからだ!」
アキラとヤジマはお互いに怒鳴り合った。
レイナとシオリは困惑していた。レイナ達は照明交換作業の追加要員としてこの場に来ただけだ。レイナ達にはどちらが正しいかなど分からない。アキラとヤジマが交戦してアキラが勝利した。レイナ達が状況から判断できるのはそれだけだ。そのことはレイナ達にも分かる。どちらが正しいかなどレイナ達には分からない。
レイナは混乱しながらシオリに助けを求める。
「シ、シオリ、ど、どうすれば良いと思う?」
「そう言われましても……」
シオリは悩む。何らかの切っ掛けでアキラ達が交戦したのは確かだ。シオリはアキラと殺し合う寸前まで緊迫した状況を経験したこともあるのだ。そのためシオリにはどちらかと言えばアキラを疑っている部分があった。
だからと言ってシオリにはアキラが
どちらかが
シオリがアキラとヤジマに真面目な表情で話す。
「まずは本部に連絡を取りたいと思います。
本部への連絡を嫌がった方が
アキラがはっきりと答える。
「そうだ。本部に連絡してくれ。位置情報を共有できないハンターの対処を本部から指示されたんだ。対象の殺害許可も出ている。本部に連絡を取れば分かるはずだ」
ヤジマが叫びながら答える。
「それは俺の
アキラとヤジマが
「……駄目。
レイナの
「それはそいつが使った
「それを使ったのはお前の方だ! 俺を調べれば持ってないことぐらい分かる!」
「使い切っただけだろう。いい加減なことを言うな」
アキラとヤジマが再び
レイナとシオリは本部から照明の設置作業の手伝いを指示されてここに来た。照明の交換作業をしていたと言うヤジマの発言と一致している。
アキラは位置情報を共有できないハンターの対処を指示されたと言っている。シオリ達はその話を聞いていない。アキラの発言と食い違っていることになる。
シオリは注意深くアキラとヤジマの様子を確認する。やはりどちらも
レイナはアキラ達を見ておろおろしている。レイナにもどちらが間違っているかなど分からない。レイナは迷った挙げ句、シオリを見た。手に負えないとシオリに助けを求めたのだ。
シオリが結論を出す。
「では、全員で本部まで戻りましょう。少なくとも
シオリがアキラの方を向いて警戒しながら話す。
「……ではアキラ様。銃を下ろしていただけますか?」
アキラが険しい表情で黙る。銃口はヤジマに向けたままだ。
『……あいつらが来る前に殺しておくべきだったな』
『この状況で撃ち殺す訳にもいかないし、仕方ないわ。大丈夫。記録はちゃんと取ってあるから
アルファの言葉でアキラは何とか落ち着きを取り戻した。
なかなか銃を降ろそうとしないアキラに、シオリがアキラに対する警戒を高める。
「……アキラ様?」
「分かったよ」
アキラは銃を降ろした。シオリはアキラを警戒したままだ。
シオリはアキラの
シオリがアキラを警戒し続けているため、アキラも意識をシオリの方へ向けた。
つまり、アキラとシオリの両方の意識がヤジマから外れてしまった。
『アキラ! 早く止めなさい!』
アルファがアキラに指示を出すが既に手遅れだった。
「ほら、立ちなさい」
レイナがヤジマに近付き、倒れているヤジマに手を差し伸べていた。右腕を失い、武器も持たず、
ヤジマはレイナの手を
ヤジマが
「動くな」
先ほどの
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