第269話 防壁内での交渉事

 都市間輸送車両の護衛依頼の件が片付いた後、ヒカルは平穏な日々を送っていた。若く有能な者に付き物な傲慢、優秀さ故の上昇志向が、アキラという人物との関わりで得た死地手前の経験によって十分に落ち着いたこともあり、毎日の業務を無難かつ及第点を超えた成果で熟していた。

 それによりヒカルの評価は少しずつ上がっており、周囲の者からもいずれは大成するだろうと思われていた。もっともそれは、十数年後には都市の要職に就いているかもしれない、という程度のものだ。かつての一足飛び最速最短距離で上を目指そうとしていた頃に比べれば、十分に遅い。

 それでもヒカルはその日々に満足していた。身の程を超えて駆け上がればアキラのような者達と関わる機会が増えると思っているからだ。自分にはキバヤシのような真似まねは出来ない。度を超した戦闘能力とそれに比例して偏った人格の持ち主、悪く言えば頭のおかしい者達に嬉々ききとして関わり制御するような真似まねは無理だ。そう考えて、身の丈に合った成果を少しずつ積み重ねようと、毎日を平穏に着実に過ごしていた。

 その日々の中、ヒカルはイナベに仕事があると突如呼び出された。以前のヒカルならば突然の指名をいぶかしみながらも、都市の幹部に自分の実力を認められたのだと歓喜していた。だが今は認められた喜びの顔を浮かべる余裕など無く、何の用なのかとビクビクしていた。

 ヒカルが失礼の無い態度でイナベの執務室に入る。するとソファーに座っていたイナベは部下との話を切り上げて、ヒカルに手で着席を促した。

「座りたまえ」

 勧められた向かいのソファーにヒカルがおずおずと座る。するとイナベは部下達に視線で退室を促した。部下達は黙って従い、一礼して出ていった。

 ヒカルの顔が僅かに強張こわばる。自分は手と言葉で促され、他の者は視線と無言で指示された。その扱いの差を単純に捉えれば、自分は上司に他の者より優遇されたことになる。それだけの扱いを受ける立場になったのだと喜ぶことも出来る。だがヒカルの才は、その優遇を嫌な予感として扱っていた。

「……イナベ区画長。その、私に仕事があるというお話でしたが、一体どのようなものでしょうか……。実は今、広域経営部での案件を幾つか抱えておりまして……、抱える案件がこれ以上増えますと既存の作業への影響が……」

 イナベからどんな仕事を言われるのか分からないが、やりたくない。ヒカルはその内容を可能な限り穏便に婉曲えんきょく的に伝えてみた。

 イナベが表情を欠片かけらも変えずに、ヒカルの内心を正確に分かった上で答える。

「問題無い。現在抱えている案件は全て忘れて良い。それらは他の者が責任を持って実施する。勿論もちろん、こちらでそう調整する。心配は不要だ」

「そ、そうですか……」

「具体的な話に入る前にこの資料を読んでくれ。30分だ」

「は、はい」

 ヒカルがテーブルの資料を手に取る。資料は普通なら情報端末等で閲覧すれば済むのだが、態々わざわざ紙で用意されていた。

「紙の資料であることに対して、説明は必要か?」

「い、いえ」

「そうか。では逆に尋ねよう。これらの資料、なぜ態々わざわざ紙で出していると思う?」

 イナベはそう言って、真面目な視線をヒカルに向けた。これを適当にごまかしたり受け流したりすると、非常に厳しい対処を取る必要が出てくる。尋問ではないが、それに近い。イナベの視線はそう雄弁に告げていた。

 ヒカルが冷や汗をかきながら問いに答えていく。

「……単なる印刷物である以上、クガマヤマ都市の閲覧制限機能の外にあります。恐らくこれらの資料には本来私の権限では閲覧できない内容が含まれています」

「成る程。他には?」

「印刷した時点でデータ共有システムから切り離されています。よって、都市のシステムは記述内容の正当性を担保していません。私にとって資料の内容を保障するものは、提供元がイナベ室長であるということだけになります」

「成る程。他には?」

 まだあるだろうと、イナベがヒカルをじっと見詰めた。ヒカルが白状するように続ける。

「……この資料が流出しても、既に幾らでも改竄かいざんが可能な状態ですので、幹部会での証拠にするには弱いです。加えて、部分的に虚偽の情報を意図的に記載してある懸念があります。恐らく、この資料が敵対派閥に流れた場合の備えとして……」

 イナベが真面目な顔でうなずく。

「それだけ分かっているなら十分だ。実に優秀で何よりと称賛しよう。では、読んでくれ。虚偽の記載部分は、資料の内容を正確に把握すればすぐに気付くものばかりだ。見付けたらその都度私に質問してくれ。紙にも出したくない情報もあるのでね」

 逃げ場は無いと悟ったヒカルは、覚悟を決めて資料に手を伸ばした。

 資料の内容はアキラとクロエの状況、そしてリオンズテイル社とクガマヤマ都市の間で発生した事態の詳細だった。アキラが500億オーラムの賞金首となり、モンスター認定まで受けたこと。クロエが都市襲撃犯として防壁内に軟禁されていること。そして、都市の幹部会でそれらの対処の会議を行った際に、ウダジマがリオンズテイル社とのつながりをほのめかして事態の早期収拾を妨害している旨が記載されていた。

 ヒカルは10分で内容の把握を済ませた。残りの20分はイナベから内容に関する質疑応答を受けて、内容を十分に把握していることを確かめられた。

 確認を終えたイナベが満足そうにうなずく。

よろしい。では、本題に入ろう。君に特命を出す」

 違っていてくれというヒカルの祈りは届かず、資料を読んで浮かんだ内容が告げられる。

「内容は、アキラとの交渉だ。今回の件を穏便に済ませるために全力を尽くしてくれ。遂行に必要な予算と権限は幾らでも申請してくれ。こちらで可能な限り用意する」

「ま、待ってください!」

「駄目だ」

 イナベはヒカルの必死の訴えを内容も聞かずに断り首を横に振った。そしてヒカルの要望を潰すように説明していく。

 賞金首となり非常に警戒しているであろうアキラと交渉するためには、交渉人は最低でも知人である必要がある。そして相手の警戒を抑えるためにも過去にアキラに有益な交渉を成立させた者であるのが望ましい。更にアキラという人格に出来る限り精通している者でなければ、相手を不必要に刺激してしまい状況を悪化させる恐れがあるので、最低でもアキラの扱いの経験者でなければならない。

 イナベが知る該当者は3名。イナベ自身。キバヤシ。そしてヒカルだ。だがイナベは都市の幹部会でアキラのモンスター認定解除に専念しなければならない。ウダジマの妨害は必至で、その対抗作業中にアキラとじかに会う時間など無い。キバヤシは現在ハンターオフィスの職員として動いており、イナベの権限が及びにくい状態にある。加えて仮に指示を出せたとしても、本人の悪癖からキバヤシ好みの偏った結果に誘導する恐れが高く、事を穏便に済ませるという特命を出す相手には適さない。

 よって担当者は消去法でヒカルとなり、代わりはいない。イナベからそう説明されたヒカルは、自分のような小者ではなく、イナベやキバヤシのような者を担当にした方が良いという提案を、話す前に潰された。

「これが君を今回の件の担当者に選んだ理由だ。説明内容に不備があるなら聞こう」

 ヒカルは必死になって思案し、説明された内容を反芻し、自身を担当から外すための粗探しをした。だが自身の才を総動員しても有効な不備は見付からず、沈黙を返すしかなかった。

 そこにイナベが更に続ける。

「気が進まないのは理解できるが、君のやる気を引き出すためにも、私達には後が無いと教えておこう」

「……私達、ですか?」

 ヒカルは思わず怪訝けげんな顔を浮かべた。君には後が無い、であればイナベからの特命を拒否などすれば進退に関わると捉えられる。しかし私達、つまりイナベの進退にも関わるとなると、ヒカルには意図が読めなかった。

 自棄やけになったアキラがクロエを殺しに都市を襲撃したとしても防衛隊に排除されるだけだ。そこで都市側に少々被害が出たとしても、ツバキの管理区画の利権に大きく関わっているイナベの進退を揺るがす事態にはならない。ヒカルはそう考えており、イナベの忠告に怪訝けげんな顔を浮かべていた。

「そうだ。私達だ。ハンターが都市に大きな被害を出した場合、その原因となった者は必ず責任を追及される。事態の発生を導いた様々な要因に対してだ。そこにはそのハンターにそれだけの力を与えた者の責任も含まれる」

「それは理解していますが……」

「君に閲覧してもらった資料の中にはアキラの戦闘能力も記載されているが、内容に誤りがある。正確には、彼の今後の戦闘能力に対する推察が著しく甘い。君はアキラの戦闘能力を都市間輸送車両の護衛依頼を基準にして考えているのだろう。その認識では、非常に不味まずい」

「……と、言いますと?」

「彼が近い内に最前線並みの装備を入手する確率が非常に高いのだ。ハンターランク100相当の強力な武装をだ」

 ヒカルの顔が驚きに満ちる。イナベの顔も険しくゆがむ。

「彼はランク50程度の装備であれだけの成果を出すのだ。そのような者がランク100相当の装備を手に入れた上で都市を襲えばどうなるか。君にも想像は付くだろう」

「そ、その装備の入手の阻止は出来ないのですか?」

「入手元に対しての工作は極めて困難だ。その装備は坂下重工からのアキラへの報酬だからな。下手なことをすると坂下重工への敵対行為となる。そして、彼にその入手手段を提供したのが、私と君なのだよ」

 ヒカルが絶句する。そして話の規模が予想外に大きくなっている上に、それに自分が訳も分からずに巻き込まれていることに平静を大きく欠き、イナベに向けて思わず悲鳴のような声を出す。

「ど、どういうことなんですか!?」

「教えるが、坂下重工が絡むことなので紙にも出せない内容だ。よって口頭で伝えるが、君もこの情報の扱いには留意してくれ」

 アキラは以前から自身のハンターランクによる使用制限を超えた強力な装備の入手を求めており、キバヤシやイナベを通して受けた依頼の報酬に、その調達への協力を求めていた。そしてヒカルから受けた都市間輸送車両護衛依頼を契機にして、ついにその調達に半ば成功した。そして後は装備の到着を待つのみとなったのだが、坂下重工が実施していた広域流通制限の所為せいで輸送を止められていた。

 しかし坂下重工はその制限を部分的に解除した。輸送は再開され、アキラがその装備を手に入れるのは時間の問題となった。

 善良で倫理的なハンターに強力な装備の調達を協力したが、そのハンターが予想外の事態により都市と敵対することになった、ということであれば、イナベも多少は責任を問われるだろうが、その地位を揺るがすような致命的な事態にはならない。

 しかし人格面に著しく問題がある者ならば話は別だ。大きく責任を問われることになる。特にヒカルはアキラを都市間輸送車両の護衛依頼にかなり強引にじ込んだ。都市の幹部ですらその地位を危うくするのであれば、ただの職員の地位など余波で消し飛ぶ。クガマヤマ都市から追放されても不思議は無い。

 それらの説明を聞いたヒカルが震え出す。イナベはその震えを相手が事態を正確に認識した証拠だと理解した。

「改めて言おう。私達には後が無い。この事態を穏便に済ませなければならない。細かい指示は出さない。キバヤシから称賛された能力を存分に発揮して事態の解決に動いてくれ。私への秘匿回線への接続コードを渡しておく。何かあれば連絡を入れろ。以上だ。すぐに動いてくれ」

 イナベからそう告げられても、ヒカルは動けず、返事もろくに出来なかった。

「……まあ、衝撃も大きいだろう。落ち着くまでは、しばらくそのまま座っていて構わない」

 イナベはそう言い残してソファーから立つと、執務用の自席に戻り部下を呼び戻した。部屋に入ってきた部下達は座ったままのヒカルを見て少し怪訝けげんな様子を見せたが、イナベが気にしなくて良いと軽く首を横に振ったのを見ると、ヒカルを気にせずに職務に戻った。

 それからしばらくして、ヒカルは半ば呆然ぼうぜんとしながら立ち上がると、項垂うなだれながらどこかふらふらした足取りでゆっくりと退出した。

 部屋から出て、背後で扉が閉まる音を聞いても、ヒカルはそのまましばらく立ち尽くしていた。だが状況に押し流されていた頭が徐々に冷静さを取り戻すと、そのまま事態への怒りを覚え、その苛立いらだちをえて受け入れ、意気を燃やす燃料としてやる気にべていく。そして両手を握り、顔を上げ、開き直ったように声を上げる。

「……分かったわよ。やってやろうじゃないの!」

 退路が無いなら進むしかない。項垂うなだれて震えたままなど性に合わない。ならば突き進むまでだ。そう自身に言い聞かせ、己を鼓舞するように意気揚々と笑う。ハイリスクハイリターン、大勝か大敗しかなく、しかも自分の意志ではもう降りられない賭けに勝つために、ヒカルはもう一度覚悟を決めた。


 賞金首となったアキラはクガマヤマ都市から車で数日といった辺りの荒野に潜伏していた。キャロルのキャンピングカーのお陰で寝床は十分、弾薬類も余裕があり、食料も数週間程度は保つ状態だ。事態に何らかの進展が出るまで隠れていようと大人しくしていた。

 そこで秘匿回線でキバヤシから連絡があり、前にアキラが機械化兵隊蜂を倒したことを、汎用討伐依頼にじ込んでおいたと伝えられる。実際にはラティスと協力して倒したようなものなのだが、クロエは自分達を被害者側にするために関与を否定しており、記録上はアキラだけで倒したことになっていた。

 撃破報酬は5000万オーラムだった。大金であるが、アキラは微妙な表情を浮かべていた。

 そのアキラの様子をキバヤシが相手の口調から察する。

「何だ、額が不満か? 流石さすが500億オーラムの賞金首だな。そんな小銭じゃ物足りないか?」

「いや、そういう訳じゃないけどさ。ほら、前にタンクランチュラって賞金首がいただろう? あいつの賞金は8億オーラムだった。そのタンクランチュラより桁違いに強かったのに、報酬が5000万オーラムってどうなんだろうって、ちょっと思ってさ」

「そりゃそうだ。賞金首の賞金額は相手の強さで決まるんじゃなくて、どれだけ死んでほしいかっていう基準で決まるんだからな。普段上空を飛んでいて、地上の流通ルートに悪影響を及ぼさない相手に、高額の討伐料は支払えねえよ」

「うーん。そういうことか。でもなぁ……、あんなに強かったのに……」

 納得しきれないアキラにキバヤシが根拠の補足を続ける。

「諦めろ。それにそもそもこの地域では、あの手の大物を倒しても初めから割に合う報酬は支払えないんだよ」

 仮に機械化兵隊蜂の討伐に対して割に合う報酬が支払われた場合、十分に強いハンターが上空のモンスターを態々わざわざ釣り出して倒そうとする恐れがある。それを繰り返されればいずれは上空領域のモンスターが地上近くを徘徊はいかいするようになり、周辺地域の危険度が致命的に悪化する。撃破報酬の支払い元である周辺地域の都市群は、その防止のために討伐代金を調整しているのだ。

 それらの都合もあって、機械化兵隊蜂を倒して採算を得たい場合は、もっと東に行って倒す必要がある。同様に、同程度のモンスターを倒しても東側の地域の方が撃破報酬が高い傾向にある。これは有能なハンターの活動地域を徐々に東に移らせて、いずれは最前線地域に到達してもらうための施行でもあった。

 ちなみに、あの蜂ほどの大物となると倒した遺骸にもそれなりの値が付く。倒したのはアキラなのでその所有権は本来アキラにある。だが既に捨てたと見做みなされているので、事情を知らない他のハンターなどに持ち去られていた。

 報酬額の説明を聞いて納得したアキラに、キバヤシが更に補足を続ける。

「だから、お前に500億オーラムの賞金が懸かっていても、お前がそれだけ強いって意味にはならない。いや、俺はそれだけ強いって思ってるぞ? 他のやつらがどう思うかってことだ。モンスターではなく人間に懸けられる賞金額には、体面とか制裁とか、恨みつらみとか、隠れてるから見付けにくいとか、そういう相手の実際の戦闘能力とは無関係な部分の影響も大きいからな。同じ人間なんだから油断のすきけば何とかなるだろうって考えるやつもいる。気を付けておけ」

「分かってるって」

「よし。また何かあれば連絡する。じゃあな」

 キバヤシとの話を終えたアキラに、キャロルが少し心配そうな顔を向ける。

「私が言うのも何だけど、そのキバヤシって人、信用できるの?」

「多分な。利害の一致って意味でだけど。あいつは俺が死んでも構わないけど、死ぬ時は可能な限りド派手に死んでほしいって考えで、金や組織のためじゃなくて自分の趣味のために頑張ってるんだ。そういう意味で、大丈夫だと思う」

「そう。まあアキラがそう言うのなら、私がごちゃごちゃ言うことじゃないわね」

 ある意味でアキラらしい考え方だと思い、キャロルは楽しげな苦笑を浮かべていた。

「それにしても、アキラは500億オーラムの賞金首になったっていうのに随分落ち着いてるのね。何でそんなに余裕なの?」

「開き直ってるだけだ。今更慌てふためいたって状況が良くなる訳じゃないしな」

「ふーん」

 普通はそうはならないと思いながらも、キャロルは然程さほど気にせずに話を流した。そのキャロルに向けてアキラが軽く笑う。

「それにキャロルのお陰で野宿は免れてるんだ。荒野でもキャンピングカーだから風呂もベッドもあって、しかも俺の家より良い設備なんだ。そこでしっかり食ってしっかり寝れば、十分落ち着けるよ」

 それを聞いたキャロルが誘うように笑う。

「そう? でも食う寝る殖えるなら、要素が一つ足りてないんじゃない? 残りも提供できるわよ?」

「悪いな。色気より食い気は継続中なんだ」

「危機的な状況の中、男女が二人きりなんだから、そこはお決まりのパターンに流れてもいいんじゃないの?」

「危機的な状況ではないし、危機的な状況にするつもりもないから、お決まりのパターンにはならないな」

「全く、相変わらずつれないわね」

 キャロルは駄目で元々と思って言ってみただけであり、誘いを断られても少し大袈裟おおげさな態度で残念そうに笑って返しただけだった。

 アキラも自分としてはいつも通りのり取りをしただけだと思っていた。

 アルファだけが、そのり取りをいつも以上に注意深く観察し、懸念を覚えていた。


 クガマヤマ都市の防壁内、中位区画と上位区画の境目付近で、一時的に軟禁を解かれたクロエがウダジマと一緒に坂下重工管理下の領域に向かっていた。既にラティス達とも合流しており、二人はクロエの背後に控えている。

 クロエに頼まれて手筈てはずを整えたウダジマが緊張を強めている。

「くれぐれも失礼の無いように頼むぞ。お前はリオンズテイル社の者として交渉に行くんだろうが、そこで何かあれば、仲介した私も破滅なんだ」

 クロエが上品に余裕のある微笑ほほえみを返す。

むしろ何事も無い結果に終わってしまえば、私も貴方あなたも終わりでしょう。現状維持が破滅に続くのであれば、更なる何かを求めなければ今回の交渉も無意味ですよ?」

「そういう意味ではない!」

 思わず声を荒らげたウダジマに向けて、クロエが軽く首を横に振る。

「お静かに。そろそろ坂下重工の管理領域です。クガマヤマ都市の身分は通用しません。失礼の無いように御注意を」

 ウダジマは顔をゆがめ引きらせながらも黙った。

 坂下重工の管理領域の境界に到着したクロエ達は、まずは都市の警備員から身体検査を受けた。そしてクガマヤマ都市側の案内役であるウダジマとここで別れた。つまり、クロエ達の保護責任はこの時点で坂下重工側に移った。

 クロエも流石さすがに緊張を高める。この先は坂下重工管理の領域だ。相手が五大企業であるということに加え、極端な話、そこで坂下重工がクロエ達を殺しても、リオンズテイル社側にそのような者は来ていないと答えれば、それで通る場所なのだ。坂下重工側に自分を殺す理由など無いと分かっていても、緊張は隠し切れなかった。

 絶対に失礼の無いように。そう改めてくぎを刺したウダジマと入れ替わり、坂下重工の職員が案内に現れる。

「クロエ様で御座いますね? ご案内致します。どうぞこちらへ」

 クロエ達が職員の案内で奥に進んでいく。施設内の警備の人員は全て坂下重工側の者であり、交換可能な警備装置なども坂下重工によって交換されている。それらにより、辺りにはまるで現在でも稼働中の遺跡奥部のようなどこか異質な空気が漂っていた。そしてある部屋の前に到着する。

「こちらです。どうぞ」

 そう言って丁寧に頭を下げる案内役の職員を通路に残し、クロエ達が中に入っていく。室内にはクロエの交渉相手の男と、その護衛がいた。

 クロエは改めて覚悟を決めると、席に座ったまま自身を迎えた男の前に立ち、リオンズテイル社の創業者一族、ローレンスの者として相応ふさわしい微笑ほほえみを浮かべて礼をした。

「クロエ・レベラント・ローレンスと申します。お見知り置きの程をお願い致します」

「スガドメだ。私も忙しい。君に時間を割くに足る有益な交渉を期待している」

勿論もちろんで御座います」

 スガドメとハーマーズ、坂下重工の重役とその護衛、権力でも武力でも到底勝ち目の無い者達に対してたじろがずに応対するために、クロエは全身全霊でこの場に臨んでいた。


 シロウが隠れ家で不満そうな顔を浮かべている。

「……ったく、待機時間だって馬鹿にならないってのに」

 指定の時間辺りに通信を入れるので、必ず連絡を取れる状態にしておくこと。スガドメからそう指示されたシロウは外へ調査に行くことも出来ず、時間の浪費のような感覚を味わって焦りを募らせていた。


 クロエがスガドメとの会談を望んだ表向きの理由は、ミハゾノ街遺跡で起こした騒ぎの謝罪だ。ハンターオフィスの前とはいえ所詮は遺跡内での出来事であり、どの程度の問題として扱われるかは状況による。クロエはその釈明と謝罪代わりの交換条件の話し合いをスガドメに嘆願し、ウダジマの仲介でそれを通した。

 そしてスガドメの前で改めて事情を説明する。まずはオリビアのカードの貴重性、重要性、危険性を伝える。その上で、やむを得なかった事情を説明していく。

 一介のハンターが偶然にもそのカードを部分的に所持しており、自分はその状況を危険視して譲渡交渉をしたが、十分な報酬を用意したにもかかわらずハンターが譲渡を拒否した。そして危険な遺物の拡散を防ぐために仕方無く脅しの意味で武力を行使した。それでもハンターが譲渡を拒んだ所為せいで戦闘になった。その場所がハンターオフィスの前であったことは理解していたが、相手のハンターの戦意が高すぎて、むざむざとやられないためむを得ず戦った。

 それらを非常に申し訳なさそうな態度で話し、どうしようもなかったのだと訴えて理解を求めた。

「危険な遺物の拡散が東部にどれだけの悪影響を及ぼすかについては説明など不要でしょう。坂下重工様も東部の安全のために多くのハンターと似たような交渉を続けられています。そして交渉が決裂し、不本意ながら遺物を武力で奪取せざるを得ない事態に陥ってしまった事例も多いはず。程度の差はあれど、私も同じことをしたまでであり、どうかご理解頂きたく思います」

「理解はしよう。しかしその程度の話であれば私との会談など不要だろう。両社の交渉役で問題無いとすれば良い。君と私の時間を態々わざわざ別に取る内容とは思えないがね」

 スガドメから暗に無駄な時間を取られたと告げられ、クロエが内心の緊張を高めながら話を続ける。

「まずは、じかに謝罪におもむくほど責任を感じているとご理解ください。そしてハンターオフィスは統企連の傘下組織であり、五大企業の意向に沿う組織であります。よってミハゾノ街遺跡のハンターオフィス前での騒ぎであれば、坂下重工様に頭を下げるのが道理であると判断致しました。そして私も曲がり形にもローレンスの一族の者。頭を下げる相手を選ぶ必要が御座います。そこらの者に頭を下げては我が社の信用にも傷が付きます。それらを考慮し、誠にお手数とは思いましたが、スガドメ様の貴重なお時間を頂きました」

 そこでクロエが白いカードを取り出して提示する。

「そしてここから本題となります。これがそのカードで御座います。今回の件の謝罪と致しまして、私にはこのカードをそちらにお譲りする意志が御座います」

 クロエの背後に控えていたラティスとパメラの表情が驚愕きょうがくゆがんだ。オリビアのカードを手放すなどラティス達の考えでは有り得ないことだ。主に向けて思わず制止の大声を出すところだったが、そこはスガドメの前にいることと、主への忠誠で辛うじて抑えた。

「それでもこのカードの価値を考えれば、流石さすがに無条件で譲渡は出来ません。どの程度の条件でお譲りするか。その交渉が今回の主目的で御座います。スガドメ様のお時間を費やすに足る内容と判断しております。如何いかがでしょう?」

 クロエは白いカードをスガドメに見せ付けるように持ちながら、緊張を顔に滲ませながらもしっかりと微笑ほほえんだ。

 沈黙が流れる。クロエはその沈黙に耐えながら笑顔を維持した。頬に冷や汗を伝わせて、スガドメの返答をじっと待ち続ける。クロエの緊張はラティス達にも伝わり、従者達の顔を僅かに堅くさせていた。

 そしてスガドメが態度を変えずに答える。

「成る程。君が私に時間を使わせるに足ると判断したことは理解しよう」

 クロエが安堵あんどの息を付いて頭を下げる。

「ありがとう御座います。では、まずは私の方から条件の提示をさせて頂きたいと思います」

「いや、その必要は無い」

 その返答に、クロエが思わず怪訝けげんな顔を浮かべる。オリビアのカードは流石さすがに無条件で渡せる品ではない。それぐらいはスガドメも分かっているだろうといぶかしみ、少々非礼かと思いながらも一応口に出す。

「……失礼ながら、謝罪の品という意味を持たせても、無条件での譲渡はいささか強欲かと。この遺物の価値を考慮すれば、譲渡の意思があるという時点で謝罪の意としては十分だと考えますが」

「それは理解する」

「では、なぜ?」

 ますます困惑するクロエに向けて、スガドメが態度を変えずに告げる。

「譲渡の意思のみで謝罪としては十分だ。そのカードを手放す必要は無い。そのまま持って帰りたまえ」

 驚愕きょうがくしたクロエ達がそれを思わず顔に出した。客として旧世界の存在に一定の安全を担保して交渉できる。坂下重工の者がその価値を理解できないとは思えない。それにもかかわらず、要らないと言われるとは欠片かけらも予想していなかった。

 有り得ない返答を聞いたクロエが無意識にその辻褄つじつまを合わせようと、自身の経験から相手の意図を探る。そして好条件でカードを手に入れるための揺さぶりだと推測し、その推察を基に踏み込んだ発言をする。

よろしいのですか? このカードの価値は先日のミハゾノ街遺跡での騒ぎ、多数の人型兵器と遺跡の防衛兵器まで巻き込んだ戦闘で十分に理解できるはずです。それだけの戦力を産み出す遺物です。ここで坂下重工様の管理物とならず、後日建国主義者などに流れたらどうするのです?」

 それを防ぐ名目でも欲しいはずだ。要らない、などとは有り得ない。クロエはそう判断して揺さぶり返してみた。少なくともクロエ本人はそのつもりだった。

 だがスガドメはそれでも態度を崩さずに、口調も変えずに、大したこともないように軽く答える。

「では君を殺そう」

 クロエが固まった。

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