第7話 誘う亡霊

 ビルに入っていくアキラの様子に、カヒモは僅かな違和感を覚えた。それは今までとはどこか何か様子が違うという僅かなものだが、自分には見えない者がいると知った以上、自然に疑いも深くなる。

「ガキが動いたな。ハッヒャ。女の様子はどうだ? あそこに入るように案内していた様子とかあったか?」

「ああ。あのビルを指差していたし、ガキを先導して一緒に中に入った。遺物はあの中かもな。どうする? 俺達も行くか?」

「……いや、しばらく待とう」

「いいのか? ガキを見失うんじゃないか?」

「ガキの顔は割れてるんだ。ここで見失っても多分スラム街を探せば見付かるだろう。問題ない。それより安全に行こう。ガキが生きてビルから出てくれば、あのビルは安全ってことだ」

「おいおい、随分慎重だな」

 ハッヒャはアルファが見えていることもあり状況を楽観視していた。そしてこのチャンスを逃したくない気持ちでカヒモをかした。だがそこで消極的とも思える返事が返ってきたので、大分不満そうな様子を見せていた。

 カヒモがハッヒャを軽く脅すように威圧する。

「嫌ならお前一人で突っ込めよ。亡霊が見えてるのはお前なんだ。怪談通りなら、死ぬのもお前だ」

「そ、そう言うなよ。わ、分かったって」

 ハッヒャは少し焦りながら笑ってごまかした。

 カヒモ達はその場でしばらくビルの監視を続けた。だが軽い探索なら終わる時間がってもアキラはビルから出てこない。カヒモも怪訝けげんな様子を見せ始める。

「出てこないな。あのガキ、死んだか? あるいは遺物をそんなに念入りに探してるのか?」

 少しずつ不満をめ続けていたハッヒャの我慢もそろそろ限界だった。

「なあカヒモ。い加減、俺達もあのビルを調べようぜ。もしガキが死んでたら、ここで幾ら待っても出てこねえよ。これ以上は時間の無駄じゃねえか?」

「……そうするか。あの辺のモンスターはもう結構危険なんだ。高値の遺物が手に入りそうだからって、浮かれて油断なんかするんじゃねえぞ」

「分かってるって」

 ハッヒャが少し浮かれ気味の様子で進んでいく。その様子を背後から見ていたカヒモは表情を僅かに険しくしていた。そこには、自分がくぎを刺してもその態度、という不満を超えた懸念が浮かんでいた。

 カヒモが廃ビルの出入口で立ち止まる。

「ハッヒャ。俺はガキと入れ違いにならないようにここで見張る。お前は中を捜索しろ。ガキや女を見付けたり、モンスターと遭遇したり、それ以外でも何かあったら連絡しろ。状況にかかわらず、1時間ったら帰ってこい」

「分かった。ガキがいたらどうする? ここまで連れてきた方が良いか?」

「それが出来る状況ならな。敵対したら殺せ。不審なら殺せ。不気味なら殺せ。なぶるな。殺せるうちに殺せ」

 その少々殺意の高い指示に、ハッヒャが意外そうな様子を見せる。

「殺せって、ガキからいろいろ聞き出さなくて良いのか?」

「聞き出せそうならな。だが最低でも腕か脚に1発撃ち込んでからにしろ。女に気を取られてガキに不意をかれるような無様はさらすな」

「な、何でそんなに警戒するんだ? ただのガキだろう?」

 ハッヒャは随分と警戒するカヒモの様子に不安を覚え、それをごまかすように軽く笑った。だがカヒモに険しい表情でにらみ付けられると、その笑みも弱まった。

「誘う亡霊の話はしただろう。あのガキも怪談の内容通りに、あの女にここに誘われて殺された可能性だってあるんだ。お前の心配をしてるんだぞ? 別に強制はしねえよ。好きにしろ」

「ちょ、ちょっと待て、もしそうだとしたら、そんな場所に俺だけで行くのか?」

「あの女が見えるのはお前だけだ。お前じゃないと女を探せないだろうが。とっとと行け。危ないと思ったらすぐに戻ってこい。俺はここに残る。俺達もここに誘われた可能性もあるからな。出入口を確保しておかないと危険だ。分かったか?」

「わ、分かった」

 ハッヒャは少し慌てながらビルの中に入っていく。カヒモがその様子を見ながら思う。

(悪いな。あのガキ込みでわなって懸念が消えねえし、大量の遺物を見付けたお前が俺を裏切る恐れもある。それに、それなりに死人が出てるから怪談になってるんだ。相応に危ねえんだろう。頑張ってくれ。俺はまずは様子見だ。まあ、杞憂きゆうになることを祈ってるよ)

 カヒモはハッヒャを見送りながら薄ら笑いを浮かべた。


 アキラがビルの中でカヒモ達を待ち構えている。その表情は険しく、真剣だ。顔ににじんでいる過度の緊張を自覚して、それを抑えようと深くゆっくりとした呼吸を繰り返していた。

 既にアルファから作戦の概要を教えられている。後は適宜指示通りに動けば良いと、それで勝てると、自信に満ちた笑顔で言われている。

 アキラはそれを信じた。盲信ではない。過去にアルファの指示通りに動いて、拳銃だけでウェポンドッグを倒した事実を前提に、アルファを信じて信頼を積み重ねると、自身で口に出した言葉に従ったのだ。

『アキラ。彼らがビルに入ったわ。片方が出入口を確保して、もう片方がビル内を捜索するようね。アキラを痛め付けて遺物の在りを聞き出す意思は全く無いわ。殺す気よ。だからこちらも遠慮無くいきましょう』

「……。分かった」

 どうやってそれを知ったのか。それが少し気になったが、アキラはそれをすぐに余計な思考だと切り捨てた。余計な思考で余計な真似まねをすれば、指示通りに動けなくなる。死ぬ確率が飛躍的に上昇する。だから作戦通りに、指示通りに、出来る限り素早く的確に動く。今はそれだけ考えれば良い。そう心に決めて、集中する。

 アルファがアキラの意気を上げるために、少し不敵に挑発的に微笑ほほえむ。

『始めるわ。準備は良い?』

「ああ」

 アキラはしっかりとうなずいた。その顔には不安もおびえも全く浮かんでいない。全て覚悟で押し潰した。

 アルファが満足げに笑う。そして事前の作戦通りにアキラの視界から姿を消した。続けてアキラも息を大きく吸って気合いを入れると、表情にその覚悟を示して作戦の場所へ走り出した。


 ビル内を警戒しながら探索していたハッヒャが表情を変える。通路の先にドレス姿の女性を見付けたのだ。アルファだ。そしてその姿が通路の奥に消えていくのを見て、思わず追い掛けようとする。だがカヒモに念入りにくぎを刺されたこともあり、何とか思いとどまると通信機で連絡を取る。

「カヒモ。今、あの女を見付けた」

「ガキも一緒か?」

「いや、女だけだ。通路の先にいた。今から追い掛ける」

「ガキが近くにいるかもしれない。注意しろ」

「ああ。分かってる」

 ハッヒャがアルファを追って進んでいく。だがアキラを警戒しながら慎重に進んでいる所為せいで、早足のアルファにはなかなか追い付けない。それでもアルファの後ろ姿を視界に入れ続ける程度の距離は保っていた。

 慎重に周囲を見渡して安全を確認し、アルファの後を追い、少し進んだ後にまた周囲を確認する。その繰り返しの中、ハッヒャの表情が徐々に緩んでいく。そしてその緩みに比例して警戒がおろそかになっていく。アルファの後ろ姿を見るたびに、その魅惑の姿に視線を向ける時間が増えていき、代わりに周囲の警戒に割く時間が減っていく。

 きらびやかな純白のドレス。ドレスの大胆に開いた背中部分から見える柔らかな肌。床近くまで伸びている輝く髪。通路を曲がる時に見える魅惑の胸と端麗な横顔。アルファの類いまれな美貌と、美しくもなまめかしい衣装の相乗効果が、ハッヒャの心を短時間で強く侵蝕しんしょくしていく。

 その顔を、その肌を、もっと間近で見てみたい。ハッヒャはその思いを抑えきれず、無意識に警戒をおろそかにして足を速めていた。既にハッヒャの両目はアルファの誘うような背と尻を追うためだけに使われている。その顔が下劣にゆがみきった頃には、もう周囲の警戒など完全に忘れていた。

 ハッヒャがようやくアルファに追い付いた。すると通路の脇で立ち止まっていたアルファに愛想良く笑いかけられる。その口元はハッヒャに話し掛けているように大きく動いていた。

 ハッヒャは話を聞き取ろうと耳を澄ました。しかし何も聞こえなかった。表情を僅かに怪訝けげんなものに変えてアルファを見るが、アルファは変わらずに微笑ほほえんだまま口を動かし続けていた。

 不意にアルファが何かに気が付いたかのように横を向く。ハッヒャも釣られてそちらを見る。だがガラスの無い窓が見えるだけで、何の変哲もなかった。ハッヒャが表情をますます怪訝けげんなものに変えた瞬間、突如銃声が響いた。

 銃声は立て続けに3度、ハッヒャの背後で起こった。1発目がハッヒャの脇を素通りした。2発目は足下の床に着弾した。そして最後の1発が右耳をかすめてその肉を千切り取った。

 撃ったのはアキラだ。ハッヒャの背後、アルファに釣られて視線を移した先の、逆方向の通路の影からの銃撃だった。

 ハッヒャは突然の事態に数秒放心していた。だが右耳の僅かな傷みから我に返ると、叫びながら反撃する。乱射の銃声が反響して響き続け、無数の銃弾が床、壁、天井に着弾する。しかしアキラはハッヒャが放心している間に離脱していた。その反撃は銃弾を無駄に消費しただけに終わった。

 通信機からカヒモの声が響く。

「ハッヒャ! 何があった!?」

 ハッヒャが荒い呼吸をしながら怒鳴る。

「ガ、ガキだ! 今ガキに襲われた! クソが! 死ぬところだった!」

「死ぬところだった? 警戒していたのに奇襲を受けたのか? 詳しく説明しろ! 警戒しながらだ!」

 ハッヒャが興奮を抑えながら事情を説明すると、カヒモが逆に苛立いらだちをあらわにして叱咤しったする。

「女の尻を追っ掛けていたら殺されかけました、だと? 馬鹿が!」

「い、いや、本当にそれぐらい美人なんだって!」

「ふん、文字通り死ぬほど美人だって言いたいのか? 怪談になるわけだな」

 ハッヒャの焦りながらの言い訳も、カヒモの機嫌を戻すには不十分だった。それでも下らない会話を続けて時間を無駄にしても仕方ないと考えて気を切り替える。

「それで、女はまだそこにいるのか?」

「ああ、普通に立ってる。あと、何かしゃべってるように見えるが、声は全く聞こえない」

「お前の目のネットワーク機能で取得できるのは映像だけで、音声データは拾えないんだろう。念のために触れられるかどうか確認しろ。実在しているが俺には見えないだけかもしれない。光学迷彩機能を持つ自動人形が自律行動を続けていて、普通は見えない状態だが、お前はネットワーク経由でその姿を視認できるって可能性もある。どうだ?」

 ハッヒャがアルファの胸に手を伸ばす。だがその豊満な胸からは何の感触も得られず、手が胸の表面を突き抜けて映像の中に潜り込んだだけだった。残念そうな顔でその結果を伝える。

さわれない。やっぱり映像だけだ。さわれる距離にこんな良い胸があるのに実際にはさわれないなんて、ある意味拷問だな。……待てよ? これだけいい女なんだ。この映像だけでも金になるんじゃ……。俺には見えてるんだから、後は映像のバイパス出力を……」

「そんな話は後にしろ! お前、い加減にしろよ?」

 カヒモの怒気にハッヒャが口をつぐむ。

「次だ。そいつに右手を挙げろと指示を出してみろ」

 ハッヒャが言われた通りにアルファに指示を出す。するとアルファは口を動かすのを止めて右手を挙げた。

「おっ? 言われた通りに右手を挙げたぞ?」

「次だ。俺と俺の近くにいる子供を除いて、俺に一番近い人間を指差せ。そう指示しろ」

「何だそりゃ?」

「良いからやれ!」

「わ、分かったって」

 ハッヒャが再び同じように指示を出すと、アルファは今度は斜め下の床を指差した。

「ハッヒャ。どうなった? そいつは俺がいる方向を差したか?」

「ちょっと待ってくれ。……オートマップのお前の位置がここで、俺の位置がここだから……、おお! ちゃんと差してる! すごいな!」

 ハッヒャは軽く驚きながら単純に感心した。だがカヒモが怒声を返す。

「クソが!」

「ど、どうしたんだ?」

わなだ! あのガキは俺達に気付いていた! 恐らくその女に、近くにいる自分以外の者を指差せとでも指示して俺達の存在を知った! その女もおとりだ! ビル内を適当に彷徨うろつかせて、お前に見付かったら指定の場所まで移動するように指示を出した! ガキが敵を奇襲しやすい位置まで、その女でお前を誘ったんだよ!」

 ハッヒャも怒気をあらわにして叫ぶ。

「あ、あのガキ! めやがって! ぶっ殺してやる!」

「その女、多分遺跡の案内係か何かだ。お前の指示も聞くってことは、多分誰の指示でも聞く。そいつにガキの居場所まで案内させてガキを殺せ。援護が必要か?」

「大丈夫だ! 奇襲さえ受けなければあんなガキぐらい俺だけでぶっ殺せる! 武器も拳銃ぐらいで腕も素人みたいだしな!」

「気を付けろよ。あのガキが真面まともな銃と腕を持っていたら、さっきの奇襲でお前は死んでたんだぞ?」

「分かってる。そっちはガキを逃がさないように、そのままそこを見張っていてくれ」

 ハッヒャがアルファに叫ぶように指示を出す。

「ガキの場所まで案内しろ!」

 ハッヒャが再び歩き始めたアルファの後に付いていく。今度はその妖艶な後ろ姿を見ても、色気より怒りが先に来て、視線を奪われることはなかった。


 次の指定場所に急ぐアキラにアルファの声が届く。

『残念ながら失敗よ。あれで殺せれば随分楽になったのだけれどね』

 アルファの姿は見えないが、声だけはずっと聞こえていた。先ほどの奇襲の時も、通路から飛び出すタイミングを声でしっかりと指示された。

 通路の死角に隠れる位置。奇襲のタイミング。銃撃の回数。照準の精度よりも素早い銃撃と即座の離脱を優先した行動。全てアルファの指示で、アキラは出来る限りその指示通りに動くように最善を尽くした。

 それでも敵を倒せなかった。その現実にアキラが少し顔を険しくしながら残念そうな様子を見せる。

「……駄目だったか。もう少ししっかり狙えば良かったか?」

 アキラもアルファの指示そのものは疑っていない。無防備な敵を背後から一方的に銃撃できたのだ。奇襲としては完璧だ。それでも仕損じた。その理由を考えるとしたら、自身の技量不足を挙げるしかない。もう少し自身の危険を許容してでも、もっとしっかりと狙っていれば。その考えから出た言葉だった。

 だがアルファから少し厳しい口調の声が返ってくる。

『駄目。下手に正確に狙おうとしてあれ以上あの場にとどまっていたら、反撃で殺される危険性が飛躍的に高まるわ。あれが限界よ』

 アルファはアキラにハッヒャを奇襲させるに当たって、両者の装備や技量、行動パターンなど様々なものを考慮して計画を練っていた。その上で、アキラに自身の判断で自分の指示以外の行動を取らせると、奇襲の成功確率が下がると判断して、加えて今後のことも考えて少し強めにくぎを刺した。

「……そうか。やっぱり、俺は弱いんだな」

 最善を尽くしても駄目だった。その現実を改めて突き付けられて、アキラは少し気落ちした。するとアルファの優しくも力強い声が届く。

『誰でも初めから強い訳ではないわ。アキラは現時点の実力で最善の行動をした。それでいいのよ。明確な格上相手に奇襲を仕掛けて、生き残っているのだから上出来よ。現在の実力不足は今後の訓練で好きなだけ補えば良いわ。嫌と言うほどたっぷりと鍛えてあげるから、そこは私に任せておきなさい』

 当たり前のように今後の予定を話すアルファに、生還を当然のものと認識しているその態度に、アキラは落ちかけていた意気を取り戻した。そして意気を更に上げるために無理矢理やりにでも軽く笑う。

「……。そうだな。頼んだ」

『任せなさい。あと、さっきの襲撃で、相手の装備、思考の把握は済んだわ。行動パターンの分析は終了。次で殺せるわ』

「本当か? 本当にすごいんだな」

『言ったでしょう? 私は高性能だって。ただ、相手に結構近付く必要があるから、その覚悟はしておいてね』

「分かった。大丈夫だ。覚悟は済ませた」

 次も最善を尽くせば良い。その決意を顔に出しながらアキラは先を急いだ。


 沸き立つ怒りでアルファにも気を取られずに、アキラを警戒しながらビル内を進んでいたハッヒャだったが、しばらくするとその警戒も再びおろそかになっていた。何も起こらなければ激情も持続しない。加えてアルファの案内で進んでいる以上、どうしてもアルファの姿を見てしまう。その魅惑の後ろ姿に釣られて思わず視線を向けてしまい、それでは駄目だと視線をらして、余計に気になってしまう。結果的に周囲の警戒もおろそかになる。特にアルファから意図的に目をらそうとしてしまった分だけ、前方の注意は更におろそかになってしまっていた。

 ハッヒャも流石さすがにこれでは不味まずいと思い、注意散漫ながらも周囲の警戒に意識を割く。その分だけアルファから意識をらした。そして周囲の確認後に再び視線を前に戻すと、アルファは通路の少し先、丁路地の分岐の辺りで立ち止まっており、通路の一方を指差していた。

(……ガキはそこか!)

 ハッヒャはアルファが指差す方向からアキラの位置に当たりを付けると、その距離なら安全だと判断して分岐の手前まで一気に走った。そして通路から片腕だけ出して乱射する。大凡おおよその位置しか分からなくともアキラに確実に命中するように撃ち続けた。

 発砲音が通路を反響してビル内に響き渡る。高速で撃ち出された大量の銃弾が通路の床、壁、天井に着弾し、無数の跳弾が通路を縦横無尽に駆け巡り、空間から死角を消し去った。

 ハッヒャが撃ち尽くして空になった弾倉を交換しようとする。ちょうどその時、アルファが通路の先を指差すのをめた。ハッヒャはそれに気付くと、対象が死んだので指差すのをめたと解釈した。

「よし。死んだか」

 安心したハッヒャは弾倉交換の手を止めて通路に出ると、アキラの死体を確認しようとした。だがそこには銃撃で傷付いた通路の光景があるだけだった。勝利を確信して緩んでいた顔が途端に険しくなる。

「おい、ガキがここにいたんじゃないのか!?」

 ハッヒャがアルファに詰め寄って怒鳴り付けたが、アルファは微笑ほほえみながら口を動かすだけだった。聞いても無駄だと思い、苛立いらだちながら再度怒鳴る。

「ガキだ! あのガキを指差せ!」

 アルファがハッヒャの背後を指差す。ハッヒャが思わず振り返る。だがそこには誰もいなかった。

 銃声が響く。ハッヒャが胴体の痛みで被弾を知る。驚愕きょうがくで動きを止めてしまったすきかれ、更に数発撃ち込まれる。安値とはいえ防護服を着用していたおかげで致命傷ではない。銃弾は貫通せずに表面で止まっていた。だがハッヒャから立ち続ける力を奪うには十分だった。苦悶くもんの声を上げながら床に崩れ落ちる。

 ハッヒャが激痛で床に横たわりながら、混乱した意識で状況を把握しようとする。

(……撃たれた!? どこからだ!? 敵なんかどこにもいなかった! いるのは女だけ……、女が撃った!? 馬鹿な! あれは映像だけのはずだ! 撃てるわけが……)

 あり得ない事態がハッヒャの混乱に拍車を掛けていた。だがその混乱も、事態の答えが現れたことで更なる驚愕きょうがくに押し流された。アルファの中からアキラが出てきたのだ。

(重なって、見えなかった、だと!?)

 アキラがハッヒャに近付いて銃を構える。両手でしっかりと握り、照準をハッヒャの額に狂いなく合わせる。

 ハッヒャは被弾の激痛に耐えながら、先に銃をアキラに向けて引き金を引いた。だが弾丸は出ない。弾倉が既に空だからだ。

 死を眼前にして、普段大して使われていない脳が生き残りを賭けて全力で稼動する。死の直前の、見るもの全てがゆっくりと動く世界の中で、ハッヒャは気付いた。

(……全部、わなだったのか?)

 自分がアキラに奇襲された時にアルファが余所よそ見をしたのは、自分の注意をアキラかららすため。微妙な位置で立ち止まって通路を指差したのは、自分に無駄弾を使わせるため。指差すのをめたのは、自分の弾倉交換を止めるため。自分に向けて微笑ほほえむのは、その美貌で自分の注意力を落とすため

 その気付きが、アルファの服装、この場に来るまでの通路の道順、案内時の歩く速さ、その他の様々な些細ささいなことすら、全て自分を殺すためわなだったのではないかと、生き延びるのに何の役にも立たない無駄な思考を続けさせた。死のふちで貴重な思考力と時間を、無意味な疑心暗鬼で浪費させた。それにより、ハッヒャの僅かに残っていた命運は完全に尽きた。

 ハッヒャが恐怖にゆがんだ笑みでつぶやく。

「……誘う……亡霊」

 その直後、ハッヒャはアキラが撃った銃弾を額に受けて絶命した。最後に見たのは、アキラに寄り添うように立ちながら冷酷に微笑ほほえむアルファの姿だった。

 ハッヒャの通信機からカヒモの声がする。

「ハッヒャ。何があった? ガキは始末できたのか?」

 アルファがアキラにくぎを刺す。

『返事をしては駄目よ。相手にいろいろ気付かれるわ』

 アキラはうっかり声を出さないように注意しながらうなずいた。

『早速彼の装備を剥がしましょう。これで武器が増えるわ』

 ハッヒャの装備を剥がして取得する。これでアキラの装備は不格好ながらも、拳銃だけという貧弱な状態から大分向上した。

『次は、向こうの窓から彼を投げ捨てて』

 アキラが意外な指示に少し驚く。アルファは変わらずに笑っていた。


 カヒモは廃ビルの1階で険しい表情を浮かべて状況を推察していた。

(銃声から交戦は確実。その後、返事は無し。最低でも口もきけない状態。死んだ、か? また馬鹿をやって奇襲を受けたのか? いや、あの銃声の量から考えて、相打ちぐらいにはなったか?)

 確認に行くべきか、このまま撤退するべきか、カヒモは迷っていた。

(確認に行けば、運が良ければうわさの遺物を独り占めできるかもしれない。あいつの装備も金になる。だが、俺達は恐らくここに誘い込まれたが、どこまでが誘いだ? うわさの遺物なんて初めから存在しなかったとしたら? あのガキがあの女を見えるハンターをこのビルに誘って、殺して装備と遺物を奪っていただけだったとしたら? このビルがその狩り場だったとしたら? だとしたら、あのガキをただのガキと見做みなすのは危険だ……、いや、考えすぎか?)

 遺跡の怪談。仲間の死。それらがカヒモの警戒と疑念を深めさせ、意識を撤退に誘導していく。そしてその視線を無意識に出入口へ、ビルの外へ向けさせた。

 その視線の先に、突如ハッヒャの死体が落ちてきた。身ぐるみ剥がされた死体が地面に激突して大きな音を立てる。カヒモは驚いてハッヒャに駆け寄ろうとして、ビルの外に出る寸前で足を止めた。

(装備が奪われている。ガキは生きていて、ハッヒャの死体を態々わざわざ外に捨てた。俺の位置はつかまれている……)

 カヒモが憎々しい表情で頭上を見上げる。そこには天井しかない。だがカヒモはその先に、ハッヒャに駆け寄った自分を撃ち殺そうと銃を構えているアキラの姿を思い浮かべた。

「……めやがって!」

 相手は子供、という油断や慢心がカヒモから完全に消え去った。意識を切り替えてアキラを殺しに動く。情報端末を取り出して操作すると、ハッヒャの情報端末の位置が表示された。その反応は移動しており、アキラがハッヒャの情報端末を持っていることを示していた。

(やっぱり上にいたか。相手の居場所を把握しているのは自分だけ。そう勘違いしているのなら好都合だ。裏をかいてやる)

 カヒモは薄くわらいながらビルの中を駆けていった。


 アキラが次の奇襲場所でアルファから指示を受けている。

『アキラ。前に売らずに取っておいたナイフを出して』

「これか?」

 取り出したナイフは、以前クズスハラ街遺跡で取得した旧世界製のものだ。刃が丸められており、切れ味など無いに等しいように見える。

『それよ。その柄の下の方に少し出っ張っている部分があるでしょう? そこを拳銃で撃って』

 アキラはナイフを床に置いて銃を構えると、銃口をその柄に近付けた。

「……一応聞くけど、撃ったら壊れるよな?」

『そうよ。壊すの』

「ちょっと勿体もったい無い気がする。これも旧世界の遺物だろう? 売ったら結構な金になるんじゃ……」

『必要経費だと思って割り切りなさい。代わりにアキラが3回ほど命懸けで危ない橋を渡る方法もあるけれど、そっちにする?』

 どこか楽しげに不敵に微笑ほほえむアルファの顔を見て、アキラは黙って引き金を引いた。


 カヒモがハッヒャの情報端末の位置を確認する。反応はもう10分以上同じ場所から動いていない。そこで待ち構えているのか。あるいは何らかのわなか。両方の可能性を考えて慎重に進んでいく。

 ハッヒャの情報端末は通路の真ん中に放置されていた。カヒモがその情報端末を拾って怪訝けげんな顔をする。

「……バレたから、ここに捨てただけか?」

 この情報端末で位置をつかまれていることに気付いていないのならば、こちらから奇襲を掛ける。こちらが迷い無く近付いてくることで相手がそれに気付いたのならば、この情報端末をおとりにして奇襲を掛けてくるはず。その奇襲を読んで、油断している相手を逆に返り討ちにする。そう考えていただけに、これは意外だった。

 カヒモの表情が険しくなっていく。この場にいる自分を通路の影などから隠れて狙撃するのは困難だと理解している。だがその上で嫌な予感は全く消えず、むしろ更に高まっていた。敵は必ず奇襲を仕掛けてくる。その予想は正しいと勘が告げていた。そして、それは正しかった。

 次の瞬間、カヒモは胴体を両断された。防護服は全く役に立たなかった。上下に分かれた体が崩れ落ち、切断面から内容物をき散らしながら床に転がった。

 カヒモは驚愕きょうがくと激痛の中、絶命までの僅かな時間で、近くの壁が横に大きく裂かれていることに気付いた。何かが自分を壁ごと両断したのだと、薄れつつある意識の中で理解する。そして、その具体的な方法を考察し終える前に、息絶えた。


 横に裂かれた壁の向こうでは、アキラがナイフを横に振った状態で固まっていた。

 銃撃で柄を部分的に破壊したナイフをアルファの指示通りに振るった瞬間、刀身から放たれた青白い閃光せんこうがカヒモを壁ごと切り裂いた。アキラの立ち位置ではナイフの刃が壁に届くことはない。だが壁には長さ5メートルほどの裂け目が生じている。幅1センチほどの隙間から壁の向こう側が見えている。切断部からは煙が立ちこめていて焦げた臭いが漂っていた。ナイフの刀身は振るった直後にちりとなって崩れ落ちた。

 アキラは柄だけになったナイフを握って半ば呆然ぼうぜんとしている。そのそばでアルファが笑って軽くうなずく。

『よし。殺せたわ。もう大丈夫よ』

「……え、あ、うん。そうか」

 アルファの態度は些事さじを済ませただけのような軽いものだ。それを含めて、アキラは状況に理解と意識が追い付かずに戸惑っていた。そしてこの状況を作り上げた物を、柄だけになったナイフを改めて見る。

「アルファ。このナイフって、何なんだ?」

『何なんだ、と言われてもね。旧世界製のナイフよ。一般人向けに製造、販売されていた品ね』

「旧世界では、一般人向けのナイフに壁を両断できる機能が必要なのか?」

『別に壁の両断が主目的ではないわ。切れ味とか、その性能の維持とか、そちらの向上を目指したら、結果的に壁も両断できるようになっただけよ。安全装置を破壊しないとあんな真似まねは出来ないわ。ナイフの柄を破壊したでしょう? あれで一度だけ最大出力で物を切れるようにしたのよ。本来は刀身の保護や切れ味の向上などに使用するエネルギーを、刀身崩壊の制限を無視して使用できるようにね。そこまでしないと、人を装備や壁ごと切断するような真似まね流石さすがに無理よ』

「……いや、それでも結構危険じゃないか?」

『正しい方法で使用する限りは安全な道具を、意図的に危険な方法で使用したのだから、当然すごく危険よ。でもそれは普通のことでしょう?』

「まあ、確かに、そうか」

 アキラはそう言われればその通りだと思いつつも、やっぱり危険すぎるのではないかとも思った。そして旧世界ではそのような物が普通に出回っていたのだと考えて、旧世界に対する偏見を深めた。

 アルファが少し得意げに悪戯いたずらっぽく笑う。

『さて、私のサポートには満足してもらえたかしら。遺物を一つ駄目にしたとはいえ、アキラがあんなに無理だと言っていたハンター2人を倒したのだから、たっぷり感謝してくれてもいいのよ?』

 軽い冗談のような態度を取っていたアルファに対して、アキラが真面目な顔で頭を下げる。

「ああ。おかげで死なずに済んだ。ありがとう。俺は多分、さっきまでアルファのことを信じ切れていない部分があったと思う。ごめん」

 アルファも態度を改めて優しく微笑ほほえむ。

『気にしないで。これで信じてもらえたのならうれしいわ。それで、これからどうする? 当初の予定通り遺跡探索に戻る? それとも今日は帰る? アキラも疲れたでしょう。疲労を押して続けても非効率だからね。無理をする必要は無いわ』

 アキラが難しい顔で悩む。

「……本音を言えば、疲れたから帰りたい。でもまだ何も収穫が無いんだよな。買取所で前回の分の金を払ってもらうためにも、何か持って帰らないと……」

『それならここの探索だけでもしましょうか。私も一緒に探せば、普通のハンターなら見落とす遺物も見付けやすくなるわ』

 アキラはアルファの提案通り、このビルの探索だけして帰ることにした。探索の収穫はハンカチが数枚。ひどく汚れており、普通のハンターなら見向きもしない物だ。アキラもアルファから旧世界製の品だと教えてもらえなければ無視していた。それでも一応は収穫としてビル内の探索を打ち切ると、後はカヒモ達の所持品を可能な限り手に入れてから都市へ戻っていった。

 ビルにはカヒモ達の死体だけが残された。ハンターが他のハンターを襲い、返り討ちに遭った者が未帰還となる。それは東部で幾度となく繰り返されてきた光景だった。

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