第26話 強化服の真価

 アキラが再び荒野に出ている。強化服の訓練のために、都市の近場の荒野に真新しい強化服を身に着けて立っていた。その格好は、装備している対モンスター用の銃であるAAH突撃銃も含めて、モンスターの徘徊はいかいする荒野に適応した物騒な装いだ。

 一方アルファは白いワンピースという荒野にまるで適していない格好をしている。白い布地が一目で生地の上質さを理解させる光沢を放ち、布地を透過した光がその下の裸体を想像させる陰影を生み出していた。

 もう少し場に適した格好があるのではないか。アキラはそう思いながらも、余計な口出しは控えた。以前純白のドレスを着ていたように、初めて会った時に全裸だったように、その格好にも何らかの意味があるのだろうと勝手に判断する。何よりも、余計なことを言った所為せいで、ひどく気が散る格好に着替えられても困るのだ。荒野に出ての訓練は久しぶりであり、余計な事態は御免だった。

 全裸よりはましだ。これも慣れだ。アキラはそう考えて口をつぐんだ。

 アルファが笑顔で訓練の開始を告げる。

『アキラ。今から強化服の訓練を始めるわ』

「分かった」

 アキラが強化服を起動しようとすると、強化服が勝手に起動した。少し驚いたが、得意げに微笑ほほえむアルファを見て、アルファの仕業だと理解する。

「それで、まずは何をすれば良いんだ?」

 アルファが100メートル先の荒野を指差す。

『まずはあの場所まで歩いて』

 アキラが視線をそちらに移すと、何もない荒野に目標地点を示す矢印が浮かんでいた。アルファによる視界の拡張表示だ。もうこの類いのことには驚かなくなっているので、そのまま指示された場所まで歩いていく。何事もなく辿たどり着くと、次の指示が出る。

『次はあそこよ』

 指示通りの場所に行くと、再び次の場所を指示される。その後も指定された場所まで歩くという行為を繰り返した。それを10回ほど繰り返すと、アキラも流石さすがに疑問を覚える。

「アルファ。もしかして、もっと周囲を警戒しながら歩くとか、銃を構えて進むとか、そういうことをしないと駄目だったりするのか? それとも今はまだ強化服の動作確認をしているだけで、本格的な訓練はその後にやるのか?」

『いいえ。訓練はもう始まっているわ。関連するデータ収集もね』

「歩いているだけなのに?」

 怪訝けげんそうな顔を浮かべているアキラに、アルファが意味深な微笑ほほえみを向ける。

『確かに私のサポート無しの状態を一度体感しないと、サポートのありがたさを実感するのは難しいわね』

「サポート? 普通に歩いているだけだろう。もう何かしているのか?」

 アルファが浮かべている微笑ほほえみを悪戯いたずらっぽいものに変える。

『すぐに分かるわ。アキラ。またあの場所まで歩いていって。ただし今度は私のサポート無しでね。分かりやすいように強化服の出力をもっと上げておくわ。それでは、私のサポートのありがたさをたっぷり堪能してちょうだい』

 アキラはアルファの微笑ほほえみに少し嫌な予感を覚えながらも一歩足を踏み出そうとする。そして豪快に転んだ。歩き出そうとした瞬間、軸足が地面の土を強く蹴って後方へき散らし、その反動で大きく体勢を崩して倒れたのだ。

 予想外のことに驚きながらも立ち上がろうとする。慌てながらも地面に右手を突いて身を起こそうとする。だが右手が地面の土をき出して手首まで地面に埋まった。

 慌てて左手を地面に添えて右手を引き抜こうとして、その反動でひっくり返り、仰向あおむけになる。体勢をうつぶせに戻そうとして力を込めると、その勢いで大きく体勢を崩して地面を転がってしまう。何とか立ち上がろうと足に力を込めれば、地面の土を強くき出すことになり、再び転んでしまった。

 その後、細心の注意を払って可能な限りゆっくり動き、何とか立ち上がった。再び一歩踏み出そうとするが、途端にバランスを崩して倒れそうになり、慌てて止めて体勢の維持に尽力した。

 アキラが転ばないようにゆっくりとした動きでアルファを見る。アルファは楽しげに笑っていた。

『これで分かったでしょう? 強化された身体能力に対応できないと、普通に歩くのも難しいのよ。普段のアキラが転ばないのは、通常の体重と筋力に合わせて歩き方を無意識に調整しているからなの。強化服を着用した状態で普通に歩けるようになるのも大切な訓練なのよ。私のサポートを戻したから、もう普通に歩いても大丈夫よ』

 アキラが恐る恐る歩き出す。今度は普通に歩けるのを実感して、表情を苦笑気味な険しいものに変えた。

「アルファのサポートが無いと歩くのも難しいのか。強化服を使っている人は、全員初めの内はこんな感じなのか? こんな真面まともに動けもしない状態から、普通に戦えるようになるまで訓練するのか? 訓練が終わるまで、下手をすると強化服を着ない方がましになるぞ?」

『それは強化服の性能次第ね。高性能な強化服は対応する制御ソフトも優秀だから、着用者の動きに合わせて出力を丁寧に補正して、初めから普通に動けるようにする製品も多いわ。自動平衡維持装置オートバランサーの優秀さを売りにしている製品も多いしね。高出力の強化服ほど極めて精細な動作補正が必要になるわ。たとえ戦車を吹き飛ばせる出力があったとしても、その出力を調整可能な制御能力がないと、反動で自分が吹っ飛ぶだけよ。単純に頑丈で高出力なだけではなく、着用した状態で問題なく容易に動ける機能も含めて、強化服の性能なのよ』

 アキラは興味深そうな表情で話を聞いていた。そして気付く。

「つまり、その動作補正ってのをアルファがやっているのか?」

『そういうことよ』

すごいな」

 アキラは驚きの表情を浮かべながら素直に称賛した。強化服に対するアルファのサポート。その有り無しで生じる雲泥の差を実感した感想だった。

 アルファがアキラの反応に満足そうに微笑ほほえむ。

『私のすごさはこの程度ではないわ。それを更に実感してもらうためにも、アキラにも頑張ってもらうからね』

「了解だ」

 強化服の訓練が続く。アルファが指示を出し、アキラが指示通りに動く。その繰り返しだ。

 ゆっくり歩く。早足で歩く。軽く走る。全力で走る。倒れた状態から素早く立ち上がる。逆立ちをしながら腕だけで飛び上がる。全力で走りながら急激に方向転換する。軽い動きから始まった指示の内容が、徐々に強化服の身体能力をかしたものに変わっていく。

 使用している強化服の性能ならば、通常は長期間の訓練を必要とする動きも混ざり始める。アキラはそうとは気付かずに普通に動いていた。それを実現させたアルファの異常なまでに高水準な動作補正を疑問に思うことすら出来なかった。


 午前中の訓練を終えたアキラが軽い食事を取っている。かじっているのはリュックサックに詰め込んでおいたハンター向けの携帯食だ。安価な携帯食で、栄養摂取と空腹のごまかしを兼ねた味は二の次の製品だ。

 アキラはその無駄に歯ごたえのある焼き菓子のような物体をかじりながら、無意識にその味に不満を覚えていた。そして不意に不満を覚えている自身に気付くと、少し驚きながら苦笑する。

(今までは食えるだけでも十分ありがたかったっていうのに、俺も随分贅沢ぜいたく者になったもんだ)

 そう自嘲しながらも、以前より格段に向上した生活を実感して少しうれしくなった。

「アルファ。午後はどうするんだ? 運動の続きか?」

『午後は射撃訓練をしてから、その後に近接戦闘術の訓練の予定よ』

「近接戦闘術? えっと、近くの敵を蹴ったり殴ったりの訓練か?』

『銃撃も含めた総合的な近距離戦闘の訓練よ。まずは人間相手の格闘技術から学んでもらうわ。私を相手にした実戦形式でね』

 アキラが戸惑いと困惑の混ざった表情を浮かべる。

「……いや、無理だろう。アルファにはさわれないんだ。さわれないよな?」

 いつの間にか実体を得たのだろうか。アキラは僅かに浮かんだその疑念に従って、念のためアルファに手を伸ばした。その手は今までと同じようにアルファの体を通り抜けた。

 実在していない納得と、その上でどうするのかという困惑。その両方を顔に出しているアキラに、アルファが楽しげに微笑ほほえむ。

『その時になれば分かるわ。期待して待っていなさい』

 アキラは少し気になったが、アルファに今は話す気はなさそうだと判断して、表情に軽い疑問を残したまま携帯食をかじり続けた。


 食後、アキラは予定通り射撃訓練を始めた。強化服の着心地、特に両手の少々厚い手袋越しに握る銃の感覚に少し違和感を覚える。その慣れも含めて、映像上のモンスターではなく、小石を狙うところから開始する。

 しっかりと銃を構えて100メートル先の小石に照準を合わせる。慎重に狙って引き金を引く。撃ち出された銃弾はしっかりと命中して小石をはじいた。

 幸先さいさきが良い結果に、アキラが顔を僅かにほころばせる。次の標的にも慎重に狙って引き金を引く。今度もしっかり命中した。その次にも、次の次にも、1発で目標に命中し続けた。

「おっ! 今日はすごく調子が良いな」

 アキラは予想外の成果に上機嫌だ。アルファも微笑ほほえみながら更なる成果を促す。

『それなら今度は目標までの距離を少しずつ伸ばしていきましょうか』

「分かった」

 アキラは少し遠くなった標的に、今まで以上に慎重に照準を合わせて引き金を引いた。弾丸は狂いなく標的に着弾した。

 その後もアキラは命中するたびに遠くなる標的に対して、次々に正確に着弾させ続けた。だがその途中で、今まで上機嫌だったアキラの表情に困惑が浮かぶ。

 強化服の身体能力で銃の反動をしっかり押さえ込んだおかげで、発砲時の振動が抑えられて命中率が向上したのかもしれない。そうごまかしながら狙撃を続けていたが、既に標的の位置はそれでは説明が付かないほどに遠くなっている。それでも弾丸は不自然なまでの命中精度で吸い込まれるように標的に飛び込んでいった

 そして500メートル先の小石に弾丸を命中させた時、アキラは確信に近い懐疑の顔をアルファに向けた。

「アルファ。何かやってるよな?」

 アルファが笑って肯定する。

『しっかりサポートしているわ』

「……やっぱりか」

 自分の射撃の腕が突如劇的に向上した訳ではない。予想はしていたが、アキラは僅かに苦笑した。

『アキラが大まかな狙いを付けた後に、私が強化服を介して照準の微調整をしたの。更に発砲時の体勢や重心の調整も行っているわ。強化服の可動部を繊細な力加減で動かして、銃の反動をほぼ完全に吸収したりもしているわ』

「そんなことまで出来るのか。すごいな。……ん? と言うことは、俺はもう射撃訓練をしなくても良くなるのか?」

『駄目よ。アキラが正確に狙いを付けるほど、私のサポートによる命中補正も少なくて済むわ。それにこれから先、強化服を使えない状態や、私のサポートの効率が落ちる環境で交戦する恐れもあるの。だから訓練はしっかり続けるからね』

「それもそうだな。分かった」

むしろ私が強化服を操作して効率的な射撃体勢をアキラの体に教え込むことも出来るようになったのだから、これからの訓練はもっと厳しいものになると思ってちょうだい。強化服の身体能力のおかげで射撃方法の幅も増えたからね。崩れた体勢で撃ったり、走りながら撃ったり、目標を見ないで撃ったりしても、しっかり命中するように鍛え上げるわ。大丈夫よ。たとえ自力で歩けないほどに疲労したとしても、私が強化服を操作して無理矢理やり歩かせて帰還させるわ。安心して訓練に挑みなさい』

「……お手柔らかに頼む」

 少し怖いことを笑って告げたアルファに、アキラは少したじろいでいた。

 アルファが少し真面目な表情に切り替える。

『さて、強化服のおかげでこれからは射撃の方もサポートできるようになったわ。強化服の操作を介したサポートの有効性を理解してもらったところで、私からアキラに聞いておくことがあるわ』

「何だ?」

『私は今のところ、強化服の操作を介したサポートでは、アキラの動きの微調整ぐらいしかしていないの。つまりアキラが自分の意思で行った行動に対する補助であって、アキラの意思を無視したり、阻害したりするものではないわ。でもアキラが希望すれば、強化服の動作を私が完全に制御することも出来るの。つまり私が強化服をアキラの意思を無視して操作することで、アキラの体を私の意思で動かすことも可能になるわ。勿論もちろんアキラの不利益になることはしないと約束するわ。それでもそれなりの長所と相応の短所があるから、よく聞いて、よく考えて、その上でしっかり判断して答えて』

 アキラはアルファの真面目な様子から、以前に面倒な規則の許可を自分に求めていた時のことを思い出していた。相応に重要なことなのだろうと判断して、気を切り替えてしっかりと答える。

「分かった。じゃあ長所から教えてくれ」

『私が強化服を完全に制御すれば、その性能を限界まで引き出せるわ。ちょっとした超人のような挙動も出来るようになるはずよ。例えば目を閉じてビルの屋上の縁を走りながら、左右から迫りくるモンスターを両手に持つ銃で正確に銃撃したりも出来るわ。格闘戦でも熟練者の動きで戦ったりすることも可能よ。アキラが死角から敵の奇襲を受けても、私がアキラよりも早く敵の奇襲に気付いて、すぐに的確な反撃や回避行動に移ることも可能になるわ』

「良いことだらけな気がするな。それで、短所は?」

『まず、体が勝手に動くことへの嫌悪感ね。次に、強化服がアキラの体を強引に動かすことになるから、体の負荷が大きいの。私がアキラの動きに合わせるのではなく、アキラが私の動きに合わせることになるから、アキラが反射的に強化服の動きに逆らったりすると、動きも鈍るし体への負担も高くなるわ。場合によっては骨が折れたりもするわ』

 アキラが真面目な表情で思案する。

(短所よりも長所が上回っているような気がするけど、よく考えてしっかり判断しろって態々わざわざ念押しするってことは、何かあるのか?)

 しかしよく考えてもアキラにはその何かは分からなかった。

「……ちょっと試してみるってことは出来るか?」

勿論もちろんよ』

「じゃあちょっと試してみてくれ」

『分かったわ。今から私が強化服を動かすわね。初めは歩いて、それから少しずつ速く走っていくから、つらいと思ったらすぐに止めてね』

「分かった」

『始めるわね』

 強化服が勝手に動き出して、アキラを無理矢理やり歩かせ始めた。アキラは少し驚いたが、それだけだった。両脚を外部からの力で少し強引に動かされている状態だが、それを苦しいとは思わなかった。強化服の動きに合わせるようにすると体に掛かる負担は更に減った。走り始めても、むしろ強化服が体を支えてくれているために楽に走れていた。

(何だ。こんなものか。これぐらいなら別に脅かさなくても……)

 アキラが軽く安堵あんどしている間に、次第に走る速さが増していく。そして更に加速していく。それに気付いて慌てている間に、既にアキラの両脚は自身の意思では不可能なほど速く交差を繰り返していた。

 両脚が交差するたびに、強化服の動きに追いつけなくなった両脚が強化服に圧迫される。両脚の痛みが徐々に激痛に近づいていく。脚が地面にたたき付けられるたびに衝撃が骨まで伝わってくる。勢いよく振られている腕も脚と同様に悲鳴を上げ始めていた。

 アキラは土煙を上げながら荒野を走り抜けている。既に車並みの速度を出している。走りながら驚きと恐怖と苦痛で表情をゆがめていたが、我に返ってすぐに中止を求める。

「ストップ! 止めてくれ!」

 走る速さがアキラの負担を抑えるように減速していく。十分に減速した辺りで、強化服の制御がアキラに戻った。アキラは立ち止まり、膝を突いて荒い呼吸を繰り返した。

『もう少し速く走れば、またモンスターの群れに襲われても走って逃げ出せるわね。苦しいかもしれないけれど、総合的には非常に有益よ。どうする?』

 アルファからよく考えろと言われた意味を、アキラはよく理解した。

「……必要な時だけ頼む。動かす時は、可能なら先に伝えてくれ」

『了解。許可は取ったからね』

「……許可って、あれだよな。あのいろいろ面倒な許可のやつ」

『そうよ。着用者の意思を逸脱した操作には相応の許可が要るのよ。変なことはしないから安心して。次は近接戦闘術の訓練よ。アキラが動けるようになったら始めるから、少し休んでいて』

「……了解」

 アキラが地面に寝転ぶ。強化服で体を無理矢理やり動かした負荷はかなりのものだった。強化服を手に入れたのでこれからは楽になる。その楽観的な予想を全身の痛みが打ち砕いていた。

 それでも新たな力を得たのは間違いない。アルファのサポートも格段に向上した。確かに強くなったのだ。アキラはそう自身に言い聞かせて痛みに耐えていた。そのまましばらく荒野に横たわった後、大分痛みが退いてきた辺りで何とか身を起こす。

『もう休憩は良いの?』

「ああ。いつまでも荒野で寝ている訳にもいかないしな。ゆっくり寝るのは宿に戻ってからにするよ」

 横たわっていても強くは成れない。ハンターとして成り上がるには更なる力が必要だ。望むものをつかめる力を欲して、アキラは立ち上がった。

『そう。それなら早速、近接戦闘術の訓練を始めましょうか』

 アルファはアキラのやる気のある様子を見て微笑ほほえんでいた。

 近接戦闘術の訓練が始まる。しかしすぐに格闘戦とはならなかった。

『この格好だと駄目ね。変えましょう』

 アルファが服装を変える。白いワンピースを消して一瞬だけ全裸になる。そしてすぐに特徴的な雰囲気の戦闘服を身にまとった。

 その戦闘服は極端なハイレグのボディースーツと極端なローライズのズボンを組み合わせたような形状をしていた。基本的に薄手の素材で構成されていて体の線がくっきりと浮き出ていた。一部に用途不明な穴まで開いていて素肌が露出していた。まるで戦闘面での実用性に喧嘩けんかを売っているような戦闘服だった。

 アルファは人によっては全裸よりも蠱惑こわく的な格好でいつものように微笑ほほえんでいる。アキラがその格好を見て浮かんだ素朴な疑問を端的に尋ねる。

「……その格好は?」

『旧世界製の戦闘服の一種よ』

「実在するのか」

『ええ。どこかの遺跡を探せば見付かると思うわ』

 アキラは旧世界に対する誤解を少し深めた後、それを取りえず脇に置いた。その戦闘服が旧世界の技術で製造された極めて高性能なものであったとしても、この場に実在していないアルファがそれを着たところで、その性能を発揮する訳ではない。多分。アキラはそう判断して、少し詳しく尋ね直す。

「その格好じゃないと駄目なのか?」

『リクエストがあるのなら要望に応えても良いけれど、私の動きをより正確に視認できる方向でお願いね。アキラの実力だと、私の動きを可能な限り正確に捉えないと効率的な訓練にならないわ。動きの予測の精度とかを僅かでも悪化させる格好は却下よ』

 相手の四肢の僅かな動きから次の行動を予測する者もいる。服でそれを隠す者もいる。それを突き詰めれば、動きを最も把握しやすい相手の格好は全裸となる。アキラは何となくそれに気付いて、余計なことを言うのを止めた。

「分かった。始めよう。それで、どうすれば良いんだ? 俺がアルファを攻撃しても擦り抜けるだけだろう?」

『取りえず好きなように殴りかかってきて』

 アキラはいぶかしみながらも言われた通りに殴りかかろうとする。アルファがアキラの拳を右手で遮る。すると、本来ならアルファを擦り抜けるだけの拳が、何かにぶつかったように止まった。

「……えっ!? ぶつかった? いや違う。なんだこれ?」

 アキラが予想外のことに驚いていると、アルファが笑って種明かしをする。

『衝突判定に引っかかった場合に、アキラの強化服の関節部を固定したりして、攻撃が当たった時の感覚をある程度再現したのよ。これで多少は感覚がつかめるでしょう? それでは、本格的に始めるわね。掛かってきなさい』

 アルファは誘うような余裕の笑みを浮かべて、挑発するように人差し指を動かした。アキラは気を取り直してアルファに挑んだ。

 当たり前だがアキラの近接戦闘術の練度は素人だ。基本的にアキラの攻撃がアルファに当たることはない。たとえアルファがその場に実在していてもかすりすらしない。

 アルファがアキラの行動の一つ一つに指摘を入れる。拳の握り方。蹴り足の伸ばし方。攻撃箇所。立ち位置。構え。踏み込み。注視点。体重移動。回避予備行動。防ぎ方。回避方法。その全てに念話で逐次素早く指摘し続ける。

 アキラが正解に近い動きをするほど、強化服がより動きやすいように補整を入れる。誤った動きには逆の補整を入れる。そのおかげでアキラは正しい動きを感覚的に学んでいた。

 衝突判定と強化服による戦闘の再現は、アキラの攻撃だけではなくアルファの攻撃にも適用されている。アキラは腹を殴られて後ろに吹っ飛ばされ、足を払われて体勢を崩して倒れ込んだ。攻撃を何とか防いでも、しっかり受け止めないと同じように吹き飛ばされた。

 アルファの攻撃は種類も方向もタイミングも事前に念話でアキラに教えられている。それでもアキラにはアルファの攻撃を防ぐのは困難だ。回避しても正しく回避しないと正確に追撃される。防御しても正しく防御しないと体勢を崩されて追撃される。アキラが反撃できる機会はごく僅かだった。

 アキラが攻撃を頭部に受けた場合は、死んだと見做みなされて仕切り直しになる。強化服を着た人間の攻撃を実際に頭部に食らえば、アキラの頭は一撃で吹き飛ばされる。場合によっては原形が残るかどうかも怪しい。防御もどこまで有効かは分からない。アキラは徹底的に回避を優先するように教え込まれていた。

 地面に倒れて仰向あおむけになったアキラに、アルファは笑って片足を上げ、アキラの頭部を踏み潰すように踏み付けた。

 アキラがアルファの足下から、胸で少し隠れたアルファの顔を見る。アルファはアキラを見下ろして微笑ほほえんでいた。アキラはそのいつも通りの微笑ほほえみを少しだけ怖いと思った。

『はい。また死んだわね。すぐに立って。それとも無理矢理やり起こした方が良い?』

「……大丈夫だ。自分で立つよ」

 アキラがよろよろと身を起こす。地面には頭部を粉砕されたアキラの死体が転がっていた。射撃訓練の時と同じく、拡張視界上に表示された映像だけの偽物だが、アキラが表情を引きらせるのには十分だった。既に辺りはアキラの死体だらけだ。

『またアキラの死体が1体増えたわね。本物のアキラがこれらに加わらないように頑張りましょう』

「ああ、分かってる」

 アキラは優しげに笑うアルファをやはり少し怖いと思いながら必死に訓練を続けた。


 アキラは訓練を続ける内に少し奇妙な感覚を覚えていた。

「アルファ。ちょっと聞いて良いか?」

『何?』

「えっと、どう言えば良いのかな。さっきからたまに変な感覚を覚えるんだけど、アルファがまた何かやっているのか?」

『変な感覚? 私がしているのは強化服の操作でアキラの体に効率的な動きを教え込んでいることぐらいだけれど、そのことかしら?』

「いや、違う。何というか、動こうとしていたらもう動いていたっていうか、そういう感覚だ」

『アキラが体を意識して動かそうとするよりも早く、体の方が少し先に動いている。強化服で体を無理矢理やり動かされている訳ではない。そういうこと?』

「ああ。大体そんな感じだ」

『多分何かの錯覚よ。恐らく強化服の動きを無意識に肌で感じ取って、その動きに合わせて体を動かしているのよ。そしてその動きをアキラの意識が追認しているのよ。その認識の時間差が原因だと思うわ。私が何かをしている訳ではないわ』

「そうなのか」

『でもその錯覚は大切にしなさい。その感覚に合わせて体を動かせば負担はかなり減るはずよ。それに強化服の動きは非常に訓練された達人のものを基準にしているから、その感覚に従って動けば、いずれは私のサポート無しでも達人の動きが可能になるかもしれないわ』

「分かった。取りえず、この感覚は良いことなんだな?」

『多分ね。心配することはないわ。さあ、訓練を続けるわよ?』

 アキラとアルファが再び構えを取る。アキラは安心してその感覚に身を任せて訓練を再開した。

 近接戦闘術の訓練は日が暮れる前まで続いた。訓練が終わった時、アキラは自力での歩行が難しいほどに疲労していたが、強化服の恩恵もあって問題なく宿まで戻れた。つまり、アルファの前言通り、強化服で無理矢理やり動かされながら帰った。

 アキラの訓練は、強化服を手に入れたことで、更に効率的で更に過酷なものとなった。

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