第157話 油を撒く者

 クガマヤマ都市の下位区画はかなりの広さがあり、基本的に荒野に近い場所ほど治安が悪い。そしてある程度治安が悪い領域では、所謂いわゆる裏稼業の経済力から武力を充実させ、その武力をもって周辺の組織を支配下に置き、支配区域に高い影響力を持つ組織もそれなりに存在している。エゾントファミリーはその手の大組織の一つで、スラム街や近場の下位区画を縄張りとしていた。

 エゾントファミリーの拠点はスラム街の荒野に接している場所にある豪邸だ。その豪邸は彼らの力の象徴でもある。重要なのはその大きさではなく場所だ。

 東部では土地など幾らでも余っている。また建築技術も進んでいてかなりの豪邸でも比較的安価に建築できる。だが安全は別だ。防壁の内側の土地が高いのはそこが安全だからだ。荒野に接している場所に拠点を置けるのは、荒野を彷徨うろついているモンスターから自衛できる戦力を保持しており、その戦力を維持するだけの経済力を持っている証拠だ。そこらの弱小組織とは格が違うのだ。

 そのやかたの大きな応接間でエゾントファミリーのボスであるロゲルトという男が座って思案を続けている。そして大きなテーブルを挟んだ向かい側では、ヴィオラが愛想良く微笑ほほえんでいた。

 ロゲルトの背後では彼の部下達が、ヴィオラの後ろにはキャロルが、どちらも武装して控えていた。

 ロゲルトはテーブルの上に並んでいる4枚の写真を見ながら静かな表情で思案し続けていたが、視線をヴィオラに戻した。

 ヴィオラが相手の視線から交渉の感触を探りながら機嫌良く笑う。

「それで、どうかしら?」

「悪くない」

 テーブルの写真の2枚はアキラとカツヤだ。どことなく不機嫌そうな表情のアキラと、広報用の笑顔を浮かべているカツヤが写っている。

「俺達の方でもこいつらを少し調べた。カツヤってガキの方はドランカムの広報が戦歴をまとめてくれていたおかげで、お前の情報と照らし合わせるのも楽だった。ハンターランクも高い。確かな実力の持ち主なんだろう。アキラってガキの方のハンターランクは微妙だな。でもまあ、最近8人組の強盗を一人で返り討ちにしたって話だし、その上でお前の情報と照らし合わせれば悪くない実力ってのは分かる。この2人をファミリーの手駒にできれば、ハーリアスとの抗争もそれなりに楽になる。手駒にする手段も用意済みってのもありがたい」

「御期待に添えたようで何よりだわ」

 ロゲルトがそう愛想良く答えたヴィオラを威圧する。

「それで、どこまでがお前の仕込みなんだ?」

 ヴィオラが少し大げさな態度で不思議そうな様子を見せる。

「どういう意味かしら?」

とぼけるなよ。俺もお前の手口とたちの悪さぐらい分かってる。一見全く関連性のないように見える情報を流して、状況をお前の都合の良いように操作する。それがお前の手口だろうが」

「それは誤解よ。私から情報を買ったのにしくじった人達が、その失敗を私の所為にしているだけよ。良い迷惑だわ」

「誤解?」

 ロゲルトが鼻で笑った。

「このアキラとカツヤを引き入れる手段が、両方ともそれぞれが入れ込んでいる女を使うってのはまあ良いさ。男なんだ。そういうやつがいても不思議はねえ」

 テーブルの写真の残り2枚はシェリルとアルナだ。ヴィオラの情報ではアキラがシェリルに、カツヤがアルナに入れ込んでいるということになっている。

「だがな、偶然にもほどはあるんだ」

 ロゲルトがヴィオラを詰問するように話し始める。内容はヴィオラが提供した情報の疑念であり、偶然とは考えにくい事象の指摘だ。

 シェリルの遺物売却店はすぐに高価な遺物を扱っていると勘違いされた。強盗達はアキラをそこらの雑魚と誤解していた。シェリルは遺物売却店に賭けているので店を再開したい。だがアキラがハンター稼業に戻ってしまう以上、警備用の戦力が別に必要だ。シェリル達がエゾントファミリーの下位組織に加われば、店の警備用の戦力を調達できる。ロゲルトはシェリルを介してアキラの戦闘力を利用できる。アキラはシェリルに非常に高価な服を贈り徒党のボスを任せるほどに入れ込んでいる。

 カツヤはたかがそこらのスリであるはずのアルナになぜか非常に入れ込んでいる。そしてアキラに命を狙われているアルナをドランカムの力で保護しようとしたが難航している。エゾントファミリーがアルナを保護、又は監禁すれば、カツヤと取引して、あるいは脅迫して、都合の良いように動かせる。

 いろいろな要素が組み合わさり、ロゲルト達がアキラとカツヤを利用しやすい状況が出来上がっている。だがロゲルトはそこに作為を覚えずにはいられなかった。

「お前の情報の正しさは俺も認めている。だがな、強盗がシェリルの店を繁盛店だと判断して狙ったのも、アキラを雑魚と勘違いしたのも、お前が流した情報の所為だ。その店を襲わせるように仕組んだんじゃないか?」

「偶然よ。店の評価は競合店の調査を欲しがる顧客からの依頼。アキラの実力の調査はシジマからの依頼。私が自主的にやったわけではないわ」

「アルナが部外者立入禁止のドランカムの敷地内にいると知っている理由は? そこから追い出す手筈てはずまで済んでいるのはなぜだ?」

「ドランカムの中には、防壁内部に住むスポンサーの嗜好しこうに合わせて品性良好だと宣伝しているカツヤに、スラム街のスリなんてよろしくない友人がいることを快く思っていない人がいるの。それぐらい想像しなさいよ」

「……アキラの実力をお前の情報を鵜呑うのみして推測すると、アルナってガキに財布をすられるのは不自然だ。それぐらい強ければ防げるはずだ。油断していたとしても、追跡できる程度の距離で気付いたのなら取り返せるはずだ。カツヤがアルナをそこまでかばうのも不自然だ。友人でもない初めて会ったスラム街のガキだぞ? シェリルのようにどこかのお嬢様と勘違いされそうな格好をしているわけでもない。追ってきたやつもそこらのチンピラではなく賞金首討伐戦でそれなりに活躍したハンターだ。カツヤはそんなやつと戦ってまで薄汚れたガキを助けるような底抜けの善人なのか? 女に甘いにしてもほどがあるだろう?」

「私に言われてもね。アキラにも調子の悪い時ぐらいあるでしょう。偶々たまたまその時に狙われたのかもしれないわ。カツヤは底抜けの善人で非常に女に甘いのかもしれない。ドランカムの広報が防壁内のスポンサー向けに出している紹介文でも、その人格の素晴らしさを褒めたたえられているし、ハーレム部隊なんて揶揄やゆされるほどに彼の周りには女が多いらしいわ。女のために命を賭けるタイプなんじゃないの?」

 ロゲルトはその後も矛盾や不自然さを指摘しながらヴィオラの態度に変化を探っていた。だがヴィオラは全ての質問に同じように平然と微笑ほほえみながら欠片かけらの動揺もなく答え続けていた。やがてロゲルトは指摘事項を思いつけなくなり、やや言葉に詰まりながら尋ねる。

「……本当に、お前は情報収集以外自発的に何もしていないと言えるのか?」

「強いて言えば、カツヤがアルナにどの程度入れ込んでいるかを調べようとして、ちょっとした脅しや交渉でアルナを引き渡す可能性を探るために、私の手駒を送り込んだわ。それは私が自発的にやったことになるわね。アルナを渡せば2000万オーラム支払うとカツヤに持ちかけたのに、それでもアルナを渡さなかったのは流石さすがに私も驚いたわ。有益な情報が手に入ったと喜んだら、カツヤにその手駒を殺されてしまったの。そいつの債権は回収不能になったわ。大損よ。今回貴方あなたに情報を売りに来たのはその補填も兼ねているの。貴方あなたの顔を立てて、情報を渡してから情報料を受け取ることに同意したのよ? 相応の額を払ってもらいたいわ」

 ロゲルトが意地の悪い笑みを浮かべる。

「どうだったかな? 確かに有益な情報だとは思ったが、裏付けに納得のいかない内容も多かった。御期待に添える額になるかどうかは……、保証できねえな」

 ヴィオラが意外そうな表情を浮かべた後で不敵に微笑ほほえむ。

「あら、そんなことを言うの? 仕方がないわね。お気に召さない情報で金を取るのも心苦しいわ。キャロル。帰りましょう」

 ロゲルトが本当に帰ろうとするヴィオラを見ていぶかしむ。

「金は要らねえのか? 大損したんだろう? 随分余裕だな」

 ヴィオラが楽しげに笑う。

「とんでもない。情報を集めるのにも金が掛かるの。しかも貴方あなたとの取引が上手うまくいかなかったから破産寸前よ。だから、同じ情報をハーリアスに売ってくるわ」

 ハーリアスはエゾントファミリーと同程度の組織力を持つ敵対組織だ。縄張り争いで抗争寸前の相手でもある。同じ情報がハーリアス側に渡ってしまえば相手に先を越されるかもしれない。

「て、てめえ!」

 ロゲルトの怒声に反応して背後にいる部下達が銃を構えようとする。だがキャロルがそれよりも早くロゲルトに銃を向けていた。ロゲルトが険しい表情で部下を手で押さえる。

 ヴィオラが楽しげに笑う。

「それで、やっぱり帰った方が良いかしら?」

「……分かったよ」

 ロゲルトが観念した様子で情報端末を操作した。

「振り込んだぞ。確認しろ」

 ヴィオラが情報端末を操作して口座を確認する。そして軽く首を横に振る。

「足りないわ」

「何だと!? ふざけるな! 十分な額のはずだ!」

貴方あなたに売った情報料としてはね。でも足りないの。同じ情報をハーリアスに売らないでおいてあげる分がね。まあ、口止め料みたいなものよ。あと、キャロルを働かせたから追加料金を払わないといけないの。貴方あなたの所為だから、貴方あなたに払ってもらうわ。合わせて、そうね、さっき振り込んだ額の半分で良いわ」

 怒りで引きつった表情のロゲルトに、ヴィオラが少し勝ち誇った笑みを向ける。

「余計な真似まねをした貴方あなたの所為よ? それとも、もっと支払額を上げてほしいの?」

 ロゲルトは非常に不機嫌な表情で舌打ちした後、言われた通りの代金を振り込んだ。

「確認したわ。安心して。情報屋として同じ情報を他所へ流すような真似まねはしない。約束は守るわ」

「……ふん。どうせ俺以外にも似たような態度を取ってるんだろう。長生きはできねえぞ」

「似たようなことをよく言われるけど、決まって私より早死にするのよね。貴方あなたも気を付けなさい」

 ヴィオラはロゲルトの捨て台詞ぜりふのような嫌みに笑ってそう答えると、キャロルと一緒に帰っていった。

 ロゲルトが苛立いらだって部下に怒鳴るように指示を出す。

「すぐに手筈てはずを整えろ!」

 慌ただしく動き出す部下達を見ながら、ロゲルトはこの憤りをまずはハーリアスの連中へ、そしていずれはヴィオラにぶつけてやると堅く誓った。


 アキラはエレナ達に助言を受けて改造部品の選定を済ませた。アキラ1人では進展のなかった部品選びもエレナ達の的確な助言のおかげで比較的短時間で終わった。その場で組み込みも済ませた。改造部品を組み込んだことで使用可能になった新しい弾薬の購入費も合わせると、代金は6000万オーラムほどになった。当初の予算を少々超えてしまったが、内容には満足していた。

 アキラは購入した物を車に積み込み終えると、見送りに一緒に外に出たシズカ達に、主にシズカに会釈する。

「いろいろありがとう御座いました」

 シズカがアキラの偏りのある態度に気付いて微笑ほほえみながら話を振る。

「私は商売だからね。接客も仕事よ。感謝ならエレナ達にしなさい。従業員でもないのに詳しい相談に乗ってくれたんだから」

「そうですね。お手数をおかけいたしました」

 アキラがエレナとサラに軽く頭を下げる。エレナもシズカと同じものに気付いたが、だがそれを表に出さないように笑って答える。

「気にしないで。別に用事もないし、アキラにはいろいろ助けてもらっているし、あれぐらい大したことじゃないわ」

 サラが少しだけ意識して懸念を吹き飛ばすように笑う。

「大丈夫だと思うけど、私が選んだ改造部品で何かあったら言ってちょうだい。私の身体能力で選んじゃったかもしれないから、ちょっと反動が強いかもしれないわ。その強化服なら大丈夫だと思うんだけど、一応ね」

「いえ、では、失礼します」

 アキラが車に乗り込んで去っていく。エレナ達は軽く手を振ってアキラを見送っていたが、視界からアキラの車が消えると少し険しい表情を浮かべた。

 エレナはシズカが自分達を止めるために話に割り込んできたことに気付いていた。

「変な地雷に触れちゃったかな……。シズカ。あの時私達が、どうしてもって言ってアキラを止めていたらどうなっていたと思う?」

「スリを狙うのは本当に止めたと思うわ。その代わり、アキラが今までのようにエレナ達になつくことはもうなくなったでしょうね。下手をすると、一応面識はある、程度になっていたかも……」

 エレナの脳裏に手切れ金という単語が浮かぶ。あの時、どうしても、と言って頼んでいれば、アキラはスリを狙うのを本当に完全に止めただろう。今まで自分達に世話に成った分の代金として。勘の良いシズカが強引に割り込んで止めたことを含めて、その予想は恐らく正しい。エレナは何となくそう思った。

 エレナが険しい表情で自分の発言を思い返す。しかしそこまでの問題発言をしたとは思えなかった。

「そんなに怒らせるようなことを言っちゃったかしら……。サラ。ごめん。私が変なことを言った所為で、アキラの機嫌を大分損ねたことだけは確かみたい」

 サラが少し気落ちした難しい顔で首を横に振る。

「エレナの所為じゃないわ。私も何がそこまで悪かったか全く気が付かなかった」

 サラが軽くめ息を吐く。

「……下手をすると、シズカが割って入らなかったら、アキラとの仲は終わっていたわけか。シズカ。助かったわ。ありがとう」

 サラは微笑ほほえんでそう礼を言ったが、今度はシズカが少し険しい表情を浮かべる。

「今更だけど、あれで良かったの?」

勿論もちろんよ。どうして?」

「アキラがスリを狙っている以上、そのカツヤって子と交戦する理由は消えていないからよ。私はアキラによく考えろとは言ったけど、あれは一種の時間稼ぎでもあるの。それに冷静になってよく考えた結果、やっぱり殺すと決め直したら、今度は地の果てまで追ってでも殺すと考え直すかもしれないわ」

「あー、確かに」

「判断、誤ったかしら。もうちょっと穏便になだめる言い方を思いつければ良かったんだけど……」

 シズカは自分の不手際を嘆いていたが、サラもより良い手段など思い付かない。何よりサラはシズカの対応や判断が誤りだったとは余り思いたくなかった。シズカが割って入らなければ、サラ達はアキラにどうしても止めるように頼んでいたからだ。

 もしそうなっていた場合、サラは何となくだがアキラと自分達の縁はほぼ完全に切れていただろうと思っていた。自分達は贔屓ひいきの店で見掛ける誰かという程度の扱いになり、前のように一緒に遺跡にでも行こうと誘っても、恐らく素っ気なく断られてしまう。それは嫌だった。

 エレナがサラの内心を察して同意見だと思いながら、同じ失敗を繰り返さないように尋ねる。

「シズカ。アキラがあそこまで機嫌を悪くする理由に心当たりとかはない? 勘でも良いわ」

「心当たりか……。前にアキラの機嫌がかなり悪い時があったわ。関連があったのかもしれないわね」

 シズカがエレナ達にその時の様子を話した。エレナ達の表情が更に曇った。

 エレナが軽く頭を抱える。

「……被害を食い止めた時でもその機嫌の悪さか。少額とはいえ実際に盗まれた時のアキラの機嫌がどれだけ悪くなっていたか。アキラがその機嫌の悪さで私の対応を解釈すると、私達がカツヤの話を、つまりスリの証言を一方的に信じた上で、身銭を切ってまで助けようとしていたように見えた……可能性もあるのか。参ったわね」

 シズカが少し哀れむような表情を浮かべる。

「多分、アキラは今までも自分の話を信じてもらえないことが多かったんでしょうね。信じてもらおうとする気持ちを初めから捨ててしまうぐらいに。アキラがエレナに本当かどうか尋ねていた時も、どこかそんな感じだったわ」

 エレナが険しい表情を浮かべる。

「あの時のアキラの態度をもう少し注意深く推察していれば気付けていたか……。事前情報に引きずられすぎていたわね。普段交渉役をやっているってのに、とんだ失態だわ」

 サラがエレナを励ますように軽く笑う。

「エレナ。あんまり抱え込まないで。カツヤの話を信じたのは私も一緒よ。カツヤに嘘を吐いている様子はなかったし、あそこまで必死にかばっていたんだもの。信じても不思議はない……ん?」

「どうかしたの?」

「いや、何か急に、別にカツヤ本人でもない子の又聞きのような話を、私達がそこまで信じるのも変なような気がして……」

「……そう言われれば、それもそうね」

 エレナとサラが急にいぶかしみ始める。シズカがその様子を不思議そうに見ていた。


 アルファが車の運転をしているアキラを観察している。新装備の調達が終わったというのにアキラの機嫌は少し気落ちしているかのように沈み気味で、それを引き上げるために苛立いらだちや不機嫌さを装っているように見える。

 アキラはアルファの視線に気付いていたが、しばらくの間は不機嫌そうにしたまま反応を返さなかった。だがいつまでも無視はできなかった。

『……何か言いたいことでもあるのか?』

『新しい強化服に変更して、武器も改造部品を組み込んだからある意味で別物になったわ。私が新しい強化服を掌握する時間と、新しい武器の使い勝手を把握する時間が欲しいわ。ハンター稼業の再開はその後になるから、すぐに旧世界の遺跡に行きたいとか言い出さないでね』

『……分かった。……それだけか?』

 何かを探るような様子のアキラに、アルファがいつも通りの微笑ほほえみで答える。

『アキラが何を聞きたいのか勝手に推察して答えると、あのスリを意地になって殺そうとするのを止めてほしいのは私もエレナ達と同意見よ。エレナ達とは別の理由でね』

『どういう意味だ?』

『私はエレナ達と違って別にあのスリが死んでもかまわないわ。私が気にしているのは、アキラがあのスリを殺そうとする過程で発生する面倒事の方よ。どうしても殺したいのなら、対人用の長距離狙撃銃でも買ってバレないように撃ち殺してほしいわ。そして嫌疑をかけられたら知らぬ存ぜぬを通してほしいわ。たかがスリを殺すためにドランカムを敵に回すのは割に合わない。それは私もエレナ達と同意見だからね』

 アキラがどことなくいぶかしむ様子で尋ねる。

『……じゃあ、何でアルファは狙撃銃の購入を俺に勧めなかったんだ?』

『その対人用の狙撃銃を買うと、旧世界の遺跡攻略にどの程度役に立つの?』

 アキラが言葉に詰まる。アルファが少し真面目な表情で続ける。

『私がアキラをサポートしているのは、アキラに私の依頼を完遂してもらうためよ。勿論もちろん、アキラに頼まれたら無関係なことでもサポートするけれど、基本的にはサポート外なの。それは忘れないでね』

 アキラが少し黙った後で気が抜けたようにめ息を吐く。アルナを殺すためにカツヤ達と交戦するにしても、アルファのサポートを前提にして考えていた。別にアルファはそこまで自分に付き合う義務はないのだ。あって当然と思うのならそれはただの甘えだ。アキラはそう考えて軽く自嘲した。

『そうだったな。少し甘えすぎてたな』

 無意識に意固地になっていたかもしれない。アキラはそう考えて気を切り替えるように一度大きく深呼吸する。自己暗示かもしれないが、随分気が楽になった気がした。

 アルファが表情を優しげな微笑ほほえみに戻す。

『好きなだけ甘えてもらって構わないけれど、アキラの命に関わる我がままは謹んでちょうだいってだけよ。何の危険もないのなら私も止めたりしないわ。狙撃銃が必要なら次の稼ぎで買いましょう。とにかく有効射程の長いやつをね』

『まあ、それは金が入った時に考えるよ。時間はあるんだ。ゆっくり考える』

『そうしなさい』

 アルファがアキラを見守るように微笑ほほえみながら推察する。

 エレナ達が対峙たいじしているアキラとカツヤのところに来た時、アルファがアキラにその場から急いで離脱するのを勧めたのは、その方がアキラとエレナ達の仲がこじれると判断したからだ。だがその後の状況を考慮に入れるとむしろその場に残すべきだったと判断を改めている。

 あの場にシズカがいなければ、アキラがアルナを殺そうとしてカツヤ達と交戦する可能性はかなり下がっていたはずだ。エレナ達への評価も大幅に下がり、アキラが余計なことに首を突っ込む機会も劇的に下がっていただろう。アルファはそう推察していた。ある意味で、アルファは選択を誤ったのだ。

 実に惜しい。アルファはそう思いながらも一応満足していた。アキラがエレナ達の扱いを敵ではないという分類にまで下げたかどうかは分からないが、少なくともこれでエレナ達の事情を優先する程度は下がったはずだ。そう考えていた。


 エゾントファミリーの拠点内の応接間にボスのロゲルトとその部下達がいる。そのロゲルトがシェリルに厳しい表情を向けていた。

「断る……だと?」

 シェリルは少し震えながらも気丈な表情を保っている。

「は、はい。その話は受けられません」

「お前、状況を分かってるんだろうな?」

 ロゲルトがシェリルをにらみ付ける。シェリルが一瞬大きく震え、表情をより一層強張こわばらせる。シェリルは護衛も無しに1人でこの場にいる。ロゲルトがその気になればシェリルは死ぬのだ。

 ロゲルトがめ息を吐く。交渉相手は状況を理解した上で断っている。自分を殺せば仲間が必ず報復するという自衛手段もなく、その手のはったりもなさそうだ。だが投げりな態度でもなく、こちらを軽んじている様子もなく、殺されるおびえも間違いない。ロゲルトにはシェリルが自分の提案を断る理由が分からなかった。

「考え直せって。俺達にもメンツがある。お前みたいな弱小組織に刃向かわれるとそのメンツに傷が付くんだ。それとも何か? ハーリアスの連中と先に取引を済ませたってのか?」

「い、いいえ、そういうことでは」

「じゃあ何が不満なんだ? 安心しろよ。俺達も別にお前らを食い物にしようとは思ってない。そりゃお前達を俺達の下位組織として組み込もうっていうんだ。上下関係はあるし、上納金ももらうし、こっちの指示にはしっかり従ってもらう。時にはお前らが嫌がる指示を出すかもしれない。だが俺達を後ろ盾にできる利点を考えれば大したことじゃないだろう? 休店している遺物屋も再開できる。金はそれで稼げば良い。強盗に入られて動揺している部下達も安心する。良いことだらけだ。俺がお前の立場なら絶対断らないがな」

 ロゲルトは表向き余裕のある態度でシェリルを威圧していたが、内心では芽生えた疑念に対する検証を続けていた。

(……なぜこの提案を断る? 立場的にも、条件的にも、力関係的にも、断る理由はないはずだ。断れば殺される。こいつはそれを理解した上で断ってやがる。俺達に身内でも殺されたか? ……いや、俺達に恨みがあるようには見えねえな)

 ロゲルトが軽く手を上げる。部下達が一斉にシェリルに銃口を向ける。シェリルの震えが大きくなり、表情も恐怖で大きくゆがむ。

 ロゲルトが最後の機会だと言わんばかりにすごみのある声を出す。

「考え直せって。なあ」

 シェリルは震えながらただ黙っていた。

 しばらくの沈黙の後、ロゲルトは舌打ちして部下に銃を下げさせた。

(その場を取り繕う返事すらしねえ。どういう覚悟の決め方だ。分からねえ。なぜだ?)

 シェリルは自分に向けられていた銃口から解放されて荒い息を繰り返している。ロゲルトが意図的にあきれたような態度を見せる。

「度胸は大したもんだ。俺が提示した条件に不服でもあるなら言ってみろ。その度胸に免じて聞くだけは聞いてやる」

 だがシェリルは黙ったままだった。ロゲルトがまた舌打ちして部下に指示を出す。

「連れて行け。気が変わるまでどっかの部屋にでも突っ込んでおけ」

 2名の部下が立ち尽くしているシェリルの腕をそれぞれつかんで連行していく。シェリルは抵抗せずに運ばれていった。

 ロゲルトが軽く頭を抱える。簡単な交渉だと思っていたものが、全く分からない理由でいきなり頓挫した。完全に予定外の事態でその理由さえ分からない。それがロゲルトの不安と苛立いらだちを高め、ある懸念を意識させていく。

 ロゲルトに今回の計画を持ち込んだのはヴィオラだ。これもあのたちが悪い女の策略ではないか。一度意識してしまうとその懸念がどうしても拭えない。

「……確認するか」

 ロゲルトは数人の部下を連れてもう1人の監禁場所に向かった。


 ヴィオラがアキラへの御機嫌取りとしてシェリルに持ってきた話はエゾントファミリーとの伝だった。本来ならシェリル達のような弱小組織には縁のない話で十分有益な内容だ。

 その後シェリルはヴィオラが呼んだロゲルトの部下に案内されてエゾントファミリーの拠点まで向かい、通された部屋でロゲルトから詳しい話を聞かされた。シェリルの徒党をエゾントファミリーの傘下にするという内容はそこで初めて聞いたのだが、それも本来別に悪い話ではない。そこまでならシェリルもロゲルトの言う通りに喜んで話を受けた。

 問題は、ロゲルトがシェリル達を取り込もうとする理由が、シェリルを介してアキラを手駒にするためだったことだ。それに気付いたシェリルはロゲルトの提案を断らざるを得なくなった。

 傍目はためから見るとシェリルが自分に入れ込んでいるアキラを良いように飼い慣らしているように見える。れた弱みにでも付け込んで、アキラを徒党の後ろ盾にしてボスの座に就き、旧世界製の衣服まで贈らせて、遺物店の警備まで頼んで、アキラが撃退した強盗を売り払った金を自分のものにまでしている。シェリルがロゲルトの頼み通りにアキラを動かすことぐらい容易たやすいように見える。

 だがそれは全て誤解だ。シェリルにはそんな力はない。そしてそれをロゲルトに正直に話すわけにもいかない。そしてその誤解を押し通すこともできない。もしロゲルトの提案を受け入れてエゾントファミリーの指示に従うようにアキラに頼み込めば、アキラは自分をあっさり捨てるだろう。シェリルにはその確信があった。

 またシェリルには別の確信もあった。たとえその場しのぎのうそであってもアキラを売り渡すような真似まねをしてしまえば、それは必ず露見してしまい、うそだという誤解も解けずに疑われ、敵視され、捨てられる。それは最近失態が続いているシェリルが生んだ被害妄想に近いものであったが、そう確信していることに違いはなかった。

 それらの確信はシェリルがアキラを自身の精神の支柱にしてしまった弊害だ。ここでロゲルト達に殺されても、後でアキラに捨てられても、シェリルには大して違いはないのだ。

 その結果、シェリルはやかたの一室に、一応は客間の体裁を保っている部屋に監禁されることになった。情報端末も奪われてしまっている。部屋の中にいるのはシェリルだけだ。見張りはいないが扉には鍵が掛かっていて窓もない。脱出は不可能だ。

 シェリルがつらそうに表情をゆがめてつぶやく。

「……どうしよう」

 アキラが来て助けてくれないだろうか。一瞬だけそう考えたが、シェリルの聡明そうめいな頭脳が状況を理解して可能性を探り始めるとすぐに消えた。

 自分はアキラと連絡も取れない。アキラは自分の居場所も分からない。何よりアキラは自分を助けるためにエゾントファミリーと敵対するだろうか。シェリルの頭の他人ひと事のように冷静さを保っていた部分がすぐに答えを出した。現実的な可能性ではないと。

 シェリルが崩れた苦笑を浮かべる。部屋に嗚咽おえつが響いた。

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