第155話 名目の説得力

 カドルがスラム街の地面に横たわって死にかけている。致命傷だ。もう助からない。シジマの部下達は既に全員死んでいる。

「……なんで……こんな……強い……ガキ……ばか……り……」

 あの日アキラに出会わなければ、こんなことにはならなかった。この結末へ導いた光景が頭の中に走馬灯のように流れていく中で、カドルは恨みと後悔の入り交じった感情を覚えながら息絶えた。

 戦闘はカツヤ達の圧勝で終わった。カツヤ達には負傷者も出ていない。銃声が消えた後の周辺は不気味なほどに静かになっていた。周辺にいた者達は悲鳴や怒声の届かない場所まで逃げていったのか、あるいは巻き添えになって死んだのかのどちらかだ。

 殺人への忌諱きいが残るカツヤとユミナは険しくもつらそうな表情を浮かべている。アルナはおびえた様子でうずくまっている。アイリだけは比較的平然とした様子で冷静に周囲の状況を探っていた。

「カツヤ。路地から撃ってきたやつがどうなったか確認できていない。確認した方が良い?」

「い、いや……」

「それならすぐにここから離れた方が良い。私達はここで騒ぎを起こしすぎた」

「そ、そうだな。分かった」

「急ごう。もうここには来ない方が良い」

 アイリが殿を務めるように周囲を警戒しながら銃を構える。カツヤとユミナがアルナの手を引こうとすると、アルナがカツヤに飛びつくように抱き付いた。

「アルナ。歩けるか?」

 アルナが抱き付いたまま無言で首を縦に振る。カツヤがアルナを抱き締めながらこの場から離れていく。ユミナとアイリはそのカツヤ達を見てほんの少しだけ嫉妬に似た険しい表情を見せた後、微妙な表情で周囲を警戒しながらカツヤ達の後に続いた。


 ティオルがふらつきながら路地裏を進んでいた。出血がひどく重傷だ。流れ出た血が地面に途切れ途切れの赤い線を書いていた。アイリからの反撃を受けて死んでいないのはただの偶然だ。アイリの銃撃が牽制けんせいを目的としたものだったこと。着用していた防護服がそこそこ良い性能だったこと。あの後すぐに逃げ出したこと。それらの要因が重なってぎりぎりで命を残していた。

 ティオルは路地裏を朦朧もうろうとした意識の中で進んでいたが、ついに限界を迎えて崩れ落ちた。もう立ち上がれない。意識が命と一緒に薄れていく。出血と死の恐怖で震えていると、かすんだ視界に誰かの足が映り、男の声が聞こえてくる。

「ん? お前は確かシェリルのところのやつか?」

 ティオルがか細い声で助けを求める。

「……た、助けてくれ」

 男はヤツバヤシでティオルを知っていた。

「ああ、お前は確か……、そうだ、あのシェリル達が強盗に襲われた時にらかしたやつだな。治療を受けたやつが文句を言っていたやつだ。何があったか知らないが、重傷だな」

「……た、助けて」

「治しても良いが、その治療に幾ら掛かると思う? お前はその代金を支払えるのか? あるいはシェリルが払ってくれるのか?」

「……た、たす……け」

「無理そうだな」

 絶望に染まっていくティオルに、ヤツバヤシが軽く笑いながら楽しげに尋ねる。

「そうすると、治療費が支払えない以上、治療ではなく治験、いや、実験となる。無理強いはしないが、どうする?」

「……わかっ……た」

 ティオルは辛うじてそう答えた後、すぐに意識を失った。ヤツバヤシは全く慌てずに機嫌良く軽く笑う。

「契約成立だな」

 ヤツバヤシが懐から注射器のような器具を取り出してティオルの首元に注射する。器具の容器部分には発光している緑色の液体が入っていた。その液体がティオルの体内に注入されていく。

「安心しろって。お前は助かる。お互いに幸運だった。そう思おうじゃないか」

 ヤツバヤシは幸運だ。だがティオルも幸運かどうかまでは、まだ確定していなかった。


 シェリルが自室で前にアキラに頼まれた話の報告をしている。シェリルの表情が少々緊張気味な理由は話の内容の所為だ。アキラの機嫌をあれほど悪化させたアルナに関する報告であり、しかもどちらかと言えば悪い内容だった。

 シェリル達はアルナを見つけられなかったこと。ヴィオラの情報によると、アルナを巡って銃撃戦が発生して死者が出たこと。シェリルはそれらのことを恐る恐る話していた。

「……それで、そのアルナってスリのその後の行方は分からないそうです」

「そうか」

 アキラの機嫌は普段より少し悪い程度だ。別にシェリルに対して悪感情を抱いているわけでもない。だが折角せっかくの頼み事に何の成果も上げられなかったシェリルがアキラの顔色をうかがうのには十分だった。

「お力になれず申し訳御座いませんでした」

「気にするな。前にも言った通り、かなり強いハンターがそいつの後ろ盾になっていたってことだろう。危ないからもうそのスリを探すのも止めて良い。下手なことをするとそいつらに目を付けられるかもしれない。ハンター連中を何とかするようなことは初めから期待していないしな」

「……分かりました」

 アルナを巡って銃撃戦があったのだ。シェリル達がこれ以上関わるのは危険すぎる。アキラはそう考えて、どちらかと言えばシェリル達を気遣ってそう答えた。

 しかしシェリルはアキラの言葉を、やはりこいつらは役に立たなかった、という意味合いに捉えてしまった。

「次はアキラの役に立てるように頑張ります」

 アキラが苦笑する。

「次なんて、またスリに遭うような失態は繰り返したくないんだけどな」

 勝手に悪く解釈して自嘲するアキラに、シェリルがひどい顔色で慌てて弁解する。

「す、すみません。そういう意味では……!」

「ん? ああ、俺が変に解釈しただけだ。悪かった。また何かあれば頼むよ」

「は、はい」

 アキラは自覚以上に不機嫌になっている自分に気付いて、ゆっくり深呼吸を繰り返して意識を整えていく。当たり散らすなど恥の上塗りだと言い聞かせて苛立いらだちを鎮めていく。

 アキラの情報端末に通知が届いた。その内容を確認した途端、アキラの機嫌が一気に良くなった。

「シェリル。用事ができたから今日はこれで帰る。何かあったら連絡してくれ」

「分かりました。……あの、用事って何か聞いても良いですか?」

 シェリルは何気ないように装ってそう尋ねた。アキラの機嫌を一気に良くした何かに対する興味、多分に不安の混じったそれを抑えきれなかった。

 アキラはシェリルのどこかすがるような視線に気付かずに機嫌良く答える。

「注文していた装備が届いたって連絡が来たから取りに行くんだ」

 そこまで言ってから、少しだけすまなそうな表情と口調で続ける。

「あー、だから悪いけど、これからは拠点に顔を出す機会が減ると思う。ハンター稼業に戻るからな」

「……そうですか。残念ですが仕方ありません。暇を見つけて会いに来てくれるとうれしいです」

「まあ、多分以前の頻度ぐらいで顔を出すよ」

 大分無理をして何とか微笑ほほえみらしきものを浮かべていたシェリルに、アキラは軽い態度でそう答えた。そこには相手への思いの差が如実に表れていた。

 シェリルはアキラを拠点の外まで送ってから自室に戻ってきた。一人きりになった部屋で少しの間焦りと悲しみの混じった表情を浮かべていたが、首を大きく横に振って自らに言い聞かせる。

「……駄目よ。落ち込んでいても状況が改善したりはしないわ。冷静さを取り戻して次の手を考えるの。アキラに見捨てられたくないでしょう?」

 シェリルは少し前にアキラの交友関係に触れる機会を得た。それから少し余裕を失っていた。アキラの交友関係に女性が多く、しかも友好的で美人が多かった所為で、いろいろと邪推してしまっていた。

 キャロルはその容姿や服装やたたずまいを、異性を誘惑するためだけに整えているような人物だ。アキラはそのキャロルと楽しげに話していた。エリオ達からは訓練の時に上流階級の住人のような者達と出会った話を聞いた。メイド服を着た美人を2人も連れていた少女も、アキラに知人以上の態度を見せていたそうだ。

 そして少し話をしただけでアキラの機嫌を劇的に回復させた誰かも恐らく女性だ。シェリルはアキラに殺されたワタバという男の最後の言葉を、武器屋の店主で女の方という内容を覚えていた。

 アキラは異性への興味が非常に薄い。今までそう判断していたシェリルはそれを残念に思いながらも、アキラとの仲をゆっくり深めていけば良いと思ってある意味で安心もしていたのだ。だがアキラのそばに次々に現れる女の影がその根拠と安心を吹き飛ばしていた。

 やはり自分に魅力がないだけなのだろうか。部下達が聞けば仰天しそうな仮定を、シェリルは本気で疑い始めていた。

 冷静であろうと努めながら改善策を思案し続けるが、これといって有効な手段は思いつかない。焦りが募る中でドアをノックする音が聞こえる。それがシェリルの思考を乱し苛立いらだちを高め、余裕のない返事を返させた。

「重要なことじゃないなら後にしてって言ったでしょう!?」

 ドアの向こうにいるエリオがシェリルの機嫌の悪さに狼狽うろたえる。

「コルベってやつが来てる。あのスリやら何やらの話があるって言っているけど、帰ってもらった方が良いか?」

 シェリルは冷静であろうと一度大きく深呼吸する。アキラから手を引いて良いと言われたが、無視できる内容でもない。

「……応接間に通して。私もすぐに行くわ」

「わ、分かった」

 シェリルは足早に去っていくエリオの様子から自分の余裕のなさを再確認して、落ち着こうと胸に手を当てながら深呼吸を繰り返した。


 応接間でシェリルとコルベが向かい合って座っている。シェリルの後ろにはエリオとアリシア、そして数人の部下達が控えている。

 エリオ達は緊張気味な表情を浮かべていた。先ほどのシェリルの様子に加えて、コルベまで不機嫌そうな態度を出していたからだ。

 シェリルがコルベの様子をいぶかしみがら話を始める。

「あのスリの話があると伺いましたが、どのような御用件でしょうか?」

「実際に用事があるのは俺ではないけどな」

「それはどういう……」

 コルベが情報端末を取り出して不思議そうにしているシェリルの前に置く。そこからヴィオラの声がする。

「話があるのは私よ。こんな形式で御免なさいね」

 ヴィオラに大して余り良い印象を持っていないシェリルの表情が僅かにゆがむ。

「……普通に連絡していただければ良かったのでは?」

「そこは私が心配性なだけよ。職業柄いろいろ用心する癖があるの。秘匿回線の質を通話先に求めるのも滑稽よ。それで、結構大切な話なのだけど、聞かせたくない人が近くにいるのならそちらで人払いをお願いしても良いかしら?」

「話の内容にります」

「その話をした時点でもう駄目なのよ。その点はこんな面倒な手段を取っていることから察してほしいわ」

 シェリルは少し考えると、エリオ達に部屋から退出するように視線で指示を出した。コルベが部屋から出て行くエリオ達を軽く目で追う。

「ヴィオラ。俺も席を外すぞ」

「あら? 貴方あなたはいても良いのよ?」

「許可は取ったぞ」

 コルベも立ち上がってエリオ達に続こうとして、去り際にシェリルに忠告する。

「気を付けろ。そいつのたちの悪さは折り紙付きだ。初めから話を断らせるために自分から話を持ちかける。それぐらいは平然とするやつだ。その逆もな」

「あら、雇い主に対して随分な言い草ね」

「知らない間にアキラの恋人をめる片棒を担ぐのは御免だってことだ。俺は無関係だぞ?」

 コルベはシェリルとヴィオラの両方にそう宣言して部屋から出て行った。

 シェリルがヴィオラへの警戒を高めて情報端末に厳しい視線を向ける。

「それで、お話とは?」

「端的に話すと、用件は貴方あなたへの御機嫌取りよ。そのために良い話を持ってきたの」

「私への?」

「そう。私はあのスリを捕らえてアキラの機嫌を取ろうとしたのだけれど、残念ながら失敗してしまったからね。そしてその代わりになるような交渉材料も思いつかないから、恋人の機嫌を取っておびにしようってことよ。これは私からのアキラへの御機嫌取りでもあるの。だから安心して聞いてちょうだい。変な話を持ちかけてアキラの機嫌を損ねる気はないわ」

 アキラの機嫌を取るため。それはシェリルに十分な納得を与えていた。その納得が警戒を緩ませる。

「分かりました。伺います」

 ヴィオラは携帯端末越しにも分かるシェリルの声色の変化に気付いて楽しげに話を続けた。


 シェリルの拠点を出たアキラがシズカの店に向かっている。新装備に期待を膨らませて上機嫌だ。

『やっとハンター稼業に戻れるな。アルファ。これからはどうする? またリオンズテイル社の端末設置場所の情報から未発見の遺跡を探すのも良いけど、一度またクズスハラ街遺跡に行くってのも良いと思わないか?』

 アルファが表面上は何でもない様子で尋ねる。

『アキラがそうしたいのなら構わないけど、一応理由を聞いても良い?』

『ほら、前に旧世界製のナイフを手に入れただろう? 安全装置を壊して敵を壁越しに斬ったやつ。ああいうのを売らずに切り札として持っておけば、いざという時に役に立つと思ったんだ。今の俺の実力で装備を新調した後なら、もう一度クズスハラ街遺跡を探索して似たような旧世界の遺物を探し出すのもそこまで難しくないんじゃないか?』

 アルファが探りを入れるような微笑ほほえみでアキラに顔を近づける。

『それだけ?』

 アキラがアルファの態度に少し困惑気味にたじろいだ。

『それだけって……、まあ、手元の残す遺物の他に、売却用の遺物もたくさん手に入れたいとは思っているけど。……えっと、クズスハラ街遺跡に行くのは、何か不味まずいのか?』

 アルファが普段の微笑ほほえみに戻して揶揄からかうように答える。

『何でもないわ。新装備を手に入れたアキラが調子に乗って、遺跡で前に逃げ帰ったモンスターと、特に私の指示を無視して進んだ先にいた防衛兵器と戦って雪辱を果たそうと思っていたら、念入りにくぎを刺そうとしただけよ』

 アキラが苦笑する。アキラはあの時アルファの指示に逆らった所為で、光学迷彩機能を搭載していた巨大な機械系モンスターに殺されかけたのだ。モンスターの砲撃で周辺のビルが半壊し瓦礫がれきが降り注ぐ中を必死の思いで逃げ出したのだ。

『あの時は悪かったって。あんな失態はもうしないよ』

『今思えば、あの時のアキラの意識を切り替える良い機会ではあったのよね』

『悪かったって。あの後からちゃんと切り替えただろう? それで勘弁してくれ』

 アキラもその時のことを軽く笑って語れるほどになっていた。失敗を悔いてはいるが重荷にはなっていない。アルファも軽く笑って流していた。

 アキラは自分もあの頃から随分成長したものだと思いながら、ふと気になったことを尋ねる。

『そういえば、流石さすがにあの頃に比べれば俺もある程度成長したと思っているけど、アルファに依頼されている遺跡の情報とかはまだ教えてもらえないのか? いや、聞いたら余りの難易度に俺のやる気がせるから教えられないとかなら無理には聞かないけど』

『残念だけれど教えられないわ。私にもいろいろあるのよ。あの面倒な制限や制約の所為でね』

『……。そうか』

 あの頃に比べて随分強くなったと思っていたが、アルファに依頼された遺跡の攻略を基準にすれば誤差の範疇はんちゅうなのだろう。そう判断したアキラが少し残念そうにしている。アルファはその様子を見て、少し思案してから続ける。

『でもまあ、確かにアキラもそこそこ成長したわ。だから難易度の目安ぐらいは教えておきましょうか。アキラがあの防衛兵器、巨大な機械系モンスターを自力で対処できるぐらいに強くなったら、私は目的の遺跡の攻略を本格的に検討するわ』

 アキラの表情がゆがむ。

『あれを? 俺だけで? アルファのサポート一切無しで?』

『そうよ。私は一切手を貸さないわ』

『いや、幾ら何でも無理だろう。アルファのサポートがあってもあれを倒すのは無理なんじゃないか?』

『それを自力で対処できるだけの実力が必要なのよ。あの頃に教えなかった理由を分かってもらえたかしら?』

『ああ。よく分かったよ。先は遠そうだな』

 確かにあの頃の自分がそれを知ったら不可能としか思えなかったはずだ。アキラはそう思いながらも、今ならばいずれは何とかなるかもしれないと思ったことに自分の成長を感じていた。

『それでも目指す場所の遠景ぐらいは見えるようになったか』

 自嘲ではなく僅かな期待と自信を表情に乗せるアキラに、アルファが微笑ほほえんで後押しする。

『依頼の達成が荒唐無稽な無謀から、馬鹿馬鹿しいほどの無茶むちゃぐらいにはなったわね。分の悪い賭け程度になったら、遺跡の場所ぐらいは教えてあげるわ。本格的な攻略の開始は、生還の可能性が現実的になってからってところね』

『そうか。無理をしない程度に急ぐつもりだ。それまでよろしく』

勿論もちろんよ。任せなさい。こちらからもよろしくね』

 アキラは頼もしく微笑ほほえむアルファへ、相手への信頼を向けて軽く笑い合っていたが、その表情が急に険しくなった。進行方向の先にカツヤの姿を見つけたからだ。

 珍しく1人で行動していたカツヤもアキラに気付いた。2人の視線が合うと互いの表情が鋭さを増した。互いに相手への心証を分かりやすく表している表情を浮かべている。

 アキラは面倒なやつに会ったという程度の苛立いらだちで済ませている。アキラの敵意は基本的に自分から金を盗んでまんまと逃げ延びたアルナへのものだ。それに付随する何かへの敵意は比較的薄い。少なくとも、ある意味カツヤもアルナにだまされた被害者なのだと認識することで、平静さをたもてる理由になる程度には。

『アキラ。落ち着いてね。彼と殺し合うなとは言わないし、今度は私もサポートするけれど、新装備を手に入れてからの方がより安全に効率よく勝てるのに、その勝率を自分から捨てるような真似まねは止めてほしいわ。それに場所も悪いわ。ここはある程度好き勝手に戦っても問題ないスラム街とは違うのよ』

『分かってる。俺も別にあいつ個人に恨みがあるわけじゃないしな』

 アキラは正面にいるカツヤを大きく迂回うかいするように、少々広い道幅の端まで移動して通り抜けようとする。それはこの場で争う意思はないという意思表示でもあった。

 だがカツヤはそれを無視した。通り過ぎようとするアキラの前まで歩いて険しい表情で呼び止める。

「待て!」

 カツヤの表情にはアキラへの明確な敵意が浮かんでおり、その声には確かな実力を持つハンターの威圧が込められていた。

 カツヤに進行方向を塞がれたアキラが面倒めんどうそうに答える。

「何か用か?」

「これ以上アルナに手を出すんじゃない。人を雇ってアルナを売り渡すように指示を出しやがって。そんなので俺が引くとでも思っているのか?」

「売り渡す? 何の話だ?」

とぼけるな。アルナを渡せば2000万オーラム支払うなんて言いやがって。何を考えてるんだ?」

「だから、何の話だ?」

 全く心当たりがなく怪訝けげんな様子を見せるアキラに、あれはアキラの仕業だったと決め付けていたカツヤが揺らぐ。

「……スラム街で4、5人の男に、ハンターらしいやつまでいた連中に、2000万オーラムでアルナを渡せと言われた。お前が頼んだんじゃないのか? アルナを探すように頼んだんだろう?」

「知り合いにあのスリを見掛けたら教えてくれと頼んだのは事実だ。見つけたからって2000万オーラムも払うかよ。金を払うって約束すらしてねえ。第一、たかがスリの身柄に2000万オーラム支払う馬鹿がいるのか?」

「……そ、それは」

 真っ当なことを指摘されてカツヤがたじろぐ。アキラがめ息を吐いて立ち去ろうとする。そのままカツヤの横を通り過ぎたアキラを、カツヤが我に返ったように振り返って呼び止める。

「……待てっ! 話は終わってない!」

「何だよ。用事は済んだだろう。何だか知らんがお前の勘違いだ。俺は関係ない」

 アキラはヴィオラやシジマ達のことかとも思ったが、あんなことに2000万オーラムも支払うはずがないと考え直して、カツヤの勘違いだと決めつけた。

 カツヤが力強く言い放つ。

「あれがお前とは無関係でも、お前がアルナを狙っていることに代わりはないだろうが!」

「だからなんだ?」

「アルナに手を出すな。もし手を出したら許さない。そう思え」

「そうか。分かったよ」

 あっさりそう答えたアキラに、カツヤがいぶかしみながら確認を取る。

「もうアルナには手を出さないんだな?」

 だがアキラは同じようにあっさり答える。

「いや、見つけたら殺す」

 カツヤが表情を軽い驚きから激しい怒りへ変えて威圧する。

「……ふざけているのか?」

 アキラも真剣で鋭い表情で敵対者への視線を向ける。

「俺はお前の質問にちゃんと答えただけだ。お前こそふざけているのか? 許さない? 俺が死ぬ気で稼いだ金を盗んでいったスリを殺すのにお前の許しがいるのか? それとも許さないってのは、殺されたくなかったら引けって意味か? 分かったよ。俺だって死にたくない」

 自分の要求を飲んだような返答を聞いてカツヤが僅かにいぶかしむ。だがそれもアキラの次の言葉で消し飛んだ。

「だからお前が死ね」

 互いに視線に敵意を込めて対峙たいじする。銃を抜かないのはこの場で争うのは不味まずいと互いに知っているからだ。

「前回は流石さすがに戦力差がありすぎた。だから引いた。次も俺が引くとは思うなよ?」

 アルファが少しあきれた様子で口を挟む。

『アキラ。下手にあおるのも止めてほしいのだけれど』

『聞かれたことを答えただけだ。変に勘違いされないようにもな。分かってるって。この場で殺し合う気はないよ。前みたいにゆっくり離れよう』

 ゆっくり下がっていくアキラを見て、カツヤが僅かな嘲りの表情を浮かべる。

「ふん。口だけでまた逃げるんじゃねえか」

「別にここでお前を殺す理由もないからな。そっちにはあるのなら銃を向けろよ。手間が省けて良い」

 子供とはいえそれなりに装備も整っているハンター同士が対峙たいじしているのだ。周囲の人達が距離を取り始めている。かわりに治安維持を任されている民間警備会社の人間がアキラ達の様子をうかがい始めていた。この場で銃を構えたりすれば、警告無しで撃ち殺されても文句は言えない。

 カツヤが逆上して先に銃を構えれば、アキラも正当防衛だと言い張れる。警備の者達もカツヤの制圧を優先する。今ならアルファのサポートもある。一手遅らせても十分反撃できると考えていた。そのアキラの判断はカツヤにもしっかり伝わっており、カツヤが軽く舌打ちした。

 単にハンター同士の口論にすぎないのか、それとも力尽くで制圧する必要がある事態に発展するのか、それを見極めるために警備の者達が事態の推移を観察していると、2人のハンターがアキラ達に近付いていく。それはエレナとサラだった。

 エレナが少しとがめるように2人に声を掛ける。

「アキラ。カツヤ。こんな場所で何をしているの?」

 エレナ達に気付いたアキラとカツヤが大分意気をがれて警戒を緩める。そしてどことなく困惑気味な様子でエレナ達を見る。

 アルファがどうするべきか思案しているアキラに指示を出す。

『アキラ。彼がエレナ達に気を取られている今のうちに退散しましょう』

『えっ? でも……』

 アキラが自分の立場や状況をエレナ達に説明せずにここから離れるのを躊躇ちゅうちょしていると、アルファが少し険しい表情で確認する。

『ここで何か起こった時にエレナ達を巻き込んでも良いのね?』

 この場で騒ぎを起こさない最も簡単でアキラにも実行可能な手段は、アキラがさっさとここから離れることだ。アキラもそれぐらいは理解できる。逃げるように立ち去るのは少々しゃくだが、エレナ達を巻き込むよりはましだ。そう判断するとエレナ達に軽く会釈して手短に告げる。

「すみません。急ぎますので失礼します」

「ちょ、ちょっとアキラ?」

 エレナが少し驚いて呼び止めるが、アキラは駆け足でその場から立ち去った。サラもアキラの態度を何となく意外に思って不思議そうにしている。そしてカツヤは去っていくアキラをにらみ付けていた。

 エレナ達は比較的親しい者達が下位区画で険悪な様子で対峙たいじしていたので様子を見に来たのだ。こんな場所で騒ぎを起こせば大変なことになる。どちらもハンターなのだ。事が起きてしまえば、そこらの一般人の乱闘などとは比べものにならない被害が出る。自分達が制止すれば止まる程度のことならば止めようと思って声を掛けたのだが、その片方は逃げるように去ってしまった。

 仕方がないので残っている方から事情を聞こうと、サラが意図的に軽い感じで声を掛ける。

めていたみたいだけど、何かあったの?」

 サラはとがめる様子もなくちょっとした疑問を尋ねるように軽く笑っていた。それはカツヤを落ち着かせるための気遣いであり、同時に軽く笑って流せる程度のことであってほしいという思いからだ。

 だがカツヤはある程度落ち着きを取り戻した上で怒りを表に出して答える。

「あいつが俺の友達を殺そうとするのを止めていました」

 エレナとサラが険しい表情で顔を見合わせる。エレナ達の予想を超える相当な厄介事だったからだ。エレナが真面目な表情で交渉人としての意識を強くしてカツヤに尋ねる。

「詳しい話を聞いても良いかしら」

 カツヤは大きくうなずくと、多分に私的解釈の交ざった事情をエレナ達に説明した。エレナ達は表情を大きく曇らせた。

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