第226話 見舞い客

 アキラは腕の再生治療を終えるまで入院することになった。腕の培養と結合手術を含めて3日ほどの予定だ。その1日目、病室にキバヤシが連れのアラベと一緒に現れる。

 自分を見て面倒そうな顔を浮かべるアキラの様子に、キバヤシが楽しげに笑う。

ひでえやつだな。見舞いに来てやったってのに、そう邪険にするなよ」

「じゃあ何でそんなに楽しそうなんだよ」

「そりゃお前がまた無理無茶むちゃ無謀を派手にやったからだ」

「好きでやったわけじゃない。その話を態々わざわざ聞きに来たのか?」

「そうだ、と言いたいところだが、仕事が先だ。紹介しよう。こちらはドランカムのアラベさんだ」

 アラベがアキラに丁寧に頭を下げる。

「アラベと申します。本日はキバヤシさんに仲介をお願いして、急で失礼とは思いますが、今回の件についてアキラさんといろいろお話をさせていただきたく伺いました。よろしくお願いします」

 アキラはカツヤ達を殺した文句でも言われるかと思って警戒していたが、妙に低姿勢なアラベの態度に軽く戸惑う。そこでキバヤシが笑って話し始める。

「ドランカムとの話を進める前に、俺がお前にいろいろ前提情報を説明しておこう。あの大規模遺跡探索で何があったのか。お前が眠っていた間に何があったのか。その辺の認識を合わせておかないと話にならないからな」

 戸惑いはあったが確かに気になることでもあったので、アキラは大人しく話を聞くことにした。

 大規模遺跡探索に参加したハンター達はツバキによる突然の通信障害により混乱していた。だが今回の遺跡探索に参加できるほどの者は基本的に相応の実力者ばかりだ。技量の劣る者もいないわけではなかったが、基本的に統率の取れた部隊の一員として参加していた。本来なら通信障害程度のことでそこまでひどい混乱に陥ることはなかった。

 だがツバキがその混乱に拍車を掛けた。事前に取引したハンター達に他のハンター達を襲わせたのだ。部隊単位で他の部隊を襲う者。部隊の中から裏切る者。更にはティオルのように事前に用意していた襲撃者達。それらが一斉に動き出し、全体の統率を著しく狂わせた。

 その混乱の中で仲間と同じ顔をした者に襲われる者も出た。その正体はヤツバヤシに顔を整形させた人型端末達だ。通信障害下で辛うじてつながる短距離通信では、仲間が遺跡側について突然襲いかかっていたなどという悲鳴が飛び交っていた。加えてツバキの誘導でモンスターが殺到し、都市の人型兵器が空中で撃破されて落下していく。当初の統率など完全に失われていた。

 ツバキと取引をした振りをして都市側に情報を流した者もいたが、その情報は全く意味を成さなかった。遺跡の管理者と取引をした者がいるという情報は、仮設基地襲撃時に既に確認されており重要視されなかった。加えて都市側に提供された情報も具体性に欠ける内容ばかりだった。実際に裏切った者も詳細を知ったのは通信障害発生の少し前で情報端末経由だ。

 その情報を受け取った直後にそれを都市に流そうとした者もいた。だが既に都市への長距離通信を限定的に封鎖されていた。そしてその者は、ツバキの指示で他の取引者達により真っ先に始末された。

 混乱により組織的な抵抗が困難になったハンター達の被害は甚大だった。裏切りを誘う亡霊は、怪談になるだけの事態をあっさりと生み出した。

 そこまでの被害を出した後で、ヤナギサワがツバキと取引をして休戦を結んだ。加えて都市は関係者達に、都市に対しても、他のハンター達に対しても、遺跡側に対しても、今回の件の遺恨による報復等を禁じる声明を出した。実際に裏切った者もいれば、誤解で殺し合った者もいる。その遺恨で、ハンター同士で殺し合うにしろ、ツバキへの復讐ふくしゅうために再度該当区域に侵入するにしろ、被害が更に拡大する。その更なる被害を防ぐ名目で、都市は防衛隊を派遣して該当区域の周辺の封鎖まで実施した。

 キバヤシはそれらの話を多少省略しながらアキラに説明した。キバヤシも全てを知っているわけではないので概略でしかないのだが、アキラの顔を引きらせるには十分な内容だった。

 そこでアキラが少し気になったことを尋ねる。

「名目って言ってたけど、都市が防衛隊を派遣して封鎖した理由って、別に何かあるのか?」

「ん? 別にその理由がうそって訳じゃない。ただまあ、他の理由を邪推は出来るってことだよ。勿論もちろん、俺の推測であって、鵜呑うのみにされると困る。それでも聞きたいか?」

 明らかに興味を誘っているキバヤシの話振りに、アキラは分かっていながらも興味を持った。

「……聞きたい」

「それならアラベさんとの話を前向きに考えると約束してもらおう」

「その話を聞いてもいないのにか?」

 不満をあらわにするアキラに、キバヤシが笑いながら軽い様子で答える。

「別に無条件で首を縦に振れとは言わねえよ。俺の話を聞いた義理の分だけ前向きに考えて、それでもやっぱり駄目って言うのなら、それで良い。その程度の話だって」

「まあ、そういうことなら」

「よし」

 大した話ではない。そう印象付けて、キバヤシは高ランクハンターに内容も知らない条件に対して譲歩させた。その手腕にアラベが内心で冷や汗をいていた。

「改めて言っておくが、全ては俺の推測だ。都市の防衛隊まで派遣して封鎖してるんだ。多分、ただじゃないんだろう。遺跡側に費用を請求するはずだ」

「ああ、そういうことか。分かったぞ。それでコロンを稼ぐんだな?」

 様々な知識を得て、アキラもそれぐらいの推測は出来るようになっていた。そして自信のある推測に少し得意げな様子を見せていると、それをあっさり否定される。

「いや、俺の勘だが、恐らくオーラムで請求するはずだ」

「オーラムで請求って、遺跡の管理人格はオーラムなんて持ってないだろう」

「その通りだ。だから支払いのために、あの遺跡の都市にある不要品とか廃棄品とかをオーラムで値を付けて都市側に売るはずだ。遺跡側はそのオーラムで該当区画の封鎖の費用、つまり管理人格の管理区域の防衛費を支払うわけだ。これで都市と遺跡側で金の流れが出来る。これはつまりどういうことかというと、なんと、クガマヤマ都市では、本来コロンでしか買えないはずの旧世界製の品々を、企業通貨でしかないはずのオーラムで買えますってことになる」

 キバヤシが表情を少し真面目なものに変える。

「これがどれだけの意味を持つか分かるか? オーラムの発行元の坂下重工は大喜び。滞っていた支援は一気に再開。旧世界製の品々を求めて周辺の金がクガマヤマ都市に集中。投資額も一気に膨れ上がる。都市にどれだけの利益をもたらすか見当も付かねえよ。この中心になっているのは遺跡側との交渉を成功させて、今は遺跡側との仲介役にもなっているヤナギサワ主任ってやつなんだが、もうこのクガマヤマ都市であいつに逆らえるやつはいねえな。何でそんなり手がこんな地方都市にいるんだか。そこはさっぱりだな」

 アキラが驚きながらも僅かに怪訝けげんな様子を見せる。

「その、遺跡の管理人格と交渉できるって、そんなにすごいことなのか?」

「ああ。お前の想像以上に、物すごいことだ。その手腕の程度にもるが、大企業からスカウトが殺到して、5大企業の本社ビルでふんぞり返って働けるぐらいにはすごい。特に統治系の管理人格との交渉は困難をきわめる。あ、所謂いわゆる管理人格ってのには結構種類があるんだ。企業系の管理人格は比較的、それでも大変なんだが、そこそこ取引が成立しやすい。要は商売人だからな。相手が誰でも金さえ持ってれば取引しますよって姿勢のやつも多い。金が無くても、じゃあ物々交換でもいいやって、向こうも利益を出すために譲歩してくれることもある。だが統治系の管理人格は、そういうのとは思想の根本が違う。なに勝手に人の土地に住み着いてるんだ。ぶち殺すぞ。って思考が基本の所為せいで、取引なんてまず成立しねえんだよ。その分、取引に成功すれば利益も桁違いだ。何しろ、場合によっては旧世界の司法や行政、その秩序に介入できるんだからな」

 アキラは納得して感心したように首を軽く縦に振っていた。キバヤシはそのアキラの様子に満足すると、話を切り替える。

「俺の話は一旦終わりだ。じゃあ、次はアラベさんと話してくれ」

「ああ、分かった」

 アラベが少し緊張した様子で話し始める。

「改めまして、ドランカムの交渉役のアラベと申します。本日はドランカムとアキラさんの和平交渉のために伺いました」

 予想外の内容にアキラが軽くたじろぐ。

「わ、和平って、何かすご大袈裟おおげさですね」

「気負う必要など御座いません。ドランカム側にはアキラさんと敵対する意思など無い。その意思の表れとお考えください」

 アラベが出来る限り愛想良く笑って話を続ける。

「先ほどのキバヤシさんの話にもありましたが、都市から大規模遺跡探索の参加者同士で遺恨を、要は更なる被害の元を残さないように、との通達がありました。詳細は調査中ですが、我々もアキラさんとこちらに所属しているハンターの間で、著しい誤解に起因した非常に不幸ないさかいがあったことは把握しています。これを新たな争いの火種にしないためにも、ドランカムとしてはアキラさんと正式に和平を結んでおきたいと考えております。ハンターオフィスを介した和解書を用意しました。内容を御確認の上、是非とも署名を御願い致します」

 アキラはアラベが差し出した和解書を受け取って内容を確認しようとする。だが相変わらず中身を全部読ませるつもりなど毛頭無いような細かい文面が続いていたので、いつものようにアルファに助けを求めた。

『細かく書かれているけれど、内容は普通の和解書よ』

『分かりにくい条件がこっそり書いてあって、うっかり違反すると大金を請求されるとか、そういうのは無いのか? 他には変な制限を要求されるとか』

『その手の記載は見当たらないわ』

『そうか』

 アキラもこれが真っ当な和解書であることは理解した。だがすっきりしない気持ちは残っていた。

「アラベさん。やっぱりちょっと大袈裟おおげさっていうか、都市がめるなって通達を出しているのに、こんな和解書が要るとは思えないんですけど……」

 カツヤを含めてドランカム所属のハンターをあれだけ殺したのだ。ドランカムが総出で自分を殺しにきてもおかしくない。そう考えていた所為せいで、アキラはアラベの提案を自身に都合が良すぎると捉えてしまい、そこからどうしても裏を疑ってしまった。

 アラベは愛想良く笑いながら、裏で必死に返答内容を考えていた。そして良い返答をなかなか思いつけない沈黙の所為せいで、アキラが疑いを深めようとする。するとそれに気付いたキバヤシがすかさず口を挟む。

「ぶっちゃけるとだな、ドランカムはいろんなやつを黙らせる書類が欲しいんだよ」

「書類?」

「ドランカムは都市からも結構融資を受けている。だから何かあると懸念という形でごちゃごちゃ言われるんだ。俺らの言うことをちゃんと守ってるのかってな。今回の通達もそうだ。高ランクハンターと死者まで出るほど派手にめましたってのを、ちゃちな交渉人の口約束みたいな交渉や、紙切れみたいな書類で解決したって言っても、それで本当に大丈夫なのかって疑われるんだよ。だから態々わざわざハンターオフィスを介した書類を用意したんだ。それなら都市も文句は付けられねえからな」

 アキラが納得したように僅かに首を縦に振る。

「あー、そういうことなのか」

「付け加えれば、これはお前にも十分利益がある話だ。ドランカムは組織としてはお前とめる気は無い。だが各構成員の全員が割り切っているかと言われれば、そりゃ微妙なところはあるさ。それだけの死人が出たんだからな。で、その納得いってない連中がごちゃごちゃ言ってきたら、お前はその和解書を盾にしてドランカムに文句を言えば良い。それでドランカムは必死になって対処する。ハンター徒党がハンターオフィスの和解書を無視したと知れ渡れば、組織としてやっていけなくなるほどの損害が生まれるからな。そしてお前にも、これだけのめ事を冷静に理性的に対処したという前例が付く。ハンターなんてチンピラと変わらないと思っているやつも多い中で、その手の信用は大切だ。前例があると得だぞ」

 キバヤシはそこまで話してから表情を少し真面目なものに変える。

「それとなアキラ。お前はそろそろ自分の評価を変に軽んじるのはめろ。スラム街出身で、何だかんだとめられていた頃の感覚が残っているんだろうが、その感覚はもう捨てろ。過去がどうであれ、お前は間違いなく高ランクのハンターなんだ。俺なんかにこんな書類を用意する必要があるのか、なんて思ってるんだろうが、普通のやつの感覚なら、お前はそんな仰々しい書類を用意してでもめたくない相手なんだよ。踏ん反り返れとは言わないが、自分からめられるような真似まねはよせ。お前にとっても、周りのやつにとっても、良いことはない。誤解の元になって面倒事が増えるだけだぞ」

 アキラは真面目な表情でキバヤシ、アラベ、書類へと視線を順に移した。そして自分の中に新たな納得が生まれたことを自覚すると、書類に署名してアラベに渡した。

「ありがとう御座います。では、私は社内の手続き等がありますので、これで失礼いたします」

「アキラ。俺も帰る。お前の無理無茶むちゃ無謀話をじっくり聞けないのは残念だが、これでも結構忙しいんだ。じゃあな」

 アラベは丁寧に頭を下げて、キバヤシは軽く手を振って病室から出て行った。

 アキラが和解書の控えを見ながら感慨深げにつぶやく。

「……俺も結構強くなったわけか」

 アルファが自慢げに笑う。

『私が鍛えているのだから当然よ。でも、その程度で満足してもらっては困るわよ?』

『分かってるって』

 アキラも軽く笑って答えた。そこには自身の強さを受け入れた者の姿があった。


 アラベが病院の廊下を歩きながら安堵あんどの息を吐く。

「キバヤシ。まずは礼を言っておく。本気で助かった」

「言っとくが、貸しだぞ? 結構デカいからな」

「分かってる。あれだけめたってのに、賠償無しでハンターオフィスを介して和平を取れたんだ。十分だ」

 アラベはアキラには詳細は調査中と説明したが、既にドランカム側は遺跡での出来事の概略ぐらいは把握していた。

 都市は遺跡からハンター達を生死問わず回収し、情報収集機器のデータなどを収集して事態の全容調査を進めていた。加えてヤナギサワを介してツバキからも情報を得ていた。それらの情報により、事態の全容はまれに見る精度で明らかになっていた。

 ドランカムは都市からその調査結果の一部を受け取り、アキラとカツヤ達の交戦の経緯を把握した。アラベがその内容を思い出してめ息を吐く。

「編集済みの閲覧制限部分も多かったが、カツヤ達が誤解でアキラを襲ったのは確定だ。たっぷり賠償を請求されても文句は言えねえよ。しかも下手をすればその賠償交渉にあのヴィオラが絡んでくるんだ。洒落しゃれにならん。だが先んじてハンターオフィスを介して和解したんだ。この後に絡まれても被害は大幅に軽減できる。これだけでも大きい。……アキラから賠償を求められなかったのは意外だった。余り金に固執しないタイプなのか?」

 キバヤシが少し楽しげに脅かすように笑う。

「俺好みの無理無茶むちゃ無謀を繰り返すやつだ。借り貸しは金より命で清算するタイプなのかもな」

「勘弁してくれ……」

 ハンターが交渉決裂後に相手を襲うことは間々ある。東部は最終的には武力が物を言う世界だ。荒野は当然として、防壁の外側もその傾向が高い。高ランクハンターとの交渉をしくじり、武力行使に出た相手を返り討ちにしたものの、施設や人員に多大な被害を出してしまい倒産に追い込まれた企業も多いのだ。

 アキラがドランカムを襲えばどれだけの被害が出るか。アラベがその被害を想像して軽く頭を抱える。キバヤシはそのアラベの様子に、借りの大きさを十分に理解させたと判断して満足すると、少し話題を切り替える。

「それで、ドランカムは今どんな感じなんだ? 折角せっかくデカい貸しを作ったんだ。それを返してもらうためにも、ドランカムには潰れてもらっては困るんだがな」

「正直に答えると、非常にごたごたしている。カツヤが死んだ影響が大きいんだ。変な話だが、俺も含めて幹部連中には、カツヤは死なないと思っていたやつが多くてな。カツヤが生きている前提で、長期的な契約を結んでいたやつもいた。それがカツヤの死で全部引っ繰り返った。ハンターなんだ。死ぬ時は死ぬ。その当たり前のことを、何で今まで無視していたんだか……」

 思い込みや盲信とはそういうものだと思いつつも、普通ならもう少し最悪の事態を考慮して備えるはずだと、アラベはいろいろとに落ちていなかった。キバヤシがそのアラベの様子に苦笑する。

「ドランカムに内紛を起こしたぐらいなんだ。その常識を無視できるほど、才能にあふれた人物だったってことだろう。一度じっくり話してみたかったが、結局その機会はなかったな」

「お前の無理無茶むちゃ無謀に付き合わせて死なれちゃ困るから、ミズハあたりが意図的に遠ざけていたんだろう。今思えば、お前に会わせて、ちょっとは無理をさせて、変な幻想を取り除いておくべきだったか。まあ、後の祭りだ」

「その後悔は、まだ手遅れにならない部分に回すんだな。死んだカツヤ君は大層慕われていたんだろう? ハンター間の抗争を折角せっかく治めたのに、不満を持つ者が知ったことじゃないと復讐ふくしゅうを企てた事例は有り触れてるんだ。気を付けろよ。対応を誤ると、折角せっかくの和解が台無しだぞ」

「分かってる。一応、アキラに先に譲歩させた形になったんだ。それを盾にして、カツヤのチームのやつらにもハンターオフィスを介して個別に和解させるつもりだ。拒否したらドランカムから排除する。連中の装備品はドランカムからの貸出品なんだ。流石さすがに素手でアキラに殴りかかるような馬鹿はいないだろう。まだ昏睡こんすいから目覚めていないやつもいるし、順に少しずつ対処する予定だ」

 アラベが今後の作業量を想像してめ息を吐く。キバヤシは1人のハンターの生死が生み出した影響の大きさにハンター稼業の妙を見いだして楽しげに笑っていた。


 アキラの入院生活2日目。担当医が円柱状の水槽を運んで病室に入ってきた。水槽には腕が浮かんでいる。培養中のアキラの腕だ。

 担当医はアキラの義手の設定を変更して水槽の中の腕と連携させると、アキラに培養中の腕の調子を確かめるように頼んだ。

 アキラは義手から水の感覚が伝わってきたことに少し驚いた後、腕をいろいろと動かし始めた。水槽の腕は義手に比べて動きに鈍さがあるが、ある程度は普通に動いていた。自身の体とつながっていない腕が自分の意思で動くことに少し奇妙な感覚を覚えながら、手を閉じたり開いたり、指を順に立てたりといろいろと試していく。

 しばらく腕を動かしていたアキラがちょっとした思い付きを試す。義手と水槽の中の腕を別個に動かし、立てる指の数や種類を変えてみる。少し難しかったが、すぐに出来るようになった。

 担当医はそれを見て少し感心したような顔を浮かべていたが、我に返ると慌ててアキラを止める。

「あ、駄目です! そういうのはめてください! 腕をつなげた後に、脳が腕の認識を誤ってこんがらがりますよ!」

「す、すみません」

 アキラは慌てて義手と水槽の腕の動きを元に戻した。担当医が軽く息を吐く。

「それにしても、随分器用ですね。普通は出来ないんですが……」

「強化服で似たようなことをやっていたので、ちょっと試したら出来てしまいました」

「そうですか。……それだけ器用なら、腕を増やす訓練でもしますか? 生身は2本腕でも、強化服は4本腕。そういうものもありますよ? 普通は本来存在しない腕を動かす訓練が大変なんですが、それだけ器用なら大丈夫でしょう。その手の商品に訓練込みでつてがありますので、何なら紹介しますが……」

「いえ、結構です」

「そうですか」

 担当医はどことなく残念そうな顔をした後、義手の設定を元に戻してから、培養中の腕を運んで戻っていった。

 どことなく安堵あんどしているアキラを見て、アルファが楽しげに笑う。

『なかなか面白そうな提案だと思ったけれど、アキラは嫌なの? 腕があと2本ぐらいあれば便利だと思ったりしない?』

『確かに便利かもしれないけど、強化服の4本腕に慣れ過ぎて、生身の2本腕に不満を持ち始めたら大変だ。下手をすると際限なく腕が増えそうだ。現状2本腕で不満は無いんだ。えて増やす気は無い』

『そう? まあ、無理強いはしないわ。その辺は好みだからね』

『好みって、アルファだって腕は2本だろう』

『増やしましょうか?』

『やめてくれ』

 やってみろ、と答えればこれから4本腕の女性と一緒に生活することになる。絶対に非常に気になるので、アキラは本気で止めていた。

 その後、見舞客が団体でやって来た。シェリル達だ。イナベ、ヴィオラ、ヨドガワに混ざって、エリオやシジマまで混ざっている。もっとも本気で見舞い目的で来たのはシェリルぐらいだ。そしてそのシェリルも、アキラには後ろ盾が死んでいないかどうかの確認ぐらいにしか思われていなかった。

 見舞いでは有り触れた閑談を軽く済ませた後、個別に用がある者が他の者に席を外してもらってアキラと順に話し始める。まずはイナベだった。

 アキラはイナベからの依頼で大規模遺跡探索に参加した。そして理由はどうであれ、何の成果も残せなかった。その文句でも言われるのかと思っていたのだが、予想に反してイナベは成功報酬として約束していた装備のつてをアキラに提供すると言い出した。

 その大盤振る舞いに流石さすがにアキラも怪訝けげんに思う。

「いや、それはすごく助かるんだけど、良いのか?」

「ああ。元々そのつては、大規模遺跡探索が失敗に終わって私が失脚すれば提供できないものだったのだ。そして経緯はどうであれ、私は失脚を免れた。予想外のことだったとはいえ、私の都合で死地に送り込んだのだ。迷惑を掛けたびだと思ってくれ」

「随分気前が良いんだな」

「……少々複雑な気分だが、気前の良くなる理由もあってね」

 イナベがめ息を吐き、苦笑いを浮かべる。

「今回の大規模遺跡探索だが、誰の手柄かという点を無視すれば、意外に思うかもしれないが、あれだけの被害を相殺しても有り余る大成功に終わった。その辺の説明は必要か?」

「いや、特には。ヤナギサワ主任って人が遺跡の管理人格と交渉して、オーラムで旧世界製の品を買える手筈てはずを整えたから、都市に物すごい利益が出るって話はちょっと聞いたけど」

 イナベが意外そうな顔を浮かべる。

「そこまで知っているのか。君も意外な情報のつてを持っているのだな。それなら説明は不要か。それで防衛隊まで派遣して立入禁止にした区域だが、そこは私の担当区画だ。それで、権限の大本おおもとをヤナギサワに握られているとはいえ、私の権限も十分に強まった。私が失脚を免れた理由だ。むしろ昇進したと言っても良い。ヤナギサワの配下扱いという点が非常に残念ではあるがね」

 イナベが無意識に険しくなった顔をなだめるように軽く顔に手を当てて、軽く息を吐いて表情を戻した。

「まあ、そういう訳だ。要らないと言うなら押し付ける気は無いが、つては提供しよう。君の感覚で、成果を残していないのに報酬を受け取るのが心苦しいと言うのなら、代わりと言っては何だが、1つ頼みがある。シェリルに君は怒っていないと伝えてくれ。私の都合で彼女の組織の後ろ盾を病院送りにした訳だからな。私は彼女とも仲良くやっていきたいと思っている。だからなだめておいてくれると助かる」

「そういうことなら、分かった」

 アキラはイナベがシェリルとの関係をそこまで重視していることに少し驚きながらも、今のシェリルなら不思議はないかとも思って、軽く笑って答えた。

 だがイナベはどちらかと言えばアキラとの関係を重視していた。イナベもアキラとカツヤ達の戦闘についてはかなり詳しく把握している。ドランカムの精鋭を1人で潰すようなハンターとつながりを持っておいて損は無い。そしてシェリルがアキラの意向に逆らえないことにも気付いている。シェリルの徒党を通しての今後の金策のためにも、アキラとの関係は重要だった。

「そうか。では、私はこれで失礼する。つての件は私からキバヤシに伝えておこう。これからも君と良い関係を築けることを期待しているよ」

 イナベはアキラの返答に満足すると、そう言い残して帰っていった。

 入れ替わるようにヨドガワが病室に入ってくる。ヨドガワは完全に営業に来ていた。

 アキラの強化服は同じ病室にひどい破損状態のままでつるされていた。退院後にシズカの店に持ち込んで修理を頼む予定だ。

 だがヨドガワはアキラに執拗しつように買い換えを勧めた。現在の強化服を下取りに出して自社製品を購入した方が絶対に良いと熱心に勧めた。シェリルとのつてを持ち出し、高ランクハンターへの割引を提示し、期間限定キャンペーンの適用をほのめかし、その他様々な理由を持ち出して、高額高性能な高級品に対して、自社製品とはいえ本来有り得ない値引きを提示した。その熱意はアキラがたじろぐほどだった。

 勿論もちろんこの話にはヨドガワの事情が、正確には機領の事情がある。自社製品の装備で構成された部隊を蹴散らしたハンターに、他社製品を愛用されては困るのだ。

 既に機領側もカツヤ達がアキラに倒されたことはつかんでいた。通信障害下という総合支援強化服の本来の性能を引き出せない状況だったとはいえ、たった1人に倒されたことに違いは無い。そして機領にとっては都合の悪いことに、アキラの強化服は他社製品だ。

 今回の大規模遺跡探索は話題性に富んでいる。アキラとカツヤ達の戦闘も目聡めざとい者は嗅ぎ付ける。装備の性能は勝敗を絶対的に決定付けるものではないが、常識的な判断をするならば勝敗にそれなりに高い影響を与える。その勝者であるアキラが他社製品を愛用して他社の営業に丸め込まれ、機領の総合支援強化服など大したことはなかった、などと口にすれば大変な影響が出てしまう。逆にこの戦闘の経験から機領製の強化服に乗り換えたとなれば、自社製品に大きなはくが付く。

 機領はこの窮地を乗り越えて逆に利用するために、赤字前提の割引を宣伝費と割り切って、ヨドガワに何としてでもアキラに自社製品を使わせるように指示を出していた。

 他人の事情がどうであれ、高級品を採算度外視の安値で手に入れられるアキラには得しか無い話だ。だからこそ、アキラにその話を断られたヨドガワは非常に焦っていた。その理由が、装備は馴染なじみの店で買いたいから、という内容だったのが、ヨドガワの焦りに拍車を掛けた。

「そ、それなら、その店から当社に注文を出しては如何いかがでしょうか?」

「うーん。でも、シズカさんに装備の相談とかもしたいしな」

 アキラはシズカの店でシズカに相談して装備を調達するという流れにこだわっている。要はげんを担いでいるのだ。例外はキバヤシとイナベの伝で手に入れようとしている装備だけであり、ヨドガワをその例外に含めるつもりはなかった。

 そしてヨドガワは、その手のげん担ぎに固執するハンターには値引きなど全く意味を成さないと知っていた。常識的な判断ならどう考えても頭部装備を付けた方が安全なのに、自身の勘に、こだわりに従って、その類いの装備を絶対に使用しない者も多い。自身の勘に命を預けて荒野に飛び込む者達にとって、そのこだわりは金では相殺できないのだ。

 ヨドガワはこの場でのアキラの説得を諦めた。

「分かりました。残念ですが、今日はこれで失礼します。気が変わりましたらいつでも連絡してください」

「あ、はい。すみません」

「いえ。お気遣い無く」

 アキラは少し拍子抜けに思ったが、余り気にせずにヨドガワを見送った。ヨドガワは病室から出ると、焦りながら次の交渉先に急いだ。

 続けてヴィオラがシェリルと一緒に入ってくる。そしてアキラにドランカムとめた件で賠償を求めようと持ち掛けた。だが既にドランカムと和解が成立していることを聞かされると、意外そうな顔を浮かべた後に不満げに顔をゆがめた。

「私が先を越されるなんて、なかなかのり手がいるようね。その交渉に来た人を聞いても良いかしら」

「嫌だ」

 交渉の余地を欠片かけらも見いだせないアキラの返事に、ヴィオラがいつもの微笑ほほえみを浮かべる。

「あらひどい。随分冷たいわね」

「そんな台詞せりふは、温かみのある言動を備えてから言ってくれ。一番に口にした言葉が賠償請求って何なんだよ」

「何を言っているのよ。大変な目に遭ったアキラを気遣う温かな言葉でしょう? 私に任せてくれれば、今からでも何とかしてみせるわよ?」

「ヴィオラに頼むほど破滅してほしいやつはいないし、いたらまずは自分で始末を付けるよ」

 どこか嫌そうな顔を浮かべているアキラとは対照的に、ヴィオラは少し楽しげだった。

「そう? まあ、気が変わったら私に言ってちょうだい。格安で請け負ってあげるわ。それじゃあ、ここにいても意味はなさそうだし、帰るわ。じゃあね」

 ヴィオラが軽やかな足取りで帰っていく。別の獲物でも見付けたのだろうか。アキラが何となくそう思って不審な視線を病室のドアに送っていると、シェリルがアキラのすぐ隣に座り、じっと見詰めてきた。

 数秒、無言で見詰め合う。恋人同士であるならば、相手を引き寄せて抱き締めるなり、もたれて寄り添うなりしても不思議のない光景だ。だがアキラは動かず、シェリルは踏み込めなかった。

「……改めて、ですけど、無事で良かったです。いえ、無事じゃ、ないんですよね」

「ん? 無事で良いと思うぞ」

「でも、その、腕とか。その腕は義手なんですよね?」

「そうだけど、再生治療を頼んだから明日には生身の腕になる予定だ。生身の腕は培養中で、明日手術でくっつけるんだ。今日は新しい腕の動作確認みたいな感じで、培養中の腕を義手の操作を介して動かしたりもした。なかなか面白かった」

「ちゃんと治るんですか。それは何よりです」

「ああ。だから無事で良いと思うぞ」

「でも、病院送りになって無事ってのも変な気がします」

「そうか? うーん。でも、腕の負傷を除けば、前に病院送りになった時の方がはるかに重傷だったんだよな。あの時は本気で危なかったらしいし。そういう意味じゃ、今回は十分無事の範疇はんちゅう……」

 アキラは強がりでも誇張でもなく、普通にそう答えていた。だがシェリルはそこに狂人の狂気を見た。死地を駆け続け、死線をくぐり抜け続け、生死の境を見過ぎた者の末路。危険に慣れすぎて、断崖絶壁の端に平然と立ち、落ちれば死ぬと分かった上で、底を躊躇ちゅうちょ無くのぞき込める破綻者。その片鱗へんりんだ。

 心の支えにしているおもい人は今までもずっと死のそばに立ち続けている。それは恐らくこれからも変わらない。そして自分にそれを止める術はない。誰よりも大切な人を突然失う恐怖に、これからもずっとおびえ続けなければならない。シェリルはその不安に耐えきれず、思わずアキラを抱き締めた。

「……死んじゃ嫌です」

「ああ。俺も死ぬ気は無い」

「……死んじゃ嫌です」

「いや、大丈夫だって」

「……死んじゃ、嫌です」

 シェリルの声は泣き声のようにか細いものになっていた。アキラが少し迷ったような様子を見せた後、シェリルをゆっくりと抱き締める。

 この抱擁には自分を落ち着かせる意味しかない。シェリルはそれを分かった上で、その温かさにすがった。

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