第292話 キバヤシからの呼び出し

 アキラはリオンズテイル社との騒動を乗り切り、クガマヤマ都市からのモンスター認定も500億オーラムの賞金も取り下げられた。これでようやく坂下重工から装備が届くのを待つだけの状態に戻ったところで、キバヤシから連絡が入る。呼び出された場所はクガマビル1階のレストランだった。

 料理の注文を済ませたテーブルで、私服のキバヤシがアキラに向けて楽しげに笑う。

「それにしても、お前は今回も派手にやったな。お前が防壁をぶち抜いて都市を相手に派手にやり合う展開にはならなくなりそうだったから、実はちょっと消化不良になるかと思ってたんだが、対滅弾頭もちゃんと撃ったし、あんな訳の分からん巨人の群れも出てくるし、大満足だ」

 アキラはつまらなそうな表情を浮かべている。

「そりゃ良かったな」

 そのアキラの態度を、キバヤシは全く気にしていなかった。

「ああ。お前ならやってくれると思ってたぜ。しかも坂下重工から装備が届く前だってのにあの騒ぎなんだ。届いた後はどれだけの騒ぎになるんだ?」

「騒ぎが起こる前提で考えないでくれ」

 そう言って嫌そうな顔を浮かべたアキラに、キバヤシはそれは無理だろうとでも言うように、そしてそれが無理な理由はアキラにあると言うように、楽しそうに笑った。

 アキラがめ息を吐く。騒ぎが起こった原因が自分にもあると分かっている分だけ、そのめ息は少し深かった。

「……まあ、カツラギを通して装備や弾薬を用意してくれたのは助かったよ。あれが無かったら危なかった。そこは真面目に礼を言っとく」

「気にするな。俺とお前の仲じゃないか。その分楽しませてくれれば良いって」

 アキラとしてはキバヤシを楽しませるような事態にはしたくない。その気持ちが嫌そうな表情となってアキラの顔に出る。だがそれもキバヤシを上機嫌にさせる効果しかもたらさなかった。アキラがもう一度め息を吐き、気を切り替えるように別の話題を出す。

「それにしても、よく対滅弾頭なんて用意できたな。あれ、そう簡単には調達できない弾なんだろう? あの時の俺は都市からモンスター認定を受けてたのに、普通そんなやつに対滅弾頭なんて渡せないんじゃないか?」

「ああ、あれか。あれは俺も驚いた」

「驚いたって……、あれを用意したのはキバヤシだろ?」

「まあそうだが、厳密には違う。対滅弾頭を撃ったお前も分かってるだろうがあの威力だからな。俺の力じゃ幾ら頑張ったところで調達なんか出来ない」

「……じゃあ何でその対滅弾頭が用意できたんだ?」

 不思議そうな顔を浮かべたアキラに向けて、キバヤシが意味深に笑う。

「俺の力でも対滅弾頭を調達できるように、裏で手を回したやつがいたってことだ。それも、あの時のお前の立場から考えて、防壁に対滅弾頭を撃ち込んでほしいやつがだ。最終的に対滅弾頭がお前に流れることぐらい分かった上での工作だろうから、まあそうなる」

「あの対滅弾頭は……、俺に都市の防壁を撃たせるために用意されたものだったってことか?」

 驚きをあらわにしたアキラに、キバヤシは仕掛けの裏側を楽しげに語るように話していく。

「まあ、多分だけどな。そもそも俺の当初の予定だと、お前には坂下重工から装備が届くまで待ってもらって、その後に派手に戦ってもらうつもりだった。俺がお前に装備やら弾薬やらを提供したのも、弾薬不足で追い詰められたお前が自棄やけになって行動するのを抑えるためだ。クガマヤマ都市には、お前のその暴挙を抑えるために必要なこと、導火線を引き伸ばすためだって説明してな。そして坂下重工から装備が届いたら、お前には防壁襲撃の決行日時を大々的に公言してもらうつもりだった。そうすれば都市側も万全の準備を整えて迎撃できるし、建国主義者とかも売名込みでお前に協力を持ち掛けて戦うだろうし、それはもうすごい騒ぎになってたはずだ。その前段階の工作として、俺を介して対滅弾頭をお前に供給するルート構築の一環だった可能性も……」

 それが実現していれば、敵も味方も対滅弾頭を用いての戦闘となり、防壁の外側など全て消し飛んでいた恐れもある。そのような話を嬉々ききとして語るキバヤシの様子に、アキラは少し引いていた。しかしその戦闘の契機となったのは自分であり、戦闘開始の引き金を引くのも自分だろうということもあって、一概にキバヤシを非難は出来なかった。代わりに別のことを尋ねる。

「なあ、キバヤシも一応は都市の職員なんだろ? そんなことやって大丈夫なのか?」

「ん? 過程や方法の意味で聞いてるなら全然大丈夫じゃない。何しろ都市からモンスター認定受けてるやつに対滅弾頭を提供したんだ。下手をすれば都市から賞金を懸けられても不思議は無いぐらい危ない橋を渡ったな」

 あっさりそう言われて呆気あっけに取られていたアキラが、次に怪訝けげんな顔をキバヤシに向ける。

「大丈夫じゃないって……、じゃあ、どうなったんだ? 首にでもなったのか?」

「いや、どっちかといえば昇進した」

「……何で?」

「過程や方法が問題でも、結果的には大丈夫だったからだ。確かにお前に対滅弾頭を流したが、お前はそれを都市には撃たなかったし、その対滅弾頭であの巨人達を倒したお陰で都市の被害も抑えられたからな」

「良いんだ。それで」

「良いんだよ。確かに組織内で、問題行動でも結果が成功なら問題無しってのは危険ではあるが、だからって、過程や方法に問題が無ければ失敗して良いって訳じゃないんだぜ? 失敗時の被害が甚大なら特にな」

 結果論ではあるが、キバヤシはアキラという特大の危険人物に対して柔軟に対処し、都市の被害を最小限に抑えるのに成功したことになる。少なくともキバヤシ自身は都市に対してそう説明した。そして事態に対して手をこまねいていたばかりだった役員達では、何を言っても終わった後に好き勝手言っているだけにしかならず、効果的な反論は出来なかった。

 また、都市としてもアキラのような危険人物に対応可能な有用な人材を失う訳にはいかず、今後も同様の事態が発生するかもしれないことを考えれば、下手をすれば逆に都市に甚大な被害を生じさせる手段を躊躇ちゅうちょ無く実行するキバヤシの人格を考慮に入れても、事態の対処要員としてのキバヤシを評価せざるを得なかった。

 なおその余波を受けて、以前にアキラの制御に成功した比較的真っ当な人格の持ち主ということで、ヒカルの評価も上がっていた。そして、次に似たような事態が発生した時には、まずはヒカルに対処させよう、という都市の意向も決まっていた。

 アキラ達のテーブルに注文した料理が運ばれてくる。それを食べる前にアキラがまた話題を変える。

「料理も来たし、そろそろ本題に入ってくれ。雑談のために呼び出した訳じゃないだろう?」

「そうだな。アキラが住んでるの、前に俺の仲介で入った家だろ?」

「そうだけど」

「悪いんだが、出ていってくれ」

「……えっ?」

 キバヤシに呼び出されての話なので都市の用件だと思っていたアキラは、予想外の話に意表を突かれていた。想像通りの反応にキバヤシが笑う。

「今日は俺の私用だよ。俺が都市の職員としてお前を呼んでるのなら、呼び出す場所は上階のレストランだ。経費でな。ああ、お前がおごってくれるって言うなら、今からそっちに移っても良いぞ?」

「嫌だ。それで、何で急に出ていけって話になるんだ?」

「お前の家の賃貸業者から俺に泣きが入ったんだよ。勘弁してくださいってな」

「ああ……、そうなのか」

 いろいろと疎いところのあるアキラも、流石さすがに今回はその理由を察することが出来た。リオンズテイル社の部隊との交戦でスラム街を壊滅させたのだ。賃貸業者も自分達が管理している区域を次の壊滅先にはしたくないのだろう。それぐらいは想像できた。

「一応、向こうも引っ越し代ぐらいは出すって言ってるし、俺もあの賃貸業者とは付き合いがある。無理強いはしないが、出来れば大人しく出ていってくれると助かる。どうだ?」

「一応聞くけど、嫌だって言ったらどうなるんだ?」

「どうしようも無いんじゃないか? お前のそばで暮らせるほど度胸のあるやつばかりじゃないだろうし、賃貸契約はどんどん切られるだろう。でもお前を力尽くで追い出すなんて無理だ。賃貸業者は泣き寝入り。倒産するまで日々嘆いて暮らすんだろうな」

「そ、そうか……」

 出ていきやがれ、と高圧的に言われればアキラも反発心を覚えるが、勘弁してください、と泣きが入ったと言われると、アキラも軽い罪悪感にも似たものを覚えてしまう。その機微を察したキバヤシが乗じる。

「別にその賃貸業者に恨みがある訳でもないんだろう? 出ていってやれって。そもそもあの家はハンターランク30ぐらいのやつが住む家だぞ? 今のお前が住む家じゃねえよ。良い機会だろ? 大人しく出ていってくれるなら、俺もお前の新居の相談ぐらいは乗ってやるからさ」

 アキラが仕方が無いと小さく息を吐く。

「分かったよ」

「よし。それじゃあこれにサインしてくれ」

 キバヤシはそう言って退去手続きの書類を出した。アキラは一応アルファに頼んで内容を確認してもらい、問題無かったのでそのままサインする。すると書類を仕舞しまったキバヤシが意味有り気に笑った。

「取引成立だな。これで俺の評価もまたうなぎ登りだ」

「俺が引っ越すと何でキバヤシの評価が上がるんだ?」

「いろいろあるんだよ。都市の内部事情に絡む話だから外部の者には話せない。でも俺とお前の仲だ。教えてやっても良いぞ? 条件は、それを知ってもごちゃごちゃ言わずにちゃんと引っ越すことだ。どうする?」

 アキラはキバヤシの意味深な話の内容が気になり、既に退去手続きに同意したこともあってうなずいた。

「分かったよ。それで、どんな内容なんだ?」

「実は都市で第2防壁建造の計画が上がっている。まあ計画自体は前からあったんだが、予算の都合とかもあってずっと先送りにされていたんだ。だが今回の騒ぎの件で、リオンズテイル社からの賠償金で予算が一気に充実したのに加えて、防壁内に移住したいやつが桁違いに増えたことで、計画が一気に実現に向けて前進したんだよ。あの騒ぎで下位区画にかなりの被害が出たが、防壁内は無傷だ。安全の価値。その費用対効果が見直されたってことだ。防壁内に住むことをただのステータスだと思っていて、そのステータスを除けば別に下位区画の富裕層向けの住居でも十分だと思っていた連中が、慌てて壁の中に入れてくれって騒ぎ出したんだ。お陰で防壁内の地価は沸騰。防壁内の住人でも小金持ちの連中は逆に外に追い出される始末だ。入居希望者に合わせて住宅を増築するにしても、壁で囲っている以上、内側の土地は増えない。高層建築でスペースを上に求めるのにも限界がある。だからその辺を第2防壁建造で一気に解消しようってことだな」

「へー。そうなんだ」

「下位区画の一部を第2防壁で囲む訳だが、新たな壁の内側になる場所は当然ながらその価値が沸騰する。まだ選定の段階だが、選ばれる可能性の高い土地の確保はもう始まってるんだ」

 キバヤシがそこまで言って意味深に笑う。

「それでだ。お前が住んでる辺りは、お前が住んでることを除けば、かなりの好立地なんだよ」

 それで流石さすがにアキラも気付いた。

「あー、そういうことか」

 引っ越しの件は、保有する土地が新たな防壁内になってほしい賃貸業者の期待と、第2防壁内にアキラを入れたくない都市の意向によるものだった。そしてアキラを穏便に追い出すことに成功したキバヤシは、都市からも賃貸業者からも高く評価されることになる。

 キバヤシが楽しげに笑う。

「そういうことだ。まあお前の引っ越し代もその辺の金から出るってことで、その金で豪華な家でも建てて納得してくれ」

「分かったよ。……ん? 家を建てる? 借りるんじゃなくて?」

「建てるだ。言っておくが、基本的にクガマヤマ都市にお前に家を貸す賃貸業者は無いぞ? それだけのことをした自覚は有るだろう?」

 そう言われるとアキラも言い返せなかった。苦笑いに近い難しい顔を浮かべたアキラに向けて、キバヤシが楽しげに続ける。

「安心しろ。程度の差はあっても、似たようなことをして同じような立場になったハンターは沢山いるんだ。お前の新居の相談ぐらいは乗ってやるって約束通り、その場合の対処法は俺がこれからちゃんと教えてやるよ」

「そりゃどうも」

 少し自棄やけ気味に答えたアキラに向けて、キバヤシは楽しそうに笑った。


 アキラがキバヤシから教えられた新居調達手段は、都市の外周部に自宅を建てるというものだった。いろいろな理由で都市に住めなくなったハンター達の中で、十分な武力を持ち、都市との関係も討伐部隊を送られるほど悪くはない者が取る常套じょうとう手段の一つだ。

 そのような場所は当然ながら治安は劣悪だ。荒野からはモンスターが出現し、スラム街などからは強盗などが襲ってくる。だがその程度の相手など、その手段を実施するハンターにとっては何の障害にもならない。居住者であるハンター自身が抑止力となり、周囲の治安を武力で改善することが可能だ。

 遺物収集等で家を空ける時には警備員を雇う。都市で家を借りる時、基本的にその家賃には周辺の治安維持を担当する警備会社への警備料金が含まれている。それと同じだ。

 複数の警備員を個人で雇う場合、上手うまく行けばそれはそのまま雇い主のハンターを後ろ盾とする新たな警備会社となり、自宅周囲の治安を広く長期的に改善させる。治安の良い土地には人も増え、安全という価値が付き、経済も発展する。

 そしてそれが一定の水準を満たした時、その地域は新たな優良な下位区画として都市に組み込まれる。またその頃には、そのハンターは優良な経済圏の後ろ盾と認識されることで、その実績により信用と信頼を回復し、必要であれば再び都市で家を借りることも可能になる。

 それらの話を聞かされたアキラは、更にキバヤシからその警備をシェリル達に頼むよう勧められた。新たに警備会社を発足させるまでもなく既に組織化されており、事実上アキラの支配下にあり、武力もスラム街の治安維持には十分で、イナベという都市の幹部の息も掛かっているからだ。いろいろと都合が良い。自宅を退去した後、新たな家が出来るまでは、またシェリルの拠点を借りれば良いとも言われた。

 それらの話を聞いたアキラはキバヤシと別れると、そのままシェリルの拠点に向かった。事情を聞いたシェリルがとてもうれしそうに笑顔を輝かせる。

「分かりました。任せてください。警備の方は私達でやりますし、アキラがまた拠点でしばらく暮らすのも大歓迎です。新居の方も、もうここに住めば良いと思いますよ? 言ってくれれば好きな部屋を空けますし、間取りもアキラの好きなように変えますから……」

「いや、流石さすがにそれは。俺の家はどこかにちゃんと建てるよ」

「そうですか。それならこの拠点の隣なんてどうでしょう。近いと便利だと思います」

「……その辺も含めてゆっくり考えるよ。家の間取りとかも考えないといけないしな」

「そうですね。建てた後で気に入らないからと建て直す訳にもいきません。時間を掛けてじっくり考えた方が良いと思います」

 設計に時間が掛かれば掛かるほど、アキラが拠点で過ごす期間が増える。シェリルは笑顔でアキラに慎重な選択を促した。

「そうだな。ゆっくり考えるよ。予算とかもあるし……、あ、そうだ。シェリル。ここにヴィオラがいるなら呼んでくれ。少し話があるんだ」

「分かりました」

 シェリルは家の予算とヴィオラに何の関係があるのか不思議に思いながらも、すぐにヴィオラに連絡を入れる。ヴィオラはちょうど拠点で徒党の仕事をしており、すぐ現れた。

「アキラ。久しぶりね。話って何?」

 そう平静を装って笑って言ったヴィオラの顔は、僅かに硬くなっていた。

 ヴィオラは以前にスラム街の抗争にアキラを巻き込んだことでアキラに一度殺されかけており、交渉によりシェリルへの協力と引き換えに生かされている状態だ。そして最後にアキラと会った時、クロエの居場所の情報をアキラに半ば脅されて提供させられ、その情報料として、お前を生かしておいて良かったと思うことにする、と言われていた。更に去り際に、そこにクロエがいることを期待してくれ、とも言われていた。

 自分が提供した情報でアキラがクロエに会えたかどうかは、ヴィオラには分からない。会えなかったのであれば、お前を生かしておく必要は無かった、と言われてアキラにこの場で殺されかねない。相手は元500億オーラムの賞金首で、リオンズテイル社の創業者一族でさえ殺そうとした人物だ。アキラに殺されたのかどうかは不明だが、クロエが死んでいることも確認済み。相手が誰であれ、殺すと決めたら殺すだろう。そう思っているヴィオラは、アキラを前にして、完全な平静を装うことが出来なかった。

 一方アキラはそのヴィオラの内心など全く気付いていなかった。普通に話す。

「ああ、シェリルは俺に借金があっただろう? 確か、後ろ盾料みたいなやつだ。その管理をヴィオラがやってたと思うんだけど、それ、今幾らぐらいになってる? 大まかで良いから教えてくれ」

 ヴィオラは内心でそんなことかと安堵あんどしながら、いつものように微笑ほほえんだ。

「そうね。概算で500億オーラムぐらいかしら」

「500億か……」

 その額はヴィオラがアキラからこれなら不審に思われないと判断した金額での最高額だ。そしてその巨額の負債をシェリルに返済させるためにも自分を生かしておいた方が良いと、アキラに思わせるための金額だった。

 シェリルは大分高いのではないかと思いつつ、アキラの前でそれは高すぎるとは言えず、その金額の正当性を怪訝けげんに思っているという視線を、アキラに分かるようにヴィオラに向けるのにとどめた。

 そしてその手の金額の算出に疎いアキラは、自分に懸けられていた賞金額と同額ということもあって、そういうものかと納得した。その上であっさり告げる。

「分かった。じゃあシェリル。その金はリオンズテイル社と戦った時の迷惑料やら何やらと相殺ってことで返さなくて良い」

 アキラが債権とはいえ500億オーラムをあっさり手放したことに、シェリルとヴィオラが驚きをあらわにする。更にアキラが続ける。

「あと俺の後ろ盾料みたいなやつは、今後はさっき頼んだ俺の家の警備代とか、遺物販売店への投資? 株式? 証券? とか、その辺と相殺する感じで処理してくれ。借金にするのは俺が面倒臭い」

 それを聞いたシェリルの顔が驚きの表情から強い喜びを示す笑顔に変わった。シェリルにとっては借金もアキラと自分をつなぐ大切な要素だ。それを単に消されたのであれば、シェリルは喜ぶよりも不安を覚える。しかし自宅の警備代や遺物販売店への投資など、今後もアキラと継続的につながる要素を一緒に提示されたことでその不安は無くなった。逆にリオンズテイル社とのことで自分達がそれだけアキラの役に立てたのだと、純粋に喜ぶことが出来た。

「分かりました。アキラ。ありがとう御座います。これからもよろしくお願いします」

「ああ。まあ頼んだ。えっと、これでシェリルの方は良いとして、次はヴィオラだな」

「な、何かしら?」

 シェリルに課せられた巨額の債務を返済させるために徒党の運営に協力させるのも、アキラとシェリルがヴィオラを生かしておく理由だ。それが消えた直後ということもあって、流石さすがにヴィオラも焦りを見せた。

「前にヴィオラからクロエの居場所の情報をもらった時は、金が無かったから情報料の代わりに以前の貸しのことを持ち出したんだけど、今なら金があるんだ。やっぱりちゃんと金で払った方が良いか?」

「……最低でも数十億オーラムで、場合によっては桁が増える。そう言ったはずだけど、覚えてないの?」

「覚えてる。数十億オーラムなら払えるし、桁が増えても金額次第で払える」

 実際にアキラにはそれだけの金があった。リオンズテイル社に請求した経費があっさり支払われたのだ。それはシロウからもらった160億オーラムで買った装備代や、失ったバイクの代金など諸々もろもろを含めた額であり、この合計は200億オーラムほどにもなっていた。

 一連の騒動で掛かった経費は全額こちらで補填する。リオンズテイル東部本店の代表であるアリスとの取引でそうなっていたとはいえ、200億オーラムの請求にその内容を丸みして即時全額支払った相手の力に、アキラは大企業の力というものを改めて思い知らされた。

 アキラは一応シロウにもそのことを伝えて、160億オーラムを返した方が良いか聞いてみた。だがシロウからは、返せば良いというものではない、と逆に文句を言われ、約束通りちゃんと俺の都合を優先しろ、とくぎを刺された。

 そのような経緯もあり、アキラにはヴィオラにクロエの居場所の情報料を金で支払う余裕があった。だが自宅の建設費や弾薬等の再調達費用を考えて、先に情報料の方を片付けておいた方が良いと判断した。情報料としてヴィオラに100億オーラムほど支払うと他の予算が圧迫されるが、受け取った情報が正しかった以上、相応の代金を支払っておくことをアキラは優先した。

「それで、幾らだ?」

 ヴィオラがたじろぐ。その手の駆け引きに疎いアキラがそう言った以上、実際に支払えることぐらいヴィオラにも分かる。そして情報料を金で受け取った場合は、アキラが情報料の代わりに支払ったもの、お前を生かしておいて良かったと思うことにする、という貸しの解消が無かったことになるのも容易に察することが出来た。

 そして絶対に支払えない額にするために不当に高い高額を口に出すと、それをアキラに見抜かれ、あるいはシェリルに指摘されて、状況が悪化することも理解していた。

 ヴィオラがえて普段の意味深な調子の良い笑顔を浮かべる。

「……その前に聞いておくことがあるわ。あの情報で、私のアキラへの借りの相殺分は、結局どの程度になったの? あの時はアキラから、そこにクロエがいることを期待してくれ、としか言われてないわ。情報通りクロエはいたんでしょう? それなら情報が正しかった以上、その価値はちゃんと認めてもらわないとね。それで、どれぐらい相殺してくれるの?」

「うーん、そうだな……」

 アキラがうなって考える。ヴィオラはその様子を、表向きは余裕の笑みを浮かべながら、内心では緊張しながら見ていた。そしてアキラが結論を出す。

「シェリルからヴィオラを殺すように頼まれたら、事情を聞いて、内容次第で、もう少し考えろって言うぐらいかな? 一応ヴィオラを生かしておいたお陰であの情報が手に入った訳だし」

 アキラからその言葉を引き出した時点でヴィオラは窮地から脱した。その言葉は事実上シェリルがヴィオラを自分の判断で殺せなくなることを意味するからだ。思わず本心の笑みをこぼす。

「それなら情報料はそれで良いわ。あの時にそれで取引が成立したのだから、金は不要よ」

「そうか? でもあの時も払えるかどうか聞いてたし、金の方が良いんじゃ……」

 不思議そうな様子でそう言ったアキラに続けて、シェリルが内心のにじんだ笑顔で口を挟む。

「そうですよ。私も金の方が良いと思います。支払いが高額になるから遠慮しているのであれば、徒党の方からも出しますので大丈夫です。イナベさんに頼めば多少の援助も期待できますし……」

 シェリルは用済みになり次第ヴィオラを始末したいと思っている。そしてアキラへの借金が帳消しになった今ならば、ヴィオラを用済みと見做みなしても問題無いと判断した。リオンズテイル社さえ退けたアキラという強力すぎる後ろ盾がある以上、他組織との細かい利害調整のためにヴィオラを生かしておく必要性は激減したからだ。

 その上でこの件を金で解決してしまえば、アキラがヴィオラを見逃す理由は無くなると、金での解決をアキラに促した。

 その言葉に促されそうになっているアキラを見て、ヴィオラがすかさず口を挟む。

「駄目よ。どんな理由であれ一度成立した取引内容を後から変えるなんて取引への冒涜ぼうとくだわ。強力なハンターほど信用第一。そんな真似まねを許したら大変よ? 取引が成立した以上、その取引内容を厳守する。その信用が揺らいだら、真面まともな取引なんて出来なくなるわよ? たとえ相手の方が有利になるとしても、決まったことを覆す以上、無制限の変更を許容する前例になってしまうわ」

 その辺りの重要性はアキラも納得できる。またシロウから160億オーラムを突き返されたこともあり、数十億オーラムは大金だと思って提案したが、相手が要らないと言うのであればそちらが優先だと、ヴィオラの意見に同意した。

「それもそうだな。分かった。話はそれだけだ」

「そう? それじゃあ私は忙しいから戻るわね」

 ヴィオラは笑ってアキラ達に背を向けて立ち去った。背後から聞こえたシェリルの舌打ちに、危ないところだったとギリギリ笑みを浮かべることが出来た。

 シェリルが少し難しい表情をアキラに向ける。

「アキラ。ヴィオラからもらった情報って、そんなに役に立ったんですか?」

「ん? まあ、それなりにな」

「そうですか……」

 ヴィオラを生かしておく価値を下げるために、これからは情報収集能力も身に付けよう。シェリルは笑ってそう決意した。


 アキラは自宅で、この家での最後の入浴を楽しんでいた。

 既に引っ越しの手配は済ませており、明日荷物をシェリルの拠点に運び込んでそのまま退去する。

 この家を借りた時には贅沢ぜいたくすぎるとも感じた浴槽も、何度も入浴して慣れていき、シェリルの拠点に備え付けられた高級な浴室での入浴を体験してからは、少し不満を覚えるようになっていた。それでもこれで最後だと思うと、名残惜しいような気持ちを感じていた。

 アキラがこの家を借りてからあった様々なことを思い返して感慨深い声を出す。

「それにしても、この家を借りてからいろいろあったなー」

 いつものように一緒に入浴しているアルファが、アキラの感情に応えるように微笑ほほえむ。

『そうね。いろいろあったわ』

「大変だったなー」

『ええ。大変だったわね。でももう少しよ。坂下重工から装備が届けば、いよいよ目的の遺跡に乗り込めるわ』

 アキラは別にそのことを思っていた訳ではなかった。だがそれを告げられれば意識もそこに向かう。

「……そうか。ようやくか」

『ええ。長かったわね。いえ、思ったよりは短かったのかしら?』

「どうなんだろうな。まあそれも装備が届いてから、それにシロウの仕事を片付けてからだけど。後は待つだけだけど、いつになったら届くんだか……」

 そこでキバヤシから連絡が入った。アルファを介してそれに出ると、キバヤシから上機嫌な声で妙なことを言われる。

『ようアキラ。お前に3つ連絡がある。良い話と、悪い話と、少し良い話だ』

「……それ、悪い話と、すごく悪い話と、少し悪い話じゃないだろうな?」

 相手が相手ということもあって、アキラは警戒気味の声を返していた。

『安心しろ。そんなことはねえよ。その証拠に良い話から教えてやる』

「そうか。何だ?」

『輸送中のお前の装備だがな、もうクガマヤマ都市の近くまで来てるぞ』

 それを聞いたアキラは驚き、思わず喜びを顔に出した。だがそれもすぐに少し険しい顔に変わっていく。

「……それで、悪い話は?」

『お前ての荷物を輸送中の都市間輸送車両だが、何らかの事故があったのか荒野で立ち往生してるらしい。運行再開の見込みは立っていないそうだ』

「そういう落ちかよ……」

 アキラは大きくめ息を吐いた。それを聞いたキバヤシが上機嫌な声で続ける。

『そんなに落ち込むなよ。まだ少し良い話が残ってるだろう? それを聞けばお前のやる気も一気に上がるさ』

「そうだと良いんだけどな。それで?」

『自分ての荷物だからって輸送中に取りに行っても、普通は渡してなんかくれない。しかも荷物は最前線向けの装備だ。扱いも厳格だ。あらかじめ指定された場所にいる受取人でなければ渡したりしない。本人確認とかも大変だし、最終的にはお前が受け取る装備であっても、輸送中は厳密には坂下重工の荷物なんだ。俺の荷物なんだって言っても、絶対相手にされない』

「それのどこが少し良い話なんだ?」

『慌てるなって。ここからだ。お前が希望するなら、取りに行けば渡してもらえるように手配してやる。輸送の代行ってことだ。どうだ。良い話だろう? まあ、自分で行くのは面倒臭いから届くまで待ってるって考えもあるし、その辺を考慮して、少し良い話ってところだ。どうする?』

「それ、取りに行かないって言ったら、俺の装備はどうなるんだ?」

『配送が遅れるだけだ。どれだけ遅れるかは分からないが、いつかは届くだろう。でも何度も催促するぐらいなんだ。早く欲しいんだろう?』

「……そうだな。頼んだ」

『よし。任せとけ。すぐに手配する。お前もちゃんと準備しとけよ? じゃあな』

 キバヤシとの通信を終えたアキラが難しい表情を浮かべる。装備を自分で取りに行けるのは、アキラも確かに良い話だとは思う。しかし都市間輸送車両が荒野で立ち往生しているというのは非常に気になった。

 以前に都市間輸送車両でツェゲルト都市まで往復した時も、その時の騒ぎがあっても、都市間輸送車両は立ち往生などしなかった。その都市間輸送車両が立ち往生するほどの何かが起こっているのは間違い無い。だからこそキバヤシは自分をそこに向かわせようとしている。それぐらいはアキラも分かった。

 アルファがいつも通りの笑顔を浮かべる。

『何も起こらないことを期待して、出来る限りの準備を済ませて出発しましょうか』

「……、そうだな」

 恐らくその期待は裏切られる。だからこそ出来る限りの準備がいる。そう言われたことぐらいは理解して、アキラは苦笑を返した。

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