第5話 なんか来た。



「ミツル……、ミツル………!?」


 は?


「ミツル、ああ――」


 私の名を至極当然のように呼んだのは、父親でもなければ母親でもない、姉でもない、ましてや先生でもなかった。

 その場に、突如として現れた。

 ワイシャツに黒のスラックス、首元で曲がった濃紺のネクタイ、通勤鞄を携えて、ぜえはあと息を乱す見知らぬ男だった。

 最初に抱いた印象は、童顔にちょっと大きめのグレーフレームの眼鏡。大きくも小さくもない目に、眉毛はなんか独特で眉頭が細くて眉尻にかけて太い。でも鼻は高くて、唇は少し薄い。可もなく不可もなくといったような容姿で、ひょろりと細くて、身長はたぶん170そこらぐらい。額の後ろに追いやられた短髪は乱れてぼさぼさ。

 ただ、どれをとっても私のタイプではない。今時の草食系会社員の代表みたいな感じだった。

 はあはあと息を乱した一個下ぐらいのその男性は、病室のベッドの上の私を見るや、また表情を強張らせて、家族を押しのけ、床を滑るように跪いて私の手を握ってきた。


「お店の人から聞いたよ、こんなになっちゃって……」


 今にも泣きそうな声を出して私を見てくる。


「君は慌ただしいし、正義感強いところあるから、いつかこういうふうにヘンなことに巻き込まれるかもしれないって心配だったけど……まさかこんなことになるなんて」


 私は口を開けたままよろよろと重い体を持ち上げると。

 その人はなんの躊躇いもなく私の体をいきなりギュッと抱きしめてきた。


「え」

「ミツル、良かった……死ぬほど心配したよ」


 は――。


「死ななくて良かった、生きててくれて良かった、ほんとうに……ほんとうにっ……」


 伝わる温もり。愛おしそうな声。整髪料のライムの香り。

 患部じゃない部分をぽんぽんと優しく叩かれた。


「や――」


 良い絵になっていたんだと思う。

 普通なら抱きしめるその相手を抱き返すものだろう。

 だけど私は――。

 その暖かさに甘えることはできなかった。

 そんなことができるはずなかった。


 何故って今の私にあったのは、初対面の、赤の他人に突然わけのわからないことを言われて抱きしめられ、男に顔を近づけられて、下の名前を呼ばれるということに、絶大な気色悪さと、そしてなにが起こっているのかという混乱ただそれのみで。

 嫌だ。と、すぐさま全身の警報が鳴った。


「やめて、なに、だれ、……あなた、あなた誰よ――」


 離して。

 やっとの思いでそう告げた時。


「ミツ、ル」


 ゆっくりと体を離したその童顔眼鏡は私がするべきであろう顔をして、少しして何かに気がついたように小さく笑った。


「いや、ミツル……こんな時に冗談はやめようよ。まあ、冗談言えるくらい元気なのはわかるけど、ちょっとショック――」

「いや冗談じゃなくて、離れてください、今すぐに。いたい…………なんですかあなた」


「え」という小さな声が続いた。

 いや、え? って言いたいのはこっち。


「病室……っていうか人間違えてませんか」


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