第70話 猫村さん。
「雨降りそうだな……。あ……傘」
持ってきてないや。
バックヤードの窓から暗く濁った空模様を見て、呟くと。
丁度、携帯の通信アプリに着信が入った。
カメさんから。
《 仕事おつかれ。
これから雨降るみたいだから、お店の前のベンチで待ってる。傘も持ってきてるから、もし持ってなかったら買わなくていいからね。
今日は何食べたい? 》
流石。気がきいてるよ。
「お、……かあ、さん、か――っと」
送信。
したらすぐに、笑っているカメの可愛いスタンプが送られてきた。
本日の業務を終え。レジを閉め、戸締り確認をし、生体管理表をいつものボックスに戻し、どっと疲れた私を携帯画面が癒してくれた。
「――お疲れ様です」
「おつかれ、猫村さん」
「あの…………、先輩」
そこでバックヤードの扉が開き。最後の点検をしていた猫村さんがエプロンを外して中に入ってきた。
小さな声で言いながら、彼女は自分のロッカーから、それなりの大きさの紙袋を出して、おずおずと私に差し出した。
「どうしたの?」
中をそっと覗くと、梱包されたタオルハンカチと、有名どころのお茶菓子の箱が見えた。
「この前の……、おわび、です……ジュースかけちゃったし。竜沢さんにも怒られましたけど……わたし、最低でした……。ほんとうに、謝るの、遅いけど」
すいませんでした。
しおらしく、小さな声で頭を下げる彼女。
この対応には驚いた。
あの衝突から、実は私たち今日までろくに口をきかず、そして今日に至るまで一緒のシフトにならなかったから、こうして面と向かって話す機会がほとんどなかったけど。
まさか彼女からこう言われるなんて。
「いや……先に手出したの、私だし」
紙袋、ずっしり重い。
どうしよ。私なにもあげられるもの持ってないよ。
「でも、最初に仕掛けたのわたしですから」
「まあ……そうだけど」
ちょっとの沈黙のあと、猫村さんはそこでしくしくと泣きだした。
「ごめんなさい……。竜沢さんから聞いたと思いますけど、わたし亀井戸さんに元カレ重ねて、そうとう、おかしかったです……。ほんとうは、亀井戸さんを見ていたんじゃなくて。元カレのことを見てました。先輩にあんなふうに言う権利なかった……、だめだって……ずっと思ってたのに……我慢できなくて……言われた通り、ガキでした……っ」
随分と潔く謝るなあ。まだ猫被ってんのかなと、そこで少し思いかける私も最低かもしれないが。どうやら本当に反省はしているみたいだ。小さな泣き声が激しいしゃっくりを混じらせる。
「確かに、酷いことされたと思ってるよ」
それでも言うべきことはちゃんと言わないとと思った。
「結構、これでも傷ついたし」
「はい……わたし、先輩を追い詰めたと思います……」
「記憶のこと言われるの、辛いから」
「…………はい……」
「元カレさんのこと。本当に好きだったんだね」
ぽろぽろと涙を零して頷く猫村さん。
彼女の必死な姿を見て、私は知った。
恋愛って。きっと綺麗なことだけじゃないんだと。時には人をおかしくさせるんだと。
周りが見えなくなるくらい、他人なんか押しのけてでも進みたくなるくらい。
「私は、そうなるぐらい誰かを好きでいられる気持ちがある猫村さんが……今は少し羨ましいよ」
「ミツル先輩……」
「でも、もうあんなことしないでよね。裏でこそこそするぐらいなら、堂々としなよ。って言っても、亀井戸さんは正面から行っても靡かないと思うけどね。私のこと好きだから」
こう言うのは、この間の精神的右ストレートのお返しだ。でもこれ以上拗れるのはごめんだ。
「私も、これからはもっと堂々とするよ。もうこそこそ待ち合わせとかしない。聞かれても、話そらさない。変に隠したりするの、やっぱりムカつくよね。だからもうやめよう。私、猫村さんとは仲良くしたいから。猫村さんもいつまでも気まずいの嫌でしょ」
だからこれでアイコ。
「に、してくれない……?」
そう言って腕を掴んで手を握ると。彼女は赤くした目を細めて破顔した。
「やっぱ、先輩って隙ありすぎだなあ」
「ハア!?」
「こんなんで許してたら、ほんとに寝取られますよいつか」
こ――、この子まだ猫被ってんの!?
「あはは、冗談ですよ。もう先輩の邪魔はしません。わたしも……この気持ちにケリつけるために色々考えて昨日、元カレにもう一度告ったんです。やっぱりダメでしたけど。でもそれでなんか吹っ切れたっていうか……子供っぽい自分からはもう卒業しなきゃなって。わたしこんなだから、彼から見放されたんだって気付いたから。自分を磨き直して、新しい恋見つけます」
ああ、でも。先輩のコイバナはこれからたーっぷり竜沢さんと聞かせてもらいますからね。根掘り葉掘り。そう悪戯っぽく笑う猫村さんに、私はやれやれと笑い返した。
でもこれでなんとか、仲直り。
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