第66話 脚から始まる恋物語。

「あのさ、カメさんさ」

「なに?」

「私のさ……どこを好きになったんですか、最初」

「あー、それ聞く?」

「気になったんで、一応」

「んー…………」


 泡まみれの手をすすぎ、彼は少ししてからこう言った。


「脚かな」

「は?」

「脚」

「……いや、えっ……ハア?」


 予想外の回答になんと返せばいいかわからなくなる。


 脚って。脚って……!?


「なんですかそれ! 顔とか性格じゃなくて!?」

「うん、脚」

「冗談じゃない!?」


 ガチなのちょっと!?


「最初に会った時にさ、すごくいい脚してるなあ~って思ったんだよ」

「変態くさ――!」

「いや、ほんと。運命的ななにかを感じたよ。細すぎず、太すぎず。その絶妙なラインにビビッとね、脚のラインだけに」

「なんだそのギャグ! さ、寒すぎるわ! つうかそんなに分析してたんかい、引くわ!!」


 結構な脚フェチだった。


「ていうか……好きになったところが脚って……なんか、ヘコむ」


 脚を褒められたって。脚目当てで近づかれたと思うと複雑な気分だ。


「あはは、ミツル前にも同じこと言ってたなあ。でも大丈夫、今は“ミツル”が好きだから、脚は二番目」


 彼は食器を棚に戻しながら楽しげに言う。

 三番目は優しいところ。四番目は美味しいご飯を作ってくれること。まだまだその先もあるそうだ。


「……でも、その好きなミツルは、前の私ですよね。忘れる前の」

「なに言ってるの、そんなこと」

「いや、じゃあ、だったら。もっと前の私との思い出、話してくださいよ」


 休日はどうやって一緒に過ごしてたとか。

 行った場所とか。どんな話題で盛り上がったのかとか。

 私はどんなふうにあなたを好きになったのか、とか。もっと、もっと。


「教えてください」


 亀井戸さんからその話をしないのは、私を急かさないようにという配慮だということは知ってる。

 その気持ちはとても嬉しい、でも同時に不安になっていく。今の自分が置いてかれてしまうんじゃないかと。そのうちこの人に、やっぱり君は前の君じゃないと……離れられてしまうんじゃないかって。

 こんなこと考えるなんて。自分がとても女々しいと思う。


「ほら、こうやって、二人でいる時とか、どうしてたんですか。き、キスとか……してたんでしょう」


 誰も見ていないから、気にせずできるよね。


「今の私のこと考えなくていいですから、……亀井戸さんがいいなら、別にいいんですよ」


 気持ちもないのに最低だな。

 それでも、この時の私は、形だけでもいいから、記憶を失くす前の私に追いつきたかった。

 いつまで経ってもちんたらしている自分に、愛想つかされたくなかった。

 してもらえたら、そういう気持ちが勝手に芽生えるのかもしれないとも少し思った。


 ――気持ちもないくせに、キスなんてできませんよね――


 あの言葉に、抗いたかったのだ。

 そんなことないと証明したかった。私は……ちゃんと。


「ミツル――」


 振り返った亀井戸さんは、ゆっくりと私に近づいてきて。

 私の顔を、両手で挟んで上を向かせた。

 自分が馬鹿だと思った。誘っておいて。

 怖いと、その時思ってしまった。


「なに慌ててんの」


 怒ってはいない。

 でも、彼の今の気持ちを考えると……、ああ、ほんとうに、馬鹿なことを口走ったと思ってしまった。

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