第58話 やっと。
「っ――ちょ、」
ワンワンワンワンワンワンッワンワン!! ともう吠えながら止まらない。
うわっ、うわっ、どうなってるのこれ。
「ごましおストップ!」
脚を踏ん張らせても流石は大型犬の雄、力強すぎて止まらない。転ぶ、手の中のリードが擦れて痛い――。
皮が剥けて、つまずくその前に、私はよろけて、握っていたそれを離してしまった。
「ミツル!」
「っ、ごましおぉお!」
尻餅をつく前にウサに支えられ、私は虚しい声を張り上げたが、ごましおは尻尾を垂直に立てて百メートルぐらい先の土手道の脇に座っていた小さな人影に向かって一直線。
「やばい――」
なんて思っても今更追いつけるはずがなく。ごましおはワフワフ吠えながらその人影にタックルしたから一瞬にして肝が冷えた。
なんの前触れもなく大型犬に襲いかかられたら(本当はじゃれついているだけだけど)、誰だって恐怖を感じずにはいられない。その人も身の危険を感じたのか、そこで慌てて立ち上がり、後ずさり。しかしごましおは尻尾を激しく振りながら、足元をぐるぐる回りまくるものだから、どこへ逃げればいいのか混乱してしまったのだろう。
その人は困惑を含んだ短い声を上げて、体のバランスを崩し――なだらかなその斜面の下へ転がり落ちることになってしまったのだからもう大変。
「ギャアアアア!?」
頭が真っ白になって私は絶叫し、かつて百メートルギリギリ12秒台だったその脚で事故現場に駆けつけた。
「ごましお! ウェイト!!」
土手下に降り立つと、草むらの中に倒れこんだ誰かの周りを回って、そしてしつこく匂いを嗅ぎ回しては、ごましおは爛々とした眼で私を見てきた。
「見て見て見て見て!」と言っているような顔。
いやいや、なにやってんだ! もうこれ大惨事だよ。謝って済む問題じゃない。
「ごましお! いけない! ステイ! ステイ!!」
ハンドシグナルで命じると、ごましおはすぐにその場に伏せて、それでもうきうきと尻尾を振り乱した。
こんなにも唐突に人にじゃれつきにいくなんて今までになかった。なんだってこんなことに。いいや、そんなこと後だ。
「ごめんなさい! ごめんなさいほんとごめんなさい! うちの犬が……っ! 大丈夫ですか、怪我してないですか!!」
私は草っ原に膝を折って、腰の辺りをさすり唸っていたその人に手を差し伸べた。
「うっ、ううん……」
暗くてよく見えなかったけど、どうやら男性のようだ。
「眼鏡……眼鏡が、飛んだ……」
「眼鏡!? すみません……ああええっと、あ、あった! はい眼鏡です……!! すみません! 怪我は、大丈夫です――か」
足元にあった眼鏡をすぐさま拾って手渡して、携帯のライトを点灯させて。そこで私は、ハッとした。
いや、私たちは、ハッとした――。
「ミツル……」
砂と草まみれになってしまった顔。
「亀、井戸さん」
私が、探していた人だった。
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