第35話 緊張する。
「ここから見える景色、綺麗だよね。ほら、あそこ学校があるよ、サッカーしてるんだね、よく見ると小さいのが動いてる」
「え、あ……ほんとだ、人がゴミのよう……」
「ゴミのよう……!?」
指を差されるけど、それどころではない。
眺めを綺麗と言う余裕はなく、そんなことを思う前にこれ地震起きたら死ぬな……なんて真っ先に思ってしまった私の救いようのなさと言ったら。
ロマンチックの欠片もない。
「大丈夫? 剣木さん、まさか高所恐怖症? じゃ……なかったよね確か」
「ええ、そんなことは、ないですよ」
口に入れるタイミングがわからなくて、もうずっとパスタをくるくるさせている私を見て、鵺ヶ原さんはラザニアなんて洒落たものをナイフで綺麗に切りわける。
「そんなに縮こまっちゃって、まるで入荷したての猫だよそれ、ふふっ、まだ緊張してるの?」
図星を突かないで頂きたい。
「これでも結構付き合い長いのにね、本当に三年前と同じ反応だ」
「あの、一つ聞きたいんですけど……私これまでに鵺ヶ原さんと二人でどこかに行ったり、ご飯食べに行ってました?」
「んー、ちょっとはあったかなあ、でも殆どは職場の人も含めてだったね」
「そうですか……、なんかさっきっからびくびくしまくって、キモくてすみません」
「いや、キモくはないよ、ていうか剣木さん可愛い」
ほぉおおおお!?
この人なにをどう見てそんなこと言ってるんだ。
つうか眩しいよ、笑顔が眩しい。
イケメンの上にそういうふうに笑顔安売りされるとっ……なんていうか私の
あの童顔眼鏡の亀井戸さんの時にはここまで動揺しなかった、これがイケメンの力というものなのか。
ていうか、この人に彼女がいないってことがまだ信じられない。カリスマオーラ滲み出てるし、色んな女性と付き合ってきたって感じで経験豊富そうに見えるし。仕事もできて、なんにでも無駄がなくて、頼れる存在で、格好良くて、鵺ヶ原さんは私にとっていつも雲の上のような存在だった。
そんな鵺ヶ原さんとプライベートで二人きりで出掛けて、こんな優雅なレストランで景色を見ながらのランチなんて。
「ちょっと場違いな気がして」
私なんか安い牛丼屋がお似合いだ。背伸びしてもヒマル屋のカレーぐらいよ。
「そんなことないよ。たまにはいいいものでしょ、こういう場所も。剣木さん最近ずっと元気なかったから喜んでくれるかなと思って」
「ありがとうございます。多肉植物展だけでなく、こういう素敵な所にも連れてきてもらっちゃって」
「いいんだよ、元気になってくれれば」
「イケメンや」
「え?」
「いえ、鵺ヶ原さんの彼女さんになる人は幸せだろうなって」
「はは、そんなことないよ」
いやあるよ。顔も良くて、気遣いもできてさ。
「剣木さんは……今は誰かと付き合ってるの?」
え、私?
いきなりの直球。聞かれて、少し黙り、答える。
「いない、と思います……でも少し引っかかる人が……」
「引っかかる人?」
「はい、私は頭打って今こんな状態で、覚えてることと、さっぱり忘れてることに整理がまだつかないこともあって……特に今気になるのはその人のことで、悪い人ではないと思うんですけど、その人、前に私と付き合ってたって言ってて……。でも私は、顔見てもなにも思い出せなくて。もし、万が一、いや億が一、本当にその人が言ったとおり私がその人の恋人だったら、私はかなり最低最悪な奴だと思いますけど……なんか、そうだったなら、じゃあどこを好きになったんだろうって……思っちゃって」
友達なら好感は持てるかもしれないけど、恋愛って言ったら、あの人はきっと別だと思う。
考えたって今すぐにはっきりすることではないけれど。でも、やはり気になってしまう。
あの人が、私に何度も見せる寂しそうな眼差しを思い出すと。
「でも、人を見た目であまり判断しない方がいいと思うな。ごめんね、剣木さんは良い人だから……。あんまりこんなこと言いたくないけど、憶測だけで警戒を解いたらだめだよ。もしかしたらその人は剣木さんにとってそこまでの人じゃないかもしれない、剣木さんが記憶を失くしてることを知った上で、それを利用している可能性も少しはあるって思っておいたほうがいいと思うよ」
「そうでしょうか。でも、そんな酷い人には今のところ見えないですよ」
「人っていうのは、悪意も簡単に隠せる人も中にはいるから。俺が言ったことも憶測でしかないけど、剣木さんは一人暮らしだし気をつけるべきだよ、特に記憶がはっきりするまではあんまりその人に心を許したらだめだよ」
「はい、……そうですね」
「少し心配なんだ。剣木さんは可愛いから」
「いやいや……そんなことは」
「結構モテそうなのにね、本当に彼氏いないの? 付き合ったことはあるんでしょ?」
あー……。
「うそ?」
「ほんとですよ。悲しいけど……ないです。誰とも」
確定しているのは三年前までは年齢が彼氏いない歴だったってこと。
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