第54話 ごましお。

 視界に飛び込んできたのは黒光りした――モフモフ。

 あっ、と思ったら。そいつは私の胸に勢いよく飛び込んで来て、私の、頬と鼻と口まわり。いやそんなもんじゃない。前言撤回、ほぼ顔面全体を遠慮のかけらもなく好き放題に舐めまわした。

 ベロッベロベロベロベロッベロベロベロベロロッベロベロベロベロッ。って感じで。

 このしつこい顔舐め、行き過ぎた愛情主張。

 ネームタグを見なくてもどこの子かわかった。


「……っ、ごましお……!」


「そうだよ。ママッ」とでも言うように黒いラブラドールの男の子は私から顔を離して、キラキラの眼をしたまま控えめにウォン! と鳴いた。

 私の元訓練犬にして最高の愛息子まなむすこ、ごましおがここにいる。ということは――と視線を公園の入り口にやれば案の定。


「ミツル……! 探したわよもおおぅ!!」


 片手に折りたたんだリードを持ち、片手にコンビニの袋を携えた昼間ぶりに見るウサが、ピンヒールをカツカツ言わせ、モデル歩きでこちらに向かってきていた。


「ウサ……なんで」

「なんでって、あんたバイバイも言わずに走って出て行くし、心配してその後追っていったらお店の人に倒れたって聞いたし。早引きして病院行ったっていうから、病院まで行ったらもう帰ったって言われたし。んであんたのマンションの部屋の前で待機してたけど帰ってこないし、痺れ切らしてその辺歩き回ってたら、こんなところにいたし」

「探してくれてたんだ」

「まあね。ただごとじゃないと思ったから。その様子だと、アタシが予想してた通りみたいだけど」

「……うん」

「体は? もういいの? 目眩起こしたんでしょ」


 再会を喜んで鼻鳴きしながら足元に纏わりつくごましおを構う私の横にウサがどかっと座り。コンビニの袋をガサガサ漁って、栄養ドリンクを差し出してくる。

 それを受け取り一口飲み。


「そんなの……気にしてる場合じゃない」


 今までで一番情けない声で私は言った。

 それにはウサも、地面でお腹を見せて転がっていたごましおも顔つきを変えて固まった。


「なにがあったの」

「私……ッ、またやらかしたっ……ウサッ、私――!」


 悔しさと一緒に、私はここ数日のことを全部吐き出して、ウサに聞いてもらった。

 信じるべきものを信じることができなかったこと、嘘を見抜けなかったこと。自分を守りたいがために、これ以上なく、大切だったはずの人を傷つけ続けていたこと。


「――馬鹿野郎が! それはミツル悪くないでしょおよ!  悪いのはそのクズイケメンだろーが!! なに落ち込んでんだよ!!」


 野太い声で言い、ウサは買ってきたメロンパンの袋を豪快に破きかぶりついた。怒り心頭で歯ぎしりして、組んだ長い脚を貧乏揺りさせて。


「つーかどんだけ策士なんだよ。してやられたな、よりにもよってこんな状態のミツルを、信頼を利用して騙すなんて! マジで許せねえなあァ!! いくら顔がよくても、好きだったとしても、最低最悪のクズ男じゃねえかよそいつ!! よくも人の恋路を……タマァもぎ取ってやろうか! ァアア!?」


 怒ってくれるのは嬉しいけど、口調も声も台詞も酷いよ雪之丞。


「あんたちゃんとオトシマエつけたの!?」

「オトシマエ……って。一応は、さっき話ししたよ……、その件については謝ってもらった」

「謝ってもらっても、今更どうしようもないわよね」


 うん……。


「でも、私思うんだ、例え鵺ヶ原さんがそういうことしなくても、最初にちゃんと本当のこと教えてもらえてたとしても。私……信じられなくて、結局、同じように傷つけてたかもしれないって」

「もう一度聞くけど、ほんとに少しも覚えてないの?」

「……うん」

「まあ、今のあんたじゃ、彼のルックスからして受け入れ難いかもしれないわね、だって。最初もそうだったもの」

「ウサは知ってたんだね」

「ええ、だってアタシ。あんたから色々と彼のことで相談受けてたから」


 薄々予想はしていたけど、やはり私は、ウサにしか相談していなかったようだ。

 よくよく考えてみたらわかる。私はこういうこと、自分の柄じゃないと、周りに言いふらしたがらない。だから家族も特定の友人たちも知らなかったのだ。

 だとすると、噂を勝手に広めることのないウサだけに教えていたことには合点がいく。

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