第68話 散歩道。

 日が落ちて涼しくなるのを待ってから、私たちは徒歩でたっぷり時間をかけてあの川沿いを歩くことにした。

 ヒグラシが鳴き始めたオレンジ色の道に伸びる二人の影。

 亀井戸さんが少し前を歩いて、私が手を引かれ後ろを歩く。繋いだ手がリードの代わり。


「本当に散歩させられてるみたいです」

「え? 散歩でしょう?」

「うん。そうですけど……」

「ここ、言ったっけ。前にもよく散歩に来たんだ、散歩のコースって言ったらだいたいここかな。向こう側に小さい喫茶店があってさ、帰りに必ずいつも二人でクリームソーダ飲んで帰った」

「そう、だったんですか」


 いつも通った道だったんだ、ここ。

 小さく見える鉄橋に、丁度電車がやってきて、通り過ぎていく。

 タタン、タタンと、穏やかで、優しい音。


「あの音は……聴くとすごく懐かしい気がします」


 これがなんの思い出に繋がっているのか。もう少しで思い出せそうな気がするんだけどな。


 私たちは道の真ん中ぐらいまで歩いて、コンクリート補正されている部分と草っ原の境目に腰を下ろした。


「三年、わたしと付き合ってて、どうでした」

「色々あったね……でもいつも楽しかった」


 私が聞けば、亀井戸さんは特に飾ることなく返してくる。


「どういうふうに楽しかったんですか」

「んー……カップルっぽいことを意識してやらなくていいっていうか、いつも自然体でいられるからかな、だからミツルといると楽しいんだと思う」

「よくわからないんですが」

「ああ、ごめんね。つまり、まあ……比べるみたいで聞こえ悪いけど。おれが今まで交際してきた子って、なにかと記念日だとか、男なんだからご馳走してくれなきゃとか、私がいいと思うお洒落な服を着てよ、とか、カップルなんだからラーメン屋なんかに入りたくない、とか、散歩なんてダサい、ジジババのすることとか……外見ばっかりにこだわってた気がする」


 まあ、それも価値観なんだろうけど。と彼は肩を竦める。


「でもミツルはさあ、ラーメン好きだし、服のこともうるさく言わない。こうやって……散歩にも付き合ってくれる。なんでもないことを一緒にやってくれる。それで笑ってくれる。……おれ、今まですごく楽だったよ。だからおれにはミツルだなって思ってた」

「……ああ」


 恥ずかしげもなく真剣に喋る横顔が、今までで一番カッコよく見えたのは、夕日のせいだろうか。


「でも、そんないつも安上がりじゃないよ。色んな場所に行った。遊園地にも行ったし、水族館、夏祭りにも、花火見て、花見もした。スカイツリー登ったし、初詣も、もちろんクリスマスも一緒に過ごした。海にも山にも行った。美味しいものをたくさん二人で食べた。それで……」

「それで?」

「いつかパグを一匹飼って二人で住もうって。ミツルからお誘いももらった」

「私、そんなこと……!?」

「デートのあと別れるのが寂しすぎるから、だってさ」

「まじか……」

「でも、今はそれ気にしなくていいから。おれは待つよ、そういう気持ちにまたなってくれるの。三年でも十年でも」


 この人、ほんとうに。


「私のこと、大好きなんですね」

「いつもそう言ってるでしょ」


 これはきっと、とてつもなく嬉しいことなんだ。こんなにも、好きだと言ってくれる人、人生でそうそう出会えるものじゃない。

 この人のシンプルで真っ直ぐな気持ちは素直に嬉しいって、今の私でもそう思えるもの。


 なのにその気持ちを、対等に返すことができない。

 心から、私も、大好きです――ってこの人に言えたら。


 こんな切なそうな笑顔じゃなくて。最高の笑顔が見れるはずなのに。


「あの……私、どうでした。どんなふうに、あなたのこと、カメさんのこと、好きになったんです」


 いや、そもそも。


「……ちゃんと好きって、言ってました、私……」

「どうして?」


 言葉を詰まらせる私に、彼は首を傾げる。


「だって……不安なんですもん、私は、性格上けっこう寂しがりで……一人になるのが嫌だから、カメさんが優しくしてくれるのをいいことに、好きっていうより、都合よく甘えられる存在としてて……それで側にいてもらおうと、そんなずるいことを考えてたんじゃないかって……そうも思えて」


 だとしたら。すごく嫌だと思う。


「でも、自分じゃ証明できないですもん、携帯のデータ吹っ飛んだし、自分が口にした言葉なんて覚えてない、言葉は、気持ちは、形に残らない……」


 目に見えないんだもの。


「そうかな。おれは、残せると思うよ、気持ちは」


 え……、と顔を上げると。

 亀井戸さんは鞄の中に手を入れて、そこから、分厚いなにかの束を取り出して私に見せた。

 これは……、前に亀井戸さんがペットショップで私に見せようとした。

 手を伸ばしてそれを受け取って、なんだかわかった。


「……これ」


 手紙だ。手紙の束だった。何十枚も重なっている。可愛い封筒、柄ものの封筒、シンプルなの、柊の葉がくっついたクリスマスカラーのもの。


「全部おれの宝物」


 にぃーと笑って亀井戸さんは膝を抱えた。

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