第75話 恐怖の記憶。




 そうだ……私はあの日、今日みたいに雨が降りそうな夜、仕事が終わる直前に、カメさんと通信アプリでやり取りをしていた。


 ――もうすぐ仕事、終わります――


 ――はやくカメさんに会いたい――


 ――明日休みだから、もちろん泊まっていきますよね?――



 そんな文章をうきうきしながら送って。時計の針をチラチラ気にしていた。

 そして、あの事件が起きた。


「お客様、待ってください! レジ通されてませんでしょう!」

「うるせえ近寄るなァッ!」

「ダメです! 事務所まで同行願います!」


 ホームセンター裏の駐車場の奥に追い詰めると、男が殴りかかってきて。私は体勢を崩して転びかけた、その時に腕を掴まれて。

 気がついたら一回転させられ、頭からコンクリートの地面に叩きつけられていた。


 痛みが遅れてやってきて、すぐにわかる、体内からぬるっと暖かい液体が流れ出ていることを。

 ぽたっと、冷たい雨が落ちて、いくつもいくつも、私の動かなくなった体を濡らしていった。


 遠のく意識――聞こえてくる誰かの叫び声と足音。


 声が出ない。


 あ、しぬ――。


 これ、死ぬ。しんじゃうやつだ……。


 なぜかはっきりそう思えて。


 私は、強烈な恐怖をその時、味わったのだ。


 黒く染まっていく意識の中で、私が最後まで思い浮かべていたのは。


 他でもない、カメさんの姿。


 やだよ……。


 やだ、終わりたくない、死にたくないよ。


 カメさん、たすけて、こわいよ……。


 たすけて、ここにきてっ……。


 そう、何度も私はあの時繰り返していた。


 その記憶を全て、鮮明に。私は今の恐怖を引き金にして思い出したのだ。


 でももうなにもかもが無意味だ――。


 とうとう最後のボタンが外された。汗がタバコ臭いクーラーの風に冷やされる。

 

 もう……だめ――。



 目を強く瞑った。

 煩いくらいの豪雨の音、下衆な笑い声。それに混じって、何かが…………聞こえてくる。


 私の耳に……遠く、遠くから、叫び声が、届く。


「ッア゙ア゙ア゙アアアアア――!!」


 がづん――という物凄い音が頭上から降ってきて。

 目を開いた瞬間、フロントガラスの右上が激しくひび割れを起こしていた。


「ミツル……! ミツルッ!! 出てこい!! このクソ野郎がァアア!!」


 凄まじい怒号がガラスの亀裂を押しのけ。

 また一つ、衝撃が車内を震わせ、ガラスがひび割れる。


 カメさんだっ……。

 カメさんがボンネットによじ乗って、特大のハンマーを振り上げてフロントガラスを殴っている。


「おれの彼女にッ、なにしてやがるんだァ゙アアアアアアアッ〜!!」


 けたたましい音と共に派手な亀裂が広がり、フロントガラスがあれよという間に見るも無残な姿になっていく。


 流石にその行為を許容範囲におさめておくことができなかったのか、鵺ヶ原さんは私から離れ、蹴飛ばすように運転席のドアから飛び出した。

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