第3話 そそっかしくて。
「どうやら事故当時の記憶がショックで飛んでいるみたいですが、脳に深刻な異常はないみたいですね。この通り、ちゃんと喋れてるみたいですし。もう少し様子を見て、精密検査に移りましょう」
「ミツル……」
先生が横にずれると、ずっと今までそこに立っていたらしい。母親と父親、姉が壁際に沿うように並んでいて。問診が終了したことで三人がどどどっと一気に私に近づいてきた。
「ミツル! あなたなにがあったか覚えていないの? もう……どれだけ心配したか!!」
「お前は、なにをやっているんだ! 副店長さんから全部話は聞いたぞ! なんでそんな無茶なことをしたんだ! 普通だったらそんな真似はしない! もっと考えて行動しなさい!!」
「あんた投げ飛ばされて頭打ったのよ。痛くないの? かなり血出てたんだから!」
仕事帰りだろうか、アパレル業の派手な私服に身を包んだ姉に言われて、初めてそこで頭に触れてみる。
ごわごわとした手触りに分厚くて若干窮屈で、それでいて、ギリギリした痛みが体が思い出したかのように走って小さく飛び跳ねる。
投げられて……頭を打って……血を出して……病院にいる。
痛む頭で一つ一つ思い浮かべて私は冷静に思った。
一体どういう状況なのだと。
「お母さん何針だっけ」
「え、何針?」
「十三針ですよ」
先生に言われて小太りな母親は顔を赤らめて、ああっ、そうそうでしたとハンカチで口を覆って私に向き直る。
「そうそうそんなに縫ったのよ、痛い? 痛いでしょう?」
「大丈夫ですよお母さん、一応痛み止めを打っていますから」
まあ……そんなことより、痛みの強い部分はだいたい把握できたけど、これ剃られてるんだろうなあ、包帯とったらきっとハゲてる嫌だなあ。
起き上がって辺りを見回そうとしたけど、だめだ、体が動かない。
薬のせい?
「だめだめ動いちゃあ」
そんな私を、家族と一緒になって止めるハゲ先生。
「君ねえ、犯人に背負い投げされちゃったんだよ」
「犯人? ……背負い投げ!?」
「だから頭だけじゃなく全身強打してるから、しばらくは安静にしていないとだめだからね」
「はあ……」
なぜ私はこんなことになっているか。
後から聞いた話だが、どうやら私は些細な事件に巻き込まれて今ここにいるらしい。
いや、巻き込まれたというか、巻き込まれに行ったという方が正しいのかもしれない。
私が目覚める、数時間前。
ホームセンターの一角のペットショップ。そこが私の現在の勤め先だった。
あと数十分で閉店になる売り場の掃除を済ませ、私はいつものように、生体の健康チェックリストを記入して、食器を洗い、既にシャッターを閉めたショーケースの中の仔犬たちを数匹ずつ網囲いの中に出して、おもちゃで遊んでやっていた。
そんな時。その日一緒に入っていた遅番のオバちゃん副店長さんの
小鹿さんの視線の先には、売り場を不審な様子で行き来する身長180センチほどの中年男性。
七月だというのに、男はマスクにニット帽、黒のジャンパーに、ジャージのズボン。加えて周囲を気にするような不自然な動き。バックヤードの扉の影に隠れて、私たちはもう明らかだと確信したらしい。
「あれ絶対するよ……」
小鹿さんがそう言った矢先。
男は誰もいないと悟ったらしく、売り場の猫缶の陳列棚から商品を掴んで、それを大胆に両の上着のポケット、そしてズボンへと好き放題に、かつ素早く一個百円するかしないかの猫缶数十個を
そしてパンパンになったポケットの次に、奴は傲慢にも上着の袖口にも猫缶を詰め込んだそうだ。
うわあ、なんてことを。と思うもこのまま呑気に見過ごしてはいられない。
そもそもレジに行くならそんな場所に隠す必要性などないのだ。
小鹿さんは直ぐさま店内にいる制服警備員に通報したらしいが、そこで男が私たちの存在に気がついたらしく、あろうことかそのまま出口へ向かって猛ダッシュ。
ヤバい、逃げられる――と思った私は、そこで小鹿さんを売り場に残し、店を出て行く男を一人で追ってしまったのだ。
話を聞いて我ながら馬鹿だと思った。
閉店時間数十分前、客足も途絶えた暗い店の前で、もう既に逃走をはかろうとしている相手を、しかも男で身長180ほどの男を(ちなみに私は158センチ)、女である私が一人応戦したってなにになるかという話であるのに。
恐らく冷静ではなかったのだろう、焦りまくっていたのだろう。自分だからよくわかる。私はそういう時ほど馬鹿な行動を取りやすい。無茶を選ぶ。
食べれないとわかっていながら大盛りを頼む。
できないと予想していても実行委員とかの面倒ごとを引き受けてしまう。
無理かもと思っていてもなんとかなるかもしれないという憶測で突っ込んでしまう。
そんな時がある。
そしてまさにそんな時だった私は、勝算もろくに考えず中途半端な正義感だけを一丁前に持って。
店内を出て見事に窃盗罪成立した万引き犯を、そのままホームセンター裏の駐車場まで追いかけ。返り討ちに遭い。背負い投げされて、呆気なくKO。
頭から血を流して倒れていたところを無鉄砲に飛び出した私を心配して探しに来た小鹿さんと制服警備員のおっちゃんらに発見され、病院に搬送されたそうだ。
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