第8話 漫画かよ。
「申し遅れてごめんなさいね。改めまして、あなたの主治医となります、
え、やっぱりハゲ先生じゃん。
「あ、その顔。やっぱりハゲ先生じゃんって思った?」
ぎ、く。
なぜわかった。
「ああ、いいのいいの気にしないでねえ。実はねえ私、この苗字の所為で小さい頃からハゲ! ハゲ! ってからかわれててさあ、じゃあそんなに言うんならいっそ、ってことでこの頭にしたわけなの、でも案外気に入っちゃってさあ、なんたってシャンプー、リンス代もかからないからねえ。経済的だよハゲはぁー、いいでしょう?」
その話に思わず笑った。事件後初めて心から笑えた気がする。
いいなこの先生。できるぞ。
まず始めに。ハゲ先生は私に昨日起きた出来事を話せる範囲でいいから説明してと言ってきた。
「家族がみんな来てて……、へんな男の人が来て、いきなり……」
「うんうん、びっくりしたよねえ」
「ええ……それで、先生に話聞いて……寝て、でも体痛くて、あんま寝れなくて」
アバウトだけどそんな感じ……。
「いいよ。記憶はちゃんと頭に溜まってるし、しばらくは全身痛いかもしれないけど、骨も折れてないし、日常生活に支障はなさそうだから、このままいければ退院が近づいてくるよ。よかったね、丈夫な体で」
「はあ……案外早いんですね」
でもまだ私は失くした三年間の記憶を取り戻していない。ほんとうにこのまま退院させられてしまうのか。
「うん、あとは経過を見てだね」
だそうだ。
「薬とかでなんとかならないんですか」
「薬?」
「思い出しやすくする、……薬とか」
「ああ、そういう薬ねえ、あるといいよねえ、私も最近、年を感じて、物忘れが度々あるもんだからさあ、欲しいねえ、そんな薬」
ないのかよ。
医療進んでんじゃないの。
「記憶ってこんな中途半端に抜けちゃうことってあるんですか」
「まあねえ。少し稀なケースだけど、人の脳っていうのは未知の塊だから、なにが起こってもおかしくはないんだよ剣木さん」
「そう、ですか……治ります、かね」
「ううーん。病気ではないからね」
「ああそっか」
「でもね、記憶って忘れることはあっても消えるものじゃないから、ふとしたきっかけでねえ、いきなり全部思い出したり、少しずつ思い出せたりっていうのもあるから」
「じゃあ、全く思い出せない時もあるんですか」
「個人差はあるけれどね」
む。上手くかわされた。
「困るんですけど、先生。私一応アルバイトだけど働いてるんです、記憶がちゃんと戻らないとしっかり働けないじゃないですか」
だって、あれでしょう。
私の今の頭はあるはずの三年間がすっぽ抜けて、つまり、三年前の状態の頭ってわけでしょう。っていうことは、その間に覚えたこととか、仕事内容とか、忘れちゃってできなくなってるってことでしょう? 抜けた三年間で出会ったスタッフの人たちを私、忘れてるってことでしょう?
あれ、これまずいんじゃないの。
なんか、物凄く大変なことかもって思えてきた。今さら焦りがじわじわ昇ってくる。
「焦ったって仕方ないよ。ゆっくり思い出していくしか」
「そんな他人事みたいに」
や、他人事だろうけども。
あわあわと震える私に、ハゲ先生はほっこり笑う。
「あのねえ。剣木さん。今の君に必要なのは静養とご飯をしっかり食べること、あとは思い出せない自分を責めないこと、絶対に焦らないこと……それが体に一番毒になるから。これ重要ね」
今の私の症状は、
よく交通事故とかなにかで強く頭を打った時、それ以前の一定期間の記憶を失くしてしまうという、記憶喪失と一般的によく知られる記憶障害だそうだ。
と、なんやかんやと専門用語やまどろっこしい言葉が飛び交う中で私が退屈そうな顔をしていることに気がついたハゲ先生は、わざと簡単な言葉や例えを使って、小学生にもわかるレベルで私にこれからどうすべきを伝えた。
「風邪ひいてる時って沢山ご飯を食べれないでしょう? 今の君はそれと同じ、ゆっくり、ゆーっくり現状を受け止めて、少しずつ日常に適応していけばいい。お粥を時間をかけて食べるみたいにね。無理して思い出そうとすると消化不良が起こっちゃうからね、自分でも気がつかないくらいストレスどぉ〜っと溜まるから。のんびりちょっとずつちょっとずつ、自分が忘れている今の生活に慣れていくことがリハビリになります。見たり聞いたり、触れたりすることで、だんだん思い出せてくると思うんだ、特に強い記憶に繋がるなにかに接触できれば、それが刺激になって一度に思い出す量が増えることもあるね」
「強い記憶に繋がるなにか、って?」
「それは人それぞれだねえ。景色だったり、誰かの言葉、ふとした出来事」
「時間かかりそう……」
「そりゃあねえ。まあでも、もしかしたら、明日ポン! と思い出すかもしれないし、もしかしたら十分後に記憶が全て蘇るかもしれない。大丈夫、気楽に構えておけばいいよ」
つまり早い話が私の頭次第ってことらしい。
「でも。それだったら、一ヶ月、ヘタしたら一年経っても思い出せない時は出せないってこと……ですよね?」
こう見えて私は根っこがネガティヴな方で。心配事があればもう芋づる式だ。だって三年って、仕事以外に重要なことの一つや二つ、私生活の中に絶対あったはず。
誰かにお金を貸したかもしれない。
外せない約束をどこかで取り付けていたかもしれない。
あっ――ていうかネットだとかアプリのID、パスワード、忘れてる。思い出せない……!
どうしよう。っていうか携帯は投げ飛ばされた時に一緒にコンクリートに叩きつけられて、おまけに回収されるまで雨に打たれてた、わけだから……。
携帯壊れた。データのバックアップ取ってない。友人と連絡も取れない。パスワードもわからない。今の私、おわってんじゃん――!?
「はいはいはい、ストレス溜まるよ剣木さん」
固まって、真っ白になっていく私を先生が引き戻す。
「もっとこう、手っ取り早い方法ないんですか」
ん。待てよ。
よく、こういった展開のオチって確か。
受けた衝撃と同じ衝撃を受ければ、記憶がきれいさっぱり戻って、一件落着って――なるはずじゃ。
「剣木さん。それはアニメや漫画の中だけだからね。今度こそぽっくりいっちゃうから。やめようね」
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