第7話 そんなばかな。
「剣木さん。ちょっと質問に答えてもらえる?」
「……はあ」
「1たす2は?」
「3、です」
「じゃあ、4ひく3は?」
「1です」
「2たす2」
「4……」
「ふんふん、じゃあ最初の質問の答えって、言える?」
「1たす、2だから……3、です、よね」
「そうね…………じゃあ、最近一番印象に残ったこと教えて? 楽しいことでも、そうでないことでもいいよ」
え。最近、一番?
「それは……実家から出ようと、一人暮らししたいなあと、思ったことです」
「剣木さんは、今は実家暮らし?」
「ええ」
私は、淀みなく答えた。
「……え、ミツル」
「なにを言ってるのミツル」
言ったのは母親と姉。
勿論、父親も二人と同じような顔をしてこちらを見ていた。
おかしなものを見る目をして。
「剣木さん、お歳は? いくつ?」
「21です」
「今は、何年?」
「え……西暦、二千、十二年、ですよ、ね?」
先生が少し黙り、なんだか怖くなった。
なにかまずいことを言ったのか。病室全体の静寂が怖い。
「はい、いいでしょう」
「あ、あの」
「ちょっとご家族の方、外でお話しさせて頂いてもよろしいですか? あ、あと君も時間が大丈夫なら個別で話を」
先生に促されるまま私の家族は大人しく病室の外に出て行った。
そして、私を最後まで名残惜しそうに見つめていたその人も鞄を抱えて扉を潜り。私は煌々とした病室に、一人取り残されてしまった。
なにか恐ろしい病気なのか、それとも私の頭は手に負えないほどに重症なのか。再び誰かが病室に戻るまで私は正直気が気じゃなかった。
しかし。長い長い沈黙のあと、先生から告げられた私の状態に。私は直ぐにそれを飲み込むことはできなかった。
恐れていた病名ではなかった。
頭も馬鹿になっていたわけじゃない。
ただ――、
今日から過ごしてきたおよそ三年間の記憶をまるっと忘れてしまっている。
だなんて。
そんな、記憶喪失? アニメや漫画みたい、んなばかなと思ったが。
「アニメや漫画みたいって思ってるかもしれないけど、ほんとうだからね、受け止めてね剣木さん」
そう言われてしまった。どうやら本当にそういうことらしい。
この自分なんかが、そんなことになるなんて、と。確かに驚いたけど、でも死ぬことじゃない。
そんなもの回復と共にすぐに思い出せる。今の医療は進んでいるってよく言うし、きっとおそらく大丈夫だ。
そう、悠長に思っていた。
自分がどれだけのものを失ってしまったか、そんなことすら考えられず。
記憶は必ず、いつか戻るものだと。
この時の私は他人事のように思い込んでいた。
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