第89話 石投げ、カモメ、遊覧船。
私たちが乗る列車は、それから三時間ほどして終点の伊豆急下田に到着した。
特急『踊り子』に別れを告げて、がらがらと改札を通っていく観光客のいく先に導かれるように私たちは駅舎から出ていけば、むあっとした空気と強い日差しに迎えられた。
やっぱり海風強いなあ、と。持ってきた麦わら帽を押さえたら、デニムとレースのワンピースが風に靡いた。
「やっぱりその服似合うよね」
この服。実はまさかのカメさんからのリクエストだった。
鼻の下伸ばしちゃって。視線が変態くさい。
「フーン。こういうのが好きなんですね」
「脚が綺麗に見えるからね」
「やっぱり脚かよ」
私のそこそこ盛れてるナチュラルなメイク顏はどうなのよ。
「うん、可愛いよ」
「とってつけたように言ってるな…………ん、あれ……」
待てよこの会話。なんだこのデジャヴ。
それにこの景色。正面の海鮮丼屋、バスターミナル。浮き輪や遊泳玩具が並べられたお土産屋さん。……見覚えがあるような。
「もしかして。前にも来たことある……?」
言うとにっこり頷くカメさん。
「やっぱり微かに思い出せるものなんだね」
「うそ、いつ?」
「さて、そこまで思い出せるかな」
なんて言って。私にビート板でも手渡すようにして、先に進んでいくカメさん。
見た景色や、食べたもの、匂い、心に焼きついた思い出の場所は特に記憶の枝葉を強く揺さぶる。
そんなことを前にハゲ先生に言われた。
もしかして今回の旅行、一枚噛んでるのかな。
そんな気がしてならない。
現地に着くまでどこを周るのか、カメさんは言ってくれなかったけど、どうやら前回行った場所を再び巡るというプランのようだ。
カメさんはなんか焦らせてるように感じてない? と不安そうだったが。
そんなことはないって私はわかってる。きっとこの旅行は彼なりのケアのつもりだ。
一つでも取り戻せるよう。そして、騒動続きだった現実から遠ざけ。ゆったりとした時間の中で少しでも休めるよう。口には出していないけれど、そういう心遣いが痛いほど嬉しい。
最初はロープウェイで山の上へ、展望台で記念撮影して、縁結びのパワースポットと呼ばれる愛染明王堂にて参拝。
「縁結びなんて必要ないと思うけど」と首をかしげる私の隣で、じゃあ「離れないようにもっと強く結んでもらおう」と、クサイ台詞を吐いて手を合わせるカメさんに習って、とりあえず拝んでおく。
……記憶が、元に戻りますように。
多分、先に目を開けた私の隣で熱心に手を合わせている彼も同じ願い、なのかな。
参拝が終わり、隙間なくびっちり結ばれた絵馬に軽く引いていた私をカメさんが手招きして呼ぶ。
お金を払って、それ専用の平たい石数枚を柵の下にある岩目掛けて投げるっていうやつ。
岩の手前にあるフラフープみたいな輪っかに石が通ると願い事が叶うらしい。
絵馬やお守りには興味ないけど、こういうミニゲーム的なのは結構好きだ。
二人で石を半分こして、ノリノリで構えて、いざ三回勝負――。
結果。2ー0で私の惨敗。
「クッソ負けた!」
「え、これ勝ち負けあるの。違くない?」
もう一回と私が催促する前に、おみくじを引いて、次の遊覧船停泊場へとカメさんは私を引っ張っていった。
日本に来航してきたペリーが見たとされる下田の沿岸の景色。さっき登った寝姿山、港の風景、潮の香り――それよりも私が夢中になっていたのはカモメの餌付け。
落ちないでね、落ちないでね。と服を後ろから掴まれて、遊覧船を追いかけるカモメの群れに、途中からトンビの群れも加わって。景色そっちのけで、年甲斐もなくはしゃいでしまった。
結局楽しすぎて、カメさんのぶんの餌までもらって餌付けに没頭してしまった私は、船から降りる頃にはすっかりクールダウンして、少し恥ずかしくなっていた。きっと世のカップルはあんなんじゃなくて。景色を二人で眺めながらロマンチックに過ごすはずなのに。やれやれ私ときたら……。
「……すいません。子供っぽかったですよね、煩かったし」
「そんなことないよ、すごい笑ってたし、良かったじゃない、楽しかった?」
「うん」
「それはなにより」
そう言ってくれることにホッとする。
父の影響が強いせいなのだろう。私は、これでかなり叱られることや文句を言われることを恐れている。だからこんな感じに後ろめたいことをやんわり受け止めてもらえると凄く安心する。
「楽しそうにしてるのに文句は言わないよ」
菩薩かこの人。
カメさんといると、私、甘ったれのダメ人間になりそうだ……。
「別に甘えてくれていいよ」
「まあ、たまには叱ってくださいよ」
「うん。ミツルがよくないことしたらね」
保護されてる感が半端ない。
前の私も、こう感じていたのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます