第84話 おとうさん。
不正を行った二人の先輩が、罪を私になすりつけたのだ。
二対一だ、どう考えても不利。そのうえ私は入社したての下っ端で、あちらは数年。
周りの人間がどちらを信じたくなるかは、悲しいが信頼という天秤で決まるもの。
弁解も通らず。そこから嘘の噂は一気に広まり、扱いも底辺となって、もう地獄だった。
補佐をしようと手を出すと、「乱暴する人はつっ立ってれば?」などと言われ。
院長からは「証拠がないからこれ以上は言えないけどさ、失った信頼を取り戻したいなら、それなりの誠意を見せてよね」と告げられた。
幸い、その後先輩二人は警戒したらしく不正は働かなくなったが、そのしわ寄せが私の方に来た。避けられるわ、物は隠されるわ、陰口叩かれるわで、社会人一年目でまさかこんな目に自分が会うとは思わず。毎日が辛くて、泣いてばかりで、ここじゃ仕事ができない、辞めよう、そう決心したのに。
いざ話を出せば、院長から回らなくなるから今は辞めるなと止められた。
自分で蒔いた種なんだから、今辞めるのは逃げでしょう? 世の中そんなに甘くないよ、剣木さんさあ――。
なんて言い渡されて、それからひと月。
毎朝、胃液を吐いて出勤して。
昼ごはんも喉を通らず。
周りの視線や陰口でストレスは積もりに積もって。
最後は仕事中に倒れて、退職することになった。
私は、完全に負けた。社会の中に溶け込めない不適合者だったんだ。って、それから自分がみじめで仕方なくて、軽く引きこもりになった。
今でもアルバイトから上に行きたくないのは、そのトラウマのなごりからだ。
そうか、私やっぱり、この話カメさんにしてたんだ……。
「そんなことが……」
父親の驚いた声。
「彼女はたまに思い出して言っていましたよ。自分がもっとうまく立ち回れていればって、自分を責めていました。ミツルさんってそういう人なんですよね、自分に自信がなくて、すぐに落ち込んでしまう……、でもすごく優しくて正直なんですよね。結果的に辛い思いをして辞めることになってしまったけれど、あの場所で彼女は声の出せない動物たちのために最善を尽くしたんだと。なにも無責任なんかじゃない、素晴らしいことだって僕は思いますよ」
カメさん。
「彼女も、今の自分の立場を気にしていますよ。僕は焦らないで彼女のペースで次のステップに移って欲しいと思います。ミツルさんなら、本当にしたいことをちゃんと見つけて、やり遂げられます。今の職場でも頑張っているの知っていますから。……それに、僕は迷いなんて最初からないですよ。忘れてしまった三年のうちに僕以外の人との関わり合いもないと断言できます。根拠は……ないですけど、僕たちはお互いなんでも話すようにしていますから。信じていますから」
言い終えて、「すみません、偉そうに」と控えめな声を足すカメさん。
それに対して父親は、
「君は。私とは正反対の人間なんだな」
存外穏やかな声でそう返した。
「美鶴は、小さい頃から自分に自信のない静かな子だった。けれどそうしてしまったのは私のせいなのだろうと思ったよ、君を見ていて。恥ずかしい話だが私は長年、あの子から避けられている、父親のくせに美鶴のことがわからない……、気がつけばいつも短所ばかりを指摘して衝突してしまう、それがあの子の出口を塞いでしまっていたのだろう」
初めて聞いた。そんなこと、あのお父さんが思っていたなんて。
「だが君は、美鶴の美点を見つけ、認め、自信や可能性を広げてくれている。君の言うとおり、なんでも話しているんだな」
私なんかとは違って――。そうお父さんが微かに言っていたのをそこで聞いた。
「大介君……、あの子は誰よりも君を必要としていたんだろう、今はそれを忘れてしまっているが、あれはあれなりに取り戻そうと必死になっている。支えを必要としている。時間も掛かるだろうし、これから障害はいくつも出てくるかもしれない。それでも……娘を見ていてくれるかい」
カメさんはそこで頷いたのだろう。
「どうか、どうか……っ。不束な娘ではありますが、これからも、何卒よろしく頼みます――」
切実なお父さんの声がして、慌てたカメさんの声がそれを追いかけた。
「どう? お父さんもお父さんで色々考えてるでしょ」
いつの間にか隣で聞き耳を立てていた姉貴が私に囁く。
「私、お父さんに嫌われてるのかと思ってたよ」
そう返せば、姉貴は鼻で笑った。
「んなわけねぇだろ。お父さんああ見えて、結構ミツルのこと心配してるよ」
そうだったんだ。
「まーでもさァ、ミツルもお父さんも同じ頑固者だから。衝突ばっかしてたよねぇ、だってお互い話さないから」
「それは、お父さんが話してこないから」
「なに言ってんの。話そうとしなかったのはミツルでしょ」
そんなことは……。
「覚えてないの? あんたが小学校五年生くらいの時だっけ……、ファミレスに行った時さあ、お父さんが店員さんと揉めて、大騒ぎになった時よ。あんた恥ずかしくて大泣きして、お店飛び出して、そっからだったんじゃない、お父さんと話さなくなったの」
なんとなく覚えてる。
お父さんが店員さんに掴みかかるくらいの勢いで激怒したんだ。
お店の中の視線が私たちのテーブルに集中して、ご飯も味がしなくて、拷問のような時間だと子供ながらに感じた。
もともと怒りっぽくて敬遠してた父親を本気で嫌いになりたいと思えた思い出。
「お父さんが謝っても、ミツルはそれからずっと冷たいままだったよね」
「そりゃあ謝られて済む問題じゃないよ、嫌な記憶だもん」
目を細めると姉貴は気持ちはわかると苦笑した。
「うん。確かにあれはやりすぎだったよね。でもさあ、あの時怒った理由って、あんたのためだったんだよ」
え? どういうこと。
「あんたが頼んだ料理、すっごい冷たかったの。お父さんが気がついて、調べてもらったらカウンターでずーっと放置されてたんだって。それで出てきた店員さんも言い訳ばっかで全然謝らないから、お父さん、頭にきちゃってああなったって」
「子供が食べる料理だぞ!!」と、あの時、父親は何度も言っていたらしい。
「そうだったの……」
「そう。でさ、あんまり避けられるからお父さんもそのうちミツルに近づくのが怖くなっちゃったんだと思うのね。それでいつもあたしをダシにして話しかけるぐらいしかできなくなっちゃったんだよ、逆効果だったけどねっ」
「ダシって……、贔屓の間違いじゃん」
「まーそれも少しはあるんじゃん。ウチってあたしが回してるようなもんだし、あんたネガティヴだし、お父さん扱いずらいし、お母さん抜けてるし」
くっ、言い返せない。
「それで同じにしろってーのは無理じゃん。あたし長女だし、頼られんの当たり前だし」
バサバサ言っていく姉貴。
「つってもさあ、贔屓されるぶんつれーこともあんのよ? 期待重いってこともあったし、あんた並みに弱音とか好きに吐けないしさ。ミツルは不遇だって思ってたかもしれないけど、長女も長女で苦労があんの。たまーにあんたのオヤツ食べたくなるぐらいにね」
「そこと直結させんなよ」
「ま、あんたが思ってるほど、うちの家族は薄情じゃないってことよ。なんとも思ってなければ、二回も病院駆けつけないし、こうして彼を呼んで来いとも言わないわ」
それだけは理解しなよ。
そう姉貴が顎で襖の方を指して。
私は小さく、頷いた。
「ねえ、桃剥いて、オレンジとメロンも出してみたんだけど、食べるでしょう?」
って、せっかく忍者みたいにしゃがんでヒソヒソと話していたのに。
空気を読まないお母さんが大皿持って襖を開け放ったお陰で、コップを片耳に当てて一様に固まる姉妹の姿が晒され。
ちょっとその後、大変なことになった。
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