第30話 年上だと。
「ということは今……25歳!?」
「うん、そう」
うそだ、全然見えない。
年下かと思ってたくらいだもん。
「よく言われますよ。もう入社して二年経つのに上の人からは歳間違えられるし。私服だと大学生だと思われることもあるし」
「これでももう直ぐアラサーなんだけどなあ」と言って困り顔で水を飲む彼。どうやらコンプレックスのようだが、ちょっと羨ましい悩みでもあるなと私は思ってしまう。
「若く見られるっていいことじゃないですか」
「それもよく言われますけど、男で童顔ってあんまりいいことないですよ。女の子なら可愛がられるかもしれないけど、男でこんな顔って、逞しそうに見えないし、頼りなさそうって思いますでしょう?」
うーん、確かに。筋骨隆々の厳つい顔の男性と、平和主義ですみたいな顔でひょろっとしてるこの人だったなら、街中で肩をぶつけてきたチンピラが絡む相手にするのがどちらかは目に見えている。
「おれ……この顔のせいで過去に女性二人にフラれてるんですよ」
ええ。こんなでも女性経験あるんだ。なんか悔しい。
「しかも、二人とも乗り換えだったし……もっと男らしい良い人ができたのでって……」
うわあ、それはトラウマになるわあ。
「まあ、でも……可愛い系の顔好きな人も中にはいますし、老け顔って言われるよりかはいいじゃないですか」
「ありがとう剣木さん、あんまりそう言ってくれる人いないから嬉しいよ」
気がついたら、意外とするする会話が成立していた。
というか、なんで私がこの人を慰めているんだと、思ったところで料理がやってきた。
匂いからしてもうヤバイ。食欲を一気に引き出すスパイシーな香り、立つ湯気。てらりと光る素揚げされたエリンギと薄く切られた茄子、ルウの中に浮かんだ一口サイズに切られたこんにゃく。ほどよく盛られたふっくら白米。端っこにちょんと添えられた赤い福神漬け。どれを取っても不味いわけがないと伝えてくれる。
「いただきます」
早々と手を合わせて、スプーンを握ってまずは一口。
…………おっ。
「おいしい?」
「……おいしいです、美味しい、なにこれ」
想像していた以上の味だった。
ぷるっとしたこんにゃくもしっかりカレーに馴染んでいて、丁度いいルウの辛さが病みつきになってスプーンが止まらない。
カレーとご飯の中間に添えられた素揚げにしたエリンギと茄子もさっくりとしていて、ご飯の硬さもまた絶妙だった。柔らかすぎず、硬すぎない。
そうそうこの硬さががカレーによく合うんだよね、あー、うまあ。
いいよいいよ。これぞ夏に味わうカレーって感じ。
冷静に考えると、よくわからないキャッチコピーを脳内で浮かべていたら。
「気に入ったんだ、よかったね」
と、私を見て嬉しそうに笑う童顔眼鏡。
それにしてもステーキカレーの名の通り、分厚くカットされた牛ステーキの乗った、皿からはみ出しそうなてんこ盛りカレーには目を奪われる。
そしてそれをもくもくと美味しそうに食べていく彼。十分も経たないうちに半分となり、ライスの山が小さくなっていく。
「ほんとに食べれるんだ」
「うん?」
「意外と食べるんですね……亀井戸さん」
「これぐらい男なら普通で食べるよ」
いや、そうだろうか。
私がその食べっぷりに気を取られていたら、いつのまにか追い抜かされて、彼はぺろりと完食してしまった。
「ちゃんと噛んだんですか」
なんでこんなお母さんみたいなこと言ってしまったのか。けれどちょっとあれじゃあ早食いすぎると思ったのだ。
「味わったよ。おいしかったーあ」
まじかよ。
満足そうに言ってスプーンを置いたかと思ったら。亀井戸さんは紙ナプキンを一枚取って、それを私の口元に持ってきた。
その行動にびっくりして顔を遠ざけると。
「端っこにカレーついてるから」
と、言われ。私は恥ずかしくて慌ててナプキンを引ったくって口元をごしごし拭いた。今の、拭こうとしてくれたってこと?やだ、子供じゃないのに、なんなのよ。なんて思いつつ、私は自分の分のカレーを食べ進める。
「今日は、なにか嫌なことがあった?」
食べ終わった彼は特にすることもないからか、やたらと話しかけてくる。話題も他にないし、しょうがないから喋ってやる私。
「なんというか、お客さんと、トラブルがあって」
「トラブル?」
ことの経緯を簡単に纏めて話すと、彼はだから怪我してるんだ、と少し複雑そうな顔になってテーブルの上で手を組んだ。
「頑張ったね。偉いね、剣木さん」
「別に偉くなんか、ないですよ」
「でも、体を張って仔犬を守ったんでしょう? それで怪我したんでしょう? 店長さんの言うことで凹まなくてもいいよ。おれがその場にいたら、多分怒って間に入っていっちゃっただろうなあ」
「なんであなたが入ってくるんですか」
「そうだね。それも変かもね」
「……でも、ありがとうございます……」
否定されなかったのは、安心したし、嬉しかった。
「きっと、こんな話……実家でなんかしたらきっと、父親に、お前はまた馬鹿なことやってって……言われるから」
「お父さんと仲悪いの?」
「ま、まあ……。うちの父親、なんていうか、周り見えてなくて、姉贔屓凄いし……ていうかむしろ私のこと嫌ってるっていうか……。すぐ否定してきて、お姉ちゃんは、お姉ちゃんはっていつも言うし……」
いきなりこんなこと言われて困ると思うし、自分も認めてもらえなくて寂しいって言ってるみたいで、恥ずかしいと思えた。でも。
「母親も父親には逆らわないし、姉には甘いし。姉もそれわかってて余裕ぶってるし。いい時はいいけど、悪い時はそういう、ウチの中にある変な流れっていうか、常識みたいなのが凄い目立って嫌になるし。まあ、仕方ないんですよ、姉は昔からよく動き回って甘え上手で、運動も勉強もできる人だったから。私は落ち込みやすくて、勉強もあんまりできないし、姉より実績とか出してこなかったから、扱いに差があるのは、しょうがないって思うけど……、でもやっぱり、話する時くらい、姉と比べられたくないって思います、ちゃんと……私を見て欲しいって」
私が溜めてきた負の感情は止まることなく口を使って出てきた。
「そんなふうにいつも考えてるけど、誰も気がついてくれなくて、このまま実家にいたら自分が保てないって思ったから家出たんだと思います。だけど、それからのことも全然……私覚えていない、思い出せない……、うまくやれていたのか、どんなふうに過ごしていたのかも、どんな楽しいことがあったのかも」
全部。私の中からなくなってしまった。
「情けないって……思って、しょうがないんですよ。頭打って、色んなこと忘れて、色んな人に迷惑かけて、結局私、多分三年前と同じだったんだろうなって、成長できてなかったんだろうなって……思えて」
話していると、やっと薄まってきた虚しさと悲しさが再び込み上げてきて、私は気がついたら泣き出してしまっていた。
「色々ありすぎて、わけわかんなくなって、はやく思い出したいのに、それもできなくて……誰かに相談したいけど、こんな話、いきなりされても戸惑われるだけだし、でも……家帰って一人でいるとどんどんネガティヴになってくるし……もう、ほんと……っ。こういう時こそ、家族に相談したいのに……家にも帰る気起きないし…………自分だけでから回ってることわかってるけど……っ、私は本当に、要領悪いダメなやつだから、余計に嵌るし、う、うっう……く」
途中からなにを言っているのか自分でもわからなくなってきて。ただただ泣くしかできなかった私を、亀井戸さんは最初こそ焦った様子でいたが、顔を片手で隠して泣く私を少しの間泣かせておいてくれた。
「暗いなあ」
そう言って。すんすんと鼻を鳴らす私にまた紙ナプキンを差し出し、追加でポケットティッシュを鞄から出して私の前に置いた。
「いっぱいいっぱいになってるんだね……おれも同じ気持ちになれればいいんだけど」
「すみません……、困りますよね。なんか、泣きついて、助け求めてる都合のいい女ですよねこんなの」
化粧崩れも気にする暇もなく、早く泣き止まなければと目元にティッシュを当てていく私に彼は首を振る。
「ぜんぜん。話してくれて嬉しいよ、少しでも気持ちが軽くなってくれれば、良かったと思う。でも剣木さんは剣木さんだから……お姉さんとは違うから、そこまで自分を責めちゃダメだよ、本当に君が頑張ってること知ってる人……ちゃんといるから」
「やさしい……ですね」
「そう? まー、よく言われるんだけどね」
あ。なんか調子乗られた。
「思ってたほど、ストーカーっぽくない……」
「まだストーカーって思ってたの?」
「だって……」
あの出来事は、衝撃的すぎて忘れたくても忘れられない。
「ああ……あれはね、ごめんね、ほんと」
「あの……、亀井戸さん、私たちって、前にもこうやってご飯、食べたことあります」
「え」
「ここのカレー屋さんで、食べて、こんなふうに話してたんですか……?」
なんとなくだが、懐かしいと思えるカレーの味。出されたポケットティッシュ。記憶に殆ど残っていない相手の前で泣いてしまった私。なんだか、頭の奥がむず痒い。なにかが頭上でふわふわと浮かんで、だけどしっかりと固まらない。
このもどかしさは――なに。
すると彼は、私の言ったことにじわじわと顔を赤くして身を乗り出し、テーブルの上で拳を握った。
「それは……っ」
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