第19話 納得いかない。


 姉貴は「あーあ、来ちゃったよ」と小さく呟き。私はそこでひやりと汗を垂らす。


「――煩い! 今何時だと思ってる! なにをしてるんだ!!」


 リビングに凄い剣幕の父親が突っ込んできて、遂にリーチがビンゴになってしまった。私にとって最高に都合の悪い絵面。

 足元に残った地面がまた少し削られていくような感覚を肌で覚え顔を上げると、老眼鏡に新聞紙、白髪混じりの薄毛、寝間着姿の父親が私を睨んでいた。またお前か、と言うように。


「なんだ、どうしたんだ」


 父親が中間に立っていたバスタオル一枚の母親に目配せする。


「いえ……まあちょっと、ミツルがお姉ちゃんにデザート食べられて怒っちゃったみたいで」

「……ミツル、そんな理由でこの真夜中に騒いでいたのか」

「っ、違う! 姉貴がちゃんと謝ってくれないから!」

「謝ったじゃんあたし」

「あれは謝ってない!」

「いい加減にしなさい!! いつまでも子供じゃないんだ! また買ってくればいいだろうそんなものは! 全くお前は、そんな小さなことで大声を出して恥ずかしくないのか! ご近所様のご迷惑になるとも思えないのか! そんなふうに注意が払えないから怪我もするんだ!!」


 横から答える姉貴を睨みつけると、その態度が気に入らなかったらしい、私よりも大きな声で怒鳴り声をあげる父親。


「大きいのはそっちの声じゃん、近所迷惑じゃん」

「なんだと」

「いきなり割って入ってきてさ、毎度だけど詳しい経緯も聞かないで、ただひたすら姉貴ばっか庇ってさ、別に今更期待してないけど、だから嫌なんだよねこの家、ほんと吐き気する……」


 どこも同じなのかもしれないけど。

 いい時はいいけど。悪い時はとことん悪い。というのも、あからさまな姉贔屓がうちの家庭にはあるのだ。

 意識してるのかしてないのかは知らないけど。姉貴が自覚するほどに、うちの両親は姉にとことん甘い。その結果、自分が動かなくても周りに面倒ごとをしてもらう女王様気取りの干物女が完成したというわけだ。些細なことでも謝らない、だらしない。でも姉貴だから通る。私が同じことをすれば必ず叱られるのに。

 昔からそうだった。賢くて、行動力のある姉と、どんくさくて、頭の悪い私とじゃ確かに釣り合いは取れないのだろう。両親は姉ばかりを擁護しているように私には見えてしまう。

 大なり小なり衝突の際にはだいたい不平等なジャッジを下されて。そして二言目には「お姉ちゃんは……」、「お姉ちゃんなら……」なのだ。

 だがなんと言われようと私だけでなく、ここは姉貴も謝るべきじゃないのか。そうして初めて両者に和解が生まれるはずなのに。


「ミツル謝りなさい、お姉ちゃんに、叩いたこと」


 うちのトラブルの収束のさせ方はいつも一方的だ。

 そもそも私の所有物に手を出さなければこんなことにはならなかった。それなのに発端をすっ飛ばして、何故私だけが謝らないといけないの。この不公平なやりとり、何度見てきただろうか。


「――ああ、はいはいもういいよ。わかったわかった。あたしが悪かったから、今度同じの買ってくるからさあ。それでいいでしょー」


 本来ならそれで手打ちでいいはずなのに、そのしょうがないから謝ってやるよみたいな姉貴の態度、カンにさわる。そして極め付けはこれだ。


「お姉ちゃんは素直に謝ったぞ。ミツル」

「……」

「なんだその目は」


 そうだ。だから私はこの窮屈な家を出ようと思ったんだった。

 姉貴と比べられて、惨めな思いするから。父親が、私を否定ばかりする父親が大嫌いだから。


「やれ……もういい。ミツルお前はもう帰りなさい」

「は――」


 険悪過ぎる空気と沈黙がしばらく続き。父親は溜め息をついて畳の部屋に向かって。キーケースを持って戻ってきた。見覚えのあるようなマスコットのついたキーケース。それを父親が私に手渡す。

 どうやら、私は三年ほど前からこの家を出て職場近くのマンションで一人暮らしをしていたらしい。家族は体調が回復するか思い出すまで私を自宅療養させるつもりだったようだが。


「体がしんどくないのならもうこの家を出なさい、その方がお前にもいいだろう」


 なら話が早い。覚えてないけどグッジョブ自分だ、言われるまでもない、こんな家とっととおさらばしてやる。


「それでもここにいたいのなら、まずお姉ちゃんに……」

「ここにいたい? んなわけないじゃん、どんだけだよ! お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんってそんなに好きかよお姉ちゃん! どうせ27歳アラサー娘とぐらいしか普通に話せないからなんだろ! 気持ち悪いんだよクソジジイ!」


 私はこの期に及んで追い立てる父親を睨んで、怒鳴り声を背に聞きながらリビングの扉を乱暴に閉めて早急に荷物を纏めた。


「ミツル、なにもそんな今すぐ出て行くことないでしょう、夜も遅いし。せっかく帰ってきたんだから、もっとゆっくりしていけばいいじゃない」


 母親だけが玄関で私を引き止める。


「自分の家があるんならそこに帰るよ。お父さんの言うとおりその方がいいんだよ、私にも、うちの家族にも」

「プリン一個でここまで大喧嘩することないじゃないの……お姉ちゃんも買ってきてくれるって言ったでしょ」


 喧嘩になるとだいたい傍観者になるくせに、だったらこうなる前にもうちょっとフォローしてくれたっていいじゃない。


「買ってくるからいいとか。そういう問題じゃないんだよ。形的に解決しても、こっちは全然納得がいってない」

「じゃあどうしたいのよ」

「どうしたいとかそういうんじゃなくてさ、そっちがなんとかしてよ、姉貴ばっか優先させんのとか、無断でデザート手出すのもいい加減そっちもなんとか言ってよ、謝られても誠意感じられないし、なんていうか全体的におかしいでしょ流れがさあ! なんでうちはこうなの!」


 って言って変わった試しはない。こんなもの無い物ねだりだってわかってる。


「もういいよ。じゃあね、ご馳走様でした」

「たまにはご飯食べに来なさいよミツル、お父さんだってねえ、あんなふうに言うけど、あれで……」


 全部聞き終える前に私はその場を立ち去った。

 いつまでも抱えてたって一銭の得にもならないムシャクシャを消したくて急いで電車に乗って、住み慣れた我が家に急いだ。

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